「小さい頃から感じていた、日本のキレイ、せかいの綺麗。肌、土、紙、衣を、音、映、踊、灯と結びつけて、カタチにしてゆく。いろいろな方との出逢いに、躯が反応する、手が動く。今、私が言える本当は、『描くの、スキ』」
この心から溢れ出るような独白は、「ペインティングアーティスト」神田サオリさんの言葉だ。サオリさんは山口県生まれ。2歳から3歳まで、大手商社で働く父親の海外転勤のために一家でバグダッドに住んでいた。イランイラク戦時下で、物資が不足していたため、現地では子供のための玩具がほとんどなかった。そこで父親が会社から持ち帰った、廃棄されたテレックスの紙束が、サオリさんの一番の玩具になった。紙いっぱいに絵を描いていると、彼女はまったく飽きることがなかったという。
小学校2年生の時、父親は再び転勤になり、一家でドバイに移り住んだ。ドバイ日本人学校は生徒が少ない分、個性が伸び伸びと育つ環境で、サオリさんの絵画に対する情熱と才能はここで大きく開花した。運動会で配られるプログラムの表紙の絵を描いて友達にたいへん好評だったため、嬉しくてサオリさんはますます絵を描くのに夢中になった。ドバイでの生活は小学校6年生まで続き、芸術の種は心の中でゆっくりと根を張り、芽を出していった。日本に帰ってからも絵を描くことを学び続け、ついには芸術の世界を選び、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科に進んだ。
デザインを専攻したため、美大に入ってからはデザイン概念の習得が先行した。その為絵画制作の機会が減って、サオリさんは描く事に欲求不満だった。ある時、偶然出会ったイラストの展示会にて、彼女は作者の自由な画風に影響を受け、自分ももっともっと描きたいんだという想いを赤裸々に告げた。こうして出逢ったDJかつ画家の先輩が、彼女を音楽という大きな世界に引きこんでくれた。それ以後、サオリさんはクラブイベントにて仲間が音楽を演奏する時に、会場に絵を展示したり、ライブペイントをしたり、ボディペインティングを行うようになった。そして次第に大学の外でも新しい友達や様々な人々と知り合い、常に知識と経験を吸収し、未知の世界に飛び込んで行き、独自の創作スタイルを切り開いていった。
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