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[反授権規範政治の真相] 違憲・御用型「裁判員制度」をゴリ押す“非民主化パンデミック政治”の悪辣 <span style="font-size:small;font-weight:bold;"><注記0>当記事は、既にUP済みの下記記事◆から“表題に関連する部分”だけを抽出し転載したものです。</span> ◆日本の「マンガ的右傾化」の対極にあるハンガリー国民の飽くなき「民主化への意志」の歴史、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090505 ・・・・・・ <span style="font-weight:bold;">(ハンガリー民主化の歴史の対極にある、現代日本の民主主義の危機を象徴する「潜在光景」=『小泉・安倍・福田・麻生が培養した“非民主化パンデミック政治』による、違憲性の疑いが濃い御用型「裁判員制度」の日本国民への押し付け)</span> ここで言う「潜在光景」とは、過半の善良な日本国民がソレと気づかぬよう、さりげなく狡猾に国民の不利益となる悪徳に満ちた政治・行政が進められているということ<span style="font-size:small;">(=司法への参加を名目に国民の主権を侵しつつ量刑判断の責任の一部を国民へ押しつること)</span>を意味します。別に言うなら、その悪政を国民へ押し付ける原動力となっているのが、今や時代遅れとなった「トリクルダウン<span style="font-size:small;">(ネオリベラリズム)</span>妄想」とマンガ的「偽装極右政権」の談合・結託です。つまり、今まで政権から十二分な恩恵を受け甘い汁を吸ってきた仲間内の権益を死守するため、狡猾にも御用法曹と御用メディアが結託し、一般国民の鼻先へ向けて危険な“非民主型ウイルス<span style="font-size:small;">(感染源)</span>”の飛沫を意図的に散布しているということです。 そして、今や、その役割を嬉々として率先して担うのが<政・財・官(法曹)&暴>との“利益共同体”<span style="font-size:small;">(コングロマリット)</span>の維持を過剰に自覚せざるを得ない(<span style="font-size:small;">経営上、および自己保身の観点から・・・)</span>マスゴミ化・低俗化・卑俗化したマスメディア<span style="font-size:small;">(特に民放テレビの劣化は目も当てられない惨状!)</span>であり、その最悪の象徴が由々しき「記者クラブの問題」なのです。 世界に例を見ない「日本の記者クラブ制度の本質」を抉るなら、それは悪徳政治権力と結託した「官製談合ジャーナリズム」以外の何物でもないということです。このままでは、必ずや、この腐敗した権力コングロマリットが日本の民主主義の基盤<span style="font-size:small;">(市民社会)</span>を確実に崩壊させることになるでしょう。従って、この傾向に歯止めをかけるため、一刻も早く、欧米に先進事例がある「プレス・カウンシル<span style="font-size:small;">(報道評議会)</span>」によるジャーナリズムのチェック&評価システムを本気で導入すべきです<span style="font-size:small;">(参照、下記▲)</span>。 <span style="font-size:small;font-weight:bold;">▲検察と記者クラブの誤謬、http://d.hatena.ne.jp/butch1960/20090327/1238121986</span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">▲人権・報道・インターネット、http://homepage1.nifty.com/nik/</span> しかし、“不況下で報道機関が大幅に収益を減らす中、ジャーナリズムが抱える問題を議論した”はずの朝日新聞・労組主催「言論の自由を考える5・3集会」<span style="font-size:small;">(2009.5.3)</span>でも、この記者クラブの問題は一切とり上げていません<span style="font-size:small;">(参照、下記◆)</span>。メディア自身の中から自浄作用と真の危機感が芽生えることを期待するのは、もはや無理のようです。 <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">◆メディアの課題議論/尼崎で朝日新聞労組「5.3集会」、http://www.asahi.com/national/update/0503/OSK200905030048.html</span></span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;"><注記></span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">・・・『小泉・安倍・福田・麻生が培養した“非民主化パンデミック政治』については、下記★を参照乞う。</span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">★[反授権規範政治の真相]“偽装新インフル”より危険な小泉・安倍・福田・麻生が培養した“非民主化パンデミック”政治、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090502</span> ところで、渦中の「裁判員制度」を取り上げるにあたり、『 “ローマ法の継授”の二つの流れプラス・ワン<span style="font-size:small;">(英米のコモンロー)</span>』という歴史的観点からスポットを当てると、おおよそ以下のように纏めることができます。このようにして司法のあり方を概観することも非常に重要なことです。なぜなら、我々自身の自覚の有無を問わず、ある意味で現代社会もローマ法の掌の上で生かされていることは紛れもない現実だからです。 短く言ってしまうなら、それはA[大陸法<span style="font-size:small;">(北イタリアなどのコムーネ(市民自治)の伝統との融合→啓蒙思想→近代市民社会の形成)</span>]、B「係争処理技術としての詭弁を駆使する卑俗法」、C「英米流コモンロー」の三つの流れです。元来、ローマ法は極めて現実的な性格のものですが、Aの流れの中で洗練され、理念型憲法による権力への授権の意義<span style="font-size:small;">(権力暴走への監視)</span>が理解されるようになり近現代の市民・民主主義社会が成立します。Cも英米流の民主主義社会のベースを提供しましたが、より自由主義的であるため、リバタリアニズム<span style="font-size:small;">(自由原理主義)</span>、あるいはランディアン・カルト<span style="font-size:small;">(アインランドの客観哲学=超利己主義哲学)</span>のような一種のエポケー<span style="font-size:small;">(epokhe/無責任な思考停止状態 or シミュレーション思考)</span>ヘ向かう傾向があります。 <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">A型=大陸法の流れ</span></span> ・・・正義・信義・信用の重視<span style="font-size:small;">(狭義のローマ市民法の伝統)</span> → 12世紀ルネサンス<span style="font-size:small;">(6世紀・ユスティニアヌスのローマ法大全から再発見/ボローニア大学)</span> → 市民自治都市法<span style="font-size:small;">(ユス・コムーネ)</span>との融合<span style="font-size:small;">(北イタリア経由)</span> → オランダ典雅学派 → ドイツ法・フランス法 →啓蒙思想<span style="font-size:small;">(理念型民主主義の熟成)</span> →近代市民社会の発達を支援<span style="font-size:small;">(=理念型憲法の授権規範的意義を重視) </span> <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">B型=卑俗法の流れ(ビザンツ=バルカン型)</span></span> ・・・網羅的現実の中から、とにかく一つの結果を効率的に選択する技術としての法、言い換えれば決議論的性格<span style="font-size:small;">(カイズイスティッシュ/Caisuistish)</span>の重視 → 卑俗法<span style="font-size:small;">(Vulgarrecht/詭弁の道具)</span>化したローマ法<span style="font-size:small;">(6世紀・ユスティニアヌスのローマ法大全)</span> → ビザンツからバルカン諸国へ伝播 <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">C型プラス・ワン=英米法におけるコモンロー・衡平法の流れ ≒ 現代の米国でB型の流れへ接近(コモンロー伝統のリバタリアニズム化、強欲で成果主義的な “契約の束化”社会の出現)</span></span> ・・・「イングランド国王裁判所vs大法官 <span style="font-size:small;">(Lord Chancellor) </span>の個別救済」による大陸法との均衡 → 後者の判例集積がコモンロー化 → 英米実定法の形成<span style="font-size:small;">(←間接的ローマ法の影響)</span> → 個別網羅的・決議論的<span style="font-size:small;">(カイズイスティッシュ/Caisuistish)</span>なコモンローの成立 → 英米型市民社会の成熟 → 米国法<span style="font-size:small;">(Ex.契約最重視の詭弁型・シミュレーション思考型の“衡平法(Equity)”)</span>の成立 → 理想・理念型民主主義よりも現実的な“契約の束”と効率を最優先する米国型資本主義社会<span style="font-size:small;">(超利己的なネオリベ詭弁型社会)</span>の成熟 → Caisuistish<span style="font-size:small;">(強欲資本の論理)</span>に堕し[資本主義社会の信用]が溶解 → 人類未経験の極めて深刻な米国発グローバル金融危機の発生 → オバマのチェンジが成るか?<span style="font-size:small;">(米国社会の原理をA型へChange!)</span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">(ローマ法関連の参考資料)</span> <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">ローマ法の継授・オランダ典雅学派・ドイツ法の流れ(2007-05-19 ・toxandoria の日記)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070519</span></span> <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">「改憲論」に潜むナチズムの病巣(王権神授と民族精神の高揚)(2005-05-19・toxandoria の日記)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519</span></span> <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">アメリカ法観察ノート、http://izw134.blog74.fc2.com/?mode=m&no=321</span></span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">ローマ法概説、http://www.tamano.or.jp/usr/osaka/pages/r-data/law.htm</span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">ローマ法R25、http://r25.jp/b/wp/a/wp/n/%83%8D%81%5B%83%7D%96@</span> <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">決議論と原則主義、http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/026714+/mokuji07.html</span></span> <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">なぜAIGは巨額賞与を払わざるを得なかったか、 http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2009/20090504/10540/aig/</span></span> <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">衡平法とは、 http://info.babylon.com/onlinebox.cgi?apos;s%20clothing&tl=Hebrew&rt=ol&tid=AffToolbar&term=%E8%A1%A1%E5%B9%B3%E6%B3%95&tl=&uil=English&uris=!!XYT45EW3JE </span></span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">(ユス・コムーネ関連の参考資料)</span> <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">屋敷二郎:ヨーロッパの共通法(ユス・コムーネ)経験と東アジア 、http://www.law.hit-u.ac.jp/asia/pdf/pdf-07-japanese.pdf</span></span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">新自由主義的「司法改革(法科大学院・裁判員制度等)」による司法サービス向上の誤謬(原点から考えるシリーズ2)(2008-12-07・toxandoria の日記)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081207</span> 当然ながら、日本における「ローマ法の継授」<span style="font-size:small;">(理念型民主主義と市民社会への入り口の存在を日本が初めて知ったこと)</span>は「大日本帝国憲法」<span style="font-size:small;">(1889年公布)</span>起草の準備を進める伊藤博文らが、海外の憲法事情及び諸制度の調査を目的に「外見的立憲君主制」が完成した直後のプロイセン・ドイツへ渡航したことに始まります。 しかし、この頃のプロイセン・ドイツでは「授権規範性」を意図的に排除した「外見的立憲君主制」を支えるための「プロイセン憲法」が制定されていました。このため、ナチズムへ向かう予兆を孕<span style="font-size:small;">(はら)</span>んだ「プロイセン・ナショナリズムの熱気」と「プロイセン憲法」の「外見的立憲君主制」を支える精神とスケルトン<span style="font-size:small;">(骨格)</span>が伊藤博文<span style="font-size:small;">(岩倉使節団のメンバー)</span>らを介して「大日本帝国憲法」のなかへ流れ込むことになります<span style="font-size:small;">(岩倉使節団の派遣/1871〜1873)</span>。 このようにして出来た「大日本帝国憲法」が平和主義と戦争放棄を最高理念とする「日本国憲法」へ変革されるまでのプロセス<span style="font-size:small;">(太平洋戦争およびその前後史)</span>では、内外における数多の尊い人命が犠牲となったことは周知のとおりです。それにもかかわらず、この貴重な我が国の歴史経験・歴史遺産のプロセスを無視しつつ、安易に、現代のテレビ・コメンテータ流に外形的で格好よく、あるいは偽装詐欺風の知識で厚化粧した“お笑い風解説”付きで如何にも分かりやすそうに「日本核武装論」や「平和主義の放棄」をぶち上げる威勢のいい政治家や評論家諸氏が跋扈するようになったことは噴飯の極みです(田母神現象、http://www.j-cast.com/2008/12/01031256.html) 。 それはともかくとして、ここで取り上げるのは渦中の「裁判員制度」の問題です。漸くここに至り、様々な角度から、その余りにも酷すぎる欠陥<span style="font-size:small;">(憲法違反=その反授権規範性、倒錯した主権意識によるお上のごり押し意識、量刑判断にかかわる責任の脅迫的押し付けetc)</span>が指摘されつつあります<span style="font-size:small;">(下記▲、参照)</span>。が、この問題の発端は、やはり現行の「日本国憲法」への違反を承知の上で、ブッシュ流・ネオリベの圧力<span style="font-size:small;">(年次・対日改革要望書)</span>に基づき「A型に近い日本の刑事裁判」を市場原理主義に相応しく「詭弁型・決議論型・成果主義型<span style="font-size:small;">(=C型)</span>の刑事裁判」へ“急ぎ衣替えして、日本の司法の効率化を図ろう”とした<小泉ネオリベ構造改革>の一環であったと見なすべきです。 <span style="font-size:small;font-weight:bold;">▲「裁判員制度」凍結、見直しにむけた「12の論点」(裁判員制度を問い直す議員連盟/保坂展人のどこどこ日記より)、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/21929301bf51872669470a5abd17bbeb</span> 従って、「裁判員制度」の領域に限らず、急拵えでドタバタとなった余りにもお粗末な法科大学院の問題など、日本の司法・法曹界全体がこの<C型司法への転換戦略>のターゲットに入っているはずです。いずれにせよ、大久保太郎・元裁判官が指摘するとおり、この「裁判員制度」が『裁判官の任命方法』<span style="font-size:small;">(憲法80条1項)</span>などで憲法違反の疑いがあることは間違いないと思われます<span style="font-size:small;">(下記▼、参照)</span>。 <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">▼新自由主義的「司法改革(法科大学院・裁判員制度等)」による司法サービス向上の誤謬(原点から考えるシリーズ2/toxandoriaの日記)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081207</span></span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">▼裁判員制度「違憲の疑い」…大久保、池内が吠える!、http://www.zakzak.co.jp/gei/200905/g2009050126_all.html</span> なお、余談ながら、バルカンの北部<span style="font-size:small;">(中央)</span>に位置するハンガリーがB型ではなく「A型のローマ法の継授」<span style="font-size:small;">(権力に対する授権規範の意義を重視)</span>の流れにあったことが、近代〜現代においてハンガリー国民(市民)が「中東欧圏の民主化」を先導することに少なからず貢献したと思われます。それは、ハンガリーの首都ブダが、15世紀・マーチャーシュ王の慧眼によって「ヨーロッパにおけるルネサンス文化の中心地の一つになった」という貴重な歴史経験を経たことによるものと考えることもできます。。 別に言うならば、それは一般的な意味でのハンガリー国民<span style="font-size:small;">(市民)</span>の知識水準<span style="font-size:small;">(=教養レベル)</span>の高さを物語っています。彼らには、マジャール人としての民族意識が非常に大きい<span style="font-size:small;">(今や小国であるとしても・・・)</span>という特徴がありますが、それにもかかわらず、そのナショナリズムは内向せず「ナジマロスのエコロジー戦争」<span style="font-size:small;">(1988年5月)</span>と「汎ヨーロッパ・ピクニック」→「ベルリンの壁崩壊」の歴史的大事件の一連の流れの中で、民主化を実現しようとする鮮烈な市民意識の発露と勇敢な行動となって、それが見事に昇華されたことは既に見たとおりです。 これこそが、米発金融危機の意味を奥深くから真剣に考えるべきこの時に至っても<span style="font-size:small;">(下記関連記事◆、参照)</span>、ネオリベラリズム<span style="font-size:small;">(トリクルダウン理論)</span>の婢<span style="font-size:small;">(はしため)</span>である<span style="font-size:small;">(あった)</span>ことを偽装しつつ、<政・財・官(法曹)・マスゴミ&暴>の“利益共同体”<span style="font-size:small;">(コングロマリット)</span>の既得権益を死守するため、まことに陰湿な『小泉・安倍・福田・麻生が培養した“非民主化パンデミック政治』で過半の善良な国民が内向するばかりの「時代遅れの右傾化」<span style="font-size:small;">(核武装論、平和主義の放棄)</span>へ巧妙に誘導されつつある<日本>と国民の飽くなき民主化への意志が存在する<ハンガリー>の大違いな点です。 <span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:small;">◆金融資本主義の破綻・新自由主義の崩壊と、目覚め団結し始めた世界の人々、http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=205539</span></span> <span style="font-size:small;font-weight:bold;">◆Current Crisis Shows Uncanny Parallels to Great Depression by Spiegel Staff、http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,druck-621979,00.html</span> |