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[机上の妄想]ドナウ・ベントからの連想/「偽装捜査 or 捜査ミス」で歪曲され退行する日本の民主主義 <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090401 【エピローグ】Lara Fabian - For Always (Movie: AI-Artificial Intelligence) [http://www.youtube.com/watch?v=GkleZ8Lkt74:movie] ・・・For Alwaysはスティーブン・スピルバーグ監督の映画『A.I.-Artificial Intelligence』(公開、2001年)のエンディング曲(ソプラノ)です。映画の中では米国のソプラノ歌手バーバラ・ボニー(Barbara Bonney)が歌詞なしのヴォカリーズで歌っていますが、この曲を歌うことの難しさについて、“吉田”さまからtoxandoriaのブログへコメントを頂いているので、下に転載しておきます(映画『A.I.』の公式HP=http://aimovie.warnerbros.com/)。 吉田 2009/03/26 00:29 to → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071016 ずいぶん以前の記事へのコメントで恐縮です。 彼女は、スピルバーグ監督の「A.I.」のテーマ曲 "For Always" を歌っています。http://www.youtube.com/watch?v=GkleZ8Lkt74 普通に聴くとスルッと聴けてしまいますが、声域は2オクターブ以上、♯のついた次のフレーズで♭が3つになるなど、ジョーン=ウィリアムズの高度な作曲技法が込められており、相当な実力派でなければ歌えません。 【画像1】ドナウ・ベント辺りの風景(2009.3.24、撮影) [f:id:toxandoria:20090401233512j:image] ・・・ハンガリーの古都エステルゴム(Esztergom)を過ぎるあたりから、ドナウ川は「ドナウ・ベント(ドナウ曲がり)」と呼ばれる地域に入り、それまで東方へ向かっていたドナウは、ここで急に鋭角を描きつつ南へ方向を転じます(参照、下記【画像2】、【画像3】)。ここでドナウの流れが急に南転するのは、それが“北と南東”二つの山塊に阻まれるためです。 ・・・この画像は、「ドナウ・ベント」へ入る直前のナジマロス(Nagymaros)辺りのドナウの風景をヴィシェグラード(Visegrad/エステルゴムとブダペスト(Budapest)のほぼ中間地点で、両都市から約30kmの距離)の展望台から遠望したショットです。この右(下流)方向へ約15kmほど流れた辺りからドナウは南へ急に曲がり始めます。 ・・・エステルゴムは、ハンガリー北部の都市でブダペストから40km(ドナウの流れに沿えば約60km)北西に位置しており、その人口は約3万人です。市内にハンガリー・カトリック教会の総本山のエステルゴム大聖堂があります。 【画像2】ドナウ川/概念図1(この画像は、ウイキメディアより) [f:id:toxandoria:20090401233513j:image] 【画像3】ドナウ川/概念図2(この図は、加藤雅彦『ドナウ河紀行』(岩波新書)p104より転載) [f:id:toxandoria:20090401233514j:image] 【画像4】エステルゴム大聖堂(一枚目=2009.3.24、撮影/二枚目の俯瞰イメージはウイキメディアより) [f:id:toxandoria:20090401233515j:image] [f:id:toxandoria:20090401233516j:image] ・・・エステルゴムは、ハンガリーで最も歴史ある都市の1つで、その起源はローマ帝国まで遡ります。しばしば欧州各地へ遠征したマジャール族長の同盟軍は、955年の「レヒフェルト(Lechfeld)の戦い」(ドイツ・アウグスブルク郊外の戦い)で神聖ローマ皇帝オットー1世軍に敗れて転機を迎えます。1001年、神聖ローマ皇帝オットー3世の同意のもとで、キリスト教に改宗したイシュトヴァーン1世(Istvan 1/969 or 975-1038/ドイツ名シュテファン1世、マジャール人の族長ゲーザ(Geza)の息子)がローマ教皇シルヴェステル2世(Sylvester 2)からエステルゴム大聖堂で戴冠され、正式にハンガリー初代の国王(聖王)となりました。 ・・・エステルゴムは、13世紀半ばのモンゴル人の侵入までの240年間ハンガリーの首都でした。聖王イシュトヴァーン1世(妻はバイエルン公女ギゼラ)は、国内異民族の討伐、国内東部における部族反乱の平定、キリスト教区制の配置、行政組織の整備などによって統一された封建国家ハンガリー王国を樹立します。やがて、アジア系騎馬民族の末裔であるアルパード朝ハンガリー王国の黄金時代は12世紀後半のベーラ3世( Bela3/1148-1196)の時代に訪れます。彼は、貴族らの内紛を鎮め、1180年からは積極的な対外進出を行ないボスニア、セルビア、クロアチア、ダルマチア、そしてヴェネツィア共和国のザラ奪取などで目覚ましい戦果を挙げました。 ・・・エステルゴムの象徴が、小高い丘の上に立つ、列柱が美しい古典様式のこのエステルゴム大聖堂(シュテファン1世による創建)です。しかし、その後、13世紀中ごろのモンゴル襲来で町が破壊され、アルパード朝の王宮はブダに移りますが、ハンガリー・キリスト教会(カトリック)の総本山の機能はここに残りました。しかし、エステルゴムは、1543年からオスマン・トルコの支配下となり(〜1683)、17世紀には町の大部分が再び破壊されました。 ・・・オスマン・トルコの撤退後はバロック風の建物がつくられるようになり、やがて19世紀初めには新古典主義(Neoclassical Architecture/18世紀後期に啓蒙思想や革命精神を背景としてフランスで興った建築様式/ロココ芸術の過剰な装飾性や軽薄さへの反動として荘厳さや崇高美を備えた建築が模索された)の建物もできますが、その新古典主義の傑作が現在も丘の上に聳え立つエステルゴム大聖堂です。このエステルゴム大聖堂、中世の王宮、旧大司教座教会跡につくられた博物館などは、エステルゴムの中核の一つとなっており、ここから南へ広がるバロック風の市街地,および旧市外の新興の工業地帯が市を構成しています(ここには、1991年に進出したスズキ自動車の現地法人マジャールスズキ(Magyar Suzuki Corporation)がある)。 【画像5】マーリア・ヴァレーリア橋(Maria Valeria Hid/2009.3.24、撮影) [f:id:toxandoria:20090401233517j:image] [f:id:toxandoria:20090401233518j:image] ・・・一枚目は、エステルゴム聖堂が立つ断崖の真下辺りからドナウの向こう側、つまりスロヴァキアのシュトウルボ(Sturvo/第一次大戦前はハンガリー領)方面を眺めたマーリア・ヴァレーリア橋(約500m)の風景です。この橋は第二次世界大戦のときドイツ軍によって破壊され、2001年に再建されたばかりです。 ・・・二枚目は、この橋を徒歩で渡りスロヴァキアのシュトウルボからエステルゴム方向を撮った風景です。この橋の中央が国境であり、その目印は橋の真ん中で梁に掲げられた二枚の旗です。金融危機の影響で東欧諸国の政治混乱が更に広がる最中ながらも、この「ハンガリー=チェコ」国境の目印はEU統合への悲願を象徴するかのように見えてきます。 ・・・以下、本論・・・ (直感型の偽装捜査による『西松=小沢・政治資金規正法違反』事件の深層) 政局と国民の投票動向へ影響を与える時期を敢えて選んで着手したとされる『西松=小沢・政治資金規正法違反』事件の捜査手法を国策捜査と見る向きがありますが、それは“国策捜査”と言うよりも、むしろ“偽装捜査”と名づけるべきかも知れません。とすれば、何を偽装しようとしたのか? つまり、特捜部による国策捜査というよりも、一定の意図の下で<綿密な示し合わせに基づき演出効果を達成しようとする者>たちが、阿吽の呼吸と利害を共有するシンパらのバックアップに支援されつつ<両義的な導火線>へ恣意的に火を付けたという感じです。 無論、その目的は小沢・民主党を主流とする政権交代(=日本民主主義の品質向上へのワンステップ実現)への流れを阻止することです。つまり、これが国策捜査であるか否かの詮索は止めて、より高い上空へと飛翔しつつ高みの見物的な視点で当事件を俯瞰すれば、その実像が見えてくるはずです。例えば、以下のとおり、主要なメディアを巻き込んだ今回の一連の大騒ぎ(=メディア・イベント)で得をした立場を整理・列挙(●)すると、それは、よりハッキリします。 ●麻生マンガ政権の支持率回復 → 『麻生内閣支持率20.8%と2割回復 民主・小沢代表「辞任すべき」6割超 FNN世論調査』、http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00152070.html ●“ 簡保の宿”問題に象徴される「郵政民営化の矛盾」 → “かんぽの宿”の追求で、“ちんぽ”ならぬ“郵政民営化の矛盾の急所”を握られタジタジとなりつつあった「郵政民営化推進派」の関係者たち・・・政・官・学・メディア癒着連合のネオリベ(小泉=竹中)派に連なる人々の“存在感”が希薄化し霞んできた 関連参照:「国民的人気(?)の擬装ヒーロー・小泉」と「その偉大なるイエスマン武部」の正体、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090302 関連参照:小泉・竹中『市場原理ポルノ劇場』が陵辱した日本社会の愛のエクリチュール、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090224 関連参照:竹中平蔵元大臣がけっして触れない「かんぽの宿疑惑」の闇(保坂展人のどこどこ日記)、http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/c6c4747ea9e2473d3484195afed7c80c 関連参照:「小泉ネオリベ・擬装構造改革の本丸=郵政民営化(改革)”の戦略、今後の地価動向に影響も」・・・郵政が保有する不動産は簿価でも2.7兆円、これも叩き売りに動けば、更に大いなる国益の毀損となる!(情報源:2009.2.19付・日本経済新聞) ●<キャノン工事“大光”脱税疑惑>に名を連ねる関係者たち・・・財界総理・キャノン御手洗会長ほかのニュース・バリューが霞んでしまった 関連参照:御手洗経団連会長の「大光脱税事件」への深すぎる関与、http://www.mail-journal.com/ 関連参照:キヤノン工事脱税疑惑:九電工も裏金作り 大光側に2億円、http://mainichi.jp/photo/archive/news/2009/02/07/20090207k0000m040162000c.html もう一つ付け加えるならば、それが民主主義であれ、帝政であれ、あるいは王制であれ・・・、政治権力なるものの中枢では、その政治体制の如何を問わず、常に“何でもあり=ファスケスの刃(非論理的・恣意的かつ暴力的な権力)が作動する可能性が疼いていること”を覚悟すべきだという「政治のリアリズムについての基本認識」が現在の検察に欠けているのではないか、という疑問が存在することです。もし、このような基本認識があれば「与党政権=善 or 味方、野党=悪 or 敵」という単純な二分法的発想、あるいは「直感的かつシミュレーション的な結論が先にありきの捜査手法」などは絶対に採り得ないはずです。 そして、特に今回の『西松=小沢・政治資金規正法違反』事件については、その政治資金規制法違反の罪状判定について後者のシミュレーション的な考え方(論理)を採った可能性が高いことが懸念材料となっています。なぜなら、それは、ナチス時代のドイツで地政学上の知見から恣意的プロパガンダを優先する「応用国家心理学」を政治へ導入したエヴァルト・バンゼ(参照、下記<注記>)の「政治謀略論」の如き権力のあり方へ検察が自ら共鳴してしまう恐れがあるからです。検察は、あくまでも独自の孤立した立場で、客観かつ冷徹な審級に従うべきなのです(関連参照 → http://amesei.exblog.jp/663667/)。 <注記>エヴァルト・バンゼ(Ewald Banse/1883‐1953) ・・・ドイツ・ブラウンシュヴァイク生れの地理・地政学者。A. キルヒホフ(Paul Kirchhoff/1900-1972)らに学び、1906年以降はトリポリ・エジプト・小アジア・リビア・モロッコなどを研究旅行しつつオリエント研究を生涯の課題とした。「印象主義と地理学」(1920)、「新地理学」(1922‐25)、「景観と地表の精神」(1921)などの著書がある。バンゼは、地理的要素の生きた総体としての景観研究には要素の客観分析よりも、むしろ芸術的直観が必要だと主張した。そこには現在の知覚地理学や人間主義地理学の主張とも通じる側面がある一方で、客観・公正な科学からの逸脱の危険性が批判されている。つまり、それは事実(真実)の積み重ねよりも恣意的なプロパガンダを優先して全体の意味づけを行ってしまう危険性ということである。 言い換えれば、このエヴァルト・バンゼの「政治謀略論」は一種の「優生学的理論」であり、「ネオコン的・エリート的・差別的で超観念的な思い込み理論」です。また、それはあの「小泉ポルノ劇場」を演出してきた「竹中平蔵式リアリズム」(バカは何人寄ってもバカ=B層戦略、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090106)、あるいはブッシュ時代に先鋭化した「対日規制改革要望書」とも価値観を共有すると考えられます。従って、このような意味での「謀略論的捜査手法」をよしとするのが特捜部であるとすれば、彼らも<小泉→安部→福田→麻生と続く『事実上の世襲政治』を保守するためにこそ官僚組織・御用メディア・御用学会・御用経済界が存在する>という歪んだエリート意識に染まる可能性は高いと思われます。 そこで重要な役割を果たすのがサイクロ/内閣情報調査室(CIRO/Cabinet Intelligence and Research Office/警察・公安・防衛等の連携・情報ネットワーク)」関係の人脈(西松=小沢・政治資金規正法違反事件の黒幕は安倍・漆間の内調サイロ人脈か?)であるのが当然と見なすことも可能になりそうです。このことを前提すると、今回のメディア・イベントをリードしたのがNHKニュースである訳も理解できるように思われます(NHKは、体質的に安部一派とCIROに弱い?)。また、断じて、このような政治権力側の謀略的意志と無縁であると特捜部が主張するのであれば、それは明らかな「検察による捜査ミス」ということになりそうです。 関連参照:西松事件に「安倍晋三黒幕説」が出ている、http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20090314/1237022541 関連参照:Hot News(週間朝日編集長・山口一臣氏のブログ)『捜査ミスを政治とカネにすり替えるな!』、http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/commons0903_027.html (市場原理主義の悪影響による、司法・検察の能力劣化の懸念) ともかくも、このように概観すると「偽装捜査 or 捜査ミス」で日本の民主主義の奔流を強引に捻じ曲げつつ、その流れを強引に変えようとする東京地検特捜部は、ハンガリーの古都エステルゴム(ドナウ・ベント)辺りでドナウの流れを強引に南転させることになる「二つの山塊」のように見えてきます。それどころか、ここには、さらに懸念される問題があります。 それは、現在の検察が「高級官僚としての人事上の点数稼ぎ」あるいは「最強の権力を誇示する検察ファッショ的な快感」を求めるまで劣化してしまった可能性があるということです。例えば、最高裁判所が2008年7月15日に法務省(司法制度等を所管する行政官庁)、文部科学省(法科大学院の管掌行政官庁)、日弁連及び法科大学院協会あてに『新第60期司法修習生考試における不可答案の概要』という表題の分析報告書を送り、司法修習生卒業試験について「20人に1人を超えてしまった不合格者の実態について“実務法曹として求められている最低限の能力を習得しているとの評価を到底することができなかった”》と厳しい危機感を感じさせる表現で総括している」という情報が存在することです(参照 → http://www.election.ne.jp/10868/61029.html)。 これは、見方によることではありますが、最高裁判所が日本の司法(および独人制官僚たる検察)そのものに対する予期せぬ(予想外の?)危機が迫りつつあることを暗に示したかったのではないかと思われます。法曹の仕事の基本は言うまでもなく「論理」を駆使することですが、そもそも「法曹の論理」は一般の「行政またはビジネスの論理」とは異なるはずです。 つまり、法的思考が規範的・個別的・回顧的・固着的な論理であるのに対し、一般の行政またはビジネスにおける思考は、ある一定の目標・目的を達成するために最も効率的な手段を探求するという未来展望的(一種のシミュレーション的)な論理を駆使します。そして、シミュレーション型思考の特徴は結果又は目的への到達に役立たぬデータ(事実を支える断片としてのドキュメント・証拠)を取捨選択するという価値観が優先されることです。このような、いわばマキャべリスティックとも言える思考が本来的な意味での法曹の思考(論理)と根本的に乖離することは論を待たないのではないかと思われます。 ところが、「司法制度改革審議会」(第二次小泉内閣下における司法制度改革推進計画(平成14年3月19日付・閣議決定)に基づく)/同審議会の詳細は下記▲を参照乞う)が内閣に設置された時から、法曹界においても、目的(又は結果/例えば国民への適切な<司法サービス>の提供など)へ効率的に辿りつくためにはビジネス型の論理が必要だというような考え方(=アメリカのロー・スクールをモデルとする規制緩和型司法改革論)が濃厚な空気となった節があります。そして、そのことが日本の法曹界へ様々な悪影響を与えつつあるのではないかと思われます。従って、この動きの中には、非常に巧妙な形での<行政権(政治権力)の司法への介入の問題>が潜伏している可能性があると思われます(この論点の詳細については、下記記事★を参照乞う)。 ▲司法制度改革審議会、http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/index.html ★2008-12-07付toxandoriaの日記/新自由主義的「司法改革(法科大学院・裁判員制度等)」による司法サービス向上の誤謬(原点から考えるシリーズ2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081207 |