台湾から帰国してから、富樫さんは国際交流基金で仕事を始め、「心連心」中国高校生招へいプロジェクトの企画や運営に携わり、日本の受け入れ先高校やホームステイ先を探したり、中国の高校生たちの面倒を見たりする仕事を通して、彼らと深い友情を結んだ。
11か月間の日本留学期間中は、毎日が楽しいことばかりではなかった。時には、周囲の人たちとの交流がうまく進まず、孤独を感じたり、日本以上に厳しい中国の大学受験のプレッシャーに押しつぶされそうな生徒もいた。それでも帰国の際には別れを惜しみ、涙する生徒たちの姿を目にして、こうした中国の高校生たちを言葉で励ますだけでなく、自分の行動によって彼らにエールを送ることはできないかと考え始めた。
2008年9月14日、富樫さんは東京から中国の長春へ飛び、ここを起点として2か月の自転車旅行に出発し、帰国した高校生たちを次々に訪問した。そして瀋陽、北京、天津、済南、南京、蘇州などを経て、11月中旬にはゴールの上海に到着した。
彼の3千キロ近くの行程において、40名あまりの中国の高校生たちは、自分の祖国で日本から来た「お兄さん」に再会した。そして、久しぶりに会った喜びを分かち合い、日本で感動したことや忘れがたい経験を語った。高校生たちは富樫さんが自転車で中国を走っている間、たびたび携帯メールで励ましの言葉を送った。時には励まし、時には励まされながら、富樫さんはゴールの上海を目指して、雨の日も風の日もひたすらペダルをこいだ。
河北省の滄州市では、まもなく日本に研修に行く学生たちに講演をしてほしいと頼まれた。そこで彼は得意の中国語で、「人生は決して一本の道ではなく、さまざまな選択肢がある。たとえ志望する大学や就職先に行けなかったとしても、人生の意味がなくなるわけではない。常に夢を抱き、それを実現するために努力し続ければ必ず自分が満足できる答えが見つかるはずだ」と、学生たちに伝えた。彼の講演を聞いた学生たちは感想文をつづって、彼らが感じた驚きや感動を表現した。
中国の自転車の旅で富樫さんが深く感じたのは、日中関係の将来に楽観的な考えを持つ人が以前より多くなったということだった。南京では思いがけない経験をした。自転車が故障して困っていたところ、ちょうど通りかかった中国人男性が車を30分も走らせて修理店まで連れて行ってくれた。店はすでに閉まっていたが、お店の人は残業して翌朝までに自転車を修理してくれた。富樫さんがお金を出そうとすると、彼らは笑って「遠い日本から来てくれたのだから、お金はいらないよ」と言ったのだ。痛ましい歴史を持つ南京という土地で、ごく普通の日本の青年がこのように厚くもてなしてもらえたことを、富樫さんは一生忘れられないという。
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