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[机上の妄想]『竹中平蔵式リアリズム』(バカは何人寄ってもバカ=B層戦略)の作り方 <注記0>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090106 【画像】映画『大いなる陰謀(Lions for Lambs)』(日本公開2008.4〜/画像は、http://www.mgm.com/sites/lionsforlambs/より)公式HPはコチラ→http://movies.foxjapan.com/ooinaru/ [f:id:toxandoria:20090106105347j:image] ・・・邦題はヘンですが、原題Lions for Lambsがテーマをズバリ表しています。つまり政府(ブッシュ政権)による「USA.B層(Lambs=イラク&アフガン戦争の志願兵となる若者たち)の作り方」(=竹中平蔵式Jap.B層の作り方の下敷き?)の舞台事情です。政府代表のトム・クルーズはサイエントロジスト(カルト?)らしくブッシュ政権の野望をファナティックに好演しています。 ・・・制作・主演のロバート・レッドフォードはB層へ転落する学生らについて気を揉むリベラル派の大学教授役を、名女優メリル・ストリープも金融資本主義に蝕まれたメディア経営とジャーナリズムの狭間で悩むベテラン記者役を、それぞれ好演しています。 ・・・いわゆる反戦映画というより、病んだアメリカ合衆国の病巣にスポットを当てた社会派ドラマです。が、この映画が日本では「戦争映画」のジャンルに入っています。これも「タケナカ式マトリックスB層戦略」の一環なのでしょうか? ・・・・・ <注記1> “バカは何人寄ってもバカ”は、下記著書◆(p78)の記事見出しからの転載。 ◆竹中平蔵著『竹中式マトリックス勉強法』(幻冬社、2008.10.10、第一刷・刊)¥950.−+税 <注記2> 当記事は、下記▼へのコメント&レスを再録して、『竹中平蔵式リアリズム』のエッセンスをクローズアップしたものです。・・・ただ、コメント&レスの順序は、当記事の意図を明確にするため逆にしてあります。 ▼2009-01-04付toxandoriaの日記/「国家理性」を詐称し「雇用切り派遣村」(Jap. Shanty Town)を創った「小泉純一郎・竹中平蔵改革」の罪と責任、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090104 ・・・・・ (toxandoria → イオンさまへのレス) toxandoria 『イオンさま、こちらこそです。今年も、どうぞよろしくおねがいします。 竹中氏の詭弁は、意外なことにも、一般には“好評”のようで(明快に分かり易く聞こえるのでしょうか?)、この点が竹中式・プレゼンテーションのシブトサだと思いました。例えば、本日(1/5)付・朝日新聞に巨大な追加広告(推定広告費=300〜400万?)を出した下の著書◆について“30万部突破!”の大活字が 躍っていました。 ◆竹中平蔵著『竹中式マトリックス勉強法』(幻冬社、2008.10.10、第一刷・刊)¥950.−+税 30 万部で(総売上=ca.2.9億円)、著者に入る印税10%とすると約3千万円を既に稼いだことになります。直近のNHK「激論」出演と朝日(1/5)の追い討ち広告で、更なる印税収入の上積みは確実という訳で、この辺りの計算と上空から見下すマトリックス戦術の巧みさには驚かされます。改めて、例の『竹中式・脱法による住民税不払 い問題』を想起させられました。 ザッと読んでみましたが、toxandoriaにとっては<目から鱗>はありませんでした。巷に溢れるナポレオン・ヒル流“ポジティブ・シンキング”のハウツー本と同じ内容です。目に付いたのは、随所で、かつての上司(=小泉純一郎氏)へのヨイショ・ドッコイショと構造改革の手柄話です。 ズバリこの本の狙いは、「小泉改革=新自由主義&規制緩和&民営化」が“超正しかった”ということを示すための「有利な状況証拠とアリバイづくり」のようなものだと思います。それも、敢えて言うならば、例の『竹中=小泉式・B層戦略』の延長です。この著書の背後でアノ忌々しい、「小泉詐欺改革」でドラマチックな効果をもたらした「B層ターゲット戦略」が再び構想されたことは疑いなし、と思われます。 しかし、このような意味でのシタタカサ(竹中・小泉一派の信念orカルト信仰で過半のB層の人々を洗脳する戦略・戦術をシッカリ持ち続けること)は、反面教師的な意味で学ぶべきとも思われます。 これからは、新自由主義らへの批判も、<タケナカ式・シタタカB層戦略>を十分に研究し、その換骨奪胎的な戦略・戦術を研究・開発すべきかも知れません。なにしろ、<民主主義の決め手は選挙>ということになる訳ですから。 それから、この著書の中で些か気になったのは、タケナカ式発想の中核に居座る下記(レス末尾へ記載)の「三つのキーワード」●です。気のせいか、これらのコトバには強烈なランディアン・カルト(アインランドの客観哲学=超利己主義哲学)の匂いがします。その意味で、タケナカ・コイズミらの観念は紛れもなくネオコン的orスカル・アンド・ボーンズ的です。 あるいは、ご指摘のあった知の巨人たるレオ・シュトラウス流のqueerな空気が漂っています。というよりも、それはナチスの法学理論を支えたカール・シュミットにこそ、より近いかも知れません。このように見ると、日本政治の潮流(特に、自民&民主の一部)の中にも恐るべきタネが蒔かれてしまったようです。 そのような観点からすれば、タケナカ式リアリズム(詭弁術)を論駁するには、やはり、湯浅誠氏流の実践的なヒューマン・リアリズムを多くの国民・市民が「国家の理性」として再認識し、深く理解することが決め手になると思われます。 ●仲間かライバルかをExclusive(限定・特権・内輪的価値)で判断する ●頭の体操(つまり詭弁)の重視 ●“バカは何人寄ってもバカ”ということが竹中式リアリズムの原点』(2009/01/05 19:04) (関連参考情報/ネオB層戦略への援護射撃?) 小泉元首相が大胆アドバイス「一院制への改革や国会議員半減くらいいってもいい」、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090105-00000572-san-pol 派遣村、まじめに働こうという人なのか?と坂本総務政務官、http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090105-OYT1T00628.htm?from=navr 経済再生のためにもっと勉強を」 ─『竹中式マトリクス勉強法』(竹中平蔵著) 、http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/33 (イオンさま → toxandoriaへのコメント) イオン 『明けましておめでとうございます。昨年は勉強させて頂きました。本年も宜しくお願い申し上げます。 さて言及された年頭のNHK番組「激論」なるものはひどく不愉快なもので、竹中平蔵氏なる現在の格差・貧困社会の状況現出の最高責任者の一人が番組を乗っ取った感さえありました。最近彼は山口二郎氏との対談で自分は新自由主義者ではないなどと言っていますし、番組では「自分の進めた雇用規制緩和の延長戦上には実はオランダ型のワークシェアリングがある」という主旨のこと(完全に私が理解しているかわかりませんが)、を言い出し、論争相手に「あるべき社会のヴィジョンを示せ、それは社会主義なのか」などと言い出す始末。 つまり後知恵で自分のやったことを糊塗し、論点をすり替え、さらに自分に賛成しない者は悪魔だという粗雑な二分法のごり押し(「社会主義か自由主義か」「レッテル張りや犯人探しはやめろ」)で、強弁術か詭弁論理学の好例の陳列台と自ら化していました。後から考えれば、その論理は穴だらけなのですが、はったりで大見栄きってその場を切り抜ければOKで、視聴者の何人かは「竹中さんの議論は大筋では正しい」と考えを変えたかもしれません。挙げ句の果てに竹中氏の「(お前たちは)リアリストたれ」との言葉です。 実は所謂リアリストには落とし穴があり、彼らは自分たちが親しんだ、熟知しているリアリティーが未来永劫続くと思い込み、それを物神化して、目の前で変わりゆくリアリティーを無視してしまう傾向があります。(他のブログのコメントでも書いたのですが)竹中氏の自称リアリストとはそのようなものかもしれません。あるいは(これもコメントで書いたのですが)目の前のリアリティーがどんなものか手に取るようにわかった上での、御自身の立場と理論、そして立案した政策を守る為の大パフォーマンスであったのかもしれません。後者であれば本当にある意味で感服すべき(??)リアリストであるかもしれませんね。実は彼の理論はかなり破れていること、実は立場等殆どなくなっていることはその言葉を注意深く聞けばわかります。 しかし幾らかsome little hopeというのか、こんな馬鹿な言説が横行するなか注目すべき出来事や言葉がありました。それは先月30日から本日まで続いた湯浅誠氏が主催者の一人である日比谷公園の「派遣テント村」です。テレビで紹介されたのですが、それに参加した群馬県で失職した四十代の男性の言葉「今日程人の情けが身に染みた事は無かった。いつかこのことを他の誰かにお返ししたい。いつかこのようなボランティアに参加したい」には感動しました。人間はそれ程に困窮しても他者への思いやり、利他心、共感を保つことが出来るのです。人間の心の美しさを垣間みた思いがしました。 上で言及した湯浅誠氏ですが、この正月休みはその著書『反貧困』(岩波新書)及び同じく岩波の『思想』の「レオ・シュトラウス特集」を少しずつ読みました。湯浅氏は貧困に弱い社会は、どんな軍事力や GDPを誇っていても本質的には弱い社会であると述べ、これまで跋扈し社会保障切り捨てを支えた「自己責任論」や社会保障「只乗り」論を具体的な数値データや豊富な実例を挙げて一つ一つ反駁します。さらには貧困は単に金銭的なものではなく、教育や技術、人間関係、家族関係や自分の自信や誇りといった、いざというときに支える「溜め」(溜め池のように様々なリソースをプールしたもの)が奪い去られること、または失うことなどと論じます。誠に説得力があります。 『思想』の「レオ・シュトラウス」特集ですが、まだ所収の論文を四、五本しか読んでいません。レオ・シュトラウス(1899-1973)はアメリカの保守系の政治哲学者。ドイツ出身のユダヤ系で、ミルトン・フリードマンと同じくシカゴ大学で教鞭をとりました。レーガン以来の共和党政権の高官やブレーンにかなり元学生やシンパが多かった様です。(例えばP.ウォルフォヴィッツやW.クリストルなど) 大雑把に言えば彼の主張の一つには、プラトンが『国家』で展開した哲人王思想に立脚し、さらにプラトン主義系のイスラーム哲学(ファーラービーなど)やユダヤ哲学(マイモニデス)などの宗教は哲人的な資質を持つ預言者が社会の秩序維持のために哲学的真理を比喩的に、民衆の創造力に訴えるように表象したものとする政治思想に学び、エリートは民衆を良導するためには(預言者が真理をモディファイして宗教を作り上げた如くに?:イオン注)「高貴な嘘」をついて良い、というものがあります。 また彼はスピノザやホッブスの批判的研究を通して、宗教改革、フランス革命以来の西欧思想は、人間の自然的性質を無視し、進歩礼賛の歴史主義に陥っているという説を唱え、近代以前の古典的文化への回帰を唱導しています。(ハイエクから始まって)フリードマンとその学派が現代保守政治の経済思想を作ったように、シュトラウスとその学派が現在の共和党政権に政治思想の面から真に影響を与えたか、まだ研究と議論の余地がありますが、その反近代主義の思想的影響は強いと考えられます。 また愚考を長く書き失礼致しました。今後も現代政治、社会、経済のpredicamentの文化的、思想的背景を明るみに出す記事を期待しております。今年がToxandria様にとって良き年と成りますよう。』(2009/01/04 23:20) |