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[参考情報]日本版「世襲・閨房型アンシャンレジーム」の凝視に役立つ新刊書二点 2008.11.29 <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081129 [副 題] [2008-11-26付toxandoriaの日記/もう一つの年金問題、日本の民主主義の劣化を促進する『小泉=小泉問題』の闇の深さ]の反照 【画像1】Lara Fabian - Pour que tu m'aimes encore (Live) [http://www.youtube.com/watch?v=iqAMNdZdkgI:movie] 【画像2】 Lara Fabian - Adagio in Italiano [http://www.youtube.com/watch?v=xXdQj2Vxcp4:movie] 【画像3】Gustave Flaubert(1821-1880)−MADAME BOVARY(Petits Classiques Larousse Texte Integral) [f:id:toxandoria:20081008072505j:image] ・・・画像はhttp://livre.fnac.com/a1943750/Gustave-Flaubert-Madame-Bovaryより 周知のとおり、ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert/1821-1880)は、ルイ・フィリップ(オルレアン朝/位1830-48)の「七月王政(七月革命)、ブルジョワ政治」〜二月革命(1848/七月王政の反動化に対する労働者・小市民による市民革命)〜ルイ・ナポレオンの第二共和制(1848-1852)〜ナポレオン3世の第二帝政(1852-1870)〜パリコミューン(1871/社会主義自治政府、史上初の労働者政権)〜第三共和制(1870-1940)の始まりのころまで、つまり激動の19世紀フランスを生き、写実主義を確立したとされる小説家です。 フローベールの名を高めた長編小説『ボヴァリー夫人』( Madame Bovery/1857)の主人公エマは、平凡な医者シャルル・ボバリーと結婚していますが、その結婚生活の現実に幻滅して、少女時代から抱いてきたロマンティックな幻影を追い求めつつ、二人の男と次々に関係を結びます。しかし、その過程で借財を重ね、男たちにも裏切られ、結局は、夢想の完全な崩壊で自殺します。 ところで、主人公エマは読書経験によって新たな感受性と想像力を身につけますが、その想像力と現実の落差に溺れて身を滅ぼします。この幻影を追い求める行動のきっかけは、彼女が貴族の舞踏会へ招待され、自分の<現実世界の壁>の向こう側にあった貴族社会の存在を知ったことです。結局、その結果としてエマは身を滅ぼしますが、この<エマの想像力>には、激動の時代の流れの中から<民主主義の根本となる平等の意識>を重視するようになったフローベールの意識が投影されているようです。 (しぶとく解散を逃げまくる麻生マンガ内閣の周辺に漂う妖しい紫雲の正体) 『 私たちは今、小泉純一郎が行った見得きり政治の負債を背負って、暮らしている。親の経済的・政治的資産に頼って生きてきた空虚な男が、国会議事堂の花道で見得を切った。政治をパフォーマンスのひとつとしか思っていない、この島国の人々は、叫び声で応えた。郵政民営化などの見得の後には、小泉チルドレンなる小役者の猿真似が続いた。安部晋三は、郵政民営化で当選したいわゆる小泉チルドレンの一人ではないが、小泉的な児戯性から生まれた跡取り息子だった。小泉チルドレンの総領といえる。森−小泉−安部と、三段跳びで進行した、幼稚と欺瞞の奇妙な混合は、地方政治でも同時進行している。・・・途中、略・・・批判力が育たないよう、目隠しして走らされてきた国民は、政治をテレビが作る祭り、パフォーマンスとしか思わなくなった。/野田正彰・著『見得きり政治のあとに/あとがき』(みすず書房)より引用・転載 』 (田母神論文(軍事国家型の狂想)を育んだ現代日本の三つの格差/http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081105より部分転載) シセラ・ボク(Sissela Bok/スウエーデン出身の哲学者、ハーバード大学人口・開発研究センター研究員)は、その著書『共通価値−文明の衝突を超えて』(小野原雅夫・監訳、宮川弘美・訳、ウニベルシタス叢書)の中で、現代世界の根本には杞憂すべき三つの格差とその拡大傾向(下記(1)〜(3))が存在すると述べています。しかも、“米国流ネオリベ型「利己主義」の受け売り”に過ぎなかった詐欺師・ペテン師ら(小泉・前首相及び竹中平蔵ら御用学者)が仕立てた擬装「構造改革路線」を、一寸見ではマンガ的な威勢の良さながら、内実は面従腹背の如く綿々とひたすら小泉路線の流れを引き継ぐだけの自民党「麻生漫画政権」が支配するこの日本では、特にこの傾向がますます強まっています。 (1)経済力格差・・・世界で最も裕福な人々と、最も貧しい人々の間の収入の格差が、この三十年間で倍増している。 (2)言語力格差・・・戦争が日々にもたらす残虐性や苦痛を目前にしながら、その内容を適切な言葉で表現することができない人々が甚だしく増加しつつある。 (3)情報力格差・・・(1)、(2)の問題に関心を寄せる人と、これに無関心な人との格差が甚だしく広がりつつある。 「経済力格差」について見るならば、たとえ麻生流の「追加経済対策」(参照、→ http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-34642520081030)をいくら打ち出しても、それは近未来の時間軸を人質に取った子供騙しのネズミ講(ネズミ講型ビジネスモデル=“2兆円の擬似餌バラマキ”と“増税(3年後)”の“回しサヤ取り堂々巡り方式)に過ぎず、結局、内発型の地域経済発展と内需拡大による新しい付加価値の創造などはとても叶わぬ「砂上の楼閣」であることを肝に銘じるべきです。 例えば、今や一千万人を超える「年収200万円以下の貧困層に属する人々の問題」を放置し、それと裏腹の関係にある「中間層の没落傾向の問題」を傍観するままでの「定額給付金2兆円バラマキ政策」は愚の骨頂たる税金の無駄遣いです。同じ2兆円を使うのであれば、先ず「生活保護費」を食い物にするような悪徳「貧困ビジネス」が跋扈する現状を改善・支援するための新たな制度づくりに活用すべきです(参照、下記★)。あるいは、崩壊しつつある国民皆保険制度の下支えに一刻も速く取り組み、とめどない不安・不信の連鎖から遣り場を失いつつある国民一般の政府への信頼を取り戻すため、選挙目当てのバラマキのような邪道の策ではなく国民の厚生充実を目指す正攻法の政策努力に取り組むべきです。 ★2008.11.4放送、NHKクローズアップ現代『援助か搾取か “貧困ビジネス”・・・今、年収200万円以下の人は全国で1000万人以上。こうした低所得層を対象にする「貧困ビジネス」が横行している。』、http://www.nhk.or.jp/gendai/ また、「マルチorネズミ講・商法の上がり」から政治資金を集めるような<経済とビジネスの根幹部分についての理解という意味で余りにも低次元で、お粗末で、しかも姑息で意地汚い政治姿勢>を改めて(この点については民主党も同罪を部分的に共有する!・・・)、日本社会の存続基盤である中間層の人々の日常生活のニーズに照準を当てたビジネス拡大を目指す、つまり本来の意味での経済活動(持続的に新たな付加価値創造を日々に図る仕事)を目指す、多くの真摯な中小企業経営者らの「ニーズと信頼」に応えるため新たな支援制度づくりに活用すべきです。 本来であれば、日本のみならず「世界中でバランスシートの罠」が広がりつつある時にこそ、言い換えれば、つまり過度の異常な不安心理が「実体経済」(“あそう読み”によればジツブツケイザイ!)へ「債務の過剰超過」をもたらす緊急事態であるからこそ、今は、優良企業等の経営努力を地道に見極めつつ、その事業再生に焦点を絞った財政・金融的な支援が有効であるはずです。 「言語力格差」と「情報力格差」について見るならば、この問題の大きな責任は、ひたすら政権与党に媚びてきたマスメディアにあると見なして良さそうです。つまり、彼ら(小泉劇場の出演者、マスゴミ、御用学者、芸能人ら)は、お得意のポピュリズム(B層向け愚民政策の提示 → 善と悪、敵と味方に二分してみせるパフォーマンス、あるいは複雑な利害調整プロセスを、今流行のイロイロ検定試験あるいはテレ・コングかTVクイズ番組の如き単純化を施すこと)によって実に狡猾に小泉劇場の詐欺的本性をカムフラージュしてきたのです。 この意味では、特に小泉劇場のバカ騒ぎで率先して旗振り役を担った民放テレビの責任が重大です。なぜなら、その「小泉劇場」と「民放テレビ」との間には、いま流行の“源氏物語絵巻についての新発見”ではありませんが、何やら薄気味悪く不可解な“紫色の雲”(=彼らが、善良な日本国民を裏切りつつ、持ちつ持たれつの利害関係を隠してきた状況証拠)が延々と棚引いているからです。しかしながら、その核心部分の摘出と解決策への取り組みは殆んど絶望的にすら見えるようになっています(この具体的内用にについては、下記◆を参照乞う)。 ◆2008-10-08付toxandoriaの日記/日本の民主主義を退行させた“小泉劇場&民放TV(マスゴミ)”の妖しい関係の罪の重さ、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20081008 (関連参考情報) 第2次補正予算案 提出先送り 経済の麻生 苦しい弁明、http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/scope/CK2008112002000108.html 「何もしない人の分何で私が払う」 高齢者医療に首相不満?、首相は「67歳、68歳になって同窓会に行くとヨボヨボして、医者にやたらかかっている者がいる」と指摘、http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20081127AT3S2601M26112008.html 麻生マンガ政権は「沈むタイタニック」と化そうとしている?、http://www.data-max.co.jp/2008/11/post_3586.html、http://www.data-max.co.jp/2008/11/post_3587.html 日本では、政治は家族(小泉・安部・福田・麻生らの世襲&閨閥)の問題(閨房政治?)である(ル・モンドの記事)、http://ameblo.jp/cm23671881/entry-10142995962.html これではマンガ首相の歴史認識も怪しい?/麻生首相は議会制民主主義と議院内閣制を混同!、http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081128-434570.html (小泉劇場〜麻生マンガ内閣に及ぶ『世襲・閨房型アンシャンレジーム』の凝視に役立つ新刊書二点) ・・・以下は、[2008-11-26付toxandoriaの日記/もう一つの年金問題、日本の民主主義の劣化を促進する『小泉=小泉問題』の闇の深さ]のコメント&レスの再録・・・ とむ丸 『いつもTBをありがとうございます。 toxandoriaさんのところには私からのTBが通らないものですから、返信で失礼をさせていただいてます。 >中高年のご婦人方のキャーッ、小泉さ〜ん! の現象には私もしばしば当惑させられてきましたが、周囲を見回すと、そうした行動をとると予想される人がなんとなく分かります。 で、女の勘は鋭いですから、だいたい当たります。 これはなんだろう? と考えさせられたこともありましたが、だいたい、「世の中の価値観に“素直に”従っている」という共通項が見られます。非常にスパンの短い世間の空気に敏感で、モラルを唱導するような説教にもけっこう反応したりします。 やっぱり、分かりやすい価値観を呈示されると弱いのだと思います。それに、セックス・アピールですか。これは本人の持ち味を意図的に十二分に引き出した演出の効果かもしれませんね。 まあ、そんなところで日本社会の行く末が決まってしまったのかと思うとやりきれませんが。』(2008/11/28 10:55) toxandoria 『“とむ丸”さま、こちらこそです。 TB不調のことはお互い様のようです・・・、この頃は特に“はてなブログ”のHung-upが目立っています。 ところで、『キャーッ、小泉さ〜ん!』に類する現象の背後には、ララ・ファビアンのような本物の歌(人生を謳いあげる実力派の歌唱力)が評価されない日本社会の不可解な空気にも何か通ずるものがあるような気がします。 「世の中の価値観に“素直に”従っている」という“常識を持つ”方々の反対側にある悲惨な現実・・・、例えば、日本の全就業者の3割強が非正規雇用者であり、それを20代前半と50代以上に区切ると、その割合が既に50%以上になっているという恐るべき現実・・・、『かのご婦人方』にはこのような現実が見えていない、というよりも彼女らはそれを見るのが怖いのかも知れませんね。 そのような意味での、フランス革命勃発後の世界を生きたフロ−ベ−ルが言うところの<想像力の欠如>が『小泉=小泉問題』の闇を一層深いものとしつつあるような気がします。 この問題を考える参考となりそうな二点の新刊書(◆)が目に留まりましたので、ご案内させて頂きます。 [f:id:toxandoria:20081129193849j:image][f:id:toxandoria:20081129193850j:image]◆佐藤賢一著『小説、フランス革命(全10巻シリーズ/既刊1(革命のライオン)−2巻(バスティーユの陥落))』(集英社)・・・このシリーズの特色は、“もうひとつの身分”である「教会」につ いても光を当てていることだそうです。民主主義の根本、政教分離とライシテ(laicite/参照→http://naoparis.exblog.jp/993086)の問題などを考える必読書かな?と思っています。なお、この本の装丁をブログ「あんとにあん・備忘録」の“あんとにあん”様が担当されています(画像は、ブログhttp://d.hatena.ne.jp/antonian/20081119/1227106745より)。 ◆J・キャロル( James Carroll )著、大沼安史訳『戦争の家』(緑風出版、近刊の予定)・・・「戦争の家」とはペンタゴンのことで、「第二次世界大戦」から「イラク戦争」の現在までを綴 る 同時代史とのことで楽しみにしているところです。訳者の大沼氏は、道新記者の時に特派員として湾岸戦争を取材した経験を持つ方です。詳しくはブログ記事 (→http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2008/11/post-7b83.html)をご参照くださ い。』(2008/11/28 17:33) とむ丸 『大沼さん訳の『戦争の家』は私も楽しみにしているところです。 >『かのご婦人方』にはこのような現実が見えて いない、というよりも彼女らはそれを見るのが怖いのかも知れませんね、 と言われますが、やはり、怖いというより見えていないのだと思います。何と言いますか……心の奥で何かを感じて次の判断なり行動なりに繋がるスイッチが入るわけですが、その感じるものが違うような気がします。それが何なのか、もやもやして、まだ私にもはっきりと分からないのですが。 なお、数年前にパリのコンシェルジュリは見てきました。それ以外は、革命の痕跡を見つけるのは短い時間ではできませんでした。 全10巻もの『小説 フランス革命』とはおもしろそうですね。昔から歴史は好きでしたから。』(2008/11/28 22:11) toxandoria 『 >『かのご婦人方』にはこのような現実が見えていない、というよりも彼女らはそれを見るのが怖いのかも知れませんね、と言われますが、やはり、怖いというより見えていないのだと思います。何と言いますか・・・・・心の奥で何かを感じて次の判断なり行動なりに繋がるスイッチが入るわけですが、その感じるものが違 うような気がします。それが何なのか、もやもやして、まだ私にもはっきりと分からないのですが。・・・・・ そうですね、このご婦人方についての論点(=あるべき想像力の完全な欠落)が、もう一つの『小泉問題(次官らの殺傷事件)』と件の『(田母神+アパ論文)の問題』とに重なって見えてきます。そして、この後者二人の<特異な心の闇の構造>は、まことに不気味なことですが、先のご婦人方のそれと部分的に重なるような気がします。 また、これらを背後で操る<得体が知れぬほど大きな闇>の可能性があるかも知れません。 そして、『小泉劇場』、『安部の美しい国』、『福田あわわ〜政権』、『麻生マンガ内閣』に類する国民の基本権を無視するという意味でフザケた日本の世襲・閨閥政治の現状は、謂わば、これら諸眷属(小悪党・小悪魔ら)の心(=あるべき想像力が完全に欠落した心)を自在に操ろうとする<得体が知れぬほど大きな背後の闇>に属する問題だと思われます。 なぜなら、こちらは持続的正統の名の下に国家あるいは“民主主義社会そのもの”を根底から支配しようとする意識から湧き出す、より合理的に計算され尽くした打算的かつ確信犯的なものだと思われるからです。 例えば、高リスク層(後期高齢者層)を国民健康保険(高リスク層のリスクを国民全体で分担してトータルのリスクを平準化する信頼のシステム)から分離して、低リスク層(働き盛りの労働者層)のリスクを低めつつ「日本社会全体の経済活力を高める」という小泉構造改革が創った「後期高齢者医療制度」(安心のシステム=擬装信頼のシステム)の根本にあるのは、まさに「市場原理主義」(厳密に言えば、それを前提とするトリクルダウン理論)の超利己的な独善的発想がもたらした「安心社会」(=その内実は、擬装信頼社会)の現実化ということに他ならないからです。 従って、「後期高齢者医療制度」は小泉・元首相(及び竹中平蔵らネオリベ嗜好の御用学者ら)が“確信犯としての詐欺師・ペテン師”であったことの歴然たる証拠でもあると言えるのではないかと思われます。 フランス革命後の激動の時代に生きたフローべールが、長編小説『ボヴァリー夫人』の主人公エマの感受性と想像力に託したのは、このような意味でのアンシャンレジームの残滓との闘い(=民主主義の根本となる平等の意識を社会に根付かせる闘い)であったのかも知れませんね。』(2008/11/29 07:16) |