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直近記事の一部に誤記がありましたので、以下のとおり訂正します。申し訳ございません。 (フランスの事例に見る、現代の知識人が重視すべきミニマリズム価値の視点)の「第9パラグラフ」の誤記を訂正します。 [誤] これらフランスの極右知識人について想起されるのが、冒頭で触れたシセラ・ボクが同じ著書の中で述べているジュリアン・バンダの著書『知識人の裏切り』(宇京頼三・訳、未来社)についてのバンダへの批判です。ジュリアン・バンダも、そもそもはドレフェス派の論客として頭角を現した知識人(思想家)ですが、彼は“理性・知性を体現すべき知識人の立場を聖職者と同等のものと見なし、知識人の現実問題への容喙(ようかい/口出しをすること)を厳しく戒めています。しかし、シセラ・ボクは、このようにして知識人が「生身の人間の問題」へ距離を置くことこそが、現代世界における様々な格差や悲惨をもたらすことに繋がる、謂わば知識人(アカデミズム)のエゴイスティックで過剰な懐疑主義だと批判します。 [正」 これらフランスの極右知識人について想起されるのが、冒頭で触れたシセラ・ボクが同じ著書の中で述べているジュリアン・バンダの著書『知識人の裏切り』(宇京頼三・訳、未来社)についてのバンダへの批判です。ジュリアン・バンダは、そもそもはドレフュス派の論客として頭角を現した知識人(思想家)です。彼はシャルル・モーラス同様にギリシア古典に傾倒した人ですが、かなり右派的な意味での愛国者でもあったようです。彼は“理性・知性を体現すべき知識人の立場を聖職者と同等のものと見なし、知識人の現実問題への容喙(ようかい/口出しをすること)を厳しく戒めています。しかし、シセラ・ボクは、このようにして知識人が「生身の人間の問題」へ距離を置くことこそが、現代世界における様々な格差や悲惨をもたらすことに繋がる、謂わば知識人(アカデミズム)のエゴイスティックで過剰な懐疑主義だと批判します。 |