永遠に落ちることのない矢
月曜日の朝の太陽が静かに昇る頃、その前夜に一つの大きな芸術の星が失われたという訃報が日本中を驚かせ、それがアジア全体へ、そして世界へと広がっていった。「昭和最後の代表的スター」と呼ばれた緒形拳が、白髪頭に手をやりながら、突然この世界に別れを告げて逝ってしまった。
芸能界に入って半世紀、出演した映画、ドラマ、舞台劇などは数え切れず、個性的な演技によって独自の地位を確立していた。主演した映画作品は何度も賞を取り、中でも「楢山節考」はカンヌ映画祭でパルムドールを授賞している。また、紫綬褒章を受章したことは、氏の芸術における貢献および達成したものを証明している。
緒形拳の映画はあまり見ていないのだが、私は地球紀行や環境保護のドキュメンタリーでの役柄が非常に好きだった。かなり以前の「大黄河」や「万里の長城」でも、最近の「素敵な宇宙船地球号」や「プラネットアース」にしても、雄大で迫力のある画面の中に、彼一人がいれば、彼の深く厚みのあるナレーションさえあれば、その迫力に心が震え、いつまでも忘れることができなかった。
死因は、約10年前に発見された肝臓がんだそうだ。だが緒形拳は病気のことを決して言わないと決め、家族とプロダクションにも外部にもらさないように命じて、演技を続けた。5日前、フジテレビの「風のガーデン」の製作発表会に出席したとき、「人の生老病死は自分ではどうにもならない。いつかは誰でも死ぬ。」ということを静かに語っていた。また、親友の津川雅彦は、突然の入院後、ずっと病床を見守っていたが、「歌舞伎役者のように虚空をにらみながら、静かに息を引き取った。とても安らかで、まったく苦しみを見せず、名優らしい最後で、かっこよかった。立派な最後だった。」と描写した。
葬儀の祭壇には、緒形拳が生前に揮毫した「不羨富、不憂貧」、「不惜身命」などの3つの書がかけられた。それを見ていて、ふと最も尊敬する建築家の黒川雅之先生を思い出した。先生のブログ「曼荼羅紀行」に、「生と死」についてのすばらしい言葉が書いてあったのだ。
「真剣に生きて、死の瞬間は単にフェードアウトしたいと願う。矢のように生きて落ちることなく、そのままポッと消えたいと思う。」
緒形拳は永遠に落ちない一本の矢であり、この俗世からただ突然消え去っただけなのだ。いつか我々は、あちらの世界で、彼が力強く飛び続けているのを見るかもしれない。 |