オリンピックと「男の涙」
聖火の火が消え、「鳥の巣」が次第に静まっていった。この半月、オリンピックの舞台で演じられた様々なドラマに、ついに幕が引かれたのである。だが今も、あるビデオとある写真が日本のメディアに登場し続け、その余韻が残されている。
ビデオは、100メートル平泳ぎで優勝した北島康介である。この世界記録を出したばかりの、野獣のように鋭い瞳を持つ男は、記者の「強いですね」という言葉に対して突然涙を溢れさせ、タオルで何度も涙をぬぐいながら嗚咽した。「すいません。何もいえねえ……」北島の少年時代の恩師は、彼が涙を流すのを今まで誰も見たことがなかったと言っている。
写真は、ヤフージャパンで公開された、中新社の記者による感動的な場面である。110メートル障害で劉翔が足のけがで競技場を去った後、湯陰県の数百名のスポーツファンたちが自発的に集まって、劉翔に対して理解と慰めの気持ちを表現したのだ。沢山のサインと、「劉翔、泣くな!」という言葉が書かれた横断幕は、日本の人々の心をも揺さぶった。
ビデオと写真に共通するのは、「男の涙」である。人は大きな喜びやつらい悲しみに突然出遭い、それを表現するいい方法が見つからない時、涙がまず流れ出す。言葉では言い尽くせないたくさんの喜びや悲しみの思いが、すべて集まって涙として溢れ出すのだ。男でも女でも、それに変わりはない。だが中国でも日本でも、「男は涙を見せない」というのが、古くから男性の強さのしるしだった。涙を流して泣く男性は、主流文化から蔑視されることが多かったのだ。
医学の専門家によれば、涙は外界の刺激に対する反応であって、眼球を清潔にするだけでなく、精神の負担を緩和する最も有効な方法なのだそうだ。最近欧米では、Old Men Crying.comというサイトが生まれ、政治家や著名な男性が泣いている光景をたくさん収集している。そこでは「男の涙」の理由は、もちろん個人的な要素や政治的な理由などが複雑に錯綜しているのだが、鑑賞する側は彼らの姿を参考にしたり反省の材料にしたりして、将来の失敗を最小化し、成功を最大化することができるのだ。
オリンピックの「男の涙」のビデオや写真を見るとき、なぜか私の耳元にいつも流れるのは、大好きなサザン・オールスターズの桑田佳佑の、「TSUNAMI」に出てくる「人は涙見せずに大人になれない」という心の底からの熱唱なのである……。
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