|
お暑いですね。苦手な季節です。 主食がアイスクリームとスイカになりつつある今日この頃・・・。 皆様も夏バテにはお気をつけ下さいませね。では昨日の続きです。 ***** 人には自分の好きな愛し方、愛され方があります。 ある人は手を握ることが最大の愛の表現かもしれない。 でも、それでは物足りないという人もいるでしょう。 この価値観のずれが「性の不一致」と言われるものでしょう。 Sという行為、Mという行為=SMプレイとは、 それら、手を握ったりキスしたりという愛し方、愛され方と同じです。 拘束されることで愛されていると実感する嗜好の人(=M)もいれば、 愛の確認をする為に、足を舐めることを強いる人(=S)もいます。 確かに屈折している表現ではあるけれど、 知性に基づいた、人間のみに許された行為です。 想像力やビジョンの共有、理解力や洞察力、 五感を最大限に働かせ、関係性を確認するのです。 セッション中、Sは能動的に、Мは受動的になります。 (この主導権については微妙な点もいくつかありますが。) オーラのある人、パワーの強い人、カリスマといわれる存在が Sとして崇められるのは自然なことで、 ドミナをシャーマンや女神に例えるМは多いのでしょう。 確かに、最高のセッションを知ると、シャーマニズムそのもの、 もしくは近いものであることを体感できますしね。 その場合、ドミナばかりが媒体であるかのように語られますが、 私はそれに疑問をいだいております。 確かにSは支配者として、力を加減し、五感をフル活動させてМを操ります。 その手段として、鞭や蝋燭を使用します。<つづく> |