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派遣に見る格差社会 自民に投票する愚民ども 『暮らしに思いを馳せる経済学…』=山家悠紀夫・著」である。 山家悠紀夫氏の著作を松原隆一郎氏が批評しているのである。今回は私がその批評を批評しようというわけだ。 今週の本棚:松原隆一郎・評 『暮らしに思いを馳せる経済学…』 http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20080615ddm015070025000c.html 構造改革が景気を良くした、と自画自賛する元政府要人がいる。だが02年からの景気回復の主因がアメリカと中国への輸出増であることは、自明であろう。また物価下落(デフレ)が不況の原因だと徒党で唱える一派もいる。しかしデフレのままで景気回復したのだから反証されたはずで、ともに事実からすれば疑わしい。ここ十年の経済政策は、机上の論理に振り回された。現実は見たいようにしか見えないのであろう。 日本経済は、基本的にはアメリカ様も下請け状態である。日本経済が輸出産業に偏重している構造は変わっていない。 (中略) 日本経済というひとつの「環(わ)」は構造改革により「分断」され、国内に需要不足が定着してしまった。私はそれが97年から02年までの深刻な不況だと考えるが、同様の理解から、「構造改革」の嵐の後に日本経済が持つに至った「構造」がどのような様相を示しているのか、鮮やかに描いたのが本書である。 要するに、日本の経済政策が全くのインチキだったということを指摘しているのである。しかし、このことをあからさまに指摘すると痴漢として社会から葬り去られるリスクがある。 「暮らし」とは、経済の循環において国民が生活のために行う需要面のこと。「構造改革」は日本の「暮らし」とサプライサイドの中心にあった大企業を切り離し、後者のみ大きな「環」としてアメリカや中国の需要に接続した。切断されたもう一つの「環」における「暮らし」は縮み、中小企業の供給物も吸収できないでいる。好況と不況が、別々の環として交わることなく共存するようになったのだ。 「構造改革はアメリカと経団連の都合で行われた。庶民生活のことなど考えるほどおめでたくなかった」と言っているのである。 97年の橋本・財政構造改革は製品市場の規制緩和と「小さな政府」を目指した。01〜06年の小泉構造改革では、改革の刃はついに土地、資金、雇用という資源(生産要素)市場の規制緩和にまで及ぶ。 大企業にのみサービスする政府である。パトロンに愛想を振りまくのは当然だ。自民。公明の連中は「転び芸者」なのである。 大企業は労働基準法「改正」で解雇しやすくなり、労働者派遣法「改正」で非正社員を安くどこでも雇えるようになった。 日本の社会状況が江戸時代化し、身分が固定されるようになった。権力者の身分も保障されたわけだ。 一方、金融ビッグバンにより人件費を安く上げない企業は買収圧力を受けるようになる。かくして利益は配当と企業貯蓄に回し、賃金は増えるどころか下げられた。賃下げにより2%の実質成長率のもとで大企業が史上最高益を更新し続けるというマジックが実演された。 「金融ビッグバン」とは人件費のピンハネであった、というわかりやすい解説である。 景気回復下の賃金下落、貧困家庭の急増という未曽有の事態が広がったのだ。それだけではない。政府はライフサイエンスやIT産業など「成長分野」を支援し、景気さえ回復すれば甦る可能性のあった企業を不良債権処理と称し倒産させた。 政治家は言っていることとやっていることが全く逆である場合が多い。小泉などは「米百俵の精神」などとほざいていた。つまり目先の利益以外何も考えなかったのである。彼らにとっては今懐に入ってくるゲンナマだけが信用できるものなのである。 呆れるのは、「財政赤字の解消」を唱えた橋本改革以降、逆に赤字の累積スピードが加速して、十年で倍増したことだ。企業への減税や高額所得者への減税、株からの配当や値上がり益への課税率を下げたため、税収が急落した。その落ち込みは「暮らし」に振り向けられた。公共サービスと社会保障費の削減、中・低所得層への負担増である。それでも賄えずにずるずると国債を発行し続けたのだ。そもそも97年頃には先進国中最善の水準にあった債務を「累積赤字」と言い立て、それでいて国の正味資産を食い潰させたのであるから、財務省の責任は重い。 ここに関しては松原氏の解釈と私とは見解が異なる。私は山家氏ほどおめでたくはないので、「単なる失政」とは考えない。「アメリカの命令でわざとやった」つまり、「日本の利益をアメリカにそのまま献上した」と考えている。実際、壊滅的だったアメリカ経済が日本経済と反比例して好況になっていく。自民党がアメリカの傀儡政権であることを忘れてはならない。小泉がブッシュの太鼓持ちに終始し国賊の孫がすんなり首相になったことでも明らかだろう。 本書へは、次のような反論がありうる。グローバリズムの時代、大企業にせよ高額所得者にせよ、税負担を増額しようとすれば海外逃避するだろう、と。 そりゃそうだ。 これには、企業の立地は税率だけで決まるものではなく、社会や文化、政治環境も考慮されると言っておきたい。 これも当たり前だよな。北朝鮮とか、ハイチとかビルマに行きたがる奴はいないよな。 企業が技術革新するリスクを株主に負わせる直接金融は先進国には不可欠であり、株主優遇は必然だ、という反論もありえよう。 私には何を言っているのかわからない。 しかし技術革新は個人の頭ではなく組織の文化(社風)が生むものだ。賃金に還元しない企業はいずれ組織の体をなさなくなるだろう。 それが、それなりに組織の体をなしているのである。 「暮らし」の背景には、社会や文化・政治がある。経済循環の「環」が切れることにより、経済以外の要素が荒廃することこそが懸念される。荒廃は、すでに身近に迫っているのかもしれない。格差への恨みを理由として、無差別殺人を企てる者さえ現われたのだから。 私の見た感じでは、社会に対する恨みと言うよりは単純な人格荒廃が最大の社会問題である。秋葉原通り魔殺人事件も人格荒廃が原因だろう。 リアルな統計数字と腑に落ちる論理でえぐり出される日本経済の姿は衝撃的である。庶民の暮らしに思いを馳せる筆致の温かさが救いではあるのだが。 この国民にしてこの政府あり。自民や公明に投票してしまう庶民がいるのだから救いようがない。アメリカの指令のもとに国民総白痴化政策をやった成果だろうが、選挙でも不正がまかり通っている。 日本を健全化するためには、癌細胞への供給をストップさせるしかないのである。 手始めに天下りを根絶させることから始めよう。 庶民にできる簡単な抵抗手段は、宝くじを買わないことである。競馬・競輪・競艇もやらないほうがいい。 記事が面白いと思ったら下のURLをクリックしてくだされ!! <(_ _)> ↓人気blogRanking http://blog.with2.net/link.php?312621 |