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タイトル:[机上の空論]「タリバン大仏破壊、廃仏毀釈、小泉的なもの、ポスト福田」のデジャヴュ的妄想  2008/05/03


[机上の空論]「タリバン大仏破壊、廃仏毀釈、小泉的なもの、ポスト福田」のデジャヴュ的妄想
2008.5.3

[副題]「『小泉ポルノ劇場』が毒牙にかけた日本社会のエクリチュール」の反照


<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080503


【画像】Lara fabian - Je suis mon coeur (Live)
[http://www.youtube.com/watch?v=VRZMMyUVOEU:movie]


もう約7年も前のことですが(2001年3月)、アメリカの経済制裁下で窮地に嵌ったアフガニスタンのタリバン政権がバーミヤン渓谷(首都カブールから北西230kmの山岳地帯に位置する)の2体の大仏(5〜6世紀頃に出来たと推定され東洋と西洋の幸福な融合と見なされてきた世界遺産)を破壊したため、その大きな衝撃が世界に広がったことは未だ記憶に新しいはずです。


この恐るべき蛮行については宗教論などの立場から識者による様々な見方があるようですが、少なくとも人間の存在と歴史の根拠としての「エクリチュール消去」という観点からすれば、その行為は、明らかに「政治権力を掌握した者としてのタリバン」による意図的で大っぴらな「エクリチュールの消去」である故に、主権在民の現代民主主義社会に生きる我われの「人間の尊厳」に対する冒涜であり、全人類の文化と基本的人権に対する最悪の犯罪行為だと断言できます。


<注記>「エクリチュール消去」の意味と論拠については、下記記事★を参照のこと。


★2008-05-01付toxandoriaの日記/【復刻版】『小泉ポルノ劇場』が毒牙にかけた日本社会のエクリチュール、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080501


しかし、この類の蛮行は日本の近代史上でも全く無縁なことではありません。例えば、明治新政府が1868年(明治元年)3月に発した「神仏分離令」(太政官布告)などによる“神道国教(祭政一致)政策”によって引き起こされた「廃仏毀釈運動」(国中に拡大した仏教施設・仏像等の大衆による破壊行為)があります。


「神仏分離令」等は、もともと神仏習合の廃止が目的であり、それ故に徹底した仏教施設や仏像等の破壊を意図してはいなかったとされているようですが、結果として、「廃仏毀釈運動(廃仏運動)」と呼ばれる全国民的な蛮行の暴発を引き起こしたことは事実です。


ご神体としての仏像の使用禁止、寺院の統廃合、僧侶の神職への強制転向、仏像・仏具の取り壊し、民間への神道強制、特定宗派の解散強要などの急激な実施により民間レベルで大混乱が起きました。この「野蛮な社会運動」は、1871年(明治4年)ごろから収束へ向かいますが、その悪影響は長く続くこととなり、日本伝統の貴重な仏教的文化遺産の破壊と掛け替えのない仏教美術等の海外流出を促したという意味では、それは現在も日本社会に対し大きな負の遺産を負わせています。


明治期において、日本の一般国民によるこのような狂乱の歴史があったことは、今やオリンピック開催を巡り、激しく、恰も狂信に嵌ったかの如く展開される中国の一般大衆による爆発的な行動を、つまり、あの「過激な愛国心騒動」をも連想させて不気味です。ともかくも、いかに時代と国家のガバナンス制度が変わったとしても、この種の事態に対しては時の政治権力サイドが重い責任を負うべきであるのは当然です。


資本主義の発展史的な観点から見ると、新自由主義思想(ネオリベラリズム)をエネルギー源として突っ走ってきた現代世界(1980年代〜、サッチャリズム・レーガノミックス以降の時代)は「第2期グローバリズム時代」と見なすことができます。そして、ケインズの慧眼が見通していたとおり、「第1期グローバル市場経済の時代」は18・19 世紀から列強諸国が推し進めた植民地主義・帝国主義のプロセスであり、それは軍事費拡大への国際的制御の失敗によって第一次世界大戦(1914〜18)へ雪崩れ込みました。


現在も、米国(ブッシュ政権)主導のグローバリズムが世界で実行しつつあるのはタリバンやアルカイダに劣らぬ「エクリチュールの消去・改竄・捏造」に手を染める蛮行と見なすことができます。また、それに負けじとばかりに、国民を騙しつくしながらブッシュと手を携えて「日本のエクリチュールの消去・改竄・捏造」に勤しんだのが「小泉劇場」であり、それをソックリ引き継いだ安部政権・福田政権も、そのことについては全く無反省で、次から次へと国民騙しの偽装看板(=羊頭狗肉の看板)を架け替えながら「山師の玄関」づくりに励んできました(参照、下記記事▲)。


▲2008-02-17付toxandoriaの日記/「道路特定財源」流用のプロパガンダ・ミュージカルで「山師の玄関」化する日本、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080217


それだけ「小泉劇場」の遺産が、言い換えるなら「小泉的なもの」の罪が重いということになります。しかし、まことに意外なことですが、多くのメディアも過半の国民も、未だに“この日本社会の病状の深刻さ”を自らの問題として理解できていないようです。ただ、そこで繰り返されるのは“デジャヴュ(既視感)のように不毛で漠然とした、つかみ所がない不安感の繰り返し”だけです。従って、「福田政権の支持率急落」(→ 遂に10%台へ突入!)の先に「小泉的なもの」がリバイバルし、再び、多くの国民の熱狂(=今の中国と同様に、作為で創られ煽られた偏狭なナショナリズム)を呼び覚ます可能性が十分に予想されます。しかも、多くのマスゴミ化したメディアは未だにその「小泉的なるもの」の“商品価値”への強い拘りをすら見せています。


<注記>「小泉的なもの」について、その具体と詳細は下記記事★を参照乞う。


★2008-05-01付toxandoriaの日記/【復刻版】『小泉ポルノ劇場』が毒牙にかけた日本社会のエクリチュール、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080501


ところで、今を去ること約100年以上も前に、「廃仏毀釈」による<文化破壊の野蛮な余震>が残る日本から、インド旅行の体験を経てからアメリカへ渡り、当時のニューヨークでボストン・ブラーミンズ(アートの社会・政治・世界にお ける役割を特に深く認識し、ヒンドウー教に共鳴を覚えた知識人グループ/ブラーミンズはヒンズー教の僧侶階層の意味で、この言葉はノブレス・オブリージュのような意識を指す)の人々と交流しつつ『日本の覚醒』(1904/東西の架け橋の意識をアピールした著作)を出版した岡倉天心(1862-1913)は、慧眼にも、日本が、その後“軍国主義国家から「第2期グローバリズム時代」を経て現在の「小泉的なものによるエクリチュール破壊の蛮行」の時代へ向かうこと”をすら予感していたようです。それ故に、その後の岡倉天心は日本社会から疎外され、異端視されることになります。


ここでボストン・ブラーミンズの活動の詳細は省きますが、彼らの活動の遺産ともいえるボストン美術館、メトロポリタン美術館、クロイスターズ美術館、ガードナー美術館などアメリカ東海岸に立地する数多くの美術館は、現在もアメリカ合衆国の文化的な意味での良心の一隅を支えていることは間違いがなさそうです。そこで、この19世紀末〜20世紀はじめ頃のインドの状況を少しだけ見ておくことが肝要と思われます。まず、1857年に東インド会社を介したイギリスのインド侵略に対する不満の爆発による「傭兵シバーヒー(セポイ)の反乱」が起こります。その内実はインドの王侯・貴族が糸を引いた反乱でしたが、これは敗北します。それ以降のイギリスは、インドに対して「徹底した飴と鞭の植民地政策」を実行します。その飴とは民衆のガス抜きのための「インド国民会議」の組織づくりであり、鞭は徹底的な弾圧です。


この英国植民地インドの過酷な状況の中からベンガル州を中心とする知識人たちや外国人らがインド民衆への啓蒙活動に立ち上がりますが、その活動にはタゴール(インドの詩聖、思想家)、ヴィヴェカーナンダ(インドの宗教家)らが大きな影響を与えました。が、この周辺にはテロリズムに走るような過激な秘密結社も生まれています。岡倉天心は、丁度このような啓蒙活動と悲惨な混迷が渦巻く最中のインドを訪ねていたのです。そして、このようにダブル・バインドの如きインド社会の空気を全身に浴びた後で、富国強兵(神懸りの軍事国体論国家の道)へ急速にのめり込もうとしていた日本を離れて“民主主義の国・アメリカ”へ渡ることになった訳です。


敢えて突き詰めて言うなばら、このときの岡倉天心の心中にあったものは、現代の「第2期グローバル市場経済時代」で資本主義経済が再びデッドロック(閉塞状況)の壁に突き当たることをも予感していたようです。更に、それは1960年代以降のフランスで興隆したレヴィ・ストロース(“野生の思考”と岡倉天心の共鳴の可能性!)、ロラン・バルト、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダらによる「ポストモダン(脱近代文明)運動」の先駆けとも言えるような先進的知見であった可能性もあります。


しかし、このような岡倉天心の慧眼を約100年前に異端視し、究極的にはそれを排斥してしまった“正統日本の保守伝統思想なるもの”(連立与党が、特に派閥・清和政策研究会がその後継者を自負する)は、今や、再び「小泉的なるもの=日本社会のエクリチュール消去を政治の手段とするカブキ者的でグロテスクな精神環境」(その核心には、憲法改正、軍備拡充など戦前復古色でタカ派の色彩が居座る派閥)に縋りつくことによって、健全な保守思想が開花するチャンスを敢えて無視しようとするかのようです。


喩えるならば、タリバン的なもの、それと連携を深めてきたアルカイダ的なもの、あるいはそれと厳しく敵対するブッシュ的なもの、同じくそのポチを振舞った小泉的なもの・・・・これらは、歴史と社会のエクリチュールを破壊し、その痕跡のことごとくの消去を目的としつつ野蛮で残忍で冷酷な行為を黙認すると言う意味で「特異な共通の精神構造」を持っていると考えられます。従って、我われ一般国民は、今こそ、この「悪徳に立脚しつつ政権中枢に寄生した特異な日本的思想=小泉なるもの」を勇気をもって乗りこえるべきです。


別に言えば、今こそ“東洋と西洋の幸福な融合”のために役立つ本物のグローバルな知恵が求められているということです。そのためには『アーネスト・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa/ 1853-1908/アメリカの美術史家)らの感化を受けて日本の伝統美術の鼓吹に努め、東京美術学校(東京芸大の前身の一つ)や日本美術院の設立に尽力した人物である』という教科書的で、時の権力側にとって非常に都合よく脚色された岡倉天心・像についての憶見(ドクサ/Doxa)の読み替えが求められています。


・・・以下は[2008-05-01付toxandoriaの日記/『小泉ポルノ劇場』が毒牙にかけた日本社会のエクリチュール、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080501]へのコメント&レスの再掲です。・・・


argon 2008/05/02 01:41
toxandoriaさま。お久しぶりです。


昨秋の個人的なEUショック体験からいまだ醒めやらないのですが、先日、大阪の釜ヶ崎で、日雇い労務の傍らひたすら読書三昧に耽っている老人と会話する機会がありました。話は東アジア共同体というようなところにまで展開していったのですが、この地域にもEUに倣ってそのことが検討される時がいずれ訪れるとして、その場合には、当該国がいずれも言語的に極めて閉鎖的、独断的であり続けてきたことがきっと大きな障壁になるだろうと、小生自身が危惧していたと全く同じことを、その方も述べておられました。


それでも、音声言語によるコミュニケーションは困難であったとしても、ほんの数十年前までならば、漢字というエクリチュールのシステムによる対話は可能だったはずです。つまり、この数十年で、東アジア圏を千年以上に亘ってとり結んでいたエクリチュールのシステムが崩壊してしまったということであり、逆にいえば、人間存在にとって極めて本質的なエクリチュールのシステムがそこまで改竄されてしまうほどに、それぞれの国の政治的、社会的システムが変わってしまったということなのでしょう。


コミュニケーションの手段として、結局は英語が採用されるしかないのではないかと考えると、本末転倒というか、アジアという地域が何か根本矛盾を孕んでいるのではないかと、EUのあの状況を見たものとしては、いささか暗澹たる気分になるのです。


toxandoria 2008/05/02 11:20
kaisetsuさま、記事に取り上げて頂きありがとうございます(→ TB、http://blog.kaisetsu.org/?eid=649853 )。


これはtoxandoriaの妄想かも知れませんが、“巨乳”を愛でる感性と“小泉的なるもの”を期待する人々(過半のマスゴミも含めて)の感性には相通じる点があるようです。


おそらく、それはジャック・ラカンの『鏡像段階』で内観的発達が止まってしまったヒトの精神環境に当て嵌まると思われます。つまり“小泉的なるものの核心=ポストモダン以降に持て囃され始めた巨乳を愛でる感性”と見なすことが可能であれば、その感性は、まさに3〜4歳児の“無心に乳首をまさぐる感性”に他なりません。


このような視点から見ると、ブッシュも、小泉も、その一派は、そのことごとくが『鏡像段階』で内観的発達が止まってしまった特異なヒトビトに見えてきます。このように見ると、“小泉的なるもの”はレッキとした『特異な社会病理現象』であり、それだけにポスト小泉時代が困難な時代であることが理解できるような気がします。


toxandoria 2008/05/02 13:21
argonさま、こちらこそです。


偶然ですが、たまたま岡倉天心について読み始め ていたところです。天心がアメリカへ渡った頃(日露戦争・開戦時、1904年〜)から第一次世界大戦・開戦(1914〜)までの時代は、列強中心の「第一次グローバリズム時代」(植民地主義・帝国主義)が行き詰まった訳ですが、驚かされるのは、すでにその時代に、天心が第二次世界大戦〜ポストモダンまでの 現代に及ぶ日本の未来(混迷へ進む道筋)を漠然とながら見通していた節があることです。それ故に異端視されてしまったようです。それに、まったく同世代の新渡戸稲造(1862年 - 1933/教育者・農学者・国際連盟事務次長)も、その晩年時代は異端視されます。


その辺りの経緯は複雑でとても短く言えませんが、例えば、天心はインド旅行の体験でヒンズー教徒の反英テロリストら(現在のイスラム過激派のモデル?)の動向をつぶさに目撃しており、しかも、その後の訪米体験ではこのようなヒンズー過激派に同情しつつアメリカの発展を真剣に考えていたとも見える、当時のアメリカの知的エリートであったボストン・ブラーミンズ(アートの社会・政治・世界にお ける役割を特に深く認識していた人々)と呼ばれた人々と接触しています。


記事でも触れましたが、このような空気の中で『日本の覚醒』がニューヨークで出版された訳です。その後のアメリカは紆余曲折を経て、紛れもなく遅れた「帝国主義の国」へ傾くこととなり、現代のブッシュ政権によるイラク戦争への道筋を歩みます。が、アメリカの知の伝統の中には今も、ボストン・ブラーミンズの余韻が脈々と流れているようです。ともかくも、この辺りの複雑な事情が、植民地主義・帝国主義への真剣な反省から出発したEU(欧州連合)とアメリカ(現政権)の根本的相違点となっているように思われます。


おそらく、大阪の釜ヶ崎で、日雇い労務の傍らひたすら読書三昧に耽っていた老人の方の思いと、この岡倉天心やボストン・ブラーミンズらの思いには部分的ながら重なる部分があるのではないかと思われます(これは、まったく勝手な想像ですが・・・)。つまり、それは文化多元主義と言い換えることができるのではないでしょうか?そして、普通は、殆ど無意識に“欧米諸国”とひと括りに表現しがちですが、実はEU(欧州連合)とアメリカ(現政権)との根本理念の決定的 な違いが、ここにあるのだと思います。無論、これは“見かけ上の政治的に脚色されたコトバ”のことではなく、どれだけその文化多元の価値を信じているかと いう、本気度の問題だと思います。


このように19世紀末〜20世紀初頭の歴史の片鱗を辿っただけでも、現在の“オフィシャルな文化国家日本の看板”は、一種の『偽装された仮面文化国家』にすら見えてしまいます。なぜなら、<下記/参考>の「ユネスコ・文化多様性条約(2005)」が締結され たときの経緯が、そのことを傍証しているように見えるからです。いずれにしても、岡倉天心、新渡戸稲造らの業績の意義を再考察することに興味が湧いてきた ところです。


また、あのララ・ファビアンが日本でブレークしない(その歌唱力に裏づけられたメッセージ性が強すぎるためできない?受け入れられない?)ことにも、このような“現代版・廃仏稀釈”のような空気(上のkaisetsuさまとのコメント&レスで使った用語で言えば“小泉的なもの?”)が影響しているのではないかと、勝手に“妄想”しております。


とりとめのないレスとなりましたが、また、どうぞよろしくお願いします。


<参考>ユネスコ「文化多様性条約」(2005)成立の経緯


2005 年のユネスコ総会で「文化多様性条約」が国際的な規範として採択されている(賛成148ヵ国、反対2ヵ国(米国、イスラエル)、棄権4ヵ国)。これは 2001年に満場一致で可決された「世界文化多様性宣言」で謳われた“市場原理のみでは人類の持続的発展のために要となる文化多様性の保護と促進を保証できないので民間部門と市民社会の協力関係によって新たに公共政策の優越性を再確立しなければならない” という方針を補強するものである(参照/Unesco Short-News、http: //www.unesco.or.jp/meguro/shortnews/221/221-1.html)。


同条約は米国の映画や音楽が世界を席巻するのを警戒するフランスとカナダが中心となって強力に推進した。米国は「同条約は人権と基本的自由の否定、国際貿易の妨げに悪用される恐れがある」と批判し、賛成した日本は米国に配慮しつつ日本が中心となって纏めた付帯決議を同日に併せて採択した。この付帯決議では文化多様性条約は他の国際協定に抵触しないとしている。

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