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[暴政]『後期高齢者制度』に透ける“ナチス・ガス室紛いシステム”の<冷血・小泉型狂想> 2008.4.6 <注記1> 紛(まが)い=あまりにもソックリで、ほとんど見分けがつかぬほど良く似ていること <注記2> お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080405 span style="font-weight:bold;">【2008年、春の風景】 イタリア・シエナ(2008年3月中旬、知人・撮影) [f:id:toxandoria:20080406004511j:image] [f:id:toxandoria:20080406004554j:image:right]京都・嵯峨野(2008年3月下旬、友人・撮影) [f:id:toxandoria:20080406004640j:image] [f:id:toxandoria:20080406004704j:image:right]庭の花々(2008年4月上旬) [f:id:toxandoria:20080406004719j:image] 【ハード・冷血グラフィティ】 ・・・“後期高齢者制度”= 冷酷な『ナチス・ガス室紛いのシステム』が実現するまでの立役者たち。 (第一幕)<小泉劇場> [f:id:toxandoria:20080405233002j:image]画像はhttp://blog.livedoor.jp/dreaming_/archives/50385923.htmlより [f:id:toxandoria:20080405233029j:image]画像はhttp://nokoizumi.exblog.jp/1385350/より (第二幕)安部の<美しい国> [f:id:toxandoria:20080405233105j:image]画像はhttp://k1fighter.hp.infoseek.co.jp/AnsinkaiYami/UtyukutiiKuni.htmより (第三幕)<アわわわわ〜の福田政権> [f:id:toxandoria:20080405233134j:image]画像はhttp://hikaru.blogzine.jp/dress_you_up/2004050214.jpgより ・・・・・以下、本論・・・・ 『後期高齢医療制度』の呼称が『長寿医療制度』に変わったとかでマスメディアが賑わっていますが、それが“どんなに有難いこと”なのか一向に理解できません。それどころか、65〜74才の障害者は、本人が障害者手帳(1〜3級)の撤回を市長村に申し出ない限り「長寿医療制度」に強制加入させられることになっていることを知り驚いています。 この障害者のジャンルには肢体不自由、視聴力障害、心臓ペースメーカー埋込、重症の呼吸器疾患等などが入るよしなので、これでは殆どの日本国民であれば誰でもが、この条件に適う可能性が高く、いずれメデタく“少しでも早々”と日本国民の皆様が後期高齢者取扱い(一種の棄民・被差別民扱いの処理システム)の仲間入り確実ということになるようです(参照 → http://homepage1.nifty.com/jsawa/medical/)。 毎日新聞などが報じるところによれば、茨城県医師会からの当制度の撤回要求など、具体的な制度見直しへの要求が出始めており、また問題点の詳細は数多くのブログ等で詳しく取り上げられているので、ここでは少し異なった角度から問題を考えてみます(毎日新聞の情報源 → http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20080405ddlk08040044000c.html)。 先ず、思うのは『生命(いのち)の重みには年齢差などある筈がなく、赤ちゃんも、青少年も、中年も、老年も、まったく同等の重さだ』ということです。理解できない“小泉・竹中・安部・福田ら狂条主義的な石アタマ政治家”のため一つだけ事例を挙げておきます。それは、政治哲学の分野で、今や世界的に再評価・再検討されつつあるトマス・ホッブス(Thomas Hobbes/1588-1679)の名著『リヴァイアサン(1651)』(社会契約論で現代社会の画期を創ったとされる)が64歳の時に完成したということです。 しかも、それだけにとどまらず、92歳まで生きた長命のホッブスですが、その生涯で重要と見なされる作品の多くは60〜92歳の頃に書かれています。現代の日本政府が、言い換えれば、小泉・竹中・安部・福田らの新自由主義思想に被れ脳軟化に似た記憶&判断力障害を患った“リヴァイアサン政治家”たちが、“後期高齢者層”という、『おぞましくもナチスのゲットーかガス室を連想させる制度』を考案して、75歳以上の高齢者ら(64〜74歳の障害者を含む)を差別化し、棄民扱いするのが如何に野蛮で、軽薄で、非人間的なことであるかが思い知らされます。 ところで、この『後期高齢医療制度』が降って湧いたかのように<アわわわわ〜の福田政権>で実現した訳ではなく、その始まりが小泉劇場(小泉政権時代)にあることは周知のとおりです。そこで、どのような環境条件の下で、このように“冷酷な医療保険制度”が構想されたかを振りかえってみます。 自由主義思想(neoliberalism)について『国富論(1776)』のアダム・スミス(Adam Smith/1723-1790)へ大きな影響を与えたとされるイギリスの政治思想家マンデビル(Bernard de Mandeville/1670‐1733)の著書『蜂の寓話』(The Fable of the Bees/1714)の根本には“「私的悪徳と傲慢」こそが最終的には「国家・社会の公共的便益」につながる”という考えがあります。言い換えれば、それは“贅沢、虚栄、虚勢、我欲、強欲、嫉妬、過度の競争”など凡ゆる悪徳と傲慢こそが経済の繁栄につながると主張する特異な思想です。また、マンデビルは、それらをむやみに公権力で制限すると国家が衰退する”とも主張しました。 このような考えを現代風の合理的経済理論まで洗練したものが、供給サイドの活性化に傾斜する「サプライサイド経済学」(詳細は下記記事★を参照)の立場で、それが今も日本を風靡している“小泉=竹中流・新自由主義思想(neoliberalism)”の土台となっています。そして、この“小泉=竹中流・新自由主義思想(neoliberalism)”に引きずられるままの日本は、小泉・前首相の「靖国神社参拝」への拘りという偏執(パラノイア)的なファクターが加わることで、それ以降は社会の空気が異様に「神憑る日本」と化して現在に至っています。映画『靖国』の“上映可否問題”も、この流れで理解すべきです(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080403)。 ★サプライサイド経済学とは?、http://www.findai.com/yogow/w00214.htm また、この“小泉=竹中流・新自由主義思想(neoliberalism)”の強固な信念となってきたのが「トリクル・ダウン理論」(trickle-down theory/原義は水滴などがポタポタ滴り落ちること/詳細は下記記事★を参照)です。それは、政府の資金を公共事業や福祉などで低所得層や弱者層の国民に直接配分するよりも、傾斜的・重点的に大企業や富裕層の経済活動を活性化させる「勝ち組(優遇)>負け組み(冷遇)」政策(=貧富差拡大・二極分化政策)の方が、国の経済政策としてより有効だという考え方です。 ★トリクルダウン理論とは?、http://zassou322006.blog74.fc2.com/blog-entry-243.html そうすれば、やがて富の一部が低所得層に向かって徐々にポタポタと流れ落ち、国民全体の利益になるという訳です。我が国では、小渕内閣が所得税の<最高税率>を引き下げたとき、つまり平成11年以後の各年分の所得税の<最高税率>が50%→37%に引き下げられるとともに、各年度分の住民税の<最高税率>(700万円超の高額所得者への課税所得金額)が15%→13%に引き下げられたときに、この考え方が理論的な根拠として使われました。 かつて、小泉・前首相が「通常国会」開会の施政方針演説で“自画自賛”と“無責任極まりない「有終の美」”発言(≒敵前逃亡発言)をしたときには、もはや「財政構造改革」の目標などは放置されており、「郵政民営化」一本槍で突っ走っていました。そして、2004年3月の日銀発表の頃から、日本の<家計貯蓄率>はマイナスへ転じ始めています。 因みに、「金融広報中央委員会」(事務局・日銀情報サービス局)の「家計の金融資産に関する世論調査」に基づいて、「貯蓄を持っていない」と回答した世帯(2人以上)が全体に占める割合の推移を辿ると『2003年: 21.8% → 2004年:23.0% → 2005年:24.0% → 2006年:22.9%』となっており、2006年はホンノ若干戻ったものの、全体の流れは<1/5 → 1/4 → 1/3>のトレンドを辿りつつあるように思われます。また、日本の総勤労者数の実に1/3強が「年収200万円以下」となっており、その殆どが20〜40代の非正規雇用者(パート、アルバイト、派遣社員など)と重なり、更に約107万に及ぶ生活保護世帯数の中で高齢者世帯が占める割合が約44%となっていることも周知のとおりです。 このように見れば『後期高齢医療制度』による高齢者・障害者の棄民・被差別民扱いにとどまらず、小泉劇場以降は、総じて社会的弱者層の割合が日本国民の中で拡大してきたことが分かります。結局、これは下に纏めたとおり、かつて『小泉政権が犯した七つの大罪』の一つである[(7)青少年及び弱者層に対する慈愛に欠け、日本の教育・医療・福祉環境を著しく劣化させた]ことが露骨にハッキリと目立ち始めたということです。 しかも、『後期高齢医療制度』による高齢者・障害者の棄民・被差別民扱いに限ると、2005年の衆議院選挙で日本国民の多くが小泉自民党(小泉劇場の格差拡大政策)を圧倒的に支持したという現実を指摘する一部のブロガーらの中には『これは、高齢者らの自業自得だから諦めろ、あなた方はバブル期にいい思いをしたはずだから仕方がない・・・』という冷めた見方も多いようです。しかも、このような考えは20〜30代の若年層に多いように見受けられます。しかしながら、このままでは、いずれその若年層の多くが今の高齢者層よりも、更により過酷で悲惨な状況へ追い込まれる可能性が高いことを考慮すれば、この構図は、狡猾な権力者に嵌められた弱者どうしがいがみ合うオゾマシイ姿に見えます。 (小泉政権が犯した七つの大罪)・・・これは下記記事★からの再録です。 ★2005-11-14付toxandoriaの日記/「小泉劇場」の七つの大罪/「ポスト小泉体制」を批判する心構え、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051114 (1)盲目的に「自由主義思想(neoliberalism)」に心酔し、米国指令の対日要望書に基づき隷属的対米関係を一層深刻化させた(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829) (2)憲法上の政教分離の原則を蹂躙し(複数のカルトが国政の中枢を侵食するままにして)、維新期〜太平洋戦争期のファシズム的熱狂(神憑りの軍事国体論)を引きずるアナクロ・ナショナリズムの流れを国政の中枢へ呼び込んだ(この象徴が靖国神社参拝問題) (3)日本国憲法の「主権在民の根本たる授権規範性」を蹂躙した(非武力的クーデタによる国会解散劇を偽装した) (4)「改革の美名」の下で成果を上げ得ぬばかりか、公約を破り財政赤字額(国債)・約250兆円を増加させ国家危機を深刻化させた( ← そんなコトは大した問題ではない!の暴言のオマケ付き) (5)「政治的倫理」を冒涜し、日本の政治を下卑たポルノクラシー(芸能・淫猥政治化)まで低下させた(参照 → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829) (6)「非合理な外交」によって、世界の潮流の中で日本を孤立化させた(“イラク戦争=正当論”を未だに貫くのは日本政府のみ) (7)青少年及び弱者層(=社会構成の多様性)に対する理解と慈愛に欠け、日本の教育・医療・福祉環境を著しく劣化させた(参照 →http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050610/p1) しかし、我われが、この<高齢者・障害者・弱者という社会的攻撃ターゲット(マイノリティ層)の意図的創造>と<そのターゲット層の棄民・被差別民扱い>という問題に冷静に対峙するには、先ず「小泉劇場 → 安部の美しい国 → アわわわわ〜の福田政権」が一般国民・大衆を体よく騙して無反省に引き継いできた忌むべき欠陥、言い換えれば「連立与党政権の政治的な意味での邪神崇拝の態度」に根底からスポットを当て、厳しく批判することから始めるべきです。 それは、トマス・ホッブスの『リヴァイアサン(1651)』風に“ヤマアラシのトゲのような矮小な個人の意志”とでも言うべき「私的悪徳と強欲」を前提とする「新自由主義思想(neoliberalism)」、及び「サプライサイド経済学、トリクルダウン理論、靖国参拝による護国英霊鎮魂、美しい国ニッポンへの愛国心」など上辺だけの高邁な理念を<絶対視する政治姿勢>にこそ諸悪の根源があると考えられるからです。 一部には、福田政権がその軌道修正に努めてきたと評価する向きもあるようですが、それはトンデモない誤解です。なぜなら、一見、そのようなふりをしながら、小泉・前首相が派手に対立を演じて見せた「改革VS抵抗勢力」の両派の挟撃で身動きならぬというのが実情だからです。つまり、福田政権の実相は、「神権鎮護国家」派と「暗黒ギャング利権」派の板挟み状態で<アわわわわ〜!>と訳が分からぬ奇声を発するのが精一杯というところなのです。その意味では、コトの善し悪しを別とすれば『後期高齢医療制度』を『長寿医療制度』へとスマートに読み替えてみせたのは上出来の方かも知れません。 ともかくも、我われ一般国民は、例えば『ネオリベラリズム、トリクルダウン、美しい国、護国英霊』などのような抽象的で絶対的な価値観を政治家(政治権力者)が高々と掲げたときには、よほど注意深くなるべきです。それが、今の我われの現実生活の場面で、どのように具体化するのかをトコトン考え、議論して、自律的に判断すべきなのです。 例えば、そのことについての生々しい事例がナチス時代のドイツにあります。以下に、この部分に関連する内容を[シュピーゲル誌(Jan.30、2008号)のナチス・ドイツ回顧・分析記事]の中から転記しておきます。ここから連想されるのは、この『後期高齢医療制度』こそ『<冷血・小泉型狂想政治>が生み落とした“現代日本版ナチス・ガス室紛いの弱者・高齢者処分システム”』ではないか、ということです。だとすれば、弱者どうしがイガミ合っている場合ではありません。 (マイノリティに対する強力な憎悪の醸成) ● 一般に国家全体の強固な統一意識というものは、まさに、そこから締め出された人々の存在があるが故に自らの限定的な意味を獲得するものだ。従って、必然的に、そのような概念はナチ的解釈の一部にも存在しており、そこからナチの民族差別も生まれた。やがて、ヒトラー流の「民族の純潔」を創造する手段として「同質民族国家の強化」ということが目的になるが、その「民族の純潔」のために利用されたのが、例えば“同性愛者、ロマ(ジプシー)、極端な自己中心主義者(おたく)”など、既存の偏見対象となっている人たちであった。そして、彼らは、強く非難すべき国家の敵として「ヒトラーの国家統一」のための補強材として利用された。 ●それに加えて、ボルシェビキ派 の労働者と富裕階層の人々、および最も目に付いたユダヤ人たち(彼らは両方の階層に跨る存在であった)も国家の敵として利用された。特に、彼らはドイツ国家の存続に害を及ぼす内外からの脅威に対するヒトラーの大仕事と、国家の擁護者としてのヒトラーの主張を強化するために利用された。 ● ヒトラーの反ユダヤ主義パラノイアは大多数の一般国民のそれとは明らかに異なっていた。一方、過半の人々がヒトラーの長所の方を高く評価するあまり、そのことが当時のドイツ社会のマイナス面へどれほど大きな影響をもたらしたかについてはハッキリ意識されていなかった。しかも、ナチスの独占的プロパガンダが「一定の大きさを持つマイノリティ集団」に対する嫌悪感をあからさまに国民の中に叩き込み始める前から、一般国民の心にはユダヤ嫌いの感情が広く潜在していた。一方、多くの調査・研究は「ユダヤ人の迫害」に対する当時のドイツ国民には多様な心的態度が存在したことを明らかにしている。 ●「ユダヤ人の迫害」に対する、その“多様なドイツ国民の反応”についての分かりやすい事例は、例えば「1935年、ニュルンベルク法」(ドイツ人の血と尊厳のための法律/“11分の8”までの混血がユダヤ人とされた)と「水晶の夜(Kristallnacht)」(1938年11月9日-10日、ゲッペルスの扇動でナチス党の突撃隊(SA)が全土のユダヤ人住宅、商店街、シナゴークなどを襲撃・放火した)に対するドイツ国民の反応の中に見られる。にもかかわらず、かくしてナチス党の支配体制が磐石の基盤を築きつつある中で、多くの人々は“外部から押し寄せてくる戦争の危機の中であるからこそ反ユダヤ感情を深め“ユダヤ人問題”を強く意識する”ことになった。 ●一方、「水晶の夜(Kristallnacht)」への不評が国民一般の中に(ナチ党の中にすら)、いささかながら存在することを知ったヒトラーは、自分自身が命じたことであるにもかかわらず、その時点では、オフィシャルに その大虐殺(the pogrom)に距離を置く態度を取った。しかし、そのようなユダヤ人弾圧の手法への批判が広がる気配があるにもかかわらず、その頃のドイツ国内では殆どユダヤ人の居場所がなくなっていた。そして、危機的な国際情勢の高まりとともに、ヒトラーのユダヤ人に対する関与は、ドイツの国益の熱狂的な擁護者としてのヒトラーのイメージを強めることがあっても、それを弱めることにはならなかった。 ●実質的に、ドイツからのユダヤ人排斥、つまり「ユダヤ人からの財産収奪と彼らの国外追放」はドイツに経済的利益をもたらした。ヒトラーの第三帝国とともにユダヤ人排斥運動は始まっていたが、このような流れの中で、その運動はユダヤ人をドイツ国内の金融・商業活動から効果的に追い払った。そして、ついには1938年の『アーリア人化プログラム』が、ユダヤ人から徹底的に財産を収奪することとなり、それは夥しい数のドイツ人へ利益をもたらした。ここに至って、再び多くのドイツ人がヒトラーへ感謝するようになった。一方、この“ドイツ国民に不人気なマイノリティ”(=ユダヤ人)にとっては、彼らが、マイノリティゆえ、このように大きな代償を支払わせられることは想定外の事態であった。 ●第三帝国の“平和な時代”(ヒトラー総統時代の前半)にヒトラー自らが主張した“見かけ上の成功の連続”は、更なる強い副作用を準備することになる。1933年以降、NSDAP(国家社会主義労 働者党=ナチス党)の連携ネットワークは、その触手をドイツ国内の殆どすべての社会組織の中に忍び込ませていた。そして、数多(あまた)のドイツ人たちが殆ど似たり寄ったりのナチス運動のやり方で強固に組織化されていたため、各連携組織の中においては『接着剤で塗り固めたような頑強な総統崇拝の囲い込み』から逃げ出すことが不可能であった。(toxandoria注記→まさにオウム真理教などカルト新興宗教集団の組織化そのものに見える!) ●軍部内では、取るに足りないような“マヤカシ組織(現代日本の名ばかり管理職会社のような?)と出世の亡者ら”が、“ヒトラー総統”様が導いて下さる「有難い階級システム」の上で先陣争いをしていた。ヒトラー総統の「リーダーシップと成果主義」の重視は、彼らの中に過酷な競争状態をもたらし、日ごとに、彼らは“果てしない野望”と、とても“実現不能な可能性”を押し付けられた。このようにして、彼らは、ヒトラーの脳内にある「ドイツ国家の再生ヴィジョン」を広範な領域で実現するため莫大なエネルギーを出し尽くすことを要求された。・・・・以下、省略・・・ <参考> [ハンナ・アレント(Hannah Arendt/1906−1975/ドイツ出身の米国の政治哲学者)の「超越的・絶対的なるもの」への警戒心] ・・・アレントは、絶対的な価値観などに対峙する心構えとして、その把握不可能性を力説しつつ、公共圏に住む我われ国民(市民)の政治的判断方法への示唆を与えています。ハンナ・アレント著、ジェローム・コーン編、高橋勇夫訳『政治の約束』(筑摩書房)から<緒言>を引用・転記しておきます。 『 何とも悩ましい話だが、活動の最中に真っ先に判明するのは、五感を「超越」する「絶対的なるもの」---真、善、美---は把握不能であるということだ。 なぜなら、それが何であるのか誰も具体的には知らないからである。たしかに誰もが、それについての概念は持っているのだが、具体的なレベルでは、それについてまったく異なるものをイメージしている。活動がこうした人間の複雑性に依存しているものである限り、西欧哲学---その伝統の最後尾にいる哲学者たちは、結局のところ、活動の制御を目論んでいるのだが---の最初の破局は、原理的に独裁政権下意外では不可能な統一=単一性が実現されるための必要条件なのである。 二番目に判明するのは、活動の目的に奉仕させようと思えば、例えば人種や無階級社会など、絶対的なるものとして何でも使えるということだ。あらゆる事柄が等しくお誂え向きであり、要するに「何でもあり」なのである。どこかのイカサマ師が思いつきかねない狂気の理論に対する場合と同じように、現実はほとんど抵抗を示さないように見える。いかなることも可能なのである。 三番目に判明するのは、ある目的に絶対的なるもの---例えば、正義、あるいは、ニーチェが言うような一般的「理想」---を適用することによって、まず不正で残忍な活動が可能になるということだ。なぜなら「理想」とか正義それ自体は、もはや尺度として存在するのではなく、世界内で達成も生産も可能な、ひとつの目的=終焉になってしまったからである。言い換えるなら、哲学の実現は哲学を終わらせ、まさに「絶対的なるもの」の実現は世界から絶対的なるものを追放するということである。 そして、最後には、「人間(man)」の見せかけの実現が「人間(men)」を文字どおり廃棄してしまうのである。---「思索日記」「1951年9月」より 』 |