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タイトル:[芸術の価値]「漆黒の闇」を凝視するレンブラントの眼、グリーナウエイの映画『レンブラントの夜警』  2008/03/20


[芸術の価値]「漆黒の闇」を凝視するレンブラントの眼、グリーナウエイの映画『レンブラントの夜警』
2008.3.20


(副題)[民主主義の危機]“仏革命前夜の王権”と化す福田アわわわわ〜政権と新東京(石原)銀行に潜む「漆黒の闇」


<注記0>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080320


<注記1>

「福田アわわわわ〜政権」の意味については、下記記事(★0)を参照乞う。


★0 2007-12-10付toxandoriaの日記/福田総理『あわわわわ〜!』の背後から続々と噴出する裏金づくり「闇の構図」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071210


【画像】ピーター・グリーナウエイ監督、映画『レンブラントの夜警』(http://www.cinemacafe.net/news/cgi/interview/2008/01/3144/より)
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レンブラント「夜警」
[f:id:toxandoria:20080320160417j:image]

Rembrandt Harmenszoon van Rijn (1606-1669)「The Night Watch」 1642 oil on canvas 363 ラ 437 cm Rijksmuseum 、 Amsterdam


<span style="font-weight:bold;">(P.グリーナウエイ監督、映画『レンブラントの夜警』の鑑賞/『夜警』には偽善的権力者の「漆黒の闇」を抉り出す目的があった?)</span>


期待どおりですが、やはりピーター・グリーナウエイ監督(英国の映像作家/現在はアムステルダム在住)の『レンブラントの夜警』(公式HP → http://eiga.com/official/nightwatching/story.html/3/19、鑑賞)は、その映像美の斬新さに驚かされたというか、色々な意味で衝撃的な作品です。おそらく、この映画はストーリーを全く気にせず約2時間のあいだ、その独特の“演劇仕立ての奥行きがある映像”の流れに身を任せるだけでも楽しめるはずです。


それは、終始一貫してレンブラント・ライト(被写体の斜め後ろから逆光線を人物に当てる手法/奥深い暗闇の中からリアルな人物の表情が浮かび上がり、その人物の実像(個性的な情動の傾向)と心理(精神環境の質的側面)を実感させる効果がある)を使ったレンブラント絵画そのものの映像が流れ続けるからです。とはいえ、R指定となっているだけあって“グリーナウエイらしい熱演(艶?)シーン”があるので普通の意味でのセレブな泰西名画を愛でるつもりでは期待を裏切られるかも知れません。ともかくも、この個性的な映像美学のみならず、ピーター・グリーナウエイの斬新さは、そのレンブラントの傑作『夜警』の<謎>についての解釈にあります。


17世紀に入った頃、いわゆる黄金時代(現代のグローバル経済型社会を先取りしたという意味で)のオランダでは後世に大きな影響を与えたという意味で注目すべき本格的な風景画家が現れます。それは、実景に即しつつ抑制的な単色に近い色調で、かつ恰も写真のようなリアルさで描く「単色様式(単色色調様式)の風景画」を確立したサロモン・ファン・ライスダール(Salomon van Ruisdael/ca1600−1670)とヤン・ファン・ホイエン(Jan van Goyen/1596-1656)の二人です。


しかし、この二人のうちヤン・ファン・ホイエンは、チューリップ・バブル(http://psychological-jp.com/analysis2/p6.html)に首を突っ込んだ不運な画家です。画家として成功したホイエンは、稼いだ金をチューリップ相場に投資しますが、結局はバブルの崩壊で破産していたのです。そして、ホイエンはチューリップ・バブルの崩壊から20年後の1656年に世を去りますが、その時点でも未だ897ギルダー(現価換算・推定で約1,800万円)の負債が遺族に残されていました。気の毒にも、それまでの間、ホイエンは巨額の負債の返済のために優れた風景画をせっせと描き続けたことになるのです。


チューリップ・バブルが発生したのは1634年ですが、この頃のレンブラントは“最初の妻サスキアとの結婚、アムステルダムの市民権獲得、聖ルカ組合(アムステルダムの画家組合)入会”と順風満帆でした。その2年前には、彼の名声を一気に高めた『ニコラス・テュルプ博士の解剖学講義』(http://www.abcgallery.com/R/rembrandt/rembrandt114.html)を完成させています。そして、1639年にレンブラントは1.3万ギルダー(現価換算・推定で約26,000万円)の大邸宅(現在の記念館「レンブラントの家」(Rembrandthuis))を購入しています。


レンブラントは、この大邸宅を買ってから3年後(1642)に『夜警』を完成させます。そして、通説では、この頃からレンブラントの画面では光の幻想的な描写と写実描写が調和するようになり、レンブラント絵画の芸術の深みが増してきたとされています。そして、この『夜警』で、レンブラントは伝統的な集団肖像の描法を構想画(一人ひとりの人物像の内面にリアルに迫る描き方)に変貌させたとされています。つまり、従来の集団肖像画では複数の人物が整然と列をなして、表面上の世間的名声どおり、それなりに立派に描かれるのがしきたりでしたが、『夜警』の人物たちは一人ひとりの人品骨相がその内面までリアルに浮かび上がるように描かれています。


一方、この大邸宅を買ってから14年後、レンブラントが47歳になった時に8,470ギルダー(現価換算・推定で約17,000万円)の未払い金を請求されて、更に9,180ギルダー(現価換算・推定で約18,000万円)もの借金をしています。ピーク時には年収が0.5万ギルダー(現価換算・推定で約10,000万円)もあったとされるレンブラントは、どのように家計(レンブラント工房)の帳尻を合わせていたのでしょうか。レンブラントがホイエンのようにチューリップ相場に手を染めたかどうかは分かりませんが、まったく無関心であったとも思われません。


ともかくも、オランダのみならずヨーロッパ中に名声を馳せた「レンブラント工房」(http://www5b.biglobe.ne.jp/~phantasy/composition/rembrandt.html)の巨人(巨匠、マイスター)は、破産状態で63歳の生涯を終えたのです。余談ながら、破産で生涯を終えたという点ではフェルメール(Johannes Vermeer/ 1632-1675)も同じです。彼の妻の証言記録によれば、晩年のフェルメールは兼業していた画商の仕事も「第三次英蘭戦争」(1672-1674/参照、http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B1%D1%CD%F6%C0%EF%C1%E8)の余波を受けて不振となり、11人の子どもを抱えた生活が困窮したまま病で生涯(享年43歳)を閉じています。フェルメール没後の一家は破産宣告を受け、絵も含めたフェルメールの全財産は競売になりました。これで、フェルメールは19世紀半ばまで忘れ去られることになります。


ところで、周知のとおり、レンブラントの『夜警』には様々な謎が隠れていることが指摘されてきましたが、その中でも最大の謎は、レンブラントの『夜警』が、斬新な発想で、その集団肖像画の革命的手法を完成させた作品であるにもかかわらず、なぜ17世紀の文献資料にその言及が非常に少ないのかという問題です。実は、この作品の斬新さはレンブラントの栄光を一層輝かせることになり、多くの彼の絵の愛好者たちが絶賛したことは間違いないのですが、一方で、美術史上におけるこの絵の斬新さを理解できる水準に到達できなかった多くの人々にとっては、まことに不評であったようです。ある学説によれば、当時の美術史の権威(兼・画家)でもありライバル画家でもあったドイツの美術研究者によって意図的に無視されたという可能性もあるようです。


が、それはともかくとして、この『夜警』の完成を境としてレンブラントの人生と家計が急速に暗転することになったのは何故か?・・・ということも大きな謎とされてきたことです。そして、このピーター・グリーナウエイの映画は、その二つ目の大きな謎に挑んだ意欲的な作品なのです。グリーナウエイの“新しい解釈”では、レンブラントは、革命的な集団肖像画の個々の人物像の内面までを生々しくリアルに描くため、レンブラントがこの絵の登場人物たちのスキャンダルの調査にまで踏み込んだことになっています。


つまり、レンブラントは、市民を守る役目を持たされたはずのアムステルダムの市警団(ネーデルラント連邦共和国、オランダの市民社会を代表する権力者層(つまりエスタブリッシュメント層に属す人々)が、実は市民を守るどころか自らの金と獣のごとき野卑な欲望のために殺人を行い、社会の最底辺層に属する弱者・障害者らを踏み台にすることに明け暮れていたのです。つまり、レンブラントは『夜警』の完成のために、表面上は善人づらをした政治権力者たちの「漆黒の闇の真相」を凝視し、その核心を天才画家の目で抉り出し、その恐るべき実像に光を当てたという訳です。


また、グリーナウエイは、レンブラント自身も野卑な欲望と金銭欲に囚われる普通の人間の側面を持っていた、それだからこそエスタブリッシュメント層の意地汚いまるで獣のようなスキャンダルへの嗅覚も鋭敏に働いたのだと解釈しているようです。この映画が人間の欲望や下品さ(=「漆黒の闇」をもたらす真の原因となるもの)を包み隠さず描くというリアリズム映画の手法を敢えて取ったことにも、このグリーナウエイの思想が現れています。


結局、このような次第で、これら獣のようなエスタブリッシュメント層の恨みを買ったレンブラントは、『夜警』の完成後に彼らが仕掛けた姦計に嵌められ、悲惨な破滅の晩年を送ることになったというのです。これ以上の細かな内容はネタばれとなる恐れがあるので止めておきますが、下記の記事(★1〜★3)を参照していただければアウトラインが分かるはずです。このサスペンス仕立ての“斬新な芸術映画”を鑑賞するには、ある程度の予備知識があった方がより深く理解できると思われますので、映画を鑑賞する前に参照されることをお勧めしておきます。


★1 ピーター・グリーナウエイ監督、映画『レンブラントの夜警』の公式HP、http://www.cinemacafe.net/news/cgi/interview/2008/01/3144/


★2 「彼はどこにでもいる普通の人」グリーナウェイ監督が『レンブラントの夜警』を語る、
http://www.cinemacafe.net/news/cgi/interview/2008/01/3144/


★3 映画評論『レンブラントの夜警』、http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-b-08-7renburantonoyakei.html


<span style="font-weight:bold;">(現代日本の「漆黒の闇」二つ/そして、その地獄のマグマの源流となるもの)</span>


これは、かつて下記の記事(★4)で書いたことですが、非常に重要と思われるので、再度、とりあげておきます。それは「愛国心には二つの形がある」ということです。ジョン・ダワー(John W. Dower/著書『敗北を抱きしめて』でピュリッツアー賞を受賞した米国の歴史学者)が次のようなことを語っています(出典:2006.5.25付・朝日新聞、紙上インタビュー『戦争は総括できたのか、歴史と向き合う』)。


・・・いまだに「戦後」という言葉で第二次世界大戦以後の時代をひとくくりにする用法は世界でも珍しい。それは、我われ日本人の心の中で「戦争」が総括(反省)されていないからではないか。現在の米国は保守派が非常に強く、ナショナリスティックになっている。この米国の保守派は、日本に憲法9条を改正して、もっと軍事的役割を果たして欲しいと思っている。それを進める一つの方法が、日本の戦争責任や過去の問題を曖昧にして、日本国内の軍国主義批判を弱めることではないか。死者を追悼しなければならないのは、そのとおりだが、なぜ靖国なのか。小泉首相らが靖国に参拝することで、追悼と政治がごちゃまぜになっている。そもそも、愛国心には二種類ある。一つは、<A:正しかろうが悪かろうが祖国を愛するという態度、それは自分の国がやることは何でも正しいという考え(情念的ナショナリズム)>である。もう一つの愛国心は、<B:自分の国をもっとよくしたいので過去の失敗(歴史)から学ぶという冷静な態度>である。より平和な世界を築くためには、後者が唯一の道だと思っている。・・・


★4 2006-05-27付toxandoriaの日記/卑猥な妄想の政治権力が玩ぶ「二つの愛国心」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060527


直近の報道(読売新聞、朝日新聞など)によると、破綻状態のため都民の税金400億円の新たな追加出資が目論まれている「新銀行東京」(通称、石原銀行)に、実は、既に開店準備段階で「124億円ものシステム費用・過剰投資」の疑いが発覚した、同じく新銀行東京は2005年秋に石原知事提唱の芸術事業セクター(石原ファミリー絡み)から無関係な絵画を購入していた、国交省・地方整備局が5年で23億円のタクシー代を道路会計から支出していた、国交省所管の財団法人「公共用地補償機構」がロハ同然の豪華職員旅行(一泊二日、9万円)をしていた云々と、「石原東京都政」と「福田政権」を巡る“腐りきってウジが湧き悪臭を放つスキャンダルまみれの尾鰭(おびれ)”が引きずる汚物は垂れ流し状態で止まるところ知らずです。


この「石原都政(新銀行東京など)」と「福田政権(道路特定財源など)」の問題の在り処については、既に下の記事(★5)で書いたことなので、ここでは詳しく触れませんが、この二つの現象には共通した問題が潜んでいると考えられ、それこそ、日本の中枢に居座る政治権力者たちが、上でジョン・ダワーが指摘した「愛国心についてのA、B二つの根本的違い」を意識的(?)に渾然一体化させたまま現在まで漫然と過ごしてきたということです。そして、特に際立つのがドイツと日本の「60年前の戦争」についての反省スタンスの違いです(この詳細については下記記事★6を参照乞う)。


★5 2008-03-16付toxandoriaの日記/石原銀行(新銀行東京)問題、その漆黒の闇に潜む野獣の正体、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080316


★6 2008-02-14付toxandoriaの日記/異臭漂う日本型軍事利権が助長する『民主主義の赤字』(2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080214


少しだけ、「大革命」前夜が近づいた頃のフランスの歴史を振り返ると、ルイ16世が、1789年1月1日に三部会を召集し、第三身分に“従来の二倍の議員数を許す”と布告したときのフランスには、未だ「穏健な立憲君主制の可能性」があったと考えられています(現実には英国等近隣諸国の隠れたた思惑などが絡むので、そう単純ではないが・・・)。しかし、それが現実になろうとしたときルイ16世は第三身分の代表と約束した「議員一人あたり1票の原則」を殆ど無視しました。このため、失望した第三身分の議員たちが特権身分の一部にも呼びかけて「国民議会」(Assemblee nationale→現在の下院も同名称)を名乗り、次第に革命は過激な方向へ進むこととなります。


しかし、ルイ16世と「国民議会」との間に横たわった<決定的な溝>は「宗教問題」です。アンシャン・レジームの橋梁のような存在であった聖職者たちに対して、国民議会が国家(国王+国民議会)に対する“忠誠の誓い”を求めたため、ルイ16世も国民議会に対し遂に反対の意志を明言しました。これがその後の革命の流れをほぼ決定することになります。無論、「フランス革命⇒即、政教分離の原則」となったのではなく、これ以降の長いプロセス(下記・・・〜〜〜・・・部分)を経ることになる訳ですが、ともかくも、「宗教問題=政教分離の問題」こそが「フランス大革命」への引き金となったと見なすことも可能です。


・・・ライシテは、現代フランスの「政教分離の原則」を表わす言葉であるが、この言葉が現れたのは1870年代の初めころからとされている。「人権宣言」(1789)が書かれた後のフランスの政治体制は、18〜19世紀をとおして共和制、反動体制、復古主義、帝政、共和主義・・・と言う具合で目まぐるしく紆余曲折と堂々巡りを繰り返した。そして、これは概ね最高政治権力をめぐる王党派と共和派の揺り戻しと暗闘の歴史であったが、その根底では、常に「キリスト教(カトリック教会)」と「政教分離の原則」の対立軸が複雑に絡んでいた。


このプロセスの終わりの頃、つまり1870年代(第三共和制の時代)になり、漸く“政教分離の原則に基づく政治と宗教の具体的なあり方を規定するもの”としてライシテ(教会権力に対する“世俗的な・俗人の”を意味するlaiqueを名詞化してlaiciteとした)という言葉が造語された。ここで意図されたのは、フランス国内で政治と宗教が対等に共生・共存することであり、未だその頃は外国から入って来る移民の問題は想定されていなかった。そして、このライシテが初めてフランス共和国憲法の中に現れるのは、パリコミューン(1871)後に制定された第三共和国憲法(制定1875)が、1884年に改正された時である(それから約20年後の1905年12月9日に「政教分離法」が制定)。・・・


つまり、ライシテは宗教からの独立性を表わす意味での「公共」をあらわす言葉であり、国家体制と市民の公共空間から一切の宗教性を排除することで、逆に市民個人の私的空間の信教の自由を保障するという考え方です。そのため、このライシテは、その後の移民同化政策などの支えともなってきた訳であり、英米における世俗宗教共存型の“政教分離の原則”、あるいは日本独特の曖昧模糊としたものとは異なる「厳しい定義」であり、特に、小泉首相の靖国神社参拝問題などが現実に起こるような「御上が下賜する日本型の公共」とは対極にある概念(市民革命で勝ち取った)だと考えられます。


フランス革命において、「政教分離の原則」の問題が演じた、このように重要な意味と役割を直視するとき(実は、現代の欧米における世俗宗教化の問題もここに絡むことになるが、敢えて、その問題には触れないことにする/ただ、同じ宗教の世俗化と言っても、日本のように『公共』についての根本的な理解が欠落している国と欧米諸国ではスタート・ラインが異なることは明らかである)、日本の“万世一系の皇国史観”の特異性が浮き彫りになります。それは、更に“軍事国体論”を生み出し、近代日本のファシズム政権と太平洋戦争への突入のための強固な大義名分(極右イデオロギー)となったことは周知のとおりです。しかも、それは、恰も帯状疱疹のウイルスの如く、現代日本の政権与党の脊髄、末梢神経などの奥深くにシッカリ潜んでおり、時折、何らかの触媒の介在によってそれが狂った(パラノイア化した)ように蘇生すると極右的性格が前面に踊り出た「小泉偽装劇場」や「安部の美しい国」の誕生となるしだいです。


しかしながら、驚くべきことですが、今の我が日本の政治権力の中枢で幅を利かすのは、まさにこの「パラノイア型の王権による政治権力の亜流」ともいうべき旧態依然たる「寄生(世襲/コナトウス)型政治権力」ばかりです。そのうえ、恐るべきことは財務省を始めとする中央官庁の中枢も、事実上、コナトウス化していることです。そして、その典型が中央政府における旧「清和会」→清和政策研究会のベクトルに大きく影響され続ける「森喜朗 → 小泉純一郎 → 安部晋三 → 福田康夫(町村信孝)」という、別称「奥の院(財務省&特別会計&闇世界)癒着型パラノイア内閣」であり、もう一つが東京都政における“石原ファミリー(石原王朝)”に吸い付かれた「放漫&傲慢&怠慢パラノイア化した東京都政」です。


無論、今や「戦後初の空席となり、元財務次官再提示で与野党に不信感」が生じるまでこじれた「日銀総裁の後継問題」も、実はこの「中央政権と中央官庁のパラノイア化」がその病巣であると見なすことが可能です。そして、これは前にも書いたことですが、石原慎太郎氏自身は世襲政治家ではありませんが、おそらく、その長かった国会議員時代(参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、1968〜1995/一時、清和会に属したことがある)には余りろくな仕事もせず、自分なりのファミリーを形成し「自らが奥の院となりパラノイア・モンスター化するための“実験パース”づくり」に勤しんできたのかも知れません。


ともかくも、このような忌むべき現代日本史の流れが“その根本的な不心得の挙句の果て、成れの果て”の段となり、漸く、日本の二つの「漆黒の闇」が、そのオドロオドロしい姿(本性)を現し始めたのが、渦中の「石原都政(新銀行東京などの)問題」と「福田政権(道路特定財源などの)問題」という訳です。そして、もう一度繰り返すならば、その根本原因は、我が国の政治権力の中枢に居座るコナトウス政治権力者(=奥の院(財務省&特別会計&闇世界)癒着型パラノイア権力)らが<A:正しかろうが悪かろうが祖国を愛するという態度、それは自分の国がやることは何でも正しいという考え(情念的ナショナリズム)>と<B:自分の国をもっとよくしたいので過去の失敗(歴史)から学ぶという冷静な態度>という二つの愛国心のあり方をゴッチャ(おそらく作為的に)にしていることです。そして、この(A)と(B)をゴチャ混ぜにするいい加減さの中から、別に言うなら、そして、かつての“文学青年・石原慎太郎”流に表現するなら『公共と国民主権の意味』を甘く見て小ばかにする権力者自身の姿勢の中からムクムクと鎌首をもたげてくるのが悪魔的で飽くなき“獅子身中の寄生虫”ならぬ、自らのからだをも喰らってしまう欲望のマグマです。


更に、これら日本の二つの「漆黒の闇」の特徴と見なすべきことは、絶えず妖しげな新興宗教(複数)の影がその周辺を彷徨っているように見えることです。もっとも、こちらの問題は「日本の政教分離についての懸念」というよりも、おそらく、選挙の票数と利権構造を補強する次元の問題かも知れません。が、いずれにせよ、彼らのホンネには「政教分離の原則」などクソ喰らえの感覚(まさに、これこそが非民主主義的な異様な精神環境)があることは間違いなさそうです。因みに、絶対王政時代のヨーロッパの王権について振り返ると、その大きな特徴として「王権のフェティッシュ化」(フェティシズム(fetishism)=物神・呪物崇拝、衣装や身体の一部に対する異常なこだわり又は崇拝の感情)の問題が浮上します。それは、具体的に言えば、王権は自らの「暴力的な本性」(ファスケス/参照、下記記事★7)を隠しつつ国民一般を見かけ上は強制せずに従わせるため「表象操作とスペクタクル」の様々な工夫に取り組んだという現実があることです。


★7 2007-10-24付toxandoriaの日記/軍需・防衛ビジネスの“偽装はげ落ち”で露出する現代日本のファスケス(内なるテロリズムの牙)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071024


表象(権力による表象操作)の役割とは、例えば王の立場を突出させるための厳粛ながら“こけおどし”的なヒエラルキー的席次(位階序列に応じた巧妙な席順と場所の配置)、それを空間的・色彩的・装飾的に脚色するための様々な工夫(各種の飾り文様、バラエティーに富んだ豪奢な緞帳など)、大法官(国王評議会(セアンス・ロワイヤル/Seances Royale)議長兼聖職者)などの位階に応じ適切に敬意を表すための様々な身振り・服装の区別と設定、発言・意見聴取などの順序など、驚くべきほど複雑で微細な取り決め(=日常的な行政の国家儀式化、多様な位階序列に応じた表象ルール化)がなされていました。


また、この時代の王権は例外なく聖別(世俗から離れた神の世界へ聖化すること)されており、王権の延長たる王による「触手儀礼」(聖別された王が患者の身体に触れることで病が治癒すると信じられていた)、王の眼差し、あるいは王の身に着けたものなどにも霊的なパワーがあると信じられていた(=フェティシズム)ようです。しかしながら、このような構図は現代の日本でも決して珍しいことではなく、政治権力者等のエスタブリッシュメント層の頂点を極めた人物が広告塔となった大規模な霊感商法やネズミ講などの事件が後を絶たないことは周知のとおりです。


また、政治権力者自身(例えば、小泉純一郎・前首相など)のパフォーマンス(スペクタクルの一種)と「道路特定財源を使ったミュージカル・みちぶしん」など政治権力絡みのスペクタクル(演劇・映画・歌謡ショー・講演会・セレブ空間&ファッションの演出など)は殆ど枚挙するのが馬鹿ばかしいほどゴロゴロしています。おそらく、乞食メディア化した民放テレビ等の御用マスコミ、各種審議委員会に雁首を並べる“名ばかり”御用学者、御用芸(低?)能人なども、この部類に入れてよいでしょう。


ともかくも、言い換えるなら前者(A)は妄想型の愛国心であり、現代の民主主義国家としては真に恥ずべき「特異で不潔な精神環境」です。更に言い換えるならば、それは「前近代的な妄想(盲想?)政治のオゾましく卑しむべき感性」であり、国家主権の所在を見誤った「民主主義国家としての政治的衛生観念を欠落した暴政」以外の何ものでもありません。ピーター・グリーナウエイ監督の斬新な解釈に従うならば、そして、もしレンブラントが現代の日本に甦ったとするならば、その余りにも意地汚く、醜く、かつ暗すぎる「日本中枢の漆黒の闇」の謎解きのために、俄然、この大天才の絵心が大いに刺激されるであろうことは疑う余地がありません。


最後につけ加えるならば、それは、下記の二点を<日本人の教育・教養のあり方>の原点として、繰り返し想起すべきだということです。これは、<教養上の欠陥か障害が疑われる>石原慎太郎氏らだけに当てはまるものではなく、今や毎日のように報じられる日本のエスタブリッシュメント層(特に、最近目立つのは大学総長・学部長・教授・准教授・校長・教員・医師・弁護士・社長など)によるガキのような破廉恥事件(強制わいせつ、収賄など)の多発を見るにつけ、つくづく思わされることです。米ニューヨーク州知事の買春スキャンダルをとても笑えない日本の現状です。


<注記2>


石原慎太郎氏らに<教養上の欠陥か障害が疑われる>理由についての詳細は、下記記事(★8)を参照乞う。これは、かつて(2004年10月、首都大学東京の支援組織設立総会に於いて)、石原都知事が“フランス語は数が数えられない言葉だから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする”などと発言して、フランス語教育関係者らから抗議を受けたことだけを指す訳ではない


★8 2008-03-16付・toxandoriaの日記/石原銀行(新銀行東京)問題、その漆黒の闇に潜む野獣の正体、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080316


●政治体制の如何を問わず、エスタブリッシュメントにとって最も重要なことはノブレス・オブリージェの自覚である
・・・絶対王政にせよ民主主義にせよ、エスタブリッシュメント(リーダー層)と国民がいなければ国家は存在し得ないが、リーダー層が獣的な欲望に溺れノブレス・オブリージェを放棄するのは自殺行為に等しい。


●単なる知識量としての情報よりもインテリジェンス(知恵)としての情報を重視すべきである
・・・政治権力の表象操作のトリックに嵌らぬよう、権力と権威が準備し賦与するプレタポルテの「レトリック情報」を詰め込むのではなく、真実を知るための知恵と論理を体得すべきである。

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