迫水君が目の前に坐っている。ふさふさの長い髪がアーティストらしさを感じさせる。この実力派バンド「American Short Hair」のリーダーは、インタビューが終わったとき、突然逆に質問してきた。「教えてください。時間が過ぎると心境は変わるものでしょうか?」記者の困惑した表情に気がついたのかもしれない。彼は申し訳なさそうに付け加えた。「僕は、十数年後の自分がどう感じるのか、時々知りたくなるんです。」
今まで考えたこともなかった問題が、鋭く眼を射る光のように、自分が異国にやって来た時と同じぐらいの年齢の青年の期待に満ちた美しい表情から発せられて、心の深いところに射し込んできた。……そうだ、私はすでに人生の後輩のこうした質問に困惑する年齢になったのだ。認めようと認めまいと、歳月は額や目じりや鬢のところにかすかな跡を刻んでいる。年とってしまったという、さからえない自然の摂理が証明されているのだ。
振り返ってみると、この十数年間は本当に短い一瞬のことだったように思える。たくさんのものを見聞きして、いろいろなことを経験して充実していたけれど、年をとったということは意識の上であまり感じられない。久しぶりに会った同級生からは、「ああ、年取ったな……」という感慨をよく聞かされる。この言葉にはやや自嘲が混ざっているものの、大人になって落ち着いたと言うこともできる。だが一方では何ともしがたい心のかげりに、切なさと心残りも感じてしまう。
それに比べて、永遠に若者の心を持ち続けて、永遠に元気いっぱいの先輩たちもいて、羨ましい気持ちにさせられる。建築家・プロダクトデザイナーの黒川雅之氏は、生と死という哲学的命題に常に思いをめぐらす七十代だ。彼は、熱心な学生たちに向かって約三時間立ちっぱなしで熱の入った講演を行う。彼は友人たちに顔文字の入った楽しいメールを送る。その太陽のように輝く笑顔と、青空のように澄み切った心……。
現代は生活水準が向上し、衣食住も重視されて、人類の若返りに確かな基礎を提供し始めている。科学研究によれば、人の心理機能は体内の器官に微妙な作用を及ぼし、有機体の老衰を遅らせることすら可能なのだそうだ。さらさらと流れていく月日に対して永遠に若い心でいられるならば、十数年後、いや、数十年後であっても、依然として恨みも悔いも心残りもない心境でいられるのではないだろうか。
迫水君、私の無言の中にある意味を汲み取ってくれただろうか? |