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[暴政]2008年の緊急課題は「権力の可視化」の問題 <注記> お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080102 ピーテル・ブリューゲル『イカロスの墜落』 [f:id:toxandoria:20080102021028j:image] Pieter d. A.Brueghel(the Elder/ca1528-1569):Landscape with the Fall of Icarus、c. 1558 (180 Kb); Oil on canvas, mounted on wood, 73.5 x 112 cm; Musees royaux des Beaux-Arts de Belgique, Brussels 1月1日付・日本経済新聞(ネット記事)によると、日本経団連(御手洗会長)は、"現状のわが国の閉塞感を打ち破り躍動する日本経済を築いていくため”として、今後 10年以内に世界最高の所得水準の達成を目指すよう政府に求めたそうで、そのため取り組むべき重点施策として”政府業務の電子化、革新的な環境技術の開発、道州制によ る地方の広域経済圏の形成”を挙げたと報じられています。 一方、同じ元旦のNHKラジオ『21世紀日本の実像』(PM9:30-11:00)は、日本社会の劣化度を表す、以下のとおり(●)の恐るべき労働・所得関連の直近データ(2007年)を紹介してしています。これほど悲惨な「日本の経済・社会の実像」を日本経団連の御手洗会長は殆ど認識していない(あるいは、意図的に知らぬ存ぜぬで通している/例えば地方ハローワークのセーフティ・ネットとしての役割を無視するまで堕落した「労働の商品化・部品化」に驀進する規制緩和原理主義、または殆どカルトに近い新自由主義幻想(トリクルダウン幻想)に嵌っている)ようです。 それは、これほど悲劇的な「日本社会の劣化」をもたらした根本は「IT革命による凡ゆる業務の平準化、グローバル市場経済化(→経済のマネーゲーム化)、誤った自己責任論(公正・公共意識の放棄=異常分配システムの放任)」であることが明らかだからです。ここでは、獰猛な<格差拡大の牙>が若年層と高齢者層を狙い撃ちしていることが分かります。しかも、問題はそれだけではなく中間層の崩壊(破壊!)も着実に進んでいます(無貯蓄世帯の割合が1/4→1/3へ接近中)。 ●日本の総雇用者数6,400万人の約34%(2,200万人)が年収200万円以下へ転落 ・・・実に日本の総勤労者数の1/3強が「年収200万円以下」となっており、その殆どは20〜40代の非正規雇用者(パート、アルバイト、派遣社員など)と重なる。 ●107万に及ぶ生活保護世帯数で高齢者世帯が占める割合は約44%(しかも、これが拡大傾向!) 言うまでもなく、このような「日本の悲劇」の始まりは「小泉劇場」(“竹中チーム”に導かれた!/参照、http://pokoapokotom.blog79.fc2.com/blog-entry-557.html)であり、その流れが「小泉→安部→福田」と殆ど無反省に受け継がれてきたことは周知のとおりです。そして、現在の福田政権がやっていることは、それを"あわわわ〜!”という訳が分からぬコトバと儀礼的な外交パフォーマンスで誤魔化すことばかりです。 翻ると、12月13日に『リスボン条約(EU新基本条約)』を調印したEU(欧州連合)における政財界・リーダーシップ層の「貧困」についての真摯な理解と、その克服策への官民あげての積極的な意志は日本の状況と大いに異なっています。つまり、加盟国と移民流入の数が拡大するEUでは、「相対的貧困」(一領域内での格差拡大)のみならず、「絶対的貧困」(一定ライン以下の極貧層の存在)の救済が明確な課題として視野に入っています(特に、その先駆的動向の在り処として、数百万人の移民流入の波に洗われてきたドイツを注視すべき)。なお、この詳細については下記の記事★を参照してください。 ★2007-12-27付toxandoriaの日記/市民の厚生を見据えるEU、軍需利権へ媚びる日本/リスボン条約の核心は「貧困」の克服 一方、このような意味で、国家としての日本の存亡そのものにかかわる深刻な問題へ多くの日本国民の関心が本格的に向きつつあるという状況下で、以下(▲)のように真に情けなくも怪しからぬ情報が次々と報じられつつあります。 ▲防衛省のプール金確認(国防を隠れ蓑にした、税収での裏金づくり)が少なくとも数千万円か?、http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007123101000270.html ▲久間元防衛相が1億円受領、資産公開記載せず(情報源=毎日新聞・記事)、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080101-00000008-mai-pol ▲防衛汚職、大物議員波及必至…沖縄利権、数兆円めぐり、http://www.zakzak.co.jp/top/2007_12/t2007122830_all.html ▲防衛汚職の捜査線上に安倍・前首相が浮上?(情報源=雑誌FACTA、2008年1月号・記事)、http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2007/12/post_e1ff.html ▲自民党が政党助成金(税金)82億円を流用(2003-2006年/4年間)して身内の会社経営?、http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-01-01/2008010115_01_0.html ところで、話題はガラリと変わりますが冒頭に掲げたピーテル・ブリューゲルの絵画『イカロスの墜落』(一昨年のフランドル(ベルギー・オランダ)旅行でジックリ鑑賞できた作品)について、実に興味深い事実が明らかとなっています。ただ、新年早々の話題としては、このエピソードの”落ち”が「いささか尾篭な話」になることをお許し頂かなければなりません。しかしながら、ここでご紹介する重要な”落ち”はアカデミックな研究の「厳粛な成果」であるので、勇気を出して直視して頂かなければなりません。これこそ昔懐かしい「××リアリズムの眼」です(××は、ご想像ください)。 主にアントワープとブラッセル(仏ブリュッセル)で活躍したピーテル・ブリューゲル(父)が当時としては格段の知識人であり、彼の絵には社会的な矛盾や時の暴政の真相 (スペイン帝国によるフランドルへの圧制など)を暴き、それをリアルに伝えようという意志が隠れていることが広く認められているのですが、今回、改めてこの『イカロスの墜落』を観て気づいたことがあります。 一般に、ピーテル・ブリューゲル(父)の初期の作品、例えば『狂女フリート』などは明らか にボッスの影響を受けており、幻想的かつ悪魔的で「奇怪な世界の風景」を描いています。そして、その絵の地平で赤々と燃え盛る血のような空の色はフェリペ2世 による「スペイン帝国の圧政がもたらす残酷な戦争」を象徴していると考えられます。 15世紀後半からフランドル地方の支配者はブルゴーニュ公家からハプ スブルグ家へ変わりますが、特に、16世紀前半に父カール5世からこの地方の統治を引き継いだスペイン王フェリペ2世の中央集権的で強権的な支配と新教徒への弾圧は過酷を極めました。一方で、そもそも、このフランドル地方には、13世紀頃からの自治都市の伝統が根付いており、ヨーロッパにおける二大交易圏(フラン ドル、北イタリア)の一つとして、近代資本主義経済発展の土壌を準備しつつあったのです。 中でも、16世紀前半のアントワープにはヨーロッパ中から貿易商人たちが集まっており、南ドイツのフッガー家、ウエルザー家らの大商人や金融業者たち、あるいはメディチ家など北イタリア諸都市の金融業者らの支店や代理店が立地し、ヨーロッパはもとよりアフリカや中東方面からやってきたムーアやアラビアの商人たちも加わり大変な賑わいぶりを見せていました。 ピーテル・ブリューゲル(父)が生きた時代は、このように「圧政・抵抗・戦争・内乱」と「グローバリズム経済の急速な進展」という二つの異なる顔を見せる激しくダイナミズムに満ちた時代でした。 『イカロスの墜落』の上半分の左奥には繁栄する自治都市(恐らくアントワープ)が見えており、右手の中央には活発な交易経済(グローバル市場経済)を象徴する大きな帆船が描かれています。しかし、この画面は右下がりの対角線によって上下にハッキリと分かれており、画面の左半分(下)を占めるのは牧歌的な田園風景です。そこでは、本来、グローバリズム経済とは無縁な農夫の日常(仕事)の風景が描かれています。ここの主役たる、大きく描かれた農夫は農作業に夢中でイカロスが海中に落ちた水音(グローバリズム市場経済がもたらす悲劇の叫び声)など聞こえていないようです。 中央に小さく描かれた羊飼いも、墜落して海に堕ちたイカロスと反対側の空をポッカーンとした表情で見上げていますが、彼は何を見ているのでしょうか? この『イカロスの墜落』の大きな謎とされる、 もう一つは肝心のダエダルス(自分の息子・イカロスに空を飛ぶよう誘った、自らの傲慢さに気がつかない愚かな父親(≒ブッシュ、小泉らの傲慢な政治家、あるいは竹中一派の経済・金融人?)が何処にも描かれていないことがあります。 しかも、この絵の全体には不思議な静寂と一種独特の清浄さ(=不思議な美しさ)というか、なぜか“殊更に清潔な空気”さえもが漂っています。また、解像度の関係からネット上の画 像では見えませんが、実際の絵では「大きな農夫」が進む道の先の木陰に横たわる人間(死体)の頭部のようなものが見えています。このため、この『イカロスの墜落』のモチーフは中世的な“メメント・モリ”の教訓(死を忘れるなという倫理的な教訓)だという“お上品な学術的解釈”が今までは優勢でした。 ところが、まことに驚くべきことですが、近年の赤外線写真を使っ た科学的で厳密な調査・分析の結果、実はその“人間の頭部のようなモノが”死体の頭部”などでは毛頭なく、なんと“今まさに大きな用事を足そうとする農夫( or 悪徳政治権力者)の汚いお尻である”ことが分 かったのです(ベルギー王立美術館で購入した図録・解説による/同解説書、p10に記載あり)。このため、近年の美術史研究者の間で、この絵の不可解な謎はますます深まるばかりとなっているようです。 美術史上の専門的解釈はともかくとして、どうやら、“殊更な『美しいモノ(そして美しい国)の標榜』には気をつけろ!”という教訓がこの絵には隠れているように思われます。 つまり、グローバル市場経済の豊かな実りと果実を庶民のためではなく、政治権力者たちは、しばしば、自らの子々孫々と仲間内の持続的繁栄のための種蒔き(あるいは肥料(こやし))に しようとする貪欲な本心(本当の意図・目的・思惑)を隠すために、このような「美しい国」の絵を好むということです。しかも、ブリューゲルの時代の政治権力者たちの多くが、このようなブリューゲルの巧妙な仕掛けに気づかず、そのような絵画のパトロンにさえなっていたことが可笑しなところです。 ともかくも、それは恰も「安部の美しい国」が、そのコトバの裏側に隠していた“経営者サイド(ノーブリス・オブリージュを忘れた)へ過剰に傾斜した労働分配&税率の配分”と“戦いを厭わず国家の手足となる従順で善良な国民を育成するための教育改革の意図”(つまり、強制的な愛国者育成の意図=トンチンカンで誤った人的資本投資の手法)をカムフラージュしようとする、「隠微に右傾化した現代日本の政治手法」を予告するような絵ではなかったのかと思われるのです。 しかも、我々は、あの「安部の美しい国・ニッポン」をよく分析・調査してみようとした途端に《今まさに用を足そうとする醜い農夫(そんなモノ見たくもない!)の毛の生えた醜く汚いお尻》を目撃させられる羽目(=醜くも、途中で安部首相が政権を放り投げたこと)を経験したばかりです。 我われ一般国民は、「セレブな小泉政権→美しい安倍政権→あわわわわ〜!の福田政権」に引き継がれた“貧困増大システム放置&格差拡大国家・ニッポン”という虚飾と欺瞞に満ちた“エセ理想国家論(サカサマ天国論)が実(まこと)しやかに語られ続けている今こそ、このように冷徹なピーテル・ブリューゲル(父)の「リアリズム」の眼(見たくもない不気味な政治の現実をソレとなく直視する勇気)を取り戻すべきなのです。つまり、これこそが「権力の可視化」ということです。 |