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タイトル:新渡戸稲造の武士道ならぬ特別会計等の『猫糞道』に嵌った大物政治家らのヘドの如き悪臭  2007/11/22


[参考情報]新渡戸稲造の武士道ならぬ特別会計等の『猫糞道』に嵌った大物政治家らのヘドの如き悪臭
2007.11.22


<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071122


【画像1】新渡戸稲造・メリー夫妻の肖像、http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/doc/0B032760000000.htmlより

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旧五千円札の肖像画で知られる新渡戸稲造(1862(文久2)-1933(昭和8))は花巻系・新渡戸家本家の盛岡で生まれています。しかし、新渡戸稲造は心の支えとして祖先の地(ハートランド)である花巻と曽祖父・祖父・父らを大いに尊敬していました。


やがて、父祖の地である花巻生まれの佐藤昌介(1856-1939/初代の北海道帝国大学・総長)の影響を受けた新渡戸稲造は札幌農学校へ二期生として入学し、そこで稲造は内村鑑三、宮部金吾、廣井 勇らとともにクラークが遺したキリスト教の影響をうけます。


東京大学に進学後は、“太平洋の架け橋になりたい”との想いから私費でアメリカへ留学しジョンズ・ホプキンズ大学へ入学します。しかし、アメリカにおける人種差別の存在などから、稲造は同じキリスト教でもWitness(信仰的証し=平和、男女・民族の平等、質素な生活、誠実などの実践)を重視するクエーカー教徒(Quaker/参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC)に興味を覚え、遂にはそこで後に妻となるメリー・エルキントン(Mary Elkington )と知り合います(日本人の国際結婚・第一号とされる)。


その後、稲造はジョンズ・ホプキンス大学を中途退学のうえ官費でドイツへ留学し、ボン大学での聴講の終了後にハレ大学で博士号を取得して帰国しますが、やがて札幌農学校に教授として赴任します。しかし、この札幌時代には夫婦とも体調を崩してしまいカリフォルニア州で転地療養をすることになりました。この間、稲造が38歳の時に名著『武士道』が英文で完成します。


この名著『武士道』(弱小藩でありながら南部藩の橋頭堡として隣接する強敵・伊達藩と対峙した花巻武士の辛酸が下地となっている)は、その後にドイツ語、フランス語、ロシア語など実に17カ国語にも翻訳されたため、一躍、新渡戸稲造の名は世界中の知識人に知れ渡ることとなります。


この名著『武士道』には、武士道の根本に人類共通の平和への意思と世界の人々が共有可能なモラルが存在することを紹介したいという新渡戸稲造の篤い思いが込められていると見なされています。また、この著書は当時のアメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトへも大きな影響を与え、それが日露戦争を終結させるための仲介の行動(ポーツマス条約への道づくり)をルーズベルトに促すことに繋がったとされています。


更に、稲造は58歳の時に国際連盟の初代事務次長となり、欧州の国際紛争を解決しユネスコの前身である「知的協力委員会」を創設します。また、新渡戸稲造は、同郷の佐藤昌介らとともに日本で最初の農学博士号を受けています。


東北地方の片隅にヒッソリと根付いていた花巻武士の精神と国際的視野を見事に結びつけ、世界中の人々に感銘を与えた新渡戸稲造の根本を支えたのは、いわゆるノーブリス・オブリージェ(nobless-oblige/国家の指導的立場にある者としての良識と責任感)です。下の記事★で取り上げた、現代日本の政・官・財における指導者たちの恐るべきほど薄汚く腹黒い、まるでゴキブリでもあるかのような“ネコババ感覚の無責任さ”とは余りにも対照的です。


★2007-11-19付toxandoriaの日記/「環境税」をめぐる族議員と高級官僚の暗闘に透ける壮大な「国家的ネコババ・システム」の闇、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071119


また、この花巻の地には宮沢賢治のイーハトーヴ(理想郷)の中心地としての一種の凛とした風土と精神文化が満ちていることも忘れるべきではありません。周知のとおり、宮沢賢治の精神世界の中心には法華経が存在しますが、賢治の関心空間はそこから更に自然・農業・宇宙・環境・科学・芸術・文学など人間の精神環境をも含めた森羅万象に及びます。そして、これらの森羅万象は花巻周辺の美しい自然環境と永遠に共鳴し合っています。このようなイーハトーヴの融通無碍な世界と比較すると、現代世界を覆いつつあるグローバリズムと自由原理主義なる言葉の軽薄さが浮き上がってきます。


イーハトーヴ(Ihatov)は、宮沢賢治(1896-1933)がエスペラント語を想定して創った言葉で、それが意味するのは賢治の想像した理想郷そのものです。現在は美しい自然に恵まれた岩手県の代名詞として使われていますが、そのイーハトーヴの中心地が賢治の出身地でもある花巻(花巻市)です。“花巻”という個性的な地名は、往年の北上川がこの辺りで蛇行していたため春になると川面に散り落ちた桜の花が渦を巻きながら流れていたという絵のように美しい光景から名づけられたとされています。


なお、『銀河鉄道の夜』、『春と修羅』、『風の又三郎』、『注文の多い料理店』など宮沢賢治の多くの作品は英語・ドイツ語・イタリア語・フランス語・中国語・韓国語・ルーマニア語など各国語に翻訳され世界中の人々によって読まれています。


【画像2】イーハトーヴ、晩秋の光景2(2007.11.10、花巻にて撮影)
宮沢賢治・童話村周辺(2007.11.10、花巻にて撮影)
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新渡戸稲造ゆかりの地を訪ねて(2007.11.10、花巻にて撮影)
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早池峰山麓、晩秋の紅葉(2007.11.11、花巻にて撮影)
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花巻、農産物直売所(2007.11.11、花巻にて撮影)
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南部杜氏伝承館(2007.11.11、花巻にて撮影)・・・越後、丹波と並ぶ日本三大杜氏
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ワインシャトー大迫(2007.11.11、花巻・大迫にて撮影)
[f:id:toxandoria:20071122132147j:image]ほか

・・・大迫ワインは、山形・天童ワイン工場、サントリー株式会社およびオーストリア・ベルンドルフ市の技術指導を受けて作られています。


ガラス体験工房「森の国」辺りの風景(2007.11.11、花巻・大迫にて撮影)・・・七枚目の画像のお婆さんは、レストラン・ヒメコザクラのウエートレスです。
[f:id:toxandoria:20071122133020j:image]ほか


泣き相撲の宮、三熊野神社辺りの風景(2007.11.11、東和町にて撮影)
[f:id:toxandoria:20071122133742j:image]ほか


・・・三熊野神社は樹齢が約1200年の巨大杉に覆われた社ですが、起源は坂上田村麻呂に由来しており、その毘沙門堂にある御丈4.73mの兜跋毘沙門天像(重要文化財、平安中期)は北方鎮護のため坂上田村麻呂が作らせたものとされています。この他にも平安初期の作とされる吉祥天像(重要文化財)などがあります(撮影禁止のため仏像の画像はコチラを参照 → http://www.sukima.com/16_hanamaki01_02/14narushima.htm)。

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