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[民主主義の危機](米)サブライム問題と(日)防衛・疑獄に通底する“賭博化&軍需化経済”の病巣(プロローグ) 2007.10.31 <注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071031 【画像1】 台風一過・東京の風景、ア・ラ・カルト(上野、日本橋、銀座/撮影、2007年10月28日) [f:id:toxandoria:20071031121442j:image]ほか 【画像2】 秋が深まる、仙台近郊の風景(撮影、2007年10月31日) [f:id:toxandoria:20071031122240j:image]ほか ・・・・・以上の画像【1、2】は、当記事の内容と直接の関係はありません。 【画像3】連想、セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」と「リスクコミュニケーションの重要性」 セザンヌ4つの魅力「人物・静物・風景・水浴」を特別展示中のブリヂストン美術館 (撮影、2007年10月28日) [f:id:toxandoria:20071031124036j:image] セザンヌ『サント・ヴィクトワール山とシャトーノワール』 [f:id:toxandoria:20071031125700j:image] Paul Cezanne 『Mont Sainte-Victoire et le Chateau Noir』 1904 - 06 65,4 x 81 cm oil on canvas Bridgestone Museum of Art 、 Tokyo ・・・南フランス、エクス・アン・プロヴァンス出身の後期印象派の画家セザンヌ(Paul Cezanne/1839-1906)は、その画家としての生涯をとおして故郷の山であるサント=ヴィクトワール山を描き続けました。この山の名であるサント・ヴィクトワールは「聖なる勝利」という意味です。つまり、ここは紀元前にローマの将軍がゲルマン人を撃退した記念すべき場所だということになっています。 ・・・パリに出てピサロ(Camille Pissarro/1831-1903/印象派の画家たちの中で最年長者)と知り合うなど、印象派の画家たちと早くから交わったセザンヌですが、その生涯の殆どは一般の観衆からなかなか理解されないものでした。しかし、1896年(58歳)頃から漸くフランスの内外で認められるようになります。 ・・・そして、1904年にはサロン・ドートンヌ(Salon d'Automne/“ 秋の展覧会”の意味/元来、サロンはルーブル美術館のサロン・カレ(方形の間)で行なわれた展示会のことであった/1881年に民間の組織となり、それ以降は様々なサロンが設立されるようになり、その代表的な存在がサロン・ドートンヌ/F・ジュールダンを中心とし、H・マティス、G・ルオー、A・マルケ、E・ヴュイヤールらによって創立)にセザンヌの作品の特別展示室が設けられ、漸く66歳の最晩年でセザンヌは人生の勝利の時を迎えます。 ・・・印象派の過剰な分析的傾向と色彩の分解に反抗して、ひたすら堅牢な画面の構成に取り組んだセザンヌは、自らを「新しい絵画の道の創始者・プリミティーヴ」と見なしていました。“私は印象派を美術館の芸術のように堅牢で永続的なものにしたい”というセザンヌの言葉が残されています。 ・・・・・・・・・・ ・・・以下は、[007-08-01付toxandoriaの日記/2007年春、ドイツ旅行の印象[ハイデルベルク編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070801/(プロローグ)「原発の未来」に必須の「環境リスク・コミュニケーション」の視点]からの部分転載です・・・ 『 これは日本に限ること(青森県・六ヶ所村など)ではありませんが、原発・放射性廃棄物最終処分場及び核燃料再処理工場などが豊かな自然環境に恵まれた風光明媚な場所、あるいは歴史的に重要な場所に所在(または隣接)する傾向があります。例えばドイツのハイデルベルクへ向かう車窓から遠望したフィリップスブルク(Philippsburg、http://philippsburg.inmeco.de/)の原子力発電所(1、2号機/共に旧型原発なので段階的廃止計画に従い、1号機→2号機の順で間もなく停止する予定)は下図のとおり、ハイデルブルクから38km、シュパイヤー(Speyer/古代ローマ時代いらいの歴史的古都)から24km、カールスルーエ(Karlsruhe/ドイツにおける自由主義的改革の先進地で、連邦憲法裁判所と連邦裁判所が立地)から36kmの距離にあります。 フィリップスブルクの原発[f:id:toxandoria:20070801131456j:image]http://www.nuclear-free.com/thomas/phillipsburg.htmより フィリップスブルク(Philippsburg)の位置(ウイキメディアより) [f:id:toxandoria:20070801131550j:image][f:id:toxandoria:20070801131640j:image] フランスでも事情は同じで、例えば1994年の閉鎖後も周辺の環境汚染問題が懸念されている「ラマンシュ核廃棄物貯蔵センター(La Manche CSM)」は、イギリス海峡に面したノルマンディー地方のコタンタン半島(Cotentin Pen.)の北側の内陸に近い部分にあるカン(Caen/ノルマン・コンクエスト(1066)で名高いウイリアム征服王に始まる古都)の郊外にありますが、そこから50km圏内(直線距離)には同じく百年戦争(1338-1453)の事跡で歴史的な価値が大きいバイユー(Bayeux/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050306)、ルアーブル(Le Havre/セーヌ川の河口にある大貿易港/画家モネが活躍した場所)などの都市が点在します。また、コタンタン半島の先端にはカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画『シェルブールの雨傘』で知られる美しい港町・シェルブール(Cherbourg)があります。 また、仏原子力省・カダラッシュ(Cadarache)研究センターとMOX燃料工場(AREVA社、http://www.us.areva-nc.com/Profile/profile.html/使用済核燃料から猛毒のウラン・プルトニウム混合酸化物(=原発用燃料、Mixed Oxide)を製造する工場)は南フランスのラ・アーグ(La Hague)にあり、その約50〜100km圏にはエクス・アン・プロバンス(Aix-en Province/画家セザンヌの連作・画題、石灰質の岩山サント・ビクトアール山などに因む美しい古都)、マルセイユ(Marsille/地中海に臨み、フランス革命で重要な働きをしたフランス第二の都市/古代ローマ時代いらの歴史・港湾都市)、風光明媚なリゾート海岸・コートダジュール(Cote d'Azur)などがあります。 これら各国の事情は、本源的なリスクが指摘される原発・核燃料施設を我われの貴重な歴史と自然環境から全く隔絶した場所に設置することができないことを意味しており、逆に言えば、もはや我われ一般国民はこれら原子力関連の施設設置・立地の問題を他人事として見過ごすことができないということです。それは、恰も、グローバル市場経済時代(=地球環境・地球資源危機の時代)に生きる我われが民主主義社会の持続的な発展のために「中間層没落のリスク」という現実を直視しなければならないという厳しい現実に重なるようです(この問題の重要性については、下記記事★を参照)。 ★『中間層の確保=民主主義の根本』を自覚できない日本政治と市民意識の貧困(ポスト参院選にも引き続く日本の危機)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070715 ★同上、Appendix、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070720 ドイツは、国内発電量の3割弱を原子力発電に頼っていますが、1998年に成立した「社会民主党(SPD)」と「緑の党」の連立政権は、その公約に従って脱原子力政策(原発の段階的廃止)に取り組んできました。その背景には、当時の世論調査では原発を危険と見做すドイツ国民の割合が約8割に達したという現実があります。しかし、2005年9月の総選挙の結果を受け、「キリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟(CDU・CSU)」と「社会民主党(SPD)」の大連立で成立した新政権は、ドイツ初の女性首相(メルケル/CDU)の下で、経済政策ではSPDが大きな影響力を持つ体制で出発しながらも原子力ルネサンス(原子力政策の見直し)の可能性が出てきたとされています。が、ことはそう単純に進みそうもありません。それは、連立相手である「社会民主党(SPD)」及び「緑の党」などが原子力ルネサンスに反対しているからです。 一方、電力の約8割を原発に依存するフランスの事情は第二次世界大戦後の敗戦国ドイツとは異なります。フランスの電力事情が原発利用へ極端に傾斜するようになった契機は、1970年代のエネルギー危機です。しかし、それだけではなく、第二次世界大戦後のフランスが国家戦略として核戦力を保持しつつ米ソの二大国に次ぐ第三勢力となることを目指してきた点にこそ、現実的な契機があります。そして、ウラン濃縮及びプルトニウム関連の技術が核戦力の保持能力と通底していることは周知のとおりです。つまり、世界第一級の原子力利用国になることは、核戦力も保持するフランスの原子力大国としての国家威信がかかってきたという現実がある訳です。 それはともかくとして、そのフランスが今や最も腐心しているのが「高レベル放射性廃棄物の最終処分場の確保」と「次世代型の原子力発電技術の開発」ということです。なぜならば、この二点のリスクの大きさについてフランス国民の議論が今や二分されつつあるからです。つまり、今までどおり国家の威信をかけた原子力政策について国民の信任を確保するには、多くのフランス国民からこの二点について十分な理解を得る必要がある訳です。しかも、そこには表記のとおりの「ドイツにおける特殊事情」(原発の段階的廃止か、原子力利用ルネサンスかについての国民的議論)が、EU(欧州連合)の結束とグローバリズム市場経済という共通フレーム(=一心同体化しつつある市場経済の枠組み)を介して徐々に影響を与えてくるはずです。 このため、フランスでは、より広い観点から、これからの原子力利用の問題を「環境リスク・コミュニケーション」という概念によって政府・行政・研究者・企業・一般国民が関連する情報を共有し、スムースに相互理解できるようにするための制度化についての議論が進められています(参照、http://e-public.nttdata.co.jp/f/repo/402_e0608/e0608.aspx)。また、以前から、フランスでも「緑の党」や中立的な評価機関の役割が重視され、それが政府によって公認されてきています。例えば、原子力利用についての中立的な評価機関(NGO)であるACRO(Association pour le Controle de la Radioactivite de l'Ouest 、http://www.acro.eu.org/accueil.html)は、1994年に閉鎖された「ラマンシュ核廃棄物貯蔵センター(CSM)」の調査のためにフランス政府が組織したCSM調査委員のメンバーに任命され、その調査結果を情報開示しています。 残念ながら、このような独・仏の現況とわが国の原子力を巡る事情は、本質的なあり方そのものの次元への理解がかなり異なるようです。例えば、日米英仏などが2001年に結成した「第4世代国際フォーラム」(http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2001/siryo55/siryo2_2.htm)は、「第4世代原子炉(GEN-4)」として超臨海圧軽水冷却炉、ナトリウム冷却高速炉、トリウム溶融塩炉など6つの概念(今回の地震で大きな被害を受けた東電柏崎刈羽原発は第3世代の改良型軽水炉)を選定していますが、今になって、これらの中でかなり有望視されているトリウム溶融塩炉(この関連の研究業績を積み重ねてきたのが日本の古川和男・博士/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060720)の積極推進論への提言(1980年代において、同実験炉等による基礎データ・実証研究について関係科学者・財界人などが出した要望)が、一種の政治的・権力的バイアスで殆ど一般国民の知るよしもないまま雲散霧消させられた(闇に葬られた?)という現実があるようです。 周知のとおり、1940年代におけるアメリカの「マンハッタン計画」(枢軸国の原爆開発に焦ったアメリカが原爆開発・製造のため亡命ユダヤ人らを中心とする科学者、技術者を総動員した国家計画)は、一般的な意味で科学者の立場を政府の下請機関と化すことになる歴史的契機であったと見做されています。ズバリ言えば、この時から大方の従順な科学者たちは“国家(政府)の下請け機関”(グッド・シェパード?/この詳細は後述)と化してしまった訳です。特に日本の場合は、旧・日米原子力利用協定(1968〜 )及び新・日米原子力協定(1982〜 )の下での強い縛りということがあるようです。しかし、これからの日本では、例えばフランスの「環境リスク・コミュニケーション」のように“一般国民の立場(基本的人権と法の下の平等)へ十分に配慮”して、風通しがよい「コミュニケーション環境」を創ることが大切です。無論、それを支えるのは中立的で科学的な評価、情報公開などの公正原則であり、ゆめゆめ政治的バイアスなど権力的立場や偏向・屈折した観点によって科学的真理と客観データが捻じ曲げられるようなことがあってはなりません。 もし、今のグローバリズム時代を肯定的に見做すならば、それは、地球上の人類は否応なく限られた地球の環境・資源の中で生きざるを得ない運命共同体の一員であることが、漸く、世界中の人々によってリアルに認識される時代に入ったということです。これは恰も、「ワイマール憲法」(1919)で書かれた先鋭的な民主主義の理念が30年の時間と多くの悲惨な犠牲を費やして「ドイツ連邦共和国基本法」(1949)としてやっとのことで結実し、更に、それから約70年の歳月を経て、それが今まさに「EU改憲条約」の形で、民主主義を支える「中間層の没落と格差拡大」を防ぐべきだという意思(=グローバル市場原理主義の負の側面である右翼ポピュリズムの台頭を抑制すべきだという知見)が全ヨーロッパで共有されつつあるという歴史の流れに重なります。つまり、「ワイマールの理想」は、人命等の膨大な犠牲と100年の時間を費やして、今や世界の人々に漸く認識されようとしている訳です。 見方を変えれば、これは、今の時代になって漸く「劣等処遇の原則」の誤謬が多くの人々によってリアルに共通認識されつつあるのだということでもあります。まことに皮肉なことですが、グローバル市場原理主義の深化がもたらした<極端な格差拡大>によって、我われは漸く「劣等処遇の原則」の誤謬がリアルに認識できるようになったということです。因みに、「劣等処遇の原則」とは、1834年の英国「救貧法」(及び1848年の同「改正・救貧法」)で定められた“福祉サービス利用者の生活レベルは自活可能な勤労者の平均的生活水準よりも絶対的に低くなければはならない”という、18〜19世紀における救貧事業上の原則を再確認したものです。これは、よく考えてみれば<驚くべきほど単純で明快な差別概念>であることが分かるはずです。このような誤謬への否定的理念(=基本的人権、法の下の平等/日本国憲法では第11条、第14条)が、形だけにせよ漸く実現したのがワイマール憲法においてです。 しかしながら、実は原子力利用についての情報を隠蔽したり、政治的バイアスで関連する科学的真理を捻じ曲げたりすることは、国民の中における特定の利益享受者と不特定多数の被害者(または不利益者)の存在という<人為的な格差発生>の現実を無視し続けることに他なりません。つまり、それは<立場の違いによる、原子力利用の利益享受に関する深刻な格差拡大(=極端な意図的差別の発生)>を無視するということです。また、特に忘れるべきでないのは、今さら言うまでもないことですが原子力利用には絶えず大きなリスク(地震・事故等による放射線及び毒性拡散の被害、同じく地球環境汚染の拡散、ゲリラやテロのターゲット化、核兵器拡散など)が付き纏うということです。 そして、リスク管理の問題については、十分に実証科学的・合理技術的な立場から様々な優れた知見が提起されつつあるようですが、最も肝心なことは素朴な「ヒューマン・エラー」を回避するために政府・行政・研究者・企業・一般国民が情報を共有し、コミュニケーションを深めつつ相互の信頼感を高める工夫を永続的に進めることです。このような意味で、わが国は、本格的にグローバリズムが深化する時代を見据えた「EUにおける原子力利用の動向」と「フランスの環境リスク・コミュニケーション」の事例を真剣に学ぶ必要があると思われます。なぜならば、『<果てしない危機の海の航海>で忘れてならないのは人的なリスク恒常性の問題』、つまりヒューマン・エラーの問題であるからです。しかも、ヒューマン・エラーを最も有効に回避する究極の方法は<双方向コミュニケーション>以外に見当たらないからです。 』 ・・・・・・・・・・ 約11年以上も前からゴルフ&飲食接待を受け続けてきたとされる、渦中の『軍需・防衛ビジネス“偽装はげ落ち事件”(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071024)』)の立役者である守屋・元防衛次官の周辺には、さしずめ悪性の雑菌に侵されて本来の商品価値を失った“古漬け沢あん”か“クサヤの干物”のように一種独特で、そして非常におぞましく不快で吐き気を催すような腐敗臭が漂っています。それは守屋・元防衛次官、宮崎(日本ミライズ社長、山田洋行・元専務)両氏と日本政界・防衛族の腹黒い政治家たち、および米ゼネラル・エレクトリック(GE)社幹部、リチャード・アーミテージ元国務副長官ら米国側との深い繋がりが垣間見え始めたことにもよります。 例えば、このことについて、2007年10月30日付の東京新聞は社説『前次官喚問、何を守っているのか』で、イラク作戦に従事した米空母への燃料流用疑惑で守屋・前次官が米国側へ一連の疑惑を否定するように働きかけたため米側が目的外に使用していないとの文書を送付してきた経緯が明らかになったこと、つまり日米政府間での阿吽の呼吸による口裏合わせ工作の疑いがあることを取り上げています(参照、http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007103002060370.html)。 これに輪をかける様に怪しげなのが、昨日、急に非公開で行われた福田・小沢党首会談です。やはり、この『軍需・防衛ビジネス“偽装はげ落ち事件”』の波紋を<一定の防波堤>の前で終息させる(=与野党に跨る政治決着的な握りつぶし工作による/PCI(“パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル)の遺棄兵器処理(於、中国)関連の特別背任事件”と“山田洋行→民主党・小沢代表への献金問題”のバーター等が推測される)ことになる可能性があるようです。そして、そもそも防衛族議員のサークルが自民・民主両党の中へ深く浸透している現実を直視するならば、このことは何ら不思議なことではありません。そして、何事につけ、この国では『国益』(その実像は私益を偽装するための日米・軍政官財の有志連合(coalition)≒不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom))なる“錦の御旗”の下で沈黙を守るという不文律があったことを思い出させられます。 ついでながら、この『不可思議な国益』(≒そもそも神が武力(戦争)で世界へ民主主義を普及させるためにアメリカを建国したというカルト的な特異な観念/分かりやすく言うなら、私益擁護のための、ご都合主義的な屁理屈)の問題を根底から考えさせるための教材のような映画が公開されているので、下にご案内しておきます。 映画『グッド・シェパード/THE GOOD SHEPHERD』(公式HP → http://www.goodshepherd.jp/ 有楽町・日劇1ほか、ロードショー上映中) [f:id:toxandoria:20071031130618j:image] ・・・THE GOOD SHEPHERDの原義は聖書に登場する「良き羊飼い」ですが、この映画では「善良な番犬(飼い犬)」に読み替えた方が分かり易いような気がします。それはともかく、この映画は1961年4月17日に起こったキューバ革命を転覆するためのCIAの工作が失敗した事件「ビッグス湾事件(参照、http://www.maedafamily.com/kanren/pigsbay.htm)」の“真相の解明”と”CIA創設史のエピソード”をダブらせた物語で、『ゴッド・ファザー』、『ディア・ハンター』の名優ロバート・デ・ニーロが13年ぶりに監督した映画です。デ・ニーロ自身も重要な役割で出ていますが、主演はマット・ディモンとアンジョリーナ・ジョリーです。 ・・・近年の歴史研究では、1963年11月の「ケネディ暗殺(於、ダラス)」に対するCIAの関与説(キューバ侵攻作戦に失敗したCIAを解体しようとしたためとされる)が強くなっているようですが、この映画『グッド・シェパード』では、その伏線になるような秘話がドキュメンタリー・タッチで描かれます。また、アメリカ政界のエリート(特に、今のブッシュに繋がるイエール大学系)に影響を与え続けるカルト集団(スカル・アンド・ボーンズ/髑髏と骨/参照、http://www.yorozubp.com/0403/040305.htm)や大統領以上の権力を操るCIAの実像などが淡々と描かれています。 ・・・この映画からヒントを得たことでもありますが、アメリカの<サブライム・ローン問題>と<渦中の防衛疑獄>(政治的意図と圧力の下で、守屋・元防衛省次官の個人的な倫理違反問題に矮小化されつつある)には、“賭博経済化&軍需経済化”という、現代世界における「米国が感染源で金融・経済・軍需が賭博化しつつ癒着するという重篤な病巣」の影が映っています。しかし、長くなりすぎるので、この問題についての分析は次回の記事へ譲ります。 ・・・ただ、少しだけ予告的にこの問題に触れておくならば、それは、新自由主義思想に基づくグローバル市場原理主義が、文化基盤活動・余暇活動・医療・健康・福祉・教育・生涯学習・国家安全保障など、今までは市場経済の範疇と考えられてこなかった謂わば「中立的な公」がもっぱら責任を負うべきフィールドへ巧妙に侵食してきたということです。実は、このようなグローバリズムの現実こそが<サブプライム・ローン問題をもたらす賭博経済化>と<国民の主権と生存権を侵犯するようなオゾマシイ防衛疑獄をもたらす軍需経済化>の接点であり、米国のCIA・国務省・国防総省などがその接着剤の役割を積極的に果たしてきたと見なすことが可能なのです。 ・・・序ながら、既述の「リスクコミュニケーションの重要性」で考えた“果てしない危機の海の航海”で忘れてならないことは、やはり“人的なリスク恒常性”の問題です。つまり、それは古典的なヒューマン・エラーの問題であり、そのエラーを最も有効に回避する究極の方法は“双方向コミュニケーション”(=国民・市民意識の向上とメディアの自覚)以外に見当たらないのです。それは、ソックリそのまま、守屋・元防衛次官の汚職問題(個人的な倫理逸脱問題)へ矮小化されようとしている悪臭ふんぷんたる疑獄事件の再発防止のための教訓にもなるはずです。 |