完全を求めるということは、人間の成長過程において自然な考え方である。現状に満足してしまったら生活に色彩が欠けてしまうし、社会も進歩しない。そのため、昔から現在に至るまで、ものごとを完全無欠に行うために全力で努力するというすばらしい生き方は、権力者からも高く評価されてきた。
だが心理学者たちは、極端な完璧を求める人々は一種の心理的脅迫症にかかっていると鋭く指摘する。彼らは往々にして、ものごとの細かい部分を重視しすぎて全体を見ることを忘れ、古いやり方に固執して優柔不断になり、突然のできごとに対応することができなくなる。彼らには、どんな状況にも適応するという知恵が足りず、長い間、緊張と焦りの状態に置かれる。特に他者への寛容な気持ちに欠け、他人の欠点を指摘し、人間関係も損ねてしまう。彼らの生活は次第に息も絶え絶えのものになり、多くの人がこだわりを捨てられずに極端な方向に走ってしまう。
先日、偶然ネット上で日本版ウィキペディアの編集方針を読んだところ、非常に大胆なことが書いてあった。「決して、これらの様々な基準を全て満たすように頑張らなければならないと考えているわけではありません。完璧な記事は、観念的な理想であり、人間には書けません。完璧にはほど遠い記事であっても、ウィキペディアに投稿することは非常に重要です。しかし、様々な方法で完璧でない記事を改善することができるということも忘れてはいけません。」
ご存知のように、ウィキペディアは世界中の人々が協力して編集する開放式のネットコミュニティであり、斬新なネットワークメディア発信モデルである。この草の根メディアには35万人が積極的に関わっており、誰でも自由に参加して、どのテーマについても定義や背景の説明や、文字の間違いの修正などを行うことができる。こうした参加者たちの自発的な行動によって、ウィキペディアの大きな影響力が作り出されている。だが、もう一つ、さらに重要な要素があるようだ。それは、彼らが完璧を追い求めていないということである。
知識の海は茫漠として果てしない。人の人生は短くて限りがある。絶対的な完璧は、求めても得られない「円周率」のようなものだ。この世界には完璧な人間も完璧なものごともない。誰もがもっと寛容になり、他人に完璧を求めすぎることなく、自分の完璧も求めすぎないことが大切だと思う。平常心を永遠に持ち続けることこそ、真に完璧な心境ではないだろうか。 |