先週の土曜日(9月8日)、このメルマガでも紹介したことのある国立公園である鳥取砂丘の一番高いところの尾根の斜面に、幅15メートル、長さ50メートルの「HUCK」という文字の落書きが現れた。調査の結果、これは名古屋大学の学生グループが足で掘って作った「傑作」であることがわかった。「HUCK」とは、彼らのグループの名前だそうだ。彼らは自然の景観を軽率に壊しただけでなく、自分たちのホームページに落書きの「壮挙」を得意になって公開していた。
似たような話だが、今年7月にavexの人気グループ「AAA」のメンバーがアメリカ訪問の際に、自然保護区の岩の上にスプレーで「JPN AAA 2007」という落書きをして、オフィシャルブログに堂々とそれを披露し、多くの人を憤慨させた。アメリカ側からは、このようなコメントがあった。「Do not condone this type of activity by referring to these vandals as “artists”」(これらの情けない破壊者を「アーティスト」と呼ぶような行動は許せない)
「落書き」というものは、元々は教科書の隅や鉄道のガード下、トイレの個室などでよく見られるいたずら書きを指す。心の深いところから出た叫びや発散の言葉であるため、特定の隠された空間であることが多く、プライベートな色彩の強い行為である。そこに表されるのは、単なる焦燥や不安、つまらない冗談、あるいは激しい反逆心の発露であるから、多くの「落書き」は曖昧で筋道が通っていない。
こうした個人的な行動を「私」的空間から持ち出して、公共建築や自然の景観に対する汚染に拡大すると、社会的公害になる。都市や自然のあちこちを、当たり前のように「落書き」のプライベートな空間のようにしてしまうこのような無責任な行為は、我々の子孫に傷だらけの地球を残すことと同じように、間違いなく人類の未来に対する冒涜である。
それゆえ、名所旧跡に名前を残したり、街に卑猥な言葉や暴力的な言葉を書いたりする「落書き」行為は、心ある人々から軽蔑され、責められるべきものだと思う。一方、社会に対して無害な「落書き」行為、例えば、開放されたアート空間に独自の創作を行ったり、「ニコニコ動画」などにコメントを書いたりするのは、上記のような破壊行為とは異なり、差しさわりのない遊びであり、ある意味でのアートと考えることができるだろう。 |