|
[民主主義の危機]日「世襲政治家の繁殖・跋扈」と英「貴族院改革」に見る民度格差の拡大 2007.6.22 ■[民主主義の危機]日「世襲政治家の繁殖・跋扈」と英「貴族院改革」に見える民度格差の増大 <注記1>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070622 [f:id:toxandoria:20070619151153j:image][f:id:toxandoria:20070619151232j:image]ビッグベン、英国議会議事堂の風景(ウイキメディアより) <注記2> 当記事は、いったん別板で[増殖する『寄生&芸能政治家』と縮小する『日本国民の権利』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070619]でアップしたものです。しかし、その後、加筆(内容の一〜二割程度)の必要が生じたため、改題して再アップしておきます。 ●一般国民の“図抜けた善良さ”と“驚異的な健忘症ぶり”こそが、日本の民主主義を退行・逆行・退化させる元凶ではないかと思っています。それに、自分の国の歴史を冷静に正しく受け止め、一定の“民主主義にかかわる根本理念”の上に思考プロセスと多様な政策を構築することが日本人は相変わらず苦手のようです。 ●このため、“日本国に寄生する美しいアベ将軍さま”は<美しい国へのシナリオ>なる『選挙対策用・先送り型処方箋』(“骨太の方針”ならぬ“骨抜き&中身カラッポの方針”?)と『国会における強行採決』を武器にハチャメチャな暴走ぶりを見せつけています。また、国民の意志や支持率低下には一喜一憂せずをモットーに、ともかくも“善良な国民へは開き直るが勝ち、大方の“国民は重篤な健忘症”なので時間稼ぎが唯一のクスリ”だとでも言わんばかりの傍若無人ぶりです。 ●“美しい国”でこのような暴政が起こる根本を見直すため、近・現代民主主義の鑑(手本)となった英国の「上院(貴族院)改革」の現状と意義を整理し、“美しい国”における民主主義の危機の根本と考えられる「世襲政治家の増殖」の問題をクローズアップしてみました。 ・・・・・・・・・・ [プロローグ] 朝日新聞が行った全国世論調査『政党と政治』(期間:4〜5月、対象:3千人、郵送方式、回答率72%/2007.6.18付・同紙朝刊で発表)によると、次のような結果が出ています。この調査は、郵送方式で行われもので回答率(72%)が高いこと、および松岡大臣の自殺・消えた年金・コムスンなどの政権の責任にかかわる類の異常な問題が突発・発覚する前に行われたものなので信頼性が高いと思われます。 ●今の政党が期待される<役割を果たしていない>と見る人 → 83% ●政治は<仕事や生活と切り離せないもの>と見る人 → 62% ●政治に<興味がある>人 → 82% ●今の政治は<ワイドショー政治だ>と見る人 → 54% ●今の政治家は<言葉を大切にしていない>とみる人 → 80% ●今の政治家は<パフオーマンスに力を入れる傾向がある>と見る人 → 56% 政治的な立場を説明する言葉として・・・・・ ●<(右VS左)、(ハト派VSタカ派)、(抵抗勢力VS改革派)は、いずれも適切でない>と見る人 → 6〜7割 ここで最も目を引くのが『今の政党が期待される<役割を果たしていない>と見る人 → 83%』、『今の政治家は<パフオーマンスに力を入れる傾向がある>と見る人 → 56%』、『<(右VS左)、(ハト派VSタカ派)、(抵抗勢力VS改革派)は、いずれも適切でない>と見る人 → 6〜7割』の部分です。つまり、日本国民は政党(≒国会議員)の質的な低下と彼らの軽薄な行動、および倫理的な欠陥に飽きあきしていることが分かります。しかも彼らが相変わらず軽挙妄動的にパフオーマンスを繰り返すことに怒っているようです。 もはや、小泉劇場のような<オレオレ詐欺・美人局・ヤラセ・大道芸人・ヤクザ・ゴロツキ的な三文政治ショー>に対しては流石に日本国民の多くが胡散臭さを感じ始めたようです。つまり、松岡大臣の自殺・消えた年金・コムスンなど政権の責任に直結する類の異常な問題が立て続けに起こる前から、既に、国民は日本の『政党、政治、政治家』が信用できなくなっていたということです。しかし、問題は国民一般の思いが未だにそのレベルに止まることです。ひたすら自分の国の政治が信用できないという思いのレベルに止まるばかりでは、余りにも日本は不幸です。もう一歩踏み込んで、このような日本政治の停滞・混迷・凋落へのベクトルを打破する方向へ考えを及ぼすべきだと思われます。 そこで(この調査の結果からは、根本的な日本の政治のあり方について様々な課題が見えてくると思われますが)、ここでは主に<日本政治の寄生化の問題>に焦点を当てて少々深堀りをしてみます。この<日本政治の寄生化の問題>とは、より具体的に言えば<日本では今や寄生的な政治家が増大しつつあることにより国民の権利が減少する一方で、見かけ上・名目上の小さな政府への改革とは裏腹に、否応なしに暴政的な国家権力が増大しつつある>ということです。そして、このような傾向は、少なくとも先進民主主義国家の中では異常な流れであり、大変恥ずべきであることを意識しなければならないと思われます。それは、日本国民の多くが自らの民度の低さに甘んじていることになるからです。 例えば、第二次大戦後の日本のみならず欧米諸国から政治の枠組みとしての<憲法と主権のかかわり方=議会制民主主義の運用形態>の手本と見做されてきた英国では、1990年代のメージャー政権(John Roy Major)頃から、「憲法改革プログラムの一環として」いわゆる「上院(貴族院)改革」が本格化してきました。ただ、下院で僅かに多数を取る立場であったたメージャー政権では本格的な改革が進まず、この動きが本格化し始めたのはブレア政権が選挙で圧勝した1997年の以降のことです。 そのブレアも、主に「ブッシュのイラク戦争への支持の誤り」が国民一般から批判される形で間もなく退陣します。しかし、今やこの「上院(貴族院)改革」の流れが後戻りすることはなさそうです。なぜならば、英国民の権利をより増大させるため、<世界中から民主主義の手本とされてきた英国に中世いらい巣食ってきた、政治の伝統であるとともに非効率な部分の改革>が、もはや後戻りできないことが、これまでの国民を巻き込んだ膨大な議論を通して殆ど全ての英国民によって理解されているからです。そして、上院の世襲貴族の数が大幅に減らされるとともに2009年には「連合王国最高裁判所」(Supreme Court of the United Kingdom)が設立され、上院の法官貴族(Law Lords)のいくつかの機能が、ここへ引き継がれることになっています。 注目すべきことは、『憲法ユニット』(The Constitutional Unit)代表のロンドン大学教授ロバート・ハーゼル氏(Robert Hazell)によれば、この英国の「上院(貴族院)改革」が理想とするのが<ドイツの第二院>だということです。つまり、英国でも、伝統に拘ることなく、少なくとも上院議員の一部は直接選挙で選ばれるべきで、また彼らは地方を代表すべきであり、その上院の最も重要な役割は授権規範的な観点から英国の憲法(コモンロー(common law)、つまり慣習・判例など統一的な意味での不文憲法が事実上の英国憲法)を守るため政府と第一院(下院)を監視することだというのです。現代ドイツの憲法と議会制などの先進的な意味については、今までも記事に書いてきましたが、直近のものは下記(★)を参照してください。 ★妄想&迷想、ドイツの青(Azur)と日本の青(青藍=Blue)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070503 ★“現実のドイツ”が見えない“美しい日本”の悲惨、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070614 <注>『憲法ユニット』(The Constitutional Unit) :憲法改革と比較憲法研究を行う独立した中立的団体(NPO)で、ロンドン大学公共政策大学院が中核となって国内外の研究者が幅広いネットワークを構成しており、最近の憲法改革(上院改革)についての提案分析などの活動に取り組んでいる。 [関連事項の整理] そこで、以下に関連事項の要点を整理しておきます。 1 英国における上院(貴族院/House of Lords)改革の現況 ●1999年のブレア政権下での「上院(貴族院)改革」によって、従来の1,330人から709人へ上院の議員数は約半減している(出典:英国・上院の改革/英国大使館資料、http://www.uknow.or.jp/be/s_topics/political/political03.htm) 一代貴族(592人)、世襲貴族(91人)、聖職貴族(主教)(26人) ●一代貴族は、上院の任命委員会または政党党首の推薦で決まるが最終的な決定権は首相にある。聖職貴族はカンタベリーとヨークの大主教ならびに、その他の主教のことである。 ●この上院の中には、12名の法官貴族(=法服貴族/常任上訴貴族/非世襲・勅任)が存在し、英国の司法権の頂点に立つ最高裁判所の機能を持っている。法官貴族のほかに大法官も審理に加わる資格があるが、大法官は首相の下に立つ閣僚であるため党派的偏向を避ける意味もあって審理参加を放棄する旨を表明することになっている。 ●この12名の法官貴族(上院議員)を除き、その他の上院(貴族院)議員は無給であり、歳費の支出は伴わない。 ●2007年3月7日、ブレア政権下で貴族院に選挙制導入を求める決議案が下院(庶民院)で可決され、数年のうちに全議員もしくは大半の議員が選挙で選ばれた者によって構成される見通しが出てきている。 ●(既述のとおり)2009年には「連合王国最高裁判所」(Supreme Court of the United Kingdom)が設立され、上院の法官貴族(Law Lords)のいくつかの機能が、ここへ引き継がれることになっている。 2 英国における“コモンローの意義”と“貴族院改革の意義” 出典:表記のロンドン大学教授ロバート・ハーゼル氏(Robert Hazell)による、http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/gse/gse_chosa14.htm (コモンローの意義/英国が成文憲法を持たぬ理由) ●英国は、イスラエル・ニュージーランドとともに世界で三つしかない成文憲法を持たない国である。その理由は英国が文字通りの「名誉革命」の国だからである。 ●英国で成文憲法が作られず、「コモンロー(慣習法)および判例等=不文の英国憲法」となっているのは、英国が1066年の「ノルマン・コンクエスト/Norman Conquest」以降の長きにわたり王国を廃止した歴史を持たないことによる。 <toxandoria注記> 一般的な常識では市民革命の歴史は17世紀のイギリスに始まると理解されているが、英国と仏・米の市民革命は根本的に異なる。つまり、英国は形式的にせよ革命によっても王国(United Kingdom)を放棄していない、そこでは国王と主権者たる国民(市民)の双方の名誉が保全されている。 ●成文憲法は次の四つの場合に制定される。 (1)革命による王制の打倒・廃棄・・・米・仏 (2)戦争における敗北・・・ドイツ・日本 (3)植民地支配からの独立・・・アフリカ・アジア・中南米諸国など (4)前政権(政治体制)の崩壊・・・旧ソ連諸国、南ア共和国 ●ただ、英国の憲法は「不文憲法」と呼ばれながらも、現実的にはその殆どが文書になっており、「憲法」として一つの文書になっていないだけである。例えば、それは「イングランド・スコットランド連合法」、「議会法」、「人権法」などの形で実質的に文章化されている。 (貴族院改革の意義) ●12名の法官貴族(上院議員)を除き、その他の上院(貴族院)議員は無給であり、歳費の支出は伴わないことから明らかなように、政治にかかわる冗費の節約が貴族院改革の目的ではない。 <toxandoria注記> 「名誉革命」の伝統を尊ぶ英国は、これからも「国民(市民)主権のUnited Kingdom」であり続けるが、貴族院改革の目的は、名目だけでその殆どが形骸化していた“中世の残滓”(=無用な形式部分)を一掃して英国の民主主義政治が、より一層、国民一般の内実の役に立つものとなるようにすることにある。 この観点からすれば、日本の安倍政権が掲げる“戦後レジームからの脱却”(→目指すは第二次世界大戦前の戦前・戦中型レジーム=王制復古型の外見的立憲君主制:「価値観外交を推進する議員の会」(古屋会長、中山顧問、http://www.asahi.com/politics/update/0518/TKY200705170380.html、http://d.hatena.ne.jp/kechack/20070520/p1らの支援による)という摩訶不思議な考え方は、英国民にとっては、とても理解し難いものであろう。 3 英国の上院(貴族院)改革が目指す方向 ●先ず英国が学んだのは、カナダ・ニュージーランド・香港などの伝統のコモンロー体系の下で「人権憲章」を導入した「人権法」についての考え方である。 ●地方分権については、オーストラリア・カナダ・スペイン・ドイツなどから多くを学んでおり、特にドイツの第二院(連邦参議院)を擁するドイツ連邦議会のあり方が重要と考えられている(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070503)。 ●これらを参考としつつ、新しい「英国の第二院」は、一部が政党の指名者、一部が選挙で選ばれた議員から構成され、その第二院の全体は英国の各地域を代表すべきだと考えられている。そして、この第二院の最も重要な役割は<暴走を防ぐための政権への監視と憲法を守る機能>である。 4 日本の世襲議員の実態 ●<日本の世襲議員>の実態は<英国の世襲貴族議員>の問題より遥かに深刻であると見做すことができる。なぜなら、英国と異なり、<日本の世襲議員>には莫大な金額の歳費が伴っており、しかも彼らの<世襲>による弊害は政・官・財の閨閥・縁故・利害関係などを介したネットワークによって日本中の至るところに、まるで黴(カビ)の如く蔓延るばかりとなっているからである。そればかりか、彼らは自らが支える政権与党の暴政化へ手を貸している。 ●この流れからすれば、渦中の『コムスン問題(福祉・医療分野の劣化の象徴)、消えた年金、政治資金規制法改正、官製談合と公務員制度改革(天下り規制≒官邸へ権力を一極集中させることによる天下りの公認・合法化?)』などの裏側には、この<世襲議員>の問題が深く根を張っていることが理解できるはずである。従って、見かけばかりの上っ面な法整備を行っても、この<日本の世襲議員>による甚大な被害(=一般の日本国民・市民にとっての損失と不利益の発生)の元を断つことはできない。 ●直近の<日本の世襲議員数>について手持ちがないので、いささか古くなるが、小河達之氏(兵庫教育大学大学院・修士論文)による平成9年度のデータ(1997)および上田 哲氏のHPのデータ(2003)がネット上で公開されているので、その内容を以下に採録しておく(参照、http://nvc.halsnet.com/jhattori/rakusen/sesyuukenkyuu.htm、http://www.notnet.jp/data01index.htm)。 (世襲議員の割合) ◆小河達之氏のデータ(全議員での割合/1999) 自民(41.8%)、新進(20.4%)、民主(25.0%)、共産(3.8%)、社民(0.0%)、太陽(30.0%)、その他(37.5%) ◆上田 哲氏のデータ(衆議院での割合/2003) 自民(51.6%)、民主(27.3%)、公明(8.8%)、共産(22.2%)、社民(0.0%)、無所属(55.6%) ●この数字を前提とするならば、そして政権与党について見るならば、少なくとも<世襲議員の割合>は今や過半を遥かに超えていると思われる。なお、小河論文によると、「世襲・非世襲議員の平均年齢」については有意な差が見られないようである。 [エピローグ/予想される<日本の世襲議院>による弊害] 英国の「上院(貴族院)改革」が12名の法服貴族を除けば歳費を伴わぬ名目的・形式的な制度であることに比べると、<日本の世襲議員>の実態が、先ず国家予算の使い方の観点から見たときに如何に非効率であるかが想像できるはずです。しかし、問題はそれだけでなく『世襲=寄生化』による特異な弊害がありますが、この論点の詳細は下記の記事(★)を参照してください。 ★<寄生>住血吸虫が取り付いた美しい日本、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070609 歳費を伴う国会議員を中核として形成される政・官・財の閨閥・縁故・利害関係などを介した、時代錯誤的な<現代日本の寄生ネットワーク>が日本社会の至るところに、まるで黴(カビ)の如く蔓延り広がることの最も恐るべき弊害は、彼らの徒党集団的・仲間内的な利害関係意識の構築が肥大化してゆくことです。 恐らく、そこから芽生えるのは古代・中世の遺物のような、あるいは原始社会における血族単位の報復のように非現代的な“自力救済の方法”であるフェーデ(Fehde/殺人や経済・財産・利権的な損害に対する血讐に近い報復意識/参照、http://www.weblio.jp/content/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87)のように“古びた特異な感覚”です。例えば、松岡農水相の自殺事件の前後において、その身近な関係者の不可解な自殺が連続して発生していたという事実からは、恰も伏流水の如く流れている、このような意味でのおどろおどろしいダイナミズムの存在が想像されて身の毛が弥立ちます。 西洋史の流れの中では、裁判権を伴う王権または皇帝権が確立すると「神の名における平和」(=各種の平和令)の公布とともに「フェーデによる復讐やリンチ」が禁止されるようになり、究極的には、このような流れの先に「三権分立、法の支配の原則、司法権の独立、憲法の授権規範性」などの民主主義社会の大原則が次第に成立してくる訳です。例えば、神聖ローマ帝国では1495年8月7日に皇帝マクシミリアン1世(Maximilian 1/位1493-1519)が公布した「永久ラント平和令」(Landfriedensbewegung)によって、自力救済権としてのフェーデは完全に禁止されています。 日本では、その政治権力の中枢がいつまで経っても「世界標準の平和の意味」が理解できず、安倍政権による“戦後レジームからの脱却”のような不可解で捩れた“アナクロで病的な平和意識”が梅雨時の毒キノコのように次々と不気味に生えてくるのは、恐らくこのように<世襲・寄生化>した国会議員を中核とする極めてプライベート化した利害関係の隠れたネットワーク(&クラスター)の存在が影響しているのではないかと思われます。 因みに、「日本平和学会/The Peace Studies Association of Japan」(設立、1973年/参照、http://www.psaj.org/)によると、『これまで人類が考え出した平和の実現策』として、下記のとおり、10の累型が示されています。 (1)民主国家統一の強化 (2)集団安全保障 (3)世界政府論 (4)武力均衡論 (5)道義的アピール (6)平和教育 (7)心理的アプローチ (8)分配の平等 (9)官僚の監視 (10)軍縮 どれか一つによる、平和の実現は困難であるので、これらの努力目標を組み合わせることで世界平和の実現を目指すべきだというのが世界標準の平和についての考え方であり、この観点から見ても、徹底平和主義を根本に掲げる日本の「平和憲法」(≒一般国民が徹底平和主義の国家理念を第一位の重要な価値観として共有している現実)が図抜けて高く評価されていることは周知のとおりです。一方で、その日本の為政者たちが“戦後レジームからの脱却”というアナクロニズムを理想として標榜し、それを多くの日本国民が支持してきたことは驚くべき矛盾です。 先に述べたとおり「名誉革命の国」であり、そのうえ歴史的な意味で世界の民主主義の模範国でもある英国において、形骸化した「上院(貴族院)」を改革するための真摯な努力が積み重ねられているときに、世界に冠たる「平和憲法」を掲げる日本(美しい国?)の現政権が、まるでフェーデの時代へ先祖がえりでもするような“戦後レジームからの脱却”(=第二次世界大戦前の戦前・戦中型レジームへの復帰=王制復古型の外見的立憲君主制への復帰)に拘るのは余りにも異様でグロテスクで“美しさ”からは程遠い姿です。 そして、我われは、実はその根源にある病巣が増殖中の<世襲議員の数>であることに注目すべきです。この<世襲議員>に<ワイドショー型>または<芸能人型>の軽薄な国会議員が加わり、それらが相親和し増殖するばかりというのでは世界中のお笑い種です。それは、“美しい国”どころか『日本が民主主義をネタにした自虐的で軽佻浮薄なお笑い国家となる』ことを意味しており、天国のプラトンもビックリ!です。 ともかくも、今の傾向がこのまま続くならば、我が国では歳費(税金)の無駄遣いを伴う「世襲・寄生政治家」と「お笑い&芸能・スポーツ政治家」がますます蔓延る一方で、我われ「一般国民の権利」は甚だしく縮小し、我われ一般国民の人権と民主主義の根本が著しく蔑(ないがし)ろにされるばかりです。しかしながら、冒頭に掲げた、朝日新聞が行った全国世論調査『政党と政治』では『政治に<興味がある>人 → 82%』となっており、この辺には救いがありそうです。従って、民主主義と平和についてのマトモな考え方をどのように拡げてゆくべきか、どのように分かりやすく多くの人々へアピールできるかという点に日本の民主主義の改革への希望が残されており、それが日本の指導層・知識層およびメディアの重要な仕事です。 ・・・・・[2007-06-19付toxandoriaの日記、増殖する「寄生&芸能政治家」と縮小する「日本国民の権利」/http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070619]へのコメント&レスを以下に再録しておきます・・・・・ コメントを書く イオン 『Toxandria様 御無沙汰しております。イオンです。実はこの春に外国での生活をきりあげ帰国しました。今回の英国での上院議会の改革の記事、小 生が欧米の新聞の流し読みや、TVやラジオニュースの流し見・聴きでうっすら感じていた流れを見事に解説しておられ、感心致しました。 さて日本で の二世、三世議員の政治の私物化については小生も憂慮し、ここ数年「政治家のDNA」などの似非科学的言説、さらにはある政治家は「勝負師の血統」を持つ などと褒めそやす愚につかぬ論説が多かったのには閉口しておりました。また先の衆議院選挙時には政治の目的と本質とは何かという根本的議論もなく、やたら リーダーシップ論ばかりが一人歩きしていたのには驚倒する程でした。御説を少しもじればプラトンも孔子もファーラービーも空いた口が塞がらないと思います。 さて数ヶ月前、プラトンの『法律』に次のような一節を見つけ、現代日本の政治の有様を予言したかの感があり、慄然としたのを思い出します。少 し長いのですが引用させて下さい。(以下、プラトン『法律』森進一・池田美恵・加来彰俊訳、岩波文庫版、上巻pp.253-255より) 「支配権 が争奪の的になると、勝利者側は、国事を完全に手中におさめ、敗者自身はもとより、その子孫にすら、支配権をいささかなりとも分ち与えようとはしないこと です。…(中略)…わたしたちは今こう主張します、そのようなものはもとより国制ではないし、また、国家全体の公共のためを目的として制定されていない ような法律は、まことの法律ではない、と。さらに法律が、一部の人のために制定されるような場合、そうして一部の人は、党派的ではあっても市民ではなく、また彼らが主張するところの、彼らの正しさなるものは、空しい言葉にすぎないとも、主張します。…(中略)…さて、ふつう世間で支配者と呼ばれている人 を、わたしはここで「法律の従僕」と呼びましたが、…(中略)…国家の存亡は、なによりもまず、この点にかかっていると考えるからなのです。それというの も、法律が被支配者の地位に立ちm法律が主権をもたぬような国家、そういう国家にあっては、その滅亡は旦夕(たんせき)に迫っているものと、わたしは見な すのです。」 最近ニュースで見られるほぼ連日の国会での強行採決と会期延長、立憲主義の原則を無視した改憲論や手前勝手な解釈改憲論や、「私は今 や権力の頂点に立っている」など国会答弁で平気で発言する首相のことなど考えれば、全く脱帽の一文です。流石に大哲人の予見的洞察だとすることも出来ます が、祖国の有様に照らし合わせて、悔しくて仕方がありません。このプラトンの文章に見られる憲法感覚の萌芽を考えれば、日本の二世、三世(さらには四世 も!)議員たちは世界史の針を我等が祖国で2千年紀半近くも遅らせようとしているのかとさえ思われます。Toxandria様の一文「天国のプラトンも ビックリ!」にはこのようなプラトンの文章への知識と造詣が背景にあるのであろう、などと僭越にも考えております。 今後とも御健筆を期待しており ます。最近はサルコジ氏の与党一人勝ちが成らなかったフランス総選挙や、地域政党が議席を増やしたベルギー総選挙など、ヨーロッパの政治制度史、社会心性 史に該博な知識を持たれるToxandria様の鋭い分析と日本との比較が待たれる事件が多いように思われます。応援致しております。イオン拝』 (2007/06/21 00:53) イオン 『お騒がせしております。少し付け加えます。「さらには四世も!」のフレーズは最近、三世議員である有力政治家が増え、彼らの子女たちもやがてこのままで は政治の世界に入って行くのだろうとの予測をこめてのものです。また「法律が被支配者の地位に立ちm」のmは勿論はぶいてお読み下さい。冗長かつ乱筆乱文 で失礼申し上げました。イオン再拝』(2007/06/21 01:03) toxandoria 『イオンさま、コメントありがとうございます。 ご帰国されたばかりのようですが、さぞかし日本の“余りにも不可解な状況”(イギリスの成熟した民主主義と比べて)に驚かれたと思います。 こ こまで政権与党がらみの不祥事が次々と発覚して霞ヶ関辺りには暗い霧と闇が広がるばかりだというのに、“日本国に寄生する美しい将軍さま”は<美しい国へ のシナリオ>なる『選挙対策用・先送り型処方箋』(“骨太の方針”ならぬ“骨抜き&中身カラッポの方針”?)と『国会における強行採決』を武器に暴走しま くっています。 支持率低下などには一喜一憂せずをモットーに、ともかくも“善良な国民へは開き直るが勝ち、大方の“国民は重篤な健忘症”なので時間稼ぎが唯一のクスリ”だとでも言わんばかりの傍若無人ぶりです。 そ れに、今回の国会「会期延長」については“モノを計測するのに都合が悪いからとの理由で肝心のモノサシの方を改造してしまう”ような政治的犯罪行為(=独 裁政治)に等しい理不尽さを感じます。恐らく、ここまで“日本国に寄生する美しい将軍さま”から小バカにされても日本国民の多くは本気で怒らないのでしょ う。未だに3割程度もの内閣支持率があること自体が解せません。 一般国民の“底抜けの善良さ”と“図抜けた健忘症ぶり”こそが、日本の民主主義を退行・逆行・退化させる元凶ではないかと思っています。それに、ご指摘のプラトンのような一定の“確固たる理念”の上に思考プロセスを構築することが日本人は相変わらず苦手なようです。 ま すます世襲・寄生政治へ傾斜することの危うさについも、多くの日本国民は自覚が不足していると思います。他方、欧州の中でも個性的なコモンローの伝統の中 で「更に民主主義を成熟・深化させつつあるイギリス国民の“名誉”を重んずる民度の高さ」と圧倒的なサルコジ現象の中でさえ垣間見せてくれた「フランス国 民の精妙な政治的バランス感覚」は羨ましい限りです。 今後とも、どうぞよろしくお願いします。』(2007/06/21 22:38) |