|
[民主主義の危機]暴力的本性を直視する『平和主義』の意義 2007.5.31 (副題)『むき出しの暴力型政治化』する日本の危機 <注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070531 [f:id:toxandoria:20070531050043j:image] デューラー『1500年の自画像』Albrecht Duere(1471-1528)「Self-Portrait at 28」 1500 Oil on panel 67 x 49 cm Alte Pinakothek 、 Munich ドイツ・ルネサンス期最大の画家とされるアルブレヒト・デューラーは、当時のドイツでは最も人文主義的な雰囲気に満ちたニュルンベルク (Nuernberg/ドイツ南部、バイエルン州にある現在はドイツ第二の都市)で金細工師の子として生まれています。 1495年、第一回目のイタリア旅行では特にマンテーニャ(Andrea Mantegna/1431-1506/パドヴァ派の巨匠、イタリア・ルネサンス彫刻の巨匠ドナテッロの影響を受けた北イタリア初期ルネサンスの最も優れた画家の一人/意識的な遠近法の駆使と人間の肉体の解剖学的な構成を詳細に描写した)の芸術に感銘しました。 『1500年の自画像』は、その第一回目のイタリア旅行から帰り5年後に描かれたデューラーが28歳の時の作品ですが、ヨーロッパ絵画における独立した本格的自画像として重要なものです。同時に、アルブレヒト・デューラーが生きた時代はマルティン・ルター(Martin Luther/1483-1546)の宗教改革の時代に重なることも注目する必要があります。 この真正面から見つめるような構図はキリスト像でよく見られますが、その強固な近代的自我に目覚めたような透徹したデューラー自身の眼差しの描写は、神にも比すべき創造者としての芸術家自身の自負を窺わせます。この時代のニュルンベルクでは、画家たちがたんなる職人から人間としての強い意識に目覚めた芸術家へ社会的な地位の向上を目指していたのです。 マルティン・ルターが放った宗教改革の炎は、遥かにルター自身の意志を超える形で激しく燃え広がり、「ドイツ騎士戦争」(1522)、「農民戦争」(Bauernkrieg/1524-25)、「シュマルカルデン戦争」(Schmalkalden/1546-55/新旧両派に分かれた帝国領内等族(諸侯・帝国都市)による戦争)などの大殺戮と大混迷の嵐の時代を経て、漸く「アウグスブルクの宗教和議」(1555)における神聖ローマ皇帝カール5世の譲歩を引き出すことになります。 しかし、この和議の結果も不徹底なものであったため、その後も新旧両教徒の対立・抗争が続くこととなり、そこへローマ教皇側からの反宗教改革の動きと欧州列国の政治的野心による参戦が加わり、神聖ローマ帝国領内(主にドイツ)を舞台とする「三十年戦争」(dreissigjaehriger Krieg/1618-48)に突入しますが、この戦争は本格的な国際戦争へと発展します。 当初、この戦争は宗教闘争と民族対立の側面を見せていましたが、やがて徐々に欧州における覇権闘争的な側面が現れ、最強の覇権を確立しようとするハプスブルク家と、それを阻止しようとする勢力の間の権力闘争として展開されるようになります。結局、「三十年戦争」は新教側が有利な情勢の中で「ウエストファリア条約」(Westfaelischer Friede/1648/近代国際会議の始まりとされる)を結ぶ形で終結を迎えました。 ドイツの歴史にスポットを当てると、この「三十年戦争」の終結について見逃すべきでない観点があります。それは、「ウエストファリア条約」により、神聖ローマ帝国(ドイツ)は300余の領邦国家の連合体(新旧両派に分かれた)であることが改めて国際的に確認されてしまったということです。つまり、中世以来の伝統であったドイツの領邦的分裂が国際法的に公認され、それがその後のドイツにおける近代化を著しく阻害することになる訳です。 ただ、このことは更に視点を変えれば、その後のプロイセン帝国とナチスドイツ時代の苦難を乗り越えた結果としての現代における「ドイツ連邦共和国」(連邦制ドイツ)のユニークで徹底した民主主義のあり方、つまり国民一人ひとりによる徹底した民主主義への理解にも繋がったと見做すことができます。 しかも、このように地方分権的な現代ドイツの民主主義のあり方こそが、フランスと古い歴史を共有していること(特にメロヴィンガー朝フランク王国時代以前の歴史)への深い理解と相俟って「欧州連合(EU)」によるヨーロッパ統一の原動力になったことは周知のとおりです。 アルブレヒト・デューラーの『自画像』の透徹した眼差しが、どこまでこのような意味での現代ドイツの未来を予見していたのかは知るよしもありません。しかしながら、デューラーにおけるドイツ的精神性の高み(神との内面的な邂逅を重視する心的態度)は、その後の暴力的で悲劇的な時代を乗り越える、つまり愛すべき自らの国家であるドイツの運命を深く見通していたのではないかと思われます。 また、この「デューラーの視線」は、同じ様な「悲惨な戦争の歴史」への十分な反省がないままに「現役閣僚の自殺」という“政治の暴力化”の泥沼に嵌りつつある「美しい国・日本」の悲惨をすら見据えていたのではないか、と思われてきます。オマケに、国家管掌の年金が“国家がかりの振り込めサギ”ではなかったのかという、近代民主主義国家とあるまじき驚くべ疑惑が浮上しています。 その辺りには、ほぼ60年にも及ぶ<与党政治>と<寄生政治家たちの奢り高ぶり>、そして国民の権利と立場などそっちのけの傲慢が培養してきた<悪徳の腐臭>だけが漂っています。そこに見えるのはギャングと寸分も違わぬ徒党・派閥による<暴力の論理>だけです。 今の日本は、主に下記の記事で予見してきたとおり、厚化粧の「美しい国」という美名の下で“バイオポリティクス化”、または“カルト化”という意味での『むき出しの暴力型政治』(≒中枢政治の暴力団型抗争化)へ向かいつつあるようで不気味です。今こそ、<日本国憲法の平和主義の意味>と<日本国憲法の授権規範性の意味>を国民一人ひとりが自分自身の問題として考えるべき時です。 2007-05-13 日本政治の「カルト&バイオポリティクス」化への懸念、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070513 2007-05-21 「観念的同時」と「権力の暴力的本性」について、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070521 2007-05-27 『美しい国の暗いシナリオ』と論憲の視点、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070527 (プロローグ) 『司馬遼太郎の祈り、人間について』、http://www.hikoboshi.com/eba/inori/inori136SibaRyoutarou.htmより転載、 バカというのは、差別語ではありません。 人間の本性にひそむ暗黒の部分のことです。人間は一人で歩いているときは、たいていバカではありません。イヌやネコとおなじくらいかしこいのです。行くべき目的も知っていますし、川があればどうすればよいか、ちゃんとわきまえています。 ところが集団になって、一目的に対して熱狂がおこると、一人ずつが本然(ほんねん)にもっている少量のバカが、足し算でなく掛け算になって、火山が噴火するように、とんでもない愚行をやるのです。 民族・宗教・国家。 ・・・以下、省略・・・ [司馬遼太郎・著「司馬遼太郎が考えたこと 15」新潮社]より |