|
この場所に、新しい書き込みをするのは、随分と、久しい! 忘れていたのではない。 書き込めなかったのだ。 理由は、其の余裕が無かったからだ。 では、今は、余裕が有るのかと、問われると、困る。 何故!書き込んでいるのか? 答えは、簡潔明瞭では無い! 勢いと答えれば、無責任に成るが、正しいのかも知れない。 表題を書くに当たって、前のものを捜すと、驚いた。 バラバラの書き込みなのだ。 今までの続きなどは、何処にも、存在をしない。 仕方が無く、辻褄合わせの表題を、付ける。 それが、”第四章 其の壱”なのだ。 だから、意味など、何も無い。 在るのは、形だけの、形式だけなのだ。 そんな恥ずかしい書き込みだが、気持だけは、前を向いている。 今日の話題は、【 主宰の休日! 】 主宰は、工房で、足掛け五年の歳月を、暮らしている。 でも、一歩も離れず、棲み続けているのかと云えば、違う。 年に、六回は、一週間の単位で、工房を離れる。 それ以外にも、日帰りで、月に何度かは、留守にする。 更に、連休ともなれば、お休みモードで、工房を閉じる。 この様に書き込むと、何とも優雅な暮らしに、感じる事だろう。 でも、こうした姿だから、工房には、いつも、新しい風が、吹き渡るのだ。 主宰が運ぶ風は、いつも、工房を蘇らせるのだ。 其の息吹を貰いながら、スタッフ達も、育まれてきた。 四年の歳月を、こうして歩んで来たのだ。 そうした歩みが、この連休から、新しい在り様に、変わってきた。 一番の変わり様は、工房に閉じ籠るのではなく、飛び出している事だ。 其の姿は、逞しくなった主宰の力を、感じさせる。 スタッフに縛り付けられる姿から、脱皮をしたのだ。 自由と言葉を用いるのが、正確とは思えないが、矢張り、自由なのだ。 何からの自由かと言えば、スタッフからの自由なのだ。 言い方を変えれば、誰にも拘束をされない、姿に成ったのだ。 工房の五年目は、自立したスタッフしか、工房には暮らしていない。 その結果、主宰は、何ものにも拘束されない、自由を得たのだ。 何処に出掛けるのも、何の心配も無く、気持の赴くままに、出掛けられるのだ。 工房に籠りたければ、気の済むまで、籠っていられるのだ。 この気持の赴く儘が、新しい主宰の姿なのだ。 連休を、久し振りに、工房を離れて、主宰は暮らした。 どんな?土産話を持って、戻ってくるのか、楽しみである。 そんな幸せな工房の歩みが、五年目の歩みなのだ。 夢幻出版社 編集長 田鶴彦之蔵人 ************************************* |