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タイトル:嵐の前 8 「代償(下)」  2007/05/04


嵐の前 8 「代償(下)」

 

 次の日、蔵人は二条院の門に立っていた。

 取次ぎの侍が蔵人を怪訝そうに見ていたが、蔵人の水際立った男ぶりを舐めるように眺め、やがてどういう待遇になるのか納得したようで、すぐに関白に知らせに行き、もう一人の侍に奥の方に案内された。

 二条院は広大な邸で、大きな池と築山がひろがっていた。

 関白は蔵人を余り待たせる事はなく、すぐにやってきた。関白殿は秋らしく、朽葉の袍に、薄黄土色の単を合わせていた。赤っぽい朱の色が目にまぶしい。袍を翻すたびに、裏の渋い黄緑が見えた。

 「待ち遠しかったぞ、蔵人よ。」

 関白は少年のような輝く目で蔵人を見た。

 「疲れておるじゃろう?対の西廂でゆっくり休むと良い。」

 確かに蔵人はあの後何度も義父上と交わったため疲れていた。したがって、関白殿のお言葉に甘えて、すぐに用意されていた自分の局に向った。そこに赴くと、きらびやかな調度が揃えられていた。

 大和絵の屏風に、秋色の几帳、螺鈿の唐櫃、ま新しい畳・・。まるで親王の部屋のようだ。

 蔵人は義父上の昨日の言葉を思い出し、関白殿の財力に感心した。同時に、それほど丁重に扱われていることを感じ、嬉しいようなくすぐったいようなおかしな気持ちを感じた。

 関白は、使いを遣わして、夕方に足浴をしてから舞楽の「秋風楽(しゅうふうらく)」の装束を着て、寝殿の関白の居所に来るように、と知らせてきた。蔵人は、てっきり夜に関白が自分の部屋に来るものだと思っていたので、拍子抜けな気持ちを感じた。

 

 夕刻になり、蔵人は届けられた秋風楽の装束を着始めた。

 まず指貫、上に大口袴を履き、その上から沓を履く。かさね装束を着て、上から黒の半臂(はんぴ:プリーツスカートのついたチョッキみたいな形)をつけ、その上から紅い袍を着て片方の袖を脱ぐ。最後に頭に紅くて緑の縁取りをした兜(消防用帽子の様な形をしているのです!)を着けた。秋になりたてなので、少し汗ばんで来た。

 蔵人は後ろを見て裾(きょ:袍の尻が伸びています。尾長鳥の様な格好。)がよれていないことを確認してから、寝殿に向った。

 対から寝殿に向う廊下から庭を見ると、大きな池に赤い橋が架かって、その向こうに見事な築山が見えている。紅葉も少しずつ色付き始め、蜻蛉も飛び始めている。蔵人は、この風景を愛する人と見れたらどんなに幸せか・・と思いながら歩いていった。

 御座所の御簾の外から中に名乗りをして中に入る許可を得ると、関白は許可の返事を与えた。

 中に入ると関白は脇息にもたれながら、女房に酒を注がせていた。関白はもうほろ酔いになっているようだった。関白のとろんとした目を見て、蔵人は一昨日のしつこい愛撫を思い出して、少し嫌な気がした。女房はうつむいているが抜けるように白い肌をしてその上に黒く艶のある髪をたらしている。彫が深く、意思の強そうな目をしているのが印象的だった。

 「砂金、もう下がってよいぞ」関白はそう言って女房を下がらせた。蔵人は少し残念に思った。

 「さ・・・改めて、逃げないでよく来てくれたな」

 蔵人はむっとして、「まろには逃げられない事を知っていてよくそんな事を・・」と言った。

 関白は「関白であるまろによくそんな事をいえるものだな・・」と苦笑した。しかし、蔵人に馴れ馴れしくされる事にまんざらでもないようで、まぶしそうに蔵人を見てまばたきをした。

 「蔵人よ・・そなたの秋風楽が見たくて装束を着てもらったのだ。一指しずつ、ゆっくり舞ってはもらえぬか?」

 蔵人は無表情で「関白殿の仰せならなんなりと・・」と言った。その氷のような表情が壮絶な色気をかもし出していて、関白は思わず唾を飲み込んだ。

 蔵人はゆっくりと足を横に滑らせ、手を翻した。

 「おお・・まるで紅葉の精のようじゃ・・」関白は涙を流して、つぶやいた。

 「蔵人よ・・そして一指し舞う毎に、衣を一枚づつ脱ぐのじゃ」

 蔵人は関白の新しい趣向にちょっと驚いた。・・しかし関白殿のお相手をするとはこのような事、安らぎや満足など求めてはならぬ、と割り切って目で承諾の合図を送った。

 関白殿が笛を吹き、それに合わせて蔵人が舞う。そして一指し舞うたびに蔵人の衣は少しづつ軽くなっていった。脱ぎ散らかされる装束はまるで散る紅葉の葉のようであった。

 最後に兜と指貫と沓が残った時、関白は笛の音を止めて、蔵人を差し招いた。

 

 関白は蔵人を膝まづかせて、唇を吸った。蔵人は強い酒の匂いにむせ返るようになり、関白が無理やりねじ込んでくる舌を自分の舌で押し戻した。関白の口はそのまま下に降り、首筋を甘噛みしながら、蔵人の背中に右手を回し、左手で白い乳首をもてあそんだ。

 「う・・・」自分の意思に反して興奮する下半身を感じ、蔵人は関白の衣を脱がせに手をかけた。関白は体を離し、脱がせようとする蔵人の手を制した。

 一瞬、二人の視線が鋭くぶつかり、蔵人は悔しげに目をそらせた。

 関白は荒い息をつきながらゆっくり蔵人を横たえた。蔵人は目を閉じ、関白のなすがままにされていた。関白は蔵人の足元に行き、かがみこんで大事なものでも扱うようにゆっくりと蔵人の沓を脱がせた。右、左・・と蔵人の白い足が現れ、関白はそれにほお擦りをした。

 それから指貫の紐をゆっくりと解いて、するすると下に下ろしていった。蔵人のすらりとした足が暗闇に伸び、その間に少し色付いたものが自己主張していた。

 

 関白はにやっと笑い、真ん中にいとおしそうに口付けしてから、蔵人の右の足指を舐め始めた。親指、人差し指・・全ての指が関白の舌で丁寧になぶられ、唾液だらけになっていく。蔵人は足先に小刻みに加えられる生暖かい刺激に触発され、性器に何かむずむずする感覚を感じ、くすぐったくなって身をよじった。

 関白はそれには構わず、蔵人の足を上に持ち上げ、足の裏の筋を尻に至るまで舌で愛撫した。蔵人はそのくすぐったさと自分の格好の恥ずかしさがどうにも耐えられなくなり、自分の脱ぎ散らかした衣を取ろうとした。すると関白はふと顔を上げて言った。

 「また縛められたいのか?」

 蔵人は上気した顔で許しを請うように関白の目を見つめ、また前の様な姿勢に戻って目を閉じた。

 暗い部屋の中にぺちゃぺちゃと関白が蔵人の左足の指を舐める音が響く。蔵人はその淫靡な響きに耐えられず、眉をしかめた。

 蔵人の足を愛で尽くした関白は、蔵人の足を肩に乗せて、右手の一指し指を菊の花弁の中に差し込み、くちゅくちゅとかき回した。蔵人は痛気持ちいい快感で、くわっと背筋を反らせた。

 関白はにやっと笑って、人差し指と親指を入れて、中をかき回し、同時に左手で蔵人の棒を一定の拍子で刺激した。

 「あっ・・・ああ・・・関白様・・いい・・・」

 「よいじゃろう?蔵人よ・・いや、今はまろだけのものだから、高藤と呼ぼうか。」

 「主上でなく、まろだけが好きだと言え!そうしたらもっと気持ちよくさせてやる。」

 そう言って関白はぐり、ぐりと蔵人の内奥を探った。

 「ひいぃ・・・」

 「どうした、言わんのか?ならこのままやめて縛めてやる。そうすればそなたは生殺しじゃ。」

 「はぁっ・・はっ・・どうか・・お許しを・・」

 突然、関白は蔵人をもてあそぶ事をやめた。蔵人は腰をくねらせて続きを嘆願した。さっきとは逆に自分の足の間から見える関白の冷たい視線が蔵人の口から望むものを言わせようと凝視していた。

 「か・・かん・・ぱく・・殿だけ・・を・・お慕い・・しておりま・・す」

 情けなくて、蔵人の瞳から一粒涙がこぼれた。

 「今、主上の事を考えていただろう!」

 蔵人は怯えた目で関白を見た。

 「ちが・・ひっ。」

 また、関白の指が蔵人の中に入って、激しく荒れ狂った。

 「まだ、いかせてやるものか。まろの事だけを考えなくては・・・。やっと手に入れたまろの宝・・砂金と同じくらい大事なまろの宝・・。身も心もまろのものにするまで離すものか・・!」

 寝殿では、夜一夜、蔵人の咽び鳴きと懇願が響き渡っていた。

 

 翌朝、蔵人は疲れきった体で目覚めた。昨夜は何度も絶頂に行く寸前に止められて何度泣いたかわからなかった。五回ほど繰り返して蔵人の意識が朦朧とし、何も分からなくなった頃、ようやく関白は自分も挿入し、関白と同時に蔵人も果てたのであった。

 ―体が痛い。特に腰のあたりが。

 蔵人は枕にうつ伏せて、暫く放心した。

 「いつまでこんな生活が続くのだろう・・。」

 それから何度も、舞の練習をすると称して蔵人は寝殿に呼び出された。そしてその都度、関白の激しい責めを受けた。

 十日に一度位、蔵人は北の方のもとに行く事を許された。そこで、蔵人は妻と一泊、義父上と一泊、ゆっくりと寛いで何とか精神の均衡を保っていた。義父上は、蔵人の苦しみを涙を流して自分の事のように聴いてくれ、主上への文を代筆して渡してあげると言ってくれた。

 蔵人は、二条院に来てから主上から文が来ていない事に気づいた。権大納言は、きっと関白が握りつぶしているのだと教えてくれた。蔵人は、義父上に、主上への文に、返事は権大納言の邸に送っていただきたいとの旨を書いてくれるように頼んだ。

 蔵人が二条院に来てから二ヶ月・・・かなりそこでの暮らしに嫌気が差していた頃―

 蔵人は庭を散策していた。来た頃に紅くなりはじめた紅葉はもう既に散って、冬枯れの淋しげな枝をさらしていた。

 (辛い・・今回は本当に辛い・・)

 僧達は蔵人の体は従わせるけれども、心まで強要はしなかった。関白はそれでは納得しなかった。・・しかし、一体どうすればいいのだろう。心は蔵人自身でさえもどうにも出来ないのだ。

 関白が人の言葉だけを信じるぼんくらなら、いくらでも心にもない事を言ってごまかしようもあろうが、さすがに宮廷社会で生き抜いてきているだけあって、蔵人の心の中を手に取るように読み取る。

 (せめて関白殿に真の愛情があれば・・・)「愛する事ができようものを。」

 

 蔵人は昔から肉親に愛されずに育ったせいか、他人の心を読み取る事だけは敏感だった。自分の容姿だけを求めて近づいてくるものと、存在を認めて近づいてくるものとの線引きは本能的にする事ができた。その蔵人にとって、関白の自分への執着は、自分の容姿に対するものであり、心の服従は、主上への対抗心から発せられているように思えてしかたがなかった。

 (きっと、関白殿はまろを守るために地獄に落ちる事はなさらないだろう・・自分が助かるためにまろを地獄に蹴落とすに違いない。)

 突然、井戸の方から激しい水音が響いた。

 「何するのっ!」甲高い女の叫び声。

 「ふん、いくら殿に、宝だ、宝だと可愛がられていい気になっているのか知らないけどさ、もともとは下仕えだったのだから、たまには水でも汲んだらどう?」

 「・・突然お呼び出しになるから何かと思えばそういう事・・上臈女房様がたのなさる事とも思えませんわ!悔しかったら私を苛めている暇に、殿の御心を捉えるべく化粧でもなさっていたらよろしいのに!」

 「何さ!生意気に!」

 「痛い!放して!」

 蔵人は急いでそちらに走っていった。

 角を曲がると、女房数人が、前に見た砂金とやらを蹴倒して、髪を引っ張っている所だった。あろう事か、その中の一人は髪を切ろうとしている。砂金は水をかけられたせいか、びしょ濡れで、髪も顔に張り付いていた。しかし、顔は上気して瞳は好戦的にきらきらと輝いている。

 蔵人は大音声で言い放った。「何をなさっておられる!殿に申し上げますぞ!」

 上臈女房達は慌てて、ほほほほ・・と艶然と笑って、御簾の中に逃げていった。

 砂金は姿勢を正して、髪を後ろにやりながら、蔵人を流し目で見た。「ありがとう。・・でも助けてくださらなくても自分で何とかしましたのに。」

 「しかし、あやつら髪を切ろうとしていましたぞ?」

 「髪なんて切ってもすぐ伸びるもの。もともとこちらの院に御仕えし始めた時にも腰まであるかないかでしたもの。・・ところで、」

 砂金は蔵人を上目遣いに見た。

 「あなたは殿の新しい想い人の方ですね?」

 蔵人はうなずいた。

 「私と同じ匂いがする・・・だから殿はあなたをこれだけ御寵愛なさるのですね・・あなたにだけは助けられたくなかったですわ。」

 そう言って砂金は御簾の中に入って行った。蔵人は呆然と突っ立っていた。

 

 夜―

 「今度、まろは内裏にそなたを連れて行くぞ」

 蔵人の足先を舐めながら、関白はつぶやいた。

 苦しげな瞳の蔵人の顔が、一瞬輝いた。

 「な・なぜ!?」

 「今度、一院様の五十の賀が行われる事は知っておろう。その試楽を内裏で行うのだが、そなたを舞人の一人として連れて行く。」

 関白はふふっ・・と鼻で笑った。

 「舞の練習をするというのは単なる口実ではなかったのじゃよ。」

 主上に逢えるかもしれない・・という期待がみるみる蔵人の体を薔薇色に染め上げていく。その期待を打ち砕くように関白の声が響いた。

 

 「主上とは逢えぬぞ。」

 「試楽後には宴がある。その後、主上はわが娘である中宮と大殿籠もるように決めてある。最近、承香殿女御の懐妊が明らかになった。中宮との子が東宮お一人では心もとない。まだまだお励みになってもらわねば困るからな。」

 「まろを主上から引き離したのも、中宮との夜を多く過ごさせるためなのですか・・・?」

 「そなたの預かりは、まろの心を知って主上から言い出された事。そなた自身がまぬけな事をやらかしたのを忘れたか?」

 関白はまたいつものように蔵人の中心をもてあそんだ。

 「くっ・・・」

 蔵人は快楽と悔しさの狭間で理性を失いかけ、無理やり首を横に向けた。

 「かわいらしいのぅ・・。まろの責めに理性も何もなくして縋りついてくる者も多いが、そなたは屈服せぬのだな。」

 「そんなに自分を切り捨てた主上が恋しいのか?未練だとは思わぬか?まろの完璧な寵臣となって、快楽に満ちた生活を送らぬか?」

 蔵人は汗ばんだ肌に髪の毛を張り付かせて、必死で耐えていた。閉じた瞳の上で眉根が切なげにより、激しい息遣いで体が揺れていた。

 「おぅおぅ・・苦悩の顔が最も美しい・・なぜ神はこのような美しい者を創りたもうたか・・」

 

 関白は上半身を曲げて、蔵人の瞼に口付けた。

 

 

 試楽の当日、蔵人は秋風楽を舞った。

御簾の内で主上も見ている事を考え、蔵人の心は高鳴った。音楽が始まり、蔵人はゆっくり舞い始めた。

笛の音が聞えてきた。蔵人は関白の責めを思い出して、体が震えた。その不安な表情がとても官能的で、御簾の中で見ている主上をはじめ、殿上人たちは体を熱くした。

 試楽終了後、関白の言ったように宴が盛大に開かれた。蔵人の殿上の簡(ふだ)はまだ削られてはいなかったが、蔵人の頭(くろうどのとう:蔵人所の長官)には無視されていたため、階の下で控えていた。関白は顔を赤くして上機嫌で近くにいらっしゃる主上に酒を勧めている。時々蔵人の方を見遣り、にやりと笑った。

 主上は左京大夫の目を盗んで、こちらをちらちらと眺めていらっしゃる。うつむいて跪く蔵人は主上の視線を感じるたび、動悸とともに体の奥からゆらりとした感情が伝わってきた。

 

 宴がたけなわとなり、殿上人達が乱れ始めた時、蔵人は耐えられなくなり、昔から慣れ親しんだ場所である宿直所に向っていた。蔵人の背中を追って、主上が用を足す事を口実に席を立った。関白は冷めた目で若い恋人達を追い、面白くなさそうに柱に寄りかかった。

 蔵人は月明かりに照らされて宿直所を見詰めていた。主上に愛されて幸せで傲慢で、周りの事など全く目に入っていなかった頃の自分を思い出した。このまま、自分は主上の元で出世をしていけるものだと思っていた。

 「蔵人・・・」

 主上の声が聞える・・これは夢か・・?だって主上は宴の席に座っているはずではないか。

 「蔵人!」

 主上が姿を現した。蔵人はすぐに跪いて顔を伏せた。

 「蔵人・・顔を上げよ。」

 蔵人は顔を上げた。すると、主上の潤んだ瞳がこっちをずっと見詰めていた。

 「そなたの顔をずっと見たかった・・・。・・少し痩せたか・・?二条院での暮らしはどうか・・?」

 

 蔵人は片方の目から一粒涙を流した。

 「まろはいつ主上のもとに戻れるのでしょう・・?」

 「もう少し、もう少しじゃ・・もう手は打ってある」

 「蔵人、こっちへ来い・・。」

 主上は階の上から手を伸ばした。蔵人は手を取って階を上がっていった。二人は無人の局の暗がりで、しっかりと抱き合った。蔵人は主上の香をかいで、懐かしさと愛しさで気を失いそうだった。

 そのまま二人は口付けを交わした。蔵人と主上の手がお互いの背中をまさぐり、二人の気持ちが高まっていった。

 ふと、主上は蔵人から体を離した。

 「主上・・・?」

 「駄目だ。どうしてもそなたと関白との絡みが頭から離れぬ。関白によってあれだけ狂わされていたそなたを思い出すと・・・」

 「それは主上がお命じになったのに・・」

 主上は腕を上下に振って苛々した口調で言った。

 「わかっておる、わかっておるのじゃ!頭ではわかっておるのじゃが、体が言う事をきかぬ。」「関白も馬鹿な奴じゃ。朕の言う事を間にうけてそなたを抱かず、ただ守ってさえいればいいものを・・。朕はいずれ院となる・・その時には破滅が待っているのに・・・」

 蔵人はどうする事も出来ず悲しい気持ちで主上の独白を聞いていた。

 「もう・・まろは主上に抱いてはもらえないのですか・・?」

 主上は泣き顔でこちらを振り返った。

 「わからぬ、わからぬよ!朕はそなたを抱きたいのだ、抱きたいのに!」

 すると、遠くから主上を呼ぶ声が聞えた。

 「すまぬ・・朕はもう行かなくてはならぬ。」

 主上は蔵人の手をしっかりと掴み、眼をじっと見つめて、一語一語かみ締めるように、誓うように言った。

 「これだけは確実な事じゃ。朕はもうすぐこの国で一番の権力者となる。その時には朕はそなたを決して離さない。だから朕を信じて、待っているのだ。」

 蔵人はしっかりとうなずいた。主上は手を離して、威儀を正して声の方向に歩いていった。

 蔵人は主上の背中を見送りながら涙を流して立っていた。

頭が熱い。体の芯も熱い。求めるものを与えてくれないまま、主上は行ってしまわれた。誰か、この熱さを冷まして欲しい。

 

 すると、向こうから美しげな女の衣擦れの音がしてきた。何か歌を謡っているらしい。その声は、確かに関白と自分の情事をあざ笑った内侍の声だ、と蔵人は気づいた。内侍は最近主上の寵愛を専らにしているらしい。

 蔵人は嫉妬と恨みがないまぜになり、激情の赴くまま、内侍の背後から忍び寄って、後ろから抱きついた。

 内侍は激しく抵抗したが、蔵人は彼女の口を押さえて暗がりの局に引きずっていった。

(つづく)

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