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嵐の前 6 「代償(上)」 ある日、殿上の間に伺候している蔵人のもとに主上から文が届けられた。 「内侍の局・・・?」 蔵人はいぶかしそうに頭をかしげて了承の返事を書き、使者に渡した。 日が暮れて、蔵人は内侍の局に参上し、御簾の外に控え、主上に向って呼びかけた。中から「入れ」という主上の声が聞えた。 新月の夜のこととて、真暗闇で何も見えない。蔵人は手探りで御簾を明けて身を乗り出した。 するといきなり、手を掴まれて引き倒され、熱い息が耳元にかかってきた。香が主上のものと違う。蔵人はだまされたか、ととっさに抵抗し始めた。すると後ろから抱きしめられて、「静かにせよ。主上のお許しは頂いておる。」と言われ、衣の紐に手をかけてきた。その声は確かに関白殿だった。 「なぜっ・・・関白殿が!?」 「そなたを都に留めるためじゃ。」 蔵人は主上の声がした上に顔を上げると、目が慣れてきたせいか、位置関係も分かってきた。主上は御簾と並行に置いてある屏風の後ろにいらっしゃるらしい。もう一つ違う香の香りも漂ってくるということは・・この局の主、内侍もいるのだろうか? (そして、まろは主上のいらっしゃる前で関白殿に犯されるのか?) 蔵人は急にどうしようもなく自分が惨めになり、瞳から涙が溢れ出してきた。 「主上・・どうか・・お・・お許しを・・」 「許せ・・朕も本当はこんな事はしたくない・・ただ・・・。」 主上は無情にも後ろを向いて、こう言った。「関白よ。心行くまで蔵人を味わうが良い。そうすれば必ず朕に力を貸そうと思うはずじゃ。」 関白は慣れた手つきで袍の前を開け、下がさねの前をはだけた、そしていとおしそうに肌をなで、やおら乳首に貪りついてきた。右手で蔵人の腕を押さえ、左手で器用に袍を脱がしにかかった。蔵人は関白の冷たい唇の感触にぞっとしながらも、主上のご命令でもあり、必死で我慢をしていた。だが、関白の左手が下半身に伸びて、蔵人の性器の先に触れた途端、人形でいる事に耐えられなくなって、体を右に激しくねじった。すると、蔵人の左手のこぶしが、関白の頬をしたたか打った。 蔵人は自分のしたことに戸惑い、体をねじったまま目を伏せてじっとしていた。関白は明らかに不満そうな声で蔵人に向って囁いた。 「何をいまさら清純ぶって操を立てようとしておるのじゃ。」 「僧坊では誰の相手も喜んでしたくせに。」 耳元で嘲られ、蔵人は我を忘れて関白につかみかかって行った。関白はにやにやした目で蔵人に引き倒されたまま、屏風の向こうの主上に向かって言った。 「蔵人は主上の相手しかしたくないようです。主上がお約束を果たせないなら、まろも果たす義理はございませんなぁ。」 「・・・・・・蔵人。関白の望むとおりにせよ。朕を慕っておるなら。」 「・・承知いたしました。」蔵人は涙を流しながら、力なく床に転がった。 関白は袖で汗を拭きながら起き上がった。 「ふぅ・・危ない危ない・・・これだから男相手はやりにくい・・・」 「だからこそ、男を征服するのはこの上ない快感なのだが。」 蔵人の上に関白の黒い影がかかったその瞬間、関白は蔵人の下帯で手際よく手首を縛り、少し余裕を持って御簾の柱にくくりつけた。蔵人は稚児の時に庵主様の留守中に屈強の僧達に縛められて犯された時の事を思い出し、吐き気を感じた。 「暴れる獣にはこれが一番じゃ。」 「まろは・・暴れません。主上と関白殿の御心のままにいたします。だから、どうか・・この紐をお外しくださいませ!」 「嘘じゃ。そなたの誇り高い黒い目は主上には服従してもまろには服従していない事、まろには分からないとでも思っているのか。」「まぁ、いい。その内そなたも快感でまろに服従する事はわかっておる。さて、作業に入るとするか・・・」 関白は再び蔵人の乳首を舌でなぞりはじめた。くすぐったいような下半身に響くような刺激を感じて、蔵人の背中には鳥肌が立った。同時に左手でもう一つの乳首を刺激したと思えば右手は蔵人の菊座を踊るように刺激する。と思うと舌は左乳首に移動して熱くざらざらと胸をまさぐれば左手は蔵人の局部を掴んで刺激し、右手は乳首をつまんで捻ってつぶす・・。拘束によって体の動きが制限されている事で神経が関白の刺激に集中するようになってきた上に、変幻自在の手わざで、蔵人は訳が分からなくなり、思わず鼻を鳴らしていた。 その声を聞き、関白が荒い息の間に勝ち誇ったように鼻で笑ったのが分かった蔵人は唇を噛んで快感を我慢した。 「無理、しなくていいんじゃよ・・かわいい蔵人や・・・」 それまでの愛撫で蔵人の性感帯を完全に理解した関白は、今度はそこを集中的に刺激しはじめた。蔵人は耐え切れず、 「あっ・・・あっ・・はぁっ・・・」と声を出してしまった。しかしはっと我に返り、その声が主上に聞かれている事に耐えられなくなった。蔵人は惨めな気持ちになり、瞳から自分の感情でもどうしようもないほど大量の涙が流れて来た。 「主上!これがまろのしでかした事の報いなのですね!」屏風の向こうに呼びかけたが答えはない。じっと耐えている空気を感じて、蔵人は苦しいのは自分だけじゃない、と少し気持ちが軽くなった。 そのとたん、主上と蔵人との心のつながりを感じて関白は嫉妬を感じたのか、いきなり蔵人をうつ伏せにして、菊座に唾を塗りこめ、棒を突き立てた。蔵人は予期せぬ動きと痛みで、苦痛の声を発した。しかし関白はなだめるようにゆっくりと腰を揺らしつつ、優しく激しく蔵人の乳首と性器を愛撫しはじめた。じっとりと関白のものが馴染んできて、蔵人の体にも徐々に快感が感じられるようになってきた。 関白は蔵人の耳の後ろから囁いた。 「主上とまろとどっちが好きじゃ?」 「・・・・・・」 「主上は我慢できなくてこちらをのぞいていらっしゃる。そなたも恥ずかしかろうな。」 その言葉で羞恥を呼び覚まされ、一気に蔵人の体に熱が上がってきた。 「おお、肌が桃色になってしっとりと熱を帯びて・・下の熱さもちょうど良い。」 関白は蔵人の耳にかじりついて、腰を激しく揺らし始めた。蔵人は我慢しようと思っても主上と交わる時のように、激しい快感を感じて、獣のような叫び声を上げてしまっていた。 その声を聞き、主上はびくんと体を震わせた。そして蔵人の声で呼び覚まされた情欲を放出するためだけに、いきなり抱き寄せていた内侍を引き倒した。内侍の長い黒髪がねっとりと床に広がり、その上に女房装束の華やかないろどりが散った。 主上は目をつぶって屏風の向こうに意識を集中させながら、手探りで内侍の袴を脱がし、前戯もなくいきなり挿入した。内侍は主上のするがままにされながら瞳を閉じて何かを考えているようだったが、主上が唇で乳房を愛撫しはじめてからしばらくして、主上の背中に腕を回して激しく腰を使い始めた。 狭い局の中で、半時ほど、獣の様な声とあえぎ声、激しい男の息遣いだけが響いていた。 はじめに果てたのが関白だった。熱い液体を蔵人の中に放出して、ぐったりと力を抜いて、蔵人を押しつぶした。 蔵人は重さに耐え切れず、体を折って床に倒れた。蔵人の手首を縛っている紐が引っ張られて痛みを感じ、無意識に軽くうめいた。蔵人は何も考えられなかった。いや、考えたくなかった。放心状態になっている体に、関白はしっかりと抱きついて蔵人の汗の香りをかいでいた。そしてやおら懐剣で柱に結び付けている方の紐を切り、蔵人の体を座らせ、前から優しく抱きしめ、頬を擦り付けてきた。 間近で見る関白の顔は最近五十の賀を受けた人にしては張りがあり、上品な顔つきをしていた。これが先ほどまで自分を精神的にも肉体的にも痛めつけていたその男なのだろうか、と一瞬そんな考えがよぎった。と、関白は「もう・・まろなしではいられなくなったじゃろう・・」と言って棒を蔵人に押し付けてきた。蔵人は体をのけぞらせようとしたが、まだ縛られている紐の端を関白がしっかり掴んでいて、身動きがとれない。助けを求めようと主上の方を見ると、激しい揺れで今にも屏風が倒れそうになっていた。 「は・・あ・・・はぁ・・・」「高藤・・・高藤・・・!」 こんな状態になっていても自分の名を呼んでくださっている主上に、蔵人は涙をこぼしそうなほど嬉しい気持ちを感じた。 「あぁっ!!」 向こうの方でも行為が終わったようだった。が、しかし、主上は余韻に浸る間もなく、すぐに身を起こし、袿を羽織った。そして屏風をどかして、関白をにらみつけた。 「いつまでやっておるのじゃ。もういいじゃろう。」 関白は驚いたように目を見開き、急いで下がさねを引きかぶり、袍を着込み、冠を直し、かしこまった。主上は不機嫌そうな目で蔵人をさして、 「あれも外してやらんか」とおっしゃった。関白は渋々蔵人の紐を切った。蔵人はほっとした目で主上の方を見てから、関白に汚された部分を懐紙で清めようと、屏風の後ろに入った。すると袴をはいて、袿を着込み始めた内侍と目が合った。内侍は昔に自分が主上の居所を聞いた女であった。暗くて良くわからないが、長く重たそうな黒髪に、切なげな目をしたかなりの美人だった。 蔵人は自分が裸である事を忘れて、主上がこの女を目の前で抱いたことを思い出し、激しい嫉妬を感じて内侍を睨んだ。内侍は蔵人の方を見て、悲しそうに微笑んだ。蔵人は自分が哀れまれている事を感じて、耐えられなくなり、すぐに屏風から出て、束帯を着はじめた。 「・・・素晴らしい、主上のお気持ち、よぅく分かります。これは手放せない。できるだけ根回しをして、蔵人の放逐を止めるよう尽力してみましょう」 「頼むぞ、関白。朕も最後の手段として乳母夫を裏切ってまでそなたに頼むのじゃ。」 関白の声が少し上ずった。 「ところで・・・主上、本当にまろが蔵人を引き受けてもよろしいのでしょうか?」 束帯を着てひざまずき控えていた蔵人はその言葉を聞いて顔を上げた。視線が主上とぶつかり、主上の顔に動揺が走った。 主上はうろたえながら、「一時的に関白殿の院にいれば、左京大夫はそなたに手を出せまい。」そして蔵人から目を逸らして、「今まで言ってはいなかったが、朕は院にそなたとの関係で退位をほのめかされておる。もちろん朕はまだまだ退位するつもりはない。だから、院がご存命の限りはそなたをひんぱんに召さないつもりじゃ。」 「その間、まろが存分に蔵人を可愛がってやりますから、ご安心を・・・」関白は喜色満面で慇懃無礼に会釈をした。 蔵人は運命の余りの急転直下を受け入れられないでいた。顔色が青ざめ、唇がわなないた。 「主上・・・まろの事をお嫌いになったのですね・・・。」 主上は激しく「否」とおっしゃった。 「朕は、そなたを手放したくないから敢えてこの選択をした。どうしてこんなに危ない橋を渡るのか自分でも信じられないくらいじゃ。これもそなたへの執着心ゆえ。」「そなたも朕を慕うておるなら、言うとおりにするのじゃ。いいな。」 蔵人は唇をかみ締め、声を絞り出した。「・・・はい。」 関白の弾んだ声が横から聞えてきた。 「今すぐにでも荷物をまとめてまろの院に来るといい。そなたの北の方にも権大納言を通してまろから言っておいてやるから」 「関白様、急な事とて、気持ちが整理できません・・・せめて今夜はそっとしておいてはいただけませんか」 「まさか、逃げるつもりではあるまいな?」 「まろは都を離れては生きていけない人間です。」 蔵人は主上の方をじっと見て、御尊顔を眼に焼き付けるようにして、局を出て行った。馬に乗って北の方の邸に向う間、怒りと悲しみが胸の奥からこみ上げて来て、先ほど嫌というほど流した涙がまた流れてきた。 (どいつもこいつもまろを玩具にしやがって!これじゃ寺にいた時と変わりはない。主上は初めて信じられる方だと思ったのに、なぜまろを他の男に任せる・・。どうせ出世できないなら、そして主上の側にいられないのなら、都にいても意味はない。さっさと筑紫でもどこへでもやってくれたら、こんなに苦しい気持ちを味わう事などしなくていいのに・・。) 急に蔵人はふっと投げ遣りな表情になった。 (しかし都を離れると永遠に主上に会う事はできなくなる・・それは嫌だ。) 蔵人は静かなさざ波のように笑い出した。そして次第に笑い声は大きくなっていった。 (・・まろも馬鹿な男よ。そんなほんの少しの可能性にかけて、いやらしい関白の想い者になるという運命を受け入れようとしておるのだからな・・) 権大納言邸に行くと、何も知らない岳父が、いつものように下にも置かないもてなしをしてくれた。ただ、蔵人の衣が乱れている事と憔悴しきった表情に気づき、今夜は北の方との契りを控えておいたほうがよろしいのでは、と忠告してくれた。蔵人はその心遣いに感謝して北の方のいる北の対ではなく、西の対に行って一人寝転がった。 心配した北の方が文を届けて来たが、中に書いてある歌の一節が分からず、返事が出せなかった。しかし、使いの女房に、文を見た事と礼だけを口頭で伝えてくれるようにお願いして、その晩は崩れるように眠りについた。 その晩は蔵人の死んだ母が息子を心配して若く美しいままで夢の中に出てきた。蔵人は夢の中でなつかしさに声を上げて泣いた。 (つづく) |