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タイトル:嵐の前 3 「主上(おかみ)の懊悩」  2007/03/30


嵐の前 3 「主上(おかみ)の懊悩」

 
(―くそっ!!朕(われ)は一体どうしたらいいのだ!)

主上は暗い御座所で、円座に座り、脇息にもたれて眉間に皺を寄せた。月光に照らされて、肩に軽く引っ掛けた袿の絹が魚の鱗のように輝いた。そしてふと月を眺めた。

「あの行幸の夜も、こんなに明るい月が光っていたな・・・」

 

半年前、主上は父である院のもとに行幸した。院は十年前に位を主上に譲り、一条院に移っていたが、幼かった主上の政の補佐をするという名目でずっと政治の主導権を握っていた。

主上が院の御座所に着くとすぐ、院は人払いをおさせになった。主上は、院の異様な雰囲気に嫌な予感を感じた。

院は貫禄のある御顔ににこやかな表情を浮かべておっしゃた。

「―最近、そなたは卑賤な身分出身の蔵人を側に置いているようだな?」(以下、高藤を役職名の蔵人と呼びます。)

その時、主上の表情が変わり、それを院の鋭い視線が捉えた。

「男を寵愛する事を責めているのではない。まろも美しい女だけではなく、美しい男も好きじゃ。」

冷や汗を流しながら聞く主上は全身を緊張させて院の次の言葉を待っていた。院のもてあそぶ扇の音だけが虚空に乾いた音を響かせている。

「・・・だが、まろは一人の男に溺れたりはしなかった。一人の男に溺れると、政道が乱れると思ったからじゃ。」

主上はすぐに反論した。

「違います!一人に溺れるなど!あの者を寵愛するのは一時の慰みで・・」

院は片方の眉を上げて、主上の方をからかうように見た。

「ほう、そうかのう?聞けば、昼も夜も政務にかこつけて側から離さないとか。この分では、将来その者を大国の国守に続けて任じて、公卿にするのではないか、という噂まで立っておるそうではないか。」

主上は唇を噛んだ。

(一体誰がそんな事を院のお耳に入れたのか・・・)

日頃澄ました顔をして、ご機嫌をとっているもの達の顔が走馬灯のように主上の頭の中を駆け抜けた。

そして、院は決定的な言葉を主上に浴びせた。

「あんな無学で刹那的な者を重用する事はまろが許さない。・・まぁ、院という気楽な身分になれば、誰を寵愛するのも勝手だがな」

(そういうことか・・・。)

血の気を無くしていく主上の頭の中で全ての歯車が噛み合った。

(院は、蔵人の事を条件にして、まろに退位への圧力をかけている。蔵人を愛し続けたければ、退位しろ、退位したくなければ、蔵人を手放せと・・。)

この何年か、主上の宣旨と院宣との方向が全く違ってきていて、地方での摩擦が激しくなっている事は主上の耳にも入っていた。そして、父院が孫である東宮を廃位して、主上を退位させて、最近ご寵愛されている御息所に生ませた皇子を位に即けて、今まで通り自分の思うとおりの政治を行いたいという希望をもらしている事も、院のもとに出入りしている近臣からほのかに匂わされていた。

(しかし、蔵人の事を使ってくるとは・・どうせその情報も近臣が院のもとに流したのだろうが・・。)

 

院は自分の言いたいことだけを話して、すぐに人を呼び、華やかな管弦の宴を開いて、何事もなかったような顔をして、主上に盃を勧めていた。主上も、それににこやかに応え、盃を飲み干した。腹の中に重い塊を抱えながら。

主上は、難しい政局の間は、院に突っ込まれる材料を一つでもなくしておきたかったため、明日には蔵人の殿上の札を削ろうと決意した。

主上は、その時には、自分の位を守るためには、蔵人一人くらい、簡単に切り捨てられると思っていた。内裏には美しい女はたくさんいるし、美しく賢く、将来自分が院になった時に片腕になって支えてくれるほどの才を持った殿上人も綺羅星のようにひしめいている。蔵人の事など、すぐに忘れられると自分の感情を過信していた。

だが、いざ蔵人の札を削ろうとすると、(まだまだ大丈夫・・・)と根拠のない甘い囁きが主上の胸を捕らえ、その決意をにぶらせた。

そして、蔵人の事を思い切れないまま、ずるずると事態を放置して、一月ほど経った時―

 

ある夜、主上は東宮の母である中宮を召して、激しく交わり、心地よく眠りについた。

だが、主上は中宮の必死の呼び声で目を覚ました。気づくと、びっしょりと寝汗をかいており、目から涙がとめどなく溢れていた。中宮の話によると、うめき声でしきりに、「高藤」の名前を呼んでいたという。

主上は、夢の中で、寂しげな目をした高藤が主上をじっと見つめていた事を思い出した。まるで、「主上もまろを弄んだだけなんだ」と全てを諦めたような目で。主上は、「違う!そなたを嫌いで手放したのではないし、忘れた訳ではない!」と言おうとしていた。しかし喉が絞められたような気がして、全く声が出なかった。

主上は何かに憑かれたように、蔵人に、夜陰にまぎれて自分の寝所に参るよう文を出した。

蔵人はいつもの様に、主上のもとにやってきた。そして、慣れた仕草で御帳台の中に入り込んでひざまづいた。

いつものような目の覚めるような美しさ、いつものような愛されているという絶対の自信、男盛りの香るような色気を身にまとって。

主上は、この男ゆえに至尊の身である自分が帝位の危険にさらされている事実が頭の中をよぎって、俄かに憎しみがわきあがってきた。そして、指で蔵人の顎をつまんで、顔を上に持ち上げ、冷たい目つきで蔵人の顔をねめた。蔵人は普段と変わった主上の様子をいぶかりながらも、信頼しきった目で主上の御顔を見上げた。

主上は蔵人の視線を浴びて、俄かに憎しみが溶け出した。そして、猫の顎を撫でるように、やさしく蔵人の顎の下を愛撫した。

(院は、なぜ蔵人の事を刹那的で無学な者なんておっしゃるのだ。蔵人は馬鹿ではないし、朕への受け答えも素早い。ただ、寺の稚児時代が長くて、少し物を知らないだけではないか。)

主上は、唇に口付けて、ゆっくり舌を入れていった。主上の舌は蔵人の舌を求めて彷徨い、蔵人も主上の舌を求めて絡みついた。蔵人は軽く主上の舌を歯で挟み、いとおしそうに舌の先で転がした。主上はかすかにうめいた。

主上はゆっくりと蔵人の直衣のトンボ玉を外し、はだけさせたか細い肩をまさぐり、両手で胸の突起に手を這わせた。蔵人の息遣いが激しくなり、思わず溢れた唾が口の端からこぼれた。主上はそれには構わず、手をもっと下に移動させていった。右手で帯を外し、左手で陰毛の辺りを探ると、蔵人の肉棒が期待するようにそそり立っていた。

主上の衣は蔵人の手馴れた手つきで既に脱がされていた。主上は待ちきれないように一気に自分の指貫を引き下ろして、蔵人をひざまずかせたまま、後ろから貫いた。今日は事前に湿しておいてはいなかったため、蔵人は少し苦痛に顔をゆがめたが、主上が体を揺さぶると、身体が馴染んできたのか、声を上げ始めた。

(朕はいつもこの蔵人の動物じみた声を聞くと興奮して我を忘れてしまう。)

激しく腰を動かしながら主上は快楽の中、ぼんやりと考えていた。

(いつも蔵人の声を聴いていたい。いつも蔵人に触れていたい。なぜそれが許されぬのか。)

結局、二人は太陽が昇るまで、今まで逢えなかった寂しさを語り合いつつ、お互いの身体を貪った。

そして、その日一日、主上は後悔に苛まれた。それから数日間、主上は蔵人と同じ感触を与えてくれる女性を求めて、蔵人と似た雰囲気の女房を手当たり次第に召した。だが、これぞ!と思えそうな女がいても、どうしても今一歩、蔵人が与えてくれる満足感に足りなかった。

 

主上は深い溜め息をついた。

(―ああ・・本当に朕は一体どうしたらいいのだろうか・・。)

「蔵人の事が嫌いになれたら・・・」

(つづく)

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