一年前の、ちょうど日中関係が極度に冷え込んでいた頃のある晩、恵比寿駅付近の中華料理店で、自分より年下の日本の若者数人と親しくなった。彼らはみなある程度中国語が話せ、中国に関連する仕事に携わっていた。話をする中で、私は彼らが我が祖国に深い敬意と情熱を抱いていることをひしひしと感じた。彼らは決して大言壮語を口にするのではなく、自然な気持ちで自分の運命と中国の広大な大地で生活する人々とをしっかり結び付けていた。彼らは自分の仕事をこよなく愛し、絶えず中国の発展と変化に注目し、日中両国が代々友好関係を保っていくことを心から願っているのだ。

一部の中国語メディアの間違った報道のために、長い間、多くの華人が持つ日本の若者に対するイメージと言えば、厚底靴を履いて唇を青白く塗り、化粧品ブランドにしか興味を持たない「援助交際」の少女たちや、一日中ゲームセンターにたむろし、分厚い漫画本を抱えて毎日を無為に過ごす「退廃的」な青年たちばかりだった。中国で影響力の大きいある雑誌で、日本の次世代は「崩壊した世代」だと断言する文章を読んだこともある。

だが、私の目の前の生き生きとした若者たちは、私に言葉にしがたい驚きを与えてくれた。一部メディアによる、受け売りや勝手な解釈による報道が、どんなに浅薄で話にならないものであったかがわかる。その晩以来、私の心に、世界各地で生活する中国人たちに対して、実は日本には彼らと同じように「中国を愛する」日本人青年たちがたくさんいて、懸命に学び、働き、生活していることを伝えたいという小さな願いが生まれたのである。

 

湯田美代子(ゆだ・みよこ)

NHK 国際放送局 中国語班 ディレクター 
「波短情長」パーソナリティ
中国語班のニュースと番組サイト  http://www.nhk.or.jp/nhkworld/chinese/index.html
(番組を聴くには無償版のReal Player をダウンロード&インストールしてください。)

「“人間万事塞翁が馬”。一見アンラッキーな出来事だと思っても、そのあとでこれは神様のお導きかな、と感じることがありますね」、湯田さんは明るくそう語りだす。

中国に関心を持つようになったのは高校生の頃。当時、熱心に聴いていた北京放送(短波ラジオ)の漢詩の朗読に驚いた。「こんな美しい言葉を自分でも話せるようになれたら…」。高校卒業後、そのまま中国に留学した。

帰国後、1994年にNHKに入局。中国のことを日本に紹介する番組を制作したいと願っていたが、報道番組というセクションに配属されたため思いを遂げられぬまま日々走り回ることになった。2005年、NHKの朝のニュース番組「おはよう日本」を担当していた時に体調を壊し入院。健康を取り戻すため、業務のハードなテレビから離れることにした。

現在勤務するのはNHK国際放送局。中国語で海外向けラジオ番組を放送する部署だ。

ここで「波短情長」というリスナーの手紙に応える番組のディレクター兼パーソナリティをつとめている。高校生の頃、短波ラジオで中国と出会った自分が、いまその中国に向けて情報やメッセージを発信している、原点に戻ったような不思議な感じがする。

番組はわずか19分だが、毎回異なる日本の表情を伝えている。村山富市元首相のインタビューもあれば、高校生の電話取材もある。日中関係の評論もあれば、日本のヒットソングの歌唱法講座もある。リスナーに高校生が多いことも意識して、硬軟織り交ぜて制作している。(「波短情長」は、ネットでも聴くことができ、25日の午後13時半までは「大江健三郎の作品を味わう」、25日13時半から4月1日まで「中村中の『友達の詩』を日本語で歌う」を放送予定)

12年間、日本国内を取材し続けてきた経験も無駄ではなかったように。

  村上充(むらかみ まこと)

株式会社アルク J−Life編集部 編集長
「J−Life」電子版  http://jlife.alc.co.jp/magazine/index.html

ちょっと学者のような雰囲気を持つ村上さんは、有名な語学教育出版社アルクが在日留学生向けに発行する、内容豊富なフリーマガジン「J−Life」の編集長である。村上さんと編集メンバーたちの努力によって、この「多文化共生社会」を目標とする雑誌は、毎月日本全国の日本語学校、大学、国際交流団体、書店などで留学生の人気を集め、海外29ヶ国へも発送されており、発行部数は8万冊を超えている。

「J−Life」の読者の半数以上は日本で勉強する中国、台湾、香港の留学生、及び北京、上海、大連、台北などに住む日本語愛好者である。読者とのコミュニケーションを強化するために、村上さんは中国語の勉強を始めただけでなく、「三国志演義」、「水滸伝」などを読んで中国の伝統文化を理解しようとした。今やメールで中国の人々と交流するのが日常となっている。去年の年末に上海の読者が東京にやってきたときは、自らガイドになって秋葉原に案内したのだそうだ。

印刷した雑誌を届ける事ができない地域の人々にも最新の日本情報を伝えるため、「J−Life」では電子版も開設しており、まもなく読者たちが自由に交流できるSNSサイトも生まれる予定だ。

村上さんはかつて三峡クルーズを体験して、長江の雄大な流れを堪能した。これから北京オリンピックや上海万博が行われるなど、中国はますます世界の注目を集めている。村上さんが心に描いているのは、いつか「J−Life」の中国語版ができて、中国で編集、印刷、発行が行われるという夢である。もしかすると彼自身が上海に移住して、現地で「J−Life」の未来を指揮しているかもしれない。

  荒井啓彰(あらい ひろあき)

財団法人勤務
個人サイト http://homepage2.nifty.com/b2/

それは突然の辞令だった。荒井さんは約1年前から東京のある財団法人で、中国からの鉄道関係の研修生受け入れを担当している。学生の頃から旅行が好きで、日本のJRは全線を既に乗車したことはあるが、海外については全くの素人同然であった。神戸生まれで近所にあった中華街の記憶はあるが、中国のことは詳しく知らないし、わからない。それがスタートだった。転勤になってから必死に中国語を勉強し、会話はまだ難しいが、中国語のメールは辞書を片手に読めるようになってきた。自宅には中国の辛い調味料が並び、外食する時は中国的餐館を選ぶようにしている。

荒井さんの勤務する財団では、毎年二回、中国の鉄道関係の職員を日本に招き、日本の鉄道における先進的な技術や経験について学んでもらっている。研修生たちは帰国後、学んだ知識を自分の仕事に応用するだけでなく、日本で得たすべての経験を両国の友好促進の原動力として活躍している。荒井さんが自分で決めている目標は、今まで見も知らぬ人々であった研修生たちと、この十日あまりの研修で必ず友達になることである。

中国を肌で知り、理解をするために、荒井さんは中国へ出張する際に、必ず彼らと直接コミュニケーションをとり、研修に対するニーズを掴む。また、北京・西安・上海と趣の異なる複数の都市を訪れ、中国の歴史・文化・鉄道の雄大なイメージを感じ取ると同時に、日本との比較を詳細に行った。そして日本に帰ってからは、研修生の受け入れにあたって情熱をもって全力で計画し、毎日の行程や一つ一つの講義の細部について繰り返し検討し、推敲を重ねた。研修では、なるべく色々な体験ができるように、都内を移動する際は様々な経路の鉄道を利用し、新幹線に乗車する場合は異なる形の車両に乗車できるように手配している。また、日本の特徴的風景である富士山や京都などを見てもらい、価値観を共有するほか、一日の研修が終ったら、研修生と一緒に中国式の「乾杯」をして、秋葉原や多慶屋に出掛けて交流を深める。

痒い所に手が届くようなスケジュールは、中国の研修生たちに深い印象を残し、帰国する時には心から別れを惜しみ、帰国後も継続して荒井さんにメールで連絡をとる。荒井さんは、国や言葉が違っても、職業人としての社会的責任は共通していると言う。そして、今後も引き続き全力で、「中国のお客さまをお迎えする」という仕事をしっかり行っていきたいと語っている。

  岡本玄介(おかもと げんすけ)

若手版画家
個人サイト http://www.geno-web.com
個人ブログ http://geno-web.jugem.jp

岡本さんはL.A.C.C(ロサンゼルス市立大学)の平面デザイン科を卒業している。版画を始めて十年あまりになり、日本、チェコ、アメリカなどで何度も個展を開いたり、団体展に参加したりしている。彼の作品は以前、東京メトロ 主催コンサートのポスターになり、地下全駅に張られた後、パスネット(プリペイド乗車券)にも採用され東京で大きな注目を集めた。

岡本さんと中国との縁は、あるテレビ局でたくさんの中国関連の番組を制作した「中国通」である母親から始まっている。母親が取材先で撮影した敦煌や九寨溝などの名所の写真が、青年の無限の憧れを誘ったのである。

三年前、上海で仕事をしていたL.A.時代の級友に呼ばれ、その友人を訪ね、見聞を広めるべく、岡本さんは母親の訪中に同行し、母親がかつて訪れた一衣帯水の隣国の土を初めて踏んだ。中国の活気に溢れる発展と現代美術の隆盛は、彼の視野を大きく広げた。岡本さんは、自分の学んだメゾティント技法の美感と中国の伝統的な美意識は非常に似ているが、現在の中国では木版画が銅版画より遥かに多く、銅版画のメゾティント技法を知る人が少ないことに気づいた。そこで、彼はこの技法を中国で広め、特に中国の若者たちに教えようと考えていた版画家達と意気投合し、その情熱を実現する事となった。

その後の二年間、岡本さんは自分が所属する日本メゾティント協会の何人かの先生たちと一緒に、重い銅版画製作機器を携えて、上海の半島版画工房、天津美術学院、杭州中国美術学院でメゾティント技法を教授した。また同時に、上海半島美術館、天津美術学院、杭州中国美術学院美術館で版画展を開催し、現地で大きな反響を巻き起こした。新聞や雑誌、テレビ、ラジオからは、次々に取材が訪れた。

岡本さんは、今後もしばしば中国を訪問して講義を行うつもりであり、メゾティント技法が中国の大地に絢爛多彩な版画芸術の花を咲かせることを心から期待していると語った。

  富樫史生(とがし ふみお)

独立行政法人国際交流基金 日中交流センター
個人サイト「行雲流水」 http://wandrian.picot.ne.jp/

初めて富樫さんに会った人は、思い違いをするかもしれない。彼は口数が少なく、非常に静かな人に見えるのだ。ところが彼をよく知る友人たちに言わせると、彼は性格は温和だが、 見かけによらぬ「行動力のある人」 なのだそうだ。

2002年11月から2004年3月末までの期間に、富樫さんは高校時代からの夢だった 「世界一周」の宿願を自分に果たし、その足跡は63ヶ国に及んだ。さらに2004年10月から2005年1月にかけては、80日間で「台湾徒歩一周」という快挙を成し遂げた。中国の中央テレビや台湾の マスメディア は、この強靭な意志を持つ旅人について詳細に報道した。

視野を広げ、心も体も伸びやかになった富樫さんは、帰国後、国際交流基金の日中交流 センターで、日本で学ぶ中国の高校生の世話をする仕事に携わっている。長年の旅を通じて、富樫さんは「互いに理解し合う」ことの大切さを強く感じたそうだ。特に多くの華人たちが、一人旅をする彼を私心なく助けてくれたことから、それに対する心からのお返しをしたいという気持ちになったのだそうだ。

故郷を離れてやってくる中国の子供たちに安心できる住居を与えるため、富樫さんは中国の高校生を受け入れてくれる学校を探し、学校と交渉し、北海道から沖縄まで 、日々奔走している。そして、中国からの高校生たちが異郷での勉強と生活にようやく慣れてくる頃には、次に来る新しい留学生たちのための準備にとりかかる。もはや、出張が日常生活となってしまった。だが、「疲れはするけれど、中国人留学生たちの笑顔を見るのが何よりも嬉しい」と彼はうれしそうに語る。

20年前、少年だった富樫さんが未来の自分へ書いた手紙にはこう書かれていた。「21世紀は中国の時代です。」20年後の今日、青年となった富樫さんは、本当に全身全霊で中国に関わる仕事をしている。かつて彼は大海原を越えて旅をし、海よりも広い大志を心に抱いた。いつか新聞やテレビで、彼が「中国全土をめぐる」姿を見る日がやってくるかもしれない。

  橋本竜男(はしもと たつお)

株式会社フーシャンメディア・ジャパン 社長
中国語ドットコム  http://chugokugo.com/
中国語熱烈放送局〜 Chinese Hot Station 〜  http://voiceblog.jp/chs/
ジャスミン茶を飲みながら…共渡快楽漢語時光 
http://voiceblog.jp/chs-jt/

日本の中国語学習愛好者で「中国語ドットコム」を知らない人はいないだろう。中国語学習のためのネットサイトである。「中国語熱烈放送局」による中国語学習雑誌、書籍、ソフトウエアなどのプレゼントや、「共渡快楽漢語時光」の女性司会者の美しい声には、何ともいえない魅力がある。「これらのサイトがあったから中国に興味を持ち、中国語を勉強して、中国語が好きになった」という日本人も多い。

この三つの人気サイトは、実は一人の日本人によって計画され、構築され、運営されている。その日本人とは、いつもはにかむような笑顔をたたえた若者、橋本さんである。

元々ソフトウエア開発エンジニアだった橋本さんは、日本の多くの大企業のために中国語学習ソフトウエアを開発してきた。2005年末、彼は中国をもっと肌で感じたいと考えて上海に渡り、そこで半年間生活した。そして帰国したときは、すでに上海浮山媒体(フーシャンメディア)公司日本支社の社長になっていた。自らの経験から、日本の中国語学習市場に出回っている教材には面白みのないものや似通ったものが多いのに気付いた彼は、敢然と新しい道を切り開き、まず「音声」から始めて、中国語学習の方法や教材などを生き生きとしたイメージで発信した。

「中国語熱烈放送局」では中国語教材出版社の編集者や日中翻訳ソフトの開発エンジニアを呼んで、学習のコツや開発のこぼれ話などを話してもらい、「共渡快楽漢語時光」では「ジャスミンティーを飲みながら、ゆったりした気分で」というイメージで、聴取者を中国語の香り高い味わいへといざなう。

橋本さんにはもう一つ、驚くべき計画がある。4月から橋本さんの運営する「中国語ドットコム」が、日本全国の中国語愛好者が共有するSNSサイトに変身し、「中国語をキーワードとして、ますます発展する日中文化交流の中でこの分野におけるNo.1を勝ち取る」のだという。志があれば、事は必ず成し遂げられる。橋本さんのこの雄大な目標が一日も早く現実のものとなるように応援したいと思う。

  佐治智(さじ あきら)

独立行政法人国際交流基金 日中交流センター 
サイト企画、構築、管理者
「心連心(heart to heart)」  http://www.chinacenter.jp/

佐治さんの文章は非常に流麗で、彼が大学時代に IT を専攻していたとは想像しにくいが、もっと驚かされるのは、大学院の論文の中では、「国歌」という中国映画が話題になったということである。「日本と中国の文化交流、特に文化が持つ力を研究することに興味があるんです。」と佐治さんは言う。

IT のしっかりした基礎と日中両国の文化交流を促進したいという願いを持った彼が、国際交流基金の日中交流センターでサイトの企画と構築の担当になったとき、この「心連心」という名前の中国語と日本語のサイトを、図書館、映画館、カフェなど様々な交流地点を備えたネットワークシティとしてデザインしたのは自然なことだった。

このネットワークシティは、日中両国の人々が相手の国の最新の映画を鑑賞したり(映画によって一衣帯水の隣国の日常を理解する)、日本地図の中を歩き回ったり(その土地を観察して自分の考えや意見を発表する)、ネット上で瞬時に翻訳を行ったり、日本で学ぶ中国人高校生たちの日記を読んだり(彼らの生活は一般の日本人にどんな影響を与えているだろう)することができる、とても不思議な街であり、このサイトで日中両国の若者たちは時間を忘れて、国境を越え、真の心と心の交流を行うのである。

現在、佐治さんは「心連心」サイトを運営する一方で、ネット世界から現実世界に戻って、日中両国の間で活躍している。 4 月中旬には成都の「日中交流の窓」が開放される。これは佐治さんが企画に参加した、中国内陸で初めての日本の現代文化発信空間であり、現地の若者たちはここで無料で日本の最新の漫画を読んだり、日本の最新の映画を鑑賞したり、日本の最新の音楽を楽しんだりできる。

「現地の中国人にも、日本の生き生きとした現在を体験してほしいんです。」佐治さんは「日中交流の窓」の将来に大きな期待を寄せている。

  江田真由美(えだ まゆみ)

日本貿易振興機構(JETRO) 海外調査部 中国北アジア課
JETRO公式サイト http://www.jetro.go.jp/indexj.html

まだインクの匂いも真新しい「ジェトロセンサー」という雑誌が私の前に置かれ、「中国:化粧品市場で外資のシェア争いが激化」という論文のタイトルが私の視線を引きつけていた。「江田真由美」と署名されたこの論文は実に理路整然としており、その論点の明晰さには感嘆させられた。

JETROの応接室で、江田さんは終始笑顔を絶やさずに記者の質問に対して次々に答えてくれた。その熱意ある態度の中には、上品な魅力がたたえられていた。

日本貿易振興機構(JETRO)海外調査部は、各種の貿易投資関連のコンファレンスやイベント、各業界の専門家や政府要人を招いての討論、マクロ経済などの調査を通して、海外における日本の各種企業のビジネスに資する情報提供を 目指している。 江田さんはここで二年あまり働いており、中国各地の事務所の駐在員と連絡をとりながら、北京や上海におけるコンファレンスの運営や市場調査を行っている。

先ごろ、コンファレンスに出席するためにやって来た中国人記者たちを接待し、彼らと一緒に日本の遺跡や地方都市などを訪れる機会があった。中国人記者と日中の歴史や対日感情について率直に語り合うなかで、日中両国のメディアによるステレオタイプな報道が往々にして事の本質を覆い隠している、ということを感じたという。一人の人間としてコミュニケーションを図れば、「中国人」や「日本人」という先入観を超えて意思を通じ合わせることができると思う、と江田さんは語る。

江田さんの最大の願いは、いつか青蔵鉄道に乗ってチベットを見に行くことだという。かつて中国の様々な側面を詳しく理解するために、わざわざ留学先に台北を選んだのと同じように、彼女は世界の屋根に立って中国の大地を俯瞰し、この悠久の歴史を持つ大地の雄大な脈動を感じてみたいと考えているのだ。

この一年、私はたくさんの取材を行い、多くの古い友人や新しい友人と語り合った。紙幅に限りがあるので、今回は彼らを代表する数人の若者たちについて簡単に紹介することしかできなかったが、これを読まれたみなさんが、私と同じように、日中両国の未来に対して、またこれらの積極的に行動する若者たちに対して新たな認識を得て、彼らに共感と信頼の気持ちを持っていただけたら幸いである。