ホワイトデーの朝、私はいつもと同じように冷たい風を突いて、会社に向かって急いでいた。
広い交差点の横断歩道を渡りきった時、突然、後ろの自動車から短い警笛が聞こえた。日本の大都市では、このような警笛の鳴らし方をすることは珍しい。驚いて振り返ると、それは横断歩道の手前に停車していた自動車で、運転手がこちらに向かって何か言っている。
別に事故が起こったわけでもないし、中国でよくやるように警笛で知り合いに挨拶したのだろうかと思った。
不思議に思っていると、車からはまた低く短い警笛が鳴らされた。
『あら!』この時、後ろにいた女性が驚きの声を上げた。彼女と一緒にいた若いスマートな若者が慌てているようすが目に入った。
――このときになって、私は気がついた。横断歩道の中央に、ふわふわとしたイタリア製と思われるシルクのスカーフが落ちているのだ。さっき私が手をつないだ新婚夫婦(?)のそばを通りぬけた時には、そのスカーフは女性の襟元にあったはず。二人は幸せ気分に浸っていて、滑り落ちたのに気がつかなかったのだろうか?
男性は急いで拾いに行こうとしたが、女性が慌てて彼を引きとめた。青信号が点滅していて、停車していた車が動こうとしている。このような交差点で赤信号で飛び出したらどうなるか、彼女にはわかっていたのだ。
私は出勤しなければならないのも忘れて、立ち止まって見ていた。空気が固まったようだった。女性は両目を閉じて、力なく男性にもたれかかった。スカーフの痛ましい運命に耐え難いというふうに。
信号は変わり車が流れ始めた。この瞬間、先頭の車が奇妙な動きをした。かすかに右に寄り、大きな弧を描いて、目の前のスカーフをよけてから、左に戻って走り去ったのだ。それに続く車も、ちょっと戸惑うように停車してから、やはりスカーフをよけて走り去った。一台、二台、三台……
信号が再び変わったとき女性は男性の手を振り切って横断歩道に走って行き、無傷のスカーフを拾うとしっかり胸に抱きしめた。彼女の春のような笑顔を見て、あのスカーフは今朝彼がプレゼントしたばかりのものかもしれないと思った。
ホワイトデーの朝、仕事場に急ぐ車の流れと人の流れの中に、私は他人の幸せのために道を譲る優しい日本人たちの姿を見た。もちろん自動車教習所の教科書には、小さなスカーフ一枚にこのように対処せよと書いてあるわけではない。だが、あの車列の無言の行動が、小さな声でこうささやいているように思えた。「顔には微笑みを、心には善意を」 |