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タイトル:[希望のトポス]『2007年、ユマニスム復興への期待』の反照  2007/01/07


[希望のトポス]『2007年、ユマニスム復興への期待』の反照
2007.1.7

【画像】

<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070107

f:id:toxandoria:20070107234107j:image
Parthenon -- Athens Acropolis(presented by Photo Library of Unive
rsity of Richmond Department of Classical Studies、http://oncampus.ric
hmond.edu/academics/classics/photos/index.html) 

・・・・・

ギリシアの古典文化(プラトン、アリストテレスなど)がイスラムとビザンツ
を経由してヨーロッパに伝わり、それがヨーロッパへの大きな刺激となったた
め、13世紀のイタリアを嚆矢とするルネッサンス文化が開花したとする、いわ
ゆる「12世紀ルネッサンス文化論」は、アメリカの歴史家チャールズ・ホー
マー・ハスキンズ(Charles Homer Haskins 1870-1937/参照、http://en.wikip
edia.org/wiki/Charles_Haskins)が、著書『12世紀ルネサンス』(The Renais
sance of the twelfth century/1927)の中で初めて提唱したものです。

ところで、昨年9月に急逝した歴史家・阿部謹也氏の絶筆(著書)『近代化と
人間』(朝日新書)によると、その「12世紀ルネッサンス」に活躍した哲学
者の一人である“サン・ヴィクトールのフーゴー”(Hugues de Saint-Victo
r/1096-1141/ベルギーあるいはドイツのザクセン地方で生まれパリのサン・ヴ
ィクトール修道院に入り、後に同修道院長としてサン・ヴィクトール学派の創
始者となった)は、著書『ディダスカリコン(Didascalicon)』(ギリシア語
で“学習に関する”の意味で、一般には「学習論」と訳されている)の中で次
のように述べています。・・・ある賢者は学びのあり方と形式について尋ねら
れたとき、こう述べている。『謙虚な精神、探求の熱意、静かな生活、黙々と
した吟味、貧しさ、“異国の地”、これらは往々にして、多くの人々に読解の
折の不明を明らかにしてくれるものである。』

更に、その“異国の地”についてフーゴーは次のように述べています。・・・
全世界は哲学する者たちにとって流謫の地(=流刑の地)である。「祖国が甘
美である」(=自分の国だけが美しい)と思う人はいまだ脆弱な人に過ぎな
い。けれども、すべての地が祖国であると思う人はすでに力強い人である。が
しかし、全世界が流謫の地であると思う人は完全な人である。第一の人(第一
級の人)は世界に愛を固定したのであり、第二の人(二流の人)は世界に愛を
分散させたのであり、第三の人(三流の人、愚かな人)は世界への愛を消し去
ったのである。・・・以下、省略・・・そして、阿部謹也氏は『この部分は、
おそらく日本人には最も理解しにくいところでしょう』と書いています。

また、阿部謹也氏は、「12世紀ルネッサンス」の一派であるシャルトル学派
が自然科学も含むリベラルアーツ(中世の教養諸学科)の目的が神的な世界を
理解する知識を与えるとともに、人間に対して宇宙の中での人間の位置の自覚
を促すとともに、全世界的な被造物の美しさを味わうことを教えるという目的
も持っていたと指摘しています。一方、その当時のスコラ神学の主流は、“宗
教功利主義的な立場”から、このようなリベラルアーツの目的を厳しく批判し
ています。つまり、スコラ神学の主流からすれば、学習(教育)の目的は、あ
くまでも実践的なものであるべきで、ズバリ言えば、それは「富」(カネ)の
ためでなければならなかったというのです。

ここから、現代世界の混迷の元となっている「市場原理主義」(断じて、ここ
では市場主義そのものを指していない!)の根が非常に奥深く、深刻であるこ
とが分かります。それとともに、今、わが国の政治の主流を占める権力者たち
(小泉→阿部政権を支える一派、および闇の部分)が、何故に「美しい国」と
「市場原理主義」を何の矛盾も感じることなく国家経営の柱として高く掲げて
いることも理解できます。つまり、彼らは明らかに「第三の人(三流の人、愚
かな人)」たちであり、彼らには「科学と因果律の区別を理解できるだけの歴
史認識とリベラルアーツ」(常識ある人間としての教養)が決定的に欠けてい
るのです。その上、彼らには「世界」と「全世界に住む人間」についての真実
を知ろうとする「強い、人間としての意志」がありません。それどころか、彼
らは「追憶のカルトに蝕まれた歪んだ意志」しか持っていないのです。

既述のサン・ヴィクトールの著書『ディダスカリコン(Didascalicon)』の中
には次のように辛辣な言葉もあります。・・・多くの人は、その生来の素質ゆ
えに、彼らにとって簡単なことであっても、ほとんど知的に理解することがで
きないままだ。私にはそれらの人は二つの種類に大別されるように思われる。
まずは、自分の愚かさを自覚していないわけではないのに、学識を得るために
できる限りの努力をする人々がいる。不断の勤勉さによって、努力によっては
より少なかったであろうしかるべき学識を、意欲の結果として身につけるの
だ。他方、重大なことを自分が理解できるとは決して思わず、些細なことも見
逃してしまう人々もいる。怠惰な無為に安寧とし、理解できる些細なことを学
ぼうともしないだけに、重大なことでも真理を照らす光をいっそう失うのだ。
そのため詩篇には次のようにある。「彼らは、正しい行いをするよう理解しよ
うとはしなかった」(注1)。知らないことと知ろうとしないこととの間には大
きな違いがある。もし本当に知らないならば、それは能力がないためだが、知
を忌み嫌うのは歪んだ意志のなせる業だ。(注1);詩篇36の4[この部分は、h
ttp://www.medieviste.org/archive/versio/Didas_I.htmlより、部分引用]

このように見てくると、ホワイトカラー・エグゼンプション制度の導入につい
て、国民生活の現実を無視した安倍首相が“日本国民の多くが、家で家族そろ
って食卓を囲む時間はもっと必要ではないかと思う。だから長く働くほど残業
手当がもらえる仕組み(=現在の、正当に残業が付く制度)を変えれば労働者
が働く時間を弾力的に決められるようになるので、結果として、国民が家で過
ごす時間も増える。そうすれば、結果的に子供も沢山生まれるようになり少子
化対策にも役立つ。”などと発言して、かなり多くの人々から“そんな、アホ
な!”と顰蹙を買うことになるのです(参照、http://www.asahi.com/politic
s/update/0105/007.html )。しかしながら、このように国民とサラリーマンの
生活の現実を無視したバカゲタことを言われながら、一向に腹が立たないメデ
ィアと国民が多いことも日本の悲惨な現実です。

・・・参考まで、[2007-01-02付、toxandoriaの日記/2007年、ユマニスム復興
への期待、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070102]へのコメント&レス
を、以下に転載しておきます。・・・

[コメントを書く] 

# toxandoria 『kaisetsu 様

新年おめでとうございます。TBありがとうございます。

安倍政権の「美しい国」については、遊就館の歴史認識のみならず、教育バウ
チャー制度の導入も根本的な誤りだと思っています。』

# kaisetsu 『謹賀新年 所謂、小泉的な偽装・ペテン政権から、どのように方
向転換するか、が去年から続く、国政のチャレンジだと思います。この問題を
難しくしているのが、愚民の小泉劇場ファン層(墓堀人に貢ぐ層、墓穴層)
と、世間に巣食う癒着・火事場泥棒層です。

安倍政権は、敵と味方が同居する、呉越同船内閣で、郵政離党組の復党で、一
層、呉越同船色が濃くなりました。おそらく、安倍氏が嫌った「曖昧な日本の
私(大江健三郎氏)」状態に、安倍氏自身が陥っている状況です。
教育バウチャー制度の導入については、Kaisetsuも反対です。教育委員会の強
化に向かっている安倍政権の態度には、大きな不信感を抱きます。天下り禁止
の緩和方向も間違っているし、財界言いなりの法人税関連減税や残業代ゼロ路
線も、間違っています。安倍氏が、まず、行うべきことは、アンチ小泉宣言
と、郵政民営化を含めて、全ての小泉政権下の法律の一時停止、小泉チルドレ
ンの自民党放逐だと思います。』

# toxandoria 『sophiologistさま、本年もよろしくお願いします。記事紹介&
TBありがとうございます。

「連続的同一性=悪魔」論に同感です。スコトウスの「自由意志論」も、これ
を指摘していたと思います。これが、カルトの本性だと思います。

イベリア半島のレコンキスタ(特に終盤のレコンキスタ)も、西欧の十字軍も
カルト段階のキリスト教史の一コマだったと思います。

その後、長い時間を経て、やっとのことでソフィスティケイトされたキリスト
教はブッシュ一派によって再びカルトの闇に引きずり込まれました。その一つ
の証拠は、未だにブッシュ政権が地球環境問題の根本(=地球温暖化問題)に
無関心であることです。

そのためか、重大な知見と見做すべき「30 October 2006、Stern Review on th
e Economics of Climate Change」(http://www.hm-treasury.gov.uk/independ
ent_reviews/stern_review_economics_climate_change/sternreview_index.cf
m)も、ブッシュ一派のアメリカが指導する世界の大勢からは無視されていま
す。

ただ、このStern Reviewのお膝元である英国のブレアは、この報告書に注目し
ているようです。この辺りから英米に隙間風(薫風?)が吹き始めることは却
って有意義だと思います(参照、http://www.janjanblog.jp/user/stopglobalw
arming/stopglobalwarming/7849.html)。

今や、我が国でも「日本伝統の神道」と「靖国信仰」(追憶のカルト)を同一
視する偏狭な心情の人々の増加傾向が見られますが、これは根本的な誤謬だと
思います。この点で、“小泉、安倍、石原(慎)、小林よしのり”らが高々と
掲げる「美しい国」はドグマ化した「追憶のカルト」です。元来、「美」は多
様であるはずです。

彼らがカルト信者たる所以は、論理も、因果律も、ヒューマン・コミュニケー
ションも、地域社会も彼らには無関係(無関心なコト)であるからです。そこ
にあるのは自己中心的でナルシスティックな「連続的同一性化した美しい国」
があるだけです。それは、毫も“生命の宿り”が存在しない悪魔化した世界で
す。

喩えてみれば、それは「永遠に指示待ち状態のコンピュータ・ソフト」を命懸
けで有り難がって信仰するようなものであり、まことに愚かしい“邪神信仰”
(or馬のシッポ信仰)だと思います。こんなモノに付き合いをさせられる日本
国民はいい面の皮だと思います。

これから本格化するであろう教育改革(教育バウチャー制度など)や改憲論議
についても、先ず、このような視点から押さえるべきだと思っています。』

# sophiologist 『toxandoria 様

新年おめでとございます。今年も記事を楽しみにしています。さて、どうも、
コメントありがとうございます。

先の[歴史の評価]再考「パパ、歴史は何の役にたつの?」の論考にコメントし
ようと思っていましたが、先に、コメントをしていただくかたちになりまし
た。分子生物学の「関係子」という概念は、正に、プラトニック・シナジー理
論の差異共振シナジーにおける差異の働きに重なると思いました。

また、ドゥンス・スコトゥスの個の概念は、不連続的差異・特異性に重なると
思いました。結局、toxandoria氏が考えられている思想とプラトニック・シナ
ジー理論と重なります。

さて、アメリカでは、中間選挙で、民主党が勝利して、いよいよブッシュ政権
は、分裂症になったようです。一方は、帝国主義路線、他方は、多極化路線で
す。しかし、アメリカはポスト・ブッシュで、路線を後者へと明確に切り替え
るのではと思っています。

問題は、日本ですね。確かに、安倍政権は、カルト的なものを抱えています
ね。安倍首相の年頭の記者会見を聞き流しましたが、抽象論で説得力がないで
すね。大企業路線と民主路線の言葉だけの整合性で、実体は、前者に押し切ら
れていると思います。

今年は参院選挙がありますが、私は、一度、小沢一郎に政権とらせた方がいい
のではと思います。もっとも、雑居状態の民主党ではだめだと思っています
が。小泉/安倍カルト路線から脱却する方法は難しいですね。国民が財政破綻
を身体で感じることが必要だと思います。私の経験からでは、頭ではだめで
す。身体に痛みが来ないと人間は動きません。それでは遅過ぎるのかもしれま
せんが、とまれ、いたずらに明るいヴィジョンを説くよりは、悲劇的ヴィジョ
ンを言う方がいいと思います。

後、20代〜30代の意見を反映する政治が必要だと思います。老害日本です
から、かれらの意見を吸い上げるようにすれば、政治は変わると思います。

今年もよろしくお願いします。』

# sophiologist 『toxandoria様

日本の「カルト」的政治ですが、自公政権とは、正に、近代合理主義と霊的世
界観の合体で、連続的同一性の「カルト」・全体主義政権であります。以下、
最新の私のブログから引用させていただきます。

「さて、先に問題となった、「霊」のことであるが、以上の考察からすると、
身体・コスモス的主体の連続的同一性が考えられるのであり、それは、確か
に、神秘主義的身体と言えるだろう。この神秘的身体を、「霊」と呼びうるだ
ろう。しかし、これは、他者の身体であり、知的認識主体を従属させるので、
たいへん危険である。シュタイナーの人智学であるが、それは、霊主体従とし
ているが、正に、これは、知的認識主体iを従属させているものであり、倒錯・
錯誤・反動と言えるだろう。

つまり、「霊」的世界観は、近代合理主義と同様に、偏頗な、誤れるものであ
り、それは、人間を「霊」の従属者にしてしまうのである。精神世界や新興宗
教の問題の本質は、ここにあると言えよう。オウム真理教があのように全体主
義になったのは、論理的帰結である。そう、近代合理主義とオカルト主義は一
致するのである。それは、全体主義、カルト主義になると言えるだろう。

現代、日本社会の問題はここにあると言えるだろう。自公政権とは、正に、近
代合理主義と霊的世界観との合体である。これは、全体主義を生むのである。
日本社会は、このカルト主義から脱却しないと、アメリカの従属・隷属国のま
ま、没落・滅亡するだろう。日本を救うのは、プラトニック・シナジー理論/
プラトニック・シナジー・サイエンスである。ポスト近代主義の、トランス・
モダンの理論、未来・希望の理論がここにあるのである。」
http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20070111』

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