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[希望のトポス]2007年、ユマニスム復興への期待 2007.1.2 【画像】 <注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070102 f:id:toxandoria:20070102115458j:image Photograph of the Sunrise.Photographer: Ian Britton、presented by fre e picture bigfoto com.http://www.bigfoto.com/miscellaneous/photos-01/ f:id:toxandoria:20070102115622j:image ミラノ、ドウオーモの遠景(撮影 2006年8月) (日本社会の混迷度を促す二つの背景) (その一) 阿部謹也著『近代化と世間』(朝日新書)によると、約9世紀もの闘争の歴史 を経て(およそ中世の半ば頃に個人(分割できないモノ≒a single object or thing)という言葉が出来てから)ヨーロッパの「個人」はフランス革命の頃を 経て漸く実質的な権利を手に入れました。 その結果、欧米諸国は個人主義を基本とする近代化を成し遂げます。明治以降 には、日本も近代化(欧米化)を口実として凡ゆる国の制度を欧米風に改革し てきました。しかし、明治政府は「人間関係のあり方」(=主従関係など)の 近代化まで手をつけることができませんでした。 その空白部分に巧妙に摺りこまれたのが、日本を守る国民会議の発起人として 活躍し、皇国史観を提唱した歴史学者・平泉澄(1895-1984)による「国体の精 華のイデオロギー」(皇国日本の“美しい花”を死守するために闘うというナ ショナリズム意識)です。 小泉前首相の靖国神社参拝を批判したため、右翼団体幹部によって放火され、 山形県・鶴岡市の自宅を焼失した自民党・衆議院議員加藤紘一氏によれば、小 泉・安倍政権及び小林よしのり氏らの考え方は明らかにこの流れを汲んでいま す(参照、加藤紘一著『テロルの真犯人』(講談社))。 (その二) また、ヨハネス・ドウンス・スコトウス(Johanes Duns Scotus/ca.1265-1308 /スコットランド出身、フランシスコ会派のスコラ神(哲)学者/パリ大学教授) は、「アウグスティヌス神学とキリスト教の融合」(=トマス・アクイナスの 「自然経験主義的な傾向」と「キリスト教」の安易な融合)を徹底批判したこ とで名高い人物ですが、彼は人間の現実世界における「個人意志」と「自由」 に基づく「行動」を重視する立場に立っています。 ただ、スコトウスの「個人意志」と「自由」が向かう方向は「善」(倫理観) であり「利己心の徹底追及」(私利私欲の徹底追及)ではありません。従って、 スコトウスの立場からすれば、現代アメリカ発のワシントン・コンセンサス (新自由主義思想の実践)を前提とする「市場原理主義」は誤謬ということに なります(参照、toxandoriaの日記『自由と実践理性の葛藤、その現代的意味(1/2)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050403、『自由と実践理性の 葛藤、その現代的意味(2/2)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050404 )。 (更なる混迷の予兆) 1月1日付・時事通信(ネットニュース、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a =20070101-00000009-jij-soci)によると、2007年の新年を迎えられた天皇陛下 は宮内庁を通じて感想を公表し、「互いに信頼し合って暮らせる社会を目指 し、力を合わせていくよう、心から願っています」と述べられたそうです。こ の天皇陛下のご発言は非常に重要だと思われます。 <注>既述の皇国史観の歴史学者・平泉澄のイデオロギーの中には、天皇の考 えが誤っている場合はそれを正統アカデミズムが諌めるべきだという考え方が ある。 同日付・読売新聞(ネットニュース、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=200 70101-00000101-yom-pol)によると、安倍首相は年頭所感で「憲法改正につい て国民的な議論が高まることを期待している」と訴えています。 加藤紘一著『テロルの真犯人』(講談社)は、「日本の若い世代が右へ右へと 流される原因の一つは、靖国神社・遊就館の展示方法(歴史認識)が“第二次 世界大戦は日本による西側帝国主義からの解放だと若い世代に教えている (米・下院外交委員長ヘンリー・ハイド氏)ことによる」ことを指摘してい る。 ・・・なお、この部分に関しては保守派の中でも混乱(意見の分裂)が起きて いる。例えば、遊就館の展示方法(歴史認識)の見直しを岡崎久彦氏(元・外 務省情報調査局長)が勧告したことに対し、小林よしのり氏は激しく批判して いる。 一方、2006年12月30日付・読売新聞(ネットニュース、http://headlines.yaho o.co.jp/hl?a=20061230-00000102-yom-soci)は、日本を代表する優良企業・ト ヨタ自動車が「名古屋国税局の税務調査を受け、2004年3月期までの3年 間で、約60億円の申告漏れを指摘されていたことが30日、わかった」と報 じています。 (ユマニスム復興への期待) これからは、日本国民の一人ひとりが「人間の権利と正しい意味での民主主義 国家のあり方」と「正当な経済・企業活動のあり方」について、今まで以上 に、それを自分自身の問題として真剣に考えることが必要になると思われま す。 前者については、下の二つの優れた記事がヒントになりそうです。 ●年のはじめに考える/新しい人間中心主義(1月1日付、東京新聞・社説、ht tp://www.tokyo-np.co.jp/sha/index.shtml) ●何を変え 何を守るか *1*「国とは」を問い直すとき(1月1日付、北海 道新聞・シリーズ社説1/5、http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?j=0 032 ) 後者については、経済産業省・情報経済課の新原 浩朗課長(経済学博士)の 「日本の優秀企業三十社」を対象とした「優秀企業の条件についての研究」(h ttp://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/niihara/01.html)が参考に なりそうです。これは以前にtoxandoriaの日記『「小泉擬装改革」の対極にあ る日本の「優秀企業の条件」(総集編)』(http://d.hatena.ne.jp/toxandori a/20060211)で取り上げた内容ですが、その結論だけを下に再録しておきま す。 ●結論 (1)「事業領域(ドメイン)を矢鱈と拡大せず、真面目に自分の頭で考え抜 き、愚直なほど自分で理解できる範囲の仕事に限定しながら、それに情熱を傾 けて取り組んでいる」という点に、優秀企業のトップの特徴が見られる。 (2)優秀企業のトップは、このような愚直さの上に「明快な経営ビジョン」 と「非常に高い説明能力」を持っている。 (3)産業分野の新・旧の別、ハイテク・ローテクの別、内需・外需の別など で企業の成長性を論ずる「常識」は、一種の「固定観念」に過ぎない。 (4)優秀企業のトップは、徹底した「現場主義者」であり、「机上の空論 (=論理)」に遊ぶことなく現実社会(自然、文化、伝統、習慣、ヒト、カ ネ、モノ、人的ネットワーク、地域社会など)の「因果律」を大切にしてい る。 (5)優秀企業のトップは、「主流」に甘んじることなく、むしろ「主流」を 厳しく批判できる「傍流の目」を持っている。 (6)優秀企業のトップは、「危機をチャンスへ換える不屈の精神」を身につ けている。言い換えれば、それは徹底した「プラス思考」である。 (7)優秀企業のトップは、「身の丈に合った成長を図り、事業リスクを直視 する」という感性を身につけている。言い換えれば、それは「徹底したキャッ シュフロー管理」による経営であり、「バブル志向」、「売上至上主義」、 「株の時価総額主義」、「野放図な設備投資拡大」などとは一線を画しながら 徹底したバランス経営を行っている。 (8)優秀企業のトップは、「市場」による規律よりも「自社の企業文化」に よる規律(ガバナンス)の方を重視している。それは、企業人としての一種の 「使命感」でもある。 (9)日本企業に経営戦略がないという“アメリカかぶれ”の政治家・官僚・ 学者・企業家・経営コンサルタントらの批判は間違いである。欧米式である か、日本式であるかではなく、要は以上の(1)〜(8)の日本型経営の原点 を見据えることである。そうすれば、そこから日本社会のあるべき活力源の姿 と光が見えてくる。 |