メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[民主主義の危機]安倍政権内における“皇道派と統制派の暗闘”を許す「メディアと民度」の劣化  2006/10/31


[民主主義の危機]安倍政権内における“皇道派と統制派の暗闘”を許す「メデ
ィアと民度」の劣化
2006.10.31

<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061031

f:id:toxandoria:20061031213522j:image
映画『上海の公爵夫人』、Bunkamuraル・シネマ他にて全国拡大ロードショー
公式ホームページ、http://www.wisepolicy.com/thewhitecountess/

・・・・・

まるで萎えきったような風情の主要メディアを尻目に、東京新聞(中日新聞)
の2006.10.29付・社説『週のはじめに考える/バーチャルな改憲論』(http://w
ww.chunichi.co.jp/00/sha/20061029/col_____sha_____000.shtml)は、戦争を
しなかった国が、いつの間にか戦争ができる仕組みを持つようになる様を描い
た絵本『戦争のつくりかた』の制作に協力した翻訳家・池田香代子氏の“戦争
は戦争の顔をしてこない”というコトバで印象深く結んでいます。それは、政
権就任後の安倍首相が、現実的には靖国神社参拝問題を封印する一方で、相変
わらず“教育基本法改正、日本国憲法改正及び共謀罪制定などへの強い意思”
を明らかにしていることから、我われにとって安倍政権の実像がますます見え
にくくなっていることを鋭く分析し指摘しています。

ところで、このようにつかみ所がない「戦争と平和を巡る異様な社会的雰囲気
の広がり」を近代史の中で探ってみると、我が国を取り巻く諸条件や環境が当
時とは全く異なるとはいいながらも、それは我が国でファシズム思想が強まり
つつあった1930年代の空気に非常に良く似ていることに驚かされます。そし
て、この二つの時代に共通する現象の一つは新聞等の主要メディアが時の権力
へまるで傅(かしず)くかのように、殆んど取り込まれ統制を受けていること
です。特に、最も影響力が大きい現代のメディアであるテレビは傅くどころか
率先し、嬉々として時の権力の広告塔の役目を担っているようです。その結
果、ごく少数の人々の“冷静な眼”を除けば、一般の人々にとってはとても理
解しがたい異様な空気が日本国中に充満しつつあります。

別に言えば、今や主要なメディアが萎えたように精気を失っているため「今、
我われ一般国民が認識できるものは『北朝鮮の暴走』(地下核実験やミサイル
による脅迫)と安倍政権の中枢から度重ねて力強く発信される『日本核武装
論』だけが極東における唯一のリアリティであるかのように」思い込まされ始
めています。しかし、我われ一般国民は、実はこのような状況が、どこか異常
であることに少しでも早く気づくべきです。果たして、我われの選択肢は、も
はや『日本核武装論』しかあり得ないのでしょうか? 我が日本が、人類史上
で初めて内外の莫大な人命の犠牲の累積の上で漸く到達し得た、民主主義の最
高地点である『平和憲法』を、それほど気前よくアッサリと捨て去って本当に
良いのでしょうか?

まさに、これは「民主主義国家・日本」(=日本の一般国民)が自分自身で自
らの運命の矢を放つべき「自己責任の問題」であり、その決め手となるのは他
ならぬ「我われ一般市民の主体的な意志」であることを忘れるべきではないで
しょう。つまり、現代の成熟した民主主義国家においては「一般市民の意志の
総体」としての「民度の高さ」が重要な役割を演じるべきなのです。そして、
この「民度」の担い手である一般市民層へ「中庸で良質なインテリジェンス情
報」を公正かつ客観的な立場で提供するのが新聞等のメディア(ジャーナリズ
ム)の本来の役割であったはずです。

これに先立ち、同じ東京新聞の特集記事(2006.09.23付・特報)『安倍新政権
にメディア戦々恐々?』は、安倍政権があからさまにメディア規制を強化しつ
つあることを分析しています。その要点を下に抽出しておきます(http://www.
tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060923/mng_____tokuho__000.shtml)。一方、た
またま発表されたばかりの「国境なき記者団」(http://www.rsf.org/article.
php3?id_article=19388)による「各国別、ジャーナリズムの自由度の順位」が
(参照、下記のデータ&引用記述)、この特集記事の分析を傍証しているよう
で不気味です。このデータを見ると、「2001.9.11同時多発テロ」以降の日米同
盟の絆の深まりが日本の右傾化を後押ししてきたことが分かります。特に、日
本独特の閉鎖的な記者クラブ制度(一種の官製談合組織)と右翼によるジャー
ナリズムへの圧力が一向に改善されないことが、日本のジャーナリズムの自由
度についての評価を著しく下げたようです。

日  本:2002年(26位)→ 途中略 → 2005年(37位)→ 2006年
(51位)
アメリカ:2002年(17位)→ 途中略 → 2005年(44位)→ 2006年
(53位)

(日本の順位が著しく下がった背景/Reporters without Bordersの分析記事
から一部引用)

Rising nationalism and the system of exclusive press clubs (kishas) thr
eatened democratic gains in Japan, which fell 14 places to 51st. The ne
wspaper Nihon Keizai was firebombed and several journalists phsyically 
attacked by far-right activists (uyoku).

●首相になる前から、安倍首相のメディアに対する“開放度の低さ”と“強硬
な統制的姿勢”が目立っていた。

●安倍氏のそのような姿勢が特に目立ち始めたのは、2003年9月に自民党幹事長
へ就任した時に一致している

(toxandoria注記:現在、自民党の幹事長の地位にあるのは、現・安倍政権の
プロデューサーとされる中川秀直氏/同氏は元・日本経済新聞の政治部記者、
つまり現政権の黒幕が新聞ジャーナリズム界の出身であることになる/ここに
は「自民党→新聞各社、総務省→テレビ各局」の見事な恫喝システムの構築が
見られる)。

・・・衆議院選の直前(2003年11月)に、テレビ朝日が番組の中で民主党の閣
僚構想を長く報じたことに抗議し、開票当日に同局への党幹部の出演を拒否し
た。この時は、BRC(放送と人権等権利に関する委員会/報道被害者の救済機関
であるBPO(放送倫理・番組向上機構)内の組織)に安倍幹事長の名で審理が申
し立てられた。

・・・TBSとテレビ朝日の年金問題の放送(2004年7月の参院選の時)につい
て、“政治的な公平・公正を強く疑われる番組がありました”という内容の文
書を報道各社あてに200〜300通も送りつけた。

・・・同選挙戦の最中に「みどりの会議」の中村敦夫代表のHPに掲載されたマ
ッド・アマノ氏(パロディスト)の作品に対して「安倍幹事長名での厳重な削
除要請」を通告した。

・・・2005年8月、自民党は「NHK番組改編問題」で朝日新聞の資料が外部へ流
出したとして、同紙による記者会見以外での党役員に対する取材を事実上拒否
し、同年9月の衆院選でも造反議員への対立候補を敢て“刺客”と呼ばないよう
にとの文書を報道各社へ送った。その後はテレビ局を監督する総務省からのチ
ェックと厳しい要求も増え始めた。

●不気味なのは、これら一連の動き(メディアを通して反論せず、BRCや司法へ
直ぐに訴える傾向/脅しや脅迫に近い圧力をかける手法)と併行して、これら
と直接の関係はないとしながらも、例えば靖国参拝問題に批判的であった加
藤・自民党元幹事長の実家が放火されたように、政権中枢へ批判的な立場の
人々に対する暴力的な攻撃事件が目立ち始めたことである。

●このような傾向に対してはメディア論の専門家からも警鐘の声が出始めてい
る。例えば、上智大学の田島泰彦・教授は、安倍政権が“反対も根強い改憲や
共謀罪制定への意思”を明らかにしていることに関連して「小泉政権はメディ
アを利用しようとしたが、安倍政権は意に沿わないメディアへ直接介入してく
る恐れがある」と懸念を示している。

●また、同氏は「取材からの排除や訴えられることが度重なると、疑念や真実
を問う内容を報じる記者が社内で疎んじられかねない。NHK番組改編問題でも、
取材した朝日新聞の記者や告発したNHK職員は、その後に異動になった」と、既
にメディア側での萎縮が始まっていることを指摘している。

周知のとおり、1930年代の日本では、軍部が中心となってファシズム思想が強
まり、彼らは「昭和維新」(=昭和の改革)を合言葉にファシズム的な国家改
造を夢見ていました。そこで、彼らはワシントン体制(1921年のワシントン会
議と四カ国条約を前提として日本の独占的な中国進出が抑えられた/1930年代
の東アジアを巡る国際協調体制)を前提としつつ英米と協調しながら日本の国
際外交の展開を構想する政治勢力を「現状維持派」として蔑み、自らを「改革
派・革新派」と位置づけたのです。そして、対外的には軍事力強化による東ア
ジアでの覇権を目指し、国内的には神格化された天皇を前面に押し出して政党
政治(議会制民主主義)を押さえ込もうとしたのです。ここで見られるのは、
異分子的な考えや一切の批判を許さぬという、国家ぐるみの「強圧的なイジメ
の構造」です。

一方、このファシズム体制の中核となった日本陸軍の内部では「皇道派」(天
皇に直結した昭和維新を実現しようとする、やや観念的・直情的な青年将校ら
が中心の勢力)と「統制派」(観念的な皇道派に対し、現実的でファシズムへ
の論理的なプログラムを持つ一派/その中心は東条英機、片倉衷、永田鉄山ら
で、謂わばこちらが本家・本命の確信犯的な「日本伝統の追憶のカルト」であ
った)の対立が深刻化していましたが、遂に1936年2月26日(昭和11年)、右翼
(北一輝、西田税ら)と結び皇道派の軍事政権の樹立を目指した青年将校たち
が、歩兵第1・第3連連隊及び近衛歩兵第3連隊ら千数百名の兵士を率いて、ク
ーデタ「二・二六事件」を引き起こします。彼らは、内大臣・斉藤実、大蔵大
臣・高橋是清、陸軍教育総監・渡辺錠太郎らを殺害し、首相官邸・東京朝日新
聞社などを占拠しました。

結局、これら青年将校らの反乱は鎮圧されますが、クーデタの勃発当初に反乱
を容認するかのような態度と措置を取った陸軍首脳部は、自らの失態を隠蔽
し、事件に対する国民からの非難を逸らすために青年将校らを速やかに極刑に
処す決定をします。このため、クーデタにかかわった青年将校らは“一審制・
非公開・弁護人なし”の「特設軍法会議」で死刑の判決を受け処刑されます。
また、一連の粛清人事によって皇道派系の分子は悉く排除され、寺内寿一・陸
相らの「統制派」が実権を掌握し、次いで成立した広田弘毅・内閣のときには
「軍部大臣現役武官制」(1900年(明治33)に山県有朋・内閣で制定された
が、1913年(大正2)の山本権兵衛・内閣で廃止されていた)が復活し、これ
以降、軍部は内閣の死命をその一存で制することになります。その後、広田弘
毅・内閣は「国策の基準」(北方進出と南方進出の基本構想)を決定し、その
ための大規模な軍事拡張政策を推進することになります。

この「二・二六事件」の経緯から透けて見えるのは、一枚上手であった「統制
派」が観念的・直情的な「皇道派」のクーデタを狡猾に利用して“殆んど批判
を浴びることなくカウンター・クーデタ”を首尾よく“合法的に成し遂げた”
ということです。この辺りは、ヒトラーが一般国民の圧倒的な支持の下で“合
法的にナチス政権を樹立した”プロセスと酷似しています。彼らは、これによ
って「皇道派」を抹殺・粛清するとともに英米と協調する形での日本の国際外
交の展開を構想するリベラルな政治勢力であった「現状維持派」に対して圧倒
的に優位な地位を獲得するとともに、国民一般から大きな支持を得ることにも
成功したのです。

このことは、本物の「追憶のカルト」(日本の歴史の中で培養されてきた武断
的・国家主義的・ファシズム的な思想の系譜)が非常に強(したた)かである
ことを示唆しています。また、これら「追憶のカルト一派」には一定時間内で
の結果を急ぐという傾向、及び一種のエリート主義・貴族主義的な特異な意識
(=大半の一般国民を蔑視するという特異な意識)を持つという傾向が見られ
ます。喩えれば、これは「イラク戦争への突入」を急ぎ過ぎたアメリカのネオ
コン一派の先制攻撃論的な傾向と共通するものです。

なお、このネオコン一派の多くが、少数のエリートによる「永続革命」を夢見
たトロッキスト(極左)の転向組であることは周知のとおりです。そして、今
の日本において、このような意味での倒錯的なアリストクラシー(寄生的職業
の世襲によって、脳内環境が歪んでしまった視野狭窄的な貴族・選良階層意
識)を身に帯びているのが、小泉・安倍・麻生・中川(昭一)ら二・三世の国
会議員たちです。従って、特に留意すべきは、彼ら世襲議員たちが決して「一
般国民のリアリズム」(=一般国民の現実生活)を見て(理解して)いないと
いうことです。つまり、彼らが見ているものは「世襲的な寄生的職業の眼を通
して構築された、まるで「劇画や漫画」(麻生外相が嵌っている!)か「ゲー
ムソフト」のようなヴァーチャルリアリティ」に過ぎないのです。

ともかくも、このように見てくると、“魑魅魍魎の人材を数多く抱えながら、
美しい国という飾り言葉の下で、いい加減な曖昧さを前面へ押し出した安倍政
権の異様で分かりにくい政治スタンス”には非常に危(あやう)い臭いが立ち
込めています。その内心は、上で見たように露骨な形でメディアへの統制を強
める一方で、一般国民の顔色(=支持率調査と投票行動の動向)を狡猾に窺う
というところでしょうが、その舞台裏では“現代版の皇道派と統制派の暗闘”
が行われている節があります。

そして、日本国民(日本の一般市民層)のために民主政治の充実を図ることな
どはそっちのけにした上で、日本の真の国益にとって無関係な彼らの仲間内で
の暗闘を許しているのが「メディアと民度」の底なしの劣化傾向です。因み
に、現代における皇道派と統制派の「暗闘の舞台」を提供するマグマ(=「追
憶のカルト」の揺籃を提供する黒幕的な活動)を具体的に垣間見ておくと、次
のようになります。

・・・歴史検討委員会、日本会議国会議員懇談会、神道政治連盟国会議員懇談
会、旧・終戦50周年国会議員連盟、(日本の前途と歴史教育を考える)若手議
員の会、超党派議連・歴史教科書問題を考える会、教育基本法検討特命委員
会、etc

日本の民主主義の根本を巡る問題が深刻なのは、このようなメディアの劣化傾
向に加えて「民度の劣化」を象徴するようなカネ絡みの醜悪な事件が後を絶た
ないことです。そして、あの耐震擬装事件では上層部への捜査がウヤムヤのま
ま幕引が行われたことからも分かるように、近年は国会議員レベルのガードが
より固くなったこともあって、特に地方自治体の官製談合事件絡みで「民度劣
化の証拠となるリアルな醜態」が露呈しています。

例えば、福島県発注工事(今も捜査が続行中)の「官製談合を巡る一連の汚職
事件」では、逮捕された佐藤栄佐久容疑者(前知事)の元秘書が、東京地検特
捜部の事情聴取に対して「2004年の前回知事選挙で、県議に約2億円の裏金を
渡した」と供述しています。また、この前知事の各選対支部には500万円前後
(総額で数千万円)の現金が配布されており、更に、この他に各市町村ごとに
開設された選挙事務所などにも選対支部とは別ルートで現金が蒔かれていま
す。しかも、この前知事が権勢を誇った18年間の各選挙のたびに1億5千万円〜
2億円の裏ガネが県内でバラ蒔かれてきたことが、関係者の証言で明らかにな
っています(2006.10.29付・河北新報)。

これは、日本の選挙の吐き気を催すほど醜悪きわまりない実像です。しかしな
がら、それは決して福島県だけの特殊事情ではなく、全国の自治体選挙と国政
選挙にかかわり蔓延している「日本の民度の劣化」の実に情けない現実なので
す。しかも、26日に公示された、新しい福島県知事を選ぶための知事選挙で
は、古い保守地盤の奪い合いを巡って、自民党と民主党の間で“醜悪きわまり
ない仁義なき暗闘”が繰り広げられているようです(2006.10.27付・日本経済
新聞)。同記事は“選挙の幅を広げた有権者の無名のカンパが実現して法定費
用内で選挙が収まるようになれば日本の選挙の風景は名実ともに一新するだろ
うが、今のように清潔やクリーンのスローガンが叫ばれるだけでは、ヤミ献金
や贈収賄はなくならないだろう”と分析しています。

まさに、“日本の真の民主主義実現”への道程は遠いようです。これは前にも
書いたことです(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061026)が、
「このようにダーティな選挙の現実」と「余りにも低過ぎる投票率」(これもh
ttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061026で書いたことですが、投票率が6
0%未満の選挙結果は統計学的に見れば殆んど無意味に近い)を勘案すると、
“2006.10.23付の各紙朝刊が伝えた「衆院2補選=自民完勝!」の大きな活字
の内実”はひどく怪しげなものに見えてきます。

しかも、その少数(対有権者総数で30〜50%程度)の投票者のうち約1〜2割
ほどがカネで(直接的な利害関係を含めた買収的行為に釣られて)投票行動を
決めている可能性があるとすれば、一体、この日本は本当に民主主義の国だと
言えるのでしょうか? このため、全てが今のままであるならば、今後の日本
にとって相応しい飾り言葉は安倍総理が好きな「美しい国」でも「クリーンな
民主主義国家」でもなく、精々のところ「プレタポルテ型民主主義の国・ニッ
ポン」です。それは、殆んどの国民が「カネだけで行動を決めるプロ政治家と
プロ選挙民」の言い成りになる国家です。それは一般国民が主権を放棄した
「お任せ民主主義の国」に他なりません。

「二・二六事件」が起こった翌年の1937年7月7日(昭和12)に、日本軍は北京
郊外(「北清事変」(1900年)後の1901年に締結した北京議定書で日本軍は北
京郊外での駐屯権を得ていた)で中国軍の発砲を受けたことを口実に軍事行動
を開始し、それは日中両国軍の本格的な軍事衝突である「盧溝橋事件」に発展
します。この時、近衛文麿内閣は現地での停戦協定を無視して大軍の派遣を決
定したため日本は全面的な侵略戦争へ突入します。これが宣戦布告のない戦争
と呼ばれた「日中戦争」の始まりです。一方、中国側では、この戦争が始まっ
た直後の1937年9月に蒋介石が毛沢東の率いる中国共産党の合法的地位を承認し
て「第二次国共合作」(対日民族統一戦線)が成立します。その後、日本軍は1
937年12月に国民政府の首都・南京を占領しますが、この時、日本軍は略奪・放
火・暴行を行い一般住民と捕虜の大量虐殺事件である「南京事件」を引き起こ
しました。

ところで、丁度この1936〜1937年あたりの時代を舞台にした映画『上海の伯爵
夫人』(監督:ジェームズ・アイヴォリー、出演:レイフ・ファインズ、ナタ
ーシャ・リチャードソン、真田広之(注1))が10月28日から公開(bunkamura・
シネマ他にて全国拡大ロードショー)されています。この映画は英国人作家カ
ズオ・イシグロ(日本人だが英国に帰化した作家/これも同じ監督で映画化さ
れた名作『日の名残(なごり)』で英国最高の文学賞であるブッカー賞を受賞
/注2)が脚本を書き下ろした、名匠ジェームズ・アイヴォリー監督(注3)
の最新作です。1936年、上海の租界地区のクラブ(レイフ・ファインズ(注
4)が演ずる盲目の米国人元外交官が経営)に集う謎めいた人々、共産党員、
国民党員そして日本人・・・。この時代のエキゾチックな雰囲気の大都会・上
海の風景をアイヴォリー監督はノスタルジーに満ちた映像美で再現します。ス
トーリーは、このように極東全体に暗雲が漂い始めた頃の上海を舞台にした盲
目の米国人元外交官と伯爵夫人(ナターシャ・リチャードソン、注5)の深い
愛の物語ですが、ラストシーンでは戦争の悲惨さ、愚かしさがリアルに痛々し
く描かれます。

この主人公たちに絡む謎の人物・マツダを演じる真田広之は、彼が主演した映
画『亡国のイージス』(注6)での先任伍長(イージス艦の現場と全ての機能
を熟知したプロフェッショナルの役柄)や『たそがれ清兵衛』(注7)の役
柄、つまり彼がプロであるからこそ誰よりも人間的な目で現実と向き合って生
き抜くという役柄を再び好演しています。ジェームズ・アイヴォリー監督はア
メリカ人ですが英国のロンドンを拠点に活動しており、ハリウッド的な映画文
法に距離を置く人物です。彼は非常に個性的な多くの傑作を手がけています
が、中でも『眺めのいい部屋』(1986年作品、出演: ヘレナ・ボナム・カータ
ー、ジュリアン・サンズ、ダニエル・ディ・ルイス(注8)、『ハワーズ・エ
ンド』(1992年作品、出演:アンソニー・ホプキンス、ヴァネッサ・レッドグ
レーブ(ナターシャ・リチャードソンの母/注9)、『日の名残』(1993年作
品、出演:アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン(注10))などの人間存
在を重厚に、そしてしっとりと描いたリアルで稠密な映像美が忘れられませ
ん。

(注1)http://www.walkerplus.com/movie/report/report4522.html
(注2)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%82%AA%E3%83%
BB%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%83%AD
(注3)http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/typs/id10237/
(注4)http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=ps&id=41237
(注5)http://csx.jp/~piki/richardson-p.html
(注6)http://aegis.goo.ne.jp/story.html
(注7)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000083YBU
(注8)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00009PN1
(注9)http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005L95F
(注10)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CEGVV6

映画『上海の伯爵夫人』のマツダは日本軍のスパイですが、彼自身の心中には
国を想う心と自分のミッションに対する強い誇りがあります。一方でマツダ
は、祖国・日本のためとはいえ自分の目の前にある美しい上海の街を焼いた
り、友情を交わすアメリカ人の元外交官ジャクソンと伯爵夫人ソフィアを裏切
るようなことに酷く心を傷め悩み抜きます。この映画でもそうですが、ジェー
ムズ・アイヴォリーの映画の主人公たちにはある共通した特徴があります。彼
らは、たとえどのような星の下にあるとしても、常にひた向きに、そして誠実
に自分の目前のリアリティーを凝視し、いつでも相手や周囲に対して十分過ぎ
るほどの思いやりを持つことができる強い人間として生き続けるのです。

例えば、『日の名残』のスティーブンス(アンソニー・ホプキンス)は斜陽貴
族である主人ダーリントン卿に仕える執事ですが、彼は自分の残された人生を
徹底的にプロフェッショナルに、そして不器用なほど誠実にプロとしての自分
が見える現実に向き合って生き抜こうとします。これらの映画には、いわばジ
ェームズ・アイヴォリー監督の人生観のようなものが投影されており、それが
英国の良き伝統を象徴する個性的で華麗な映像美を通し鑑賞者の胸中に迫りま
す。それがアイヴォリーの映画ファンにとって堪らないほどの魅力になる訳で
す。そして、敢て一つのコトバで言い表すならば、それは、人間なら誰でもが
自分なりの「diginity」(誇り、品位、気品、尊厳)を大切にするべきだとい
うことです。それこそが、普通の人々にとってのリアリズムであり、そのよう
な意味を理解して生きることが人間の本当の幸せなのだとアイヴォリー監督は
主張しているように思われます。

今や、我が国では「追憶のカルト」に囚われ美しく勇ましい飾り言葉の影にフ
ァシスト的情念を滲ませた世襲政治家たちが政界の中枢を跋扈しています。ま
た、安倍政権内における“皇道派と統制派の暗闘”を許すほど「メディアと民
度」の劣化が進む中で「日本核武装論」が実しやかに囁かれるようになってい
ます。だからこそ、ここで再び我われは『戦争における人殺しの心理学』(ち
くま学芸文庫)の著者、デーヴ・グロスマン氏(米陸軍に現役軍人として奉職
後にアーカンソー州立大学の軍事教授などを歴任した人物)の下の言葉(『〜
 〜 〜』の部分)を思い出すべきです。

『兵士たち・・・その証言が本書の根幹をなしているのだが・・・は戦争の本
質を見抜いている。かれらは「イーリアス」に登場するどんな人物にも劣らぬ
偉大な英雄だが、にもかかわらず、本書で語られることば、かれら自身のこと
ばは、戦士と戦争が英雄的なものだということを打ち砕く。ほかのあらゆる手
段が失敗し、こちらにその“つけがまわって”くるときがあること、“政治家
の誤りを正す”ため、そして“人民の意志”を遂行するために、自分たちが戦
い、苦しみ、死なねばならぬときがあることを、兵士たちは理解しているの
だ。』(上掲書、p35)

ここでは、『“戦争遂行の責任”が政治権力者たちと、彼らを選挙で選ぶ一般
国民の双方にある』ことが明確に書かれています。このような観点からすれ
ば、政治権力者たちと一般国民の双方が“リアリズム感覚”を決定的に失いつ
つある今の日本は、まさに、そのような意味で重大な危機の最中にあるので
す。“人間としての誇りと現実を見る目”を失った「追憶のカルトに囚われた
世襲の政治家たちと、彼らと利害関係を結ぶごく一部の国民」だけが、もっぱ
ら「カネの力」を頼りに『選挙と民主主義』の舵を取り続ける今の日本の姿は
余りにも異常です。

・・・・・以下は気分転換のつもりです。

【ギャラリー、自宅周辺の秋の風景】

“犬権意識”に目覚めた「参政犬」デス
f:id:toxandoria:20061031213854j:image

新興住宅地(仙台市・泉区)なので人工的な自然風景ですが、秋の色が濃くな
りつつあります
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agef:id:toxandoria:20061031214034j:imagef:id:toxandoria:20061031214140
j:imagef:id:toxandoria:20061031214307j:imagef:id:toxandoria:20061031214
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214426j:imagef:id:toxandoria:20061031214452j:imagef:id:toxandoria:20061
031214519j:imagef:id:toxandoria:20061031214543j:imagef:id:toxandoria:20
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