9月9日の夜、京都の東福寺で、東洋と西洋のアート・パフォーマンスの精華を集めた「JAL東福寺音舞台」が開催された。本殿の前にしつらえられた特設舞台の上で、白の中山服を身に付けた呉汝俊(ウー・ルーチン)は、京胡で「飛天」「HERO」「Bridge」などの曲を演奏した。鮮やかに繰り出される京胡の旋律が古寺の空へとこだまし、日本の聴衆たちは中国音楽の美しさ、京胡の音色に酔いしれた。
●京胡で日本の聴衆を魅了
1988年、呉汝俊は運命に導かれて、一衣帯水の国、日本にやってきた。彼に日本の舞台での活躍の道を開いた魔法の鍵は、一本の京胡であった。異国の聴衆を前にして、彼は毎回京胡を演奏しながら、京劇の歌唱法を演じて聴かせた。たった一人で弾いて唱って、京劇のあらゆる役柄を演じ、芝居や立ち回りなどすべてをありありと表現する。そして聴衆たちの母国語を用いて、中国文化の粋である京劇の魅力を余すところなく伝えたのだ。
音楽創作の面では、シンセサイザーとのコラボレーションの試みを開始し、京胡と京劇俳優の声が呼応しあう緊密な力を十分に表現しながら、京胡の音色をシンセサイザー音楽に乗せることによって新しい魅力を引き出した。
呉汝俊の非凡な音楽の才能に、浜崎あゆみや安室奈美恵などのスターを擁するAVEXが注目し、彼に出資してニューエイジのワールドミュージックの風格を備えた新しい感覚のアジア音楽を作り出した。ここで呉汝俊は、敦煌やシルクロードのイメージを描いて中国でもファンが多い喜多郎や、かつてテレサ・テンにたくさんの名曲を提供した三木たかしなどの超一流のミュージシャンたちと一緒に仕事をするという幸運に恵まれた。
2002年、「It’s for you」と題した京胡演奏CDが、日本のクラシック音楽CDランキングベスト5に連続三ヶ月入り、日本の「Time」とも呼ばれる雑誌「AERA」は呉汝俊を表紙に起用すると共に、彼について大きく報道した。
翌年、呉汝俊は日本ゴールドディスク大賞の日中国交正常化30周年記念特別賞を受賞した。その後、彼は「夢郷」「愛」などのCDを次々に発表し、去年はベストアルバム「Bridge」を発売した。たった一本の京胡で、人々を音楽の神秘の境地にいざない、時には楽しく快活に、時には重く悲しく、時には意気揚々と、また時には静かな感動を奏でる。生命力の溢れる演奏によって、音楽が目に見える風景へと広がっていく。
●古いものから新しいものを創造
呉汝俊は学生時代、ふとしたきっかけから「旦」(京劇の女役)を演じて裏声を身に付け、その後余暇を利用して「四郎探母」「二進宮」などの伝統的な女役中心の京劇を練習した。戯曲学院の五年生のとき、有名な京劇俳優の張君秋は、彼が演じた「春秋配」を見て、「二十年前だったら、君は小梅蘭芳と呼ばれただろう。」と言った。(注:梅蘭芳(メイランファン)は京劇の女形の第一人者)
呉汝俊は日本の歌舞伎や能について研究したり、劇団四季や劇団新感線などのミュージカルを見たりする
|
|
中で、異国の演劇に自分の芸術創作のインスピレーションと意欲を呼び覚まされ、2001年には「東方オペラ」の旗揚げをした。そして、自作、自主演出、自演の「楊貴妃と阿倍仲麻呂」を日本各地で公演し、二十七回の公演は大喝采を受け、空前の成功を収めた。
また半年後には「武則天」を公演し、今までにない斬新な舞台を日中両国で実現し、さらに注目を集めた。呉汝俊は武則天が少女から女性へ、さらに一国の母になっていく過程における年齢、身分、性格の複雑な変化を綿密に表現し、血の通った一人の女帝を作り上げたのである。
2004年10月には、「四美人」によって、「中国古代の四人の美女を描く」という長年温めてきたテーマを実現した。西施と范蠡の「剣肝情心」、王昭君と呼韓単于の「大漠情歌」、貂蝉と四人の男の「乱世情殤」、楊貴妃と唐玄宗の「天地情縁」……呉汝俊は四人の美女すべてを一人で演じるという初の試みを成し遂げ、京劇界に大きな革新をもたらした。
今年8月には、中国劇「白鳥の湖」が大きな話題を呼んだ。世界的に有名なバレエ劇の古典的な場面が、中国演劇などの芸術ジャンルの表現形式に取り込まれ、歌唱には京劇、昆曲、評劇、越劇、川劇、黄梅戯、オペラなどの形式を含み、さらにバレエ、中国舞踊、京劇の立ち回り、川劇の「変臉」、マジック、雑技などの総合的芸術手法を用いている。呉汝俊は自ら女主人公を演じ、世界的な身体言語芸術の古典作品を新たに創造し直して日中両国の観衆の前に展開して見せた。
18年前、一本の京胡を携えて日本の土を踏んだ呉汝俊が、18年後には「アジア一の女形」「梅蘭芳の再来」などの最高の賞賛を浴びて、日中両国の舞台やテレビの人気スターになった。海部俊樹元首相、安倍晋三新首相、自民党元幹事長古賀誠、公明党前代表神崎武法、日本日中友好協会会長野田毅などは、みな呉汝俊と「東方オペラ」の熱烈なファンである。呉汝俊が各国で公演を行うたびに、日本のファンたち何百人もが飛行機をチャーターし、駆けつけて応援する。彼らは客席で扇子を手にして喝采を送り、呉汝俊を盛りたてる。
呉汝俊が自分に課した目標は、十年間に十の芝居を創作し、たゆまぬ積み重ねと発展によって、唱(歌)、念(台詞)、做(しぐさ)、打(立ち回り)、舞(舞踊)のすべてにおいて自分の道を歩むことである。そして、自分の芝居とパフォーマンスの風格を、後輩俳優たちの手本として残したいと考えている。
中国の伝統芸術を世界に発信し、世界の芸術の精華を中国の芸術に取り込む。呉汝俊はこれまで血と汗の努力を重ねてきたが、これからも自らの道を迷うことなく歩み続けていくだろう。 |