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[2006年、夏のフランドル旅行の印象/オランダ・総集編1]への「コメント& レス」(追伸) 2006.9.30 ●[2006年、夏のフランドル旅行の印象/オランダ・総集編1](http://d.haten a.ne.jp/toxandoria/20060928)への「その後のコメント&レス」を送信してお きます。 ・・・・・ [コメントを書く] #o_sole_mio 『スキポール空港のSUSHI BARの写真を拝見して5月に立ち寄ったことを思い出 しました。目立つところにあるので良く憶えております。私は食べたことはあ りませんでしたが、味の方はいかがでしたでしょうか。スキポール空港には美 術館があるのですか、今度行った時は是非見てみたいと思います。 欧米の空港に行くと思うのですが、関空などと違ってやたらと歩かないといけ ないのがちょっと辛いです。以前フランクフルトの乗り継ぎで死ぬほど歩かさ れました。 いよいよ安倍政権が発足しました。閣僚、首相補佐官の面々をみると何やら異 様な雰囲気がします。日本をどのように導くつもりなのか非常に気になりま す。指し当たっては教育問題、集団自衛権の行使になるかと思います。toxandr iaさんのご見解をまた記事で拝見したいと思います。』 # toxandoria 『o_sole_mioさま、コメントありがとうございます。 スキポール空港のSUSHIは、胃袋が洋食に飽きていたせいもあったのでしょう か、とても美味しく感じました。ただ、今になって思えば、日本のスーパーで 700〜800円位で売っているほどの握り寿司が、お茶付きで9ユーロは 少々高すぎるような気もしますが・・・。 これも、拡大EU効果(=バラッサ=サミュエルソン定理、http://en.wikipedia. org/wiki/Balassa-Samuelson_effect)によるインフレのせいなのでしょうか。 ついでながら、約1ヵ月後にスキポールに寄った家族の話によると、もう一軒 の「SOBA BAR」で食べたラーメン(9ユーロ、これも高い!)も、やはり美味 しかったとのことです。 仰るとおりスキポールの広さには驚かされますね。JALの登場口は末尾の番号だ ったのでチェックインの場所から、凡そ15分位歩きました。最長では20分は見 ておかないと危ないと聞きました。これは、スキポールの評価が高い「ワン・ ターミナル・コンセプト」の弱点かも知れませんね。もう少し、工夫が必要だ と思いました。 たしかに安倍政権には“異様な雰囲気”があります。あまり気付かれていない ようですが、300万・東京都民の信認を得ていると自負する、あの石原・東京都 知事がエラく安倍政権を持ち上げていることが気掛かりです。少々、次元の違 うような話になりますが、今、読んでいる『ミメーシスを超えて』(勁草書 房)のエピローグで、著者の岡田温司氏(バイオポリティクスに注目して いる京都大学総合人間学部助教授、美学美術史学担当)が次のように書いてい る件(くだり)が目に止まりました。このような観点からすると、やはり二 世・三世の政治家たちが語る「美しい」国というコトバには、十分に用心しな ければならないと思います。 前略・・・私たちが過去を想起したり記録するとき、はからずも。それを語る 現在の私たち自身の幻想や欲望が投影されるのは避けがたい。知の対象と知の 行為を切り離すことはできないのだ。だからといってもちろん私は、歴史にか こつけて何を語ろうと自由だ、などと居直るつもりはない。絵の見方、そして 美術の歴史の語り口をこれまでの「父の機能」の一党支配から解放して、もっ と風通しのいいものとするには、いかなる方法的戦略が有効であるかを問い直 したいと考えているだけである。・・・途中略・・・近年、ヴィジュアル・リ テラシー(視覚的識字)とかカルチュラル・リテラシー(文化的識字)という 問題(=つまり、教育の問題)が意識されるようになってきた。いかなる状況 において、どの位置からどんな切り口で誰に向けて何を語るのか。私たちは、 もはやそのことに無頓着ではいられなくなっている。だが、そうした「美術 史」のアイデンティティ(=美しいとは何を指すのか?)の揺れは、私たち自 身が私たちの語り口に自覚的で反省的たろうとする証(あかし)とも評価する ことができるだろう。確固たる不変のアイデンティティ(=例えば、ドグマ 化・化石化したナショナリズムのようなアイデンティティ)なるものを「美術 史」がなおも振りかざすとしたら、私たちはもはやそんな「美術史」を信用す ることはできない。・・・後略』 |