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[2006年、夏のフランドル旅行の印象/オランダ・総集編1]への「コメント&レス」 2006.9.29 ●[2006年、夏のフランドル旅行の印象/オランダ・総集編1](http://d.haten a.ne.jp/toxandoria/20060928)への「コメント&レス」を送信しておきます。 ・・・・・ [コメントを書く] # sophiologist 『toxandoria 様 今回のフランドル旅行のシリーズの美しい写真や詳細な解説で、いろいろ知る ことができ、感謝しています。 「オランダの光」と「ディアロゴスの現象学」を最後に結論として出されてい ますが、私なりに思ったのは、これらは、不連続的差異論/プラトニック・シ ナジー理論の説くことと共通するということです。世界には、多様な差異があ り、それらの中の一つを特権・中心化するのではなくて、共立・共振する様相 を求めていくのが、この理論の骨子であり、正に、toxandoria様の説くことと 共通するものだと思いました。 私流に言えば、「オランダの光」は、叡知の光です。そして、「ディアロゴ スの現象学」は、差異共立共振の叡知であります。このように考えて、私が、 スピノザ、エラスムス、ホイジンガ、レオンハルトに魅かれるのが、わかって きました。そう、差異の共立共振する社会・文化を表現しているのだと思いま す。toxandoria様も、憤っている日本社会の低劣化は、これとは反対の事象で すね。 とまれ、おかげで、現代における、共有されるべき普遍的な社会の有り様が 見えてき、また、自己発見できました。 さて、私事ですが、来年は、夏にイギリスに行く予定で、できたら、ブリュ ージュ等に立ち寄れればと思っています。 以下、TBの替わりです。 「イデア叡知光と阿弥陀如来」 http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20060928』 # toxandoria 『sophiologistさま、こちらこそ「不連続差異論」にかかわる論考のお役に立 てたとすれば嬉しく存じます。 今、toxandoriaの手元に一冊の小冊子(下記◆)があり(もう古いことなので 入手の経緯は忘れましたが)、その中に次のような記述があります(なお、こ れはオランダの出版物ですが、日本語で書かれています)。 ◆『オランダ人の見たに日蘭関係の四世紀』(1983、De Tijdstroom BV 出 版、オランダ外務省・在日オランダ大使館による協力出版) この中の1章「日蘭外交、文化関係」を担当したヤン・デ・フリース氏(Jan de Vries/恐らく、ライデン大学の研究者)による、以下のような記述があり ます。 『イギリスと中国の間に阿片戦争が勃発したとの知らせは、Ph.F.フォン・シー ボルト(彼は日本からの強制退去以降オランダに住んでおりました)が、国王 ウイレム二世に請願を行う動機となりました。備忘録のなかでシーボルトは、 日本が鎖国制度を相変わらず維持していった場合に晒される危険性を指摘し、 オランダが外国との恐るべき衝突から日本を守る努力を試み、鎖国制度を完全 に撤廃しないまでも緩和するよう勧告することが望ましいと説いておりま す。・・・(以下、省略)』 このため、将軍宛ての国王の親書(開国を勧める)を携えたフリゲート艦パレ ンバン号が1844年に長崎に到着し、その親書は翌年になってから幕府へ届けら れます。しかし、幕府はこの勧めを拒絶しました。これに先立ち、1840年に長 崎へ入港したオランダ船がアヘン戦争の勃発を知らせていたのですが・・・。 しかし、それから約20年後(1862年、文久2年)、幕府は長崎海軍伝習所の優 秀な卒業生(榎本武揚、西周、内田恒次郎、田口俊平ほか)を選抜してオラン ダへ留学させます。 やがて、明治維新によって日本の体制は変わりますが、これらの留学生たちが 日本の政治・文化・社会へ与えた影響は計り知れないものがあります。しか し、残念ながら最も肝要な一点が、その後の政治権力とアカデミズムによって 捻じ曲げられてしまったようです。そして、この時の歪は未だに多くの日本人 の心の中に、恰も、非常に粘着力が強くネットリとした澱のように滲みこんで います。 それが『現代日本におけるコミュニケーション能力の甚だしい劣化』の原因の 一つではないかと思っております。「オランダ・総集編2」では、このような 点へスポットを当てるつもりです。』 |