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[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象 /ブルージュ編3 2006.9.10 【画像の解説】 <注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060911 一枚目は、市街地の北東部にある「フランデレン民族博物館」辺りの街角で見 かけたマリア像です。これに類するマリア像は市街の散策中に、あちらこちら にありました。この風景を見ると、ブルージュが敬虔なカソリックの歴史を持 つ街であることを改めて意識させられます。 二枚目は、同じ地区で偶然に遭遇した天窓(ガラス窓)拭き作業車です。ブル ージュ市街には天窓(及び内部から窓拭き作業がしにくい高さのガラス窓)の 付いた建物が多いのでこのような作業が日常的に行われているようです。な お、ブルージュ市街地への自動車の乗り入れは原則禁止ですが、小型車と業務 用車両は許可されています。 三枚目の肖像は、19世紀後半に「フランデレン運動」(フランス語をベルギ ーの公用語にする動きが強まったときにフランデレン語の復権を目指した運 動)が高揚した時に指導者的な役割を果たしたヒド・ヘゼレ(Guido Gezell e/1830-1899/牧師であり詩人でもあった人物)です(参照、http://gezelle.tr ipod.com/)。 ブルージュ旧市外の中心地(マルクト広場あたり)から北東の端へ向かって約1 5〜20分ほど歩くと「聖ヤンの風車」(四枚目の画像/関連参照、http://d.hate na.ne.jp/toxandoria/20060907)が立つ運河の畔へ出ますが、その近くにヒ ド・ヘゼレの功績を称える「ヒド・ヘゼレ博物館」(Guido Gezelle Museum/ 民家を利用した建物/参照、http://www.virtualbruges.com/museums/mus017.ht ml)があります。 この博物館は非常に地味なので、ほとんど一般の民家と見分けがつかないはず です。しかし、「フランデレン運動」とヒド・ヘゼレに関する歴史的事実は、 現在の「EUの存在」にとって無視できないほど非常に重要な意味があると思わ れます。また、これはベルギーとオランダにEUの中心機能が集中していること の理由も解き明かしてくれます。 一般には、欧州の弱小国であるベルギーとオランダがEU(事実上は、大国であ るフランスとドイツに牛耳られる)に利用されたと考える傾向が強いのです が、それは現実の姿の一端に過ぎないようです。この問題に関しては、後に詳 しく考えます。 <注>フランドル地方(ベルギー北部のフランデレンとオランダの南部に跨る 地域)では、オランダ語が話される。元来、フラマン人が話していたフラマン 語はオランダ語と別であったが、ベルギーのオランダ統治時代に書き言葉も話 し言葉も大きな差がなくなる。ワロン地方(ベルギー南部)で使われるワロン 語も歴史とともにフランス語に接近し、今のワロン語はフランス語とほとんど 差がない。ベルギーの東部にはドイツ語を話す地区も存在する(参照、http:// www.clair.or.jp/j/forum/c_report/html/cr212/index.html)。 五枚目は、「ヒド・ヘゼレ博物館」から400mほど西へ歩いたところにある「フ ランデレン民族博物館」(右側の手前から奥へ向かって二つ目の白い民家の塊 に見える部分、http://www.brugge.be/internet/nl/musea/volkskunde/index.h tm)です。この博物館も非常に地味な概観ですが、そこでは古い時代のフラン デレン人たちの日常生活の様子が忠実に再現されています。特に、中世のフラ ンデレンの人々が飲んだビールへ入れたとされるグルート(gruto)の実物標本 が展示されており、非常に興味深いものでした。 現在、ベルギーには約500社以上の醸造所があり、ビールの種類も600〜900に及 ぶとされています。ベルギー・ビールの製造の始まりは中世の修道院だとされ ていますが、この時代のビールは疫病を防ぐ飲み物としての、つまり薬に近い 役割があったようです。このため、グルートと呼ばれる様々な薬味のようなも のが入れられていました。 そして、この古い中世時代のビールの伝統を引き継ぐのがベルギービールを代 表するランビック(自然醗酵ビール)です。また、ベルギービールの美味さの 秘密は、この地方の空気中を浮遊する特別な微生物(人体内の良性微生物であ るマイクロフローラ(microflora、http://www.microflora.u-bordeaux2.fr/in dex.html)の一種/参照、http://homepage2.nifty.com/hayate/ken149.html) にあるという説もあるようです。 なお、現代のラガービール(自然発酵のままでなく、長期保存に耐えるよう熱 処理したビール)のホップもグルートの一種です。11世紀後半になると「グル ート」の中でもホップを使用した場合にビールの品質が飛躍的に向上すること がわかってきたため、ホップ入りのビールが次第に広まります。そして、13世 紀頃には修道院ビール(旧来のグルートビール)と都市型のホップビールの間 で激しい競争が巻き起こったとされています。 ベルギービールの薀蓄はともかく、六枚目は「フランデレン民族博物館」の入 り口にある同博物館のロゴマーク「KAT」です。入館料を払うと係りのオジサン が“当館の猫(KAT)が案内しますヨ”という妙なことを言うので(これは英語 で・・・、それに開館早々で入館者はtoxandoria一人だけ)、オカシイなと思 うと足元に一匹の雌のクロ猫がミャオーと鳴きながら擦り寄ってきました。七 枚目と八枚目が“彼女のプロフィール”です。 いかにも馴れ馴れしい態度のフランドルのクロ猫お嬢様(年齢は不詳?)でし た。彼女は、toxandoriaの前を尻尾を立てながらシャナリ、シャナリと歩いて 案内してくれましたが、ミャオー、ミャオーとあまり懐いてくるので、つい調 子に乗って撫で回したのが運の尽き、どこか逆鱗に触れたらしく、いきなり右 手をキツく噛み付かれてしまいました。流石、フレンデレン魂のお嬢様です。 あるいは、彼女こそがベルギービールの精華、マイクロフローラの女神だった のかも知れません。 九枚目はヨーロッパを代表する優れた美術館の一つである「フルーニング美術 館」(Groening Museum/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/2006090 7)の通りに面した入り口です。十枚目は、その更に奥にある建物へ入館者を導 く門で、十一枚目が当美術館の“最後の入り口”です。十二枚目は、ブルージ ュの南東の運河端(市街地側)にある「ゲントの門」です。ここから南東方向 へ向かった約40km先にはゲント(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20 060829)があります。 十三枚目は、残念ながら改装工事中で内部を見学できなかった「グルートフー ズ博物館」(Gruuthuse Museum、http://www.trabel.com/brugge-m-gruuthus e.htm)です。ここはブルージュの貴族・グルートフーズ家の屋敷跡(15世紀) ですが、今は、中世における宮廷人やブルジョアの生活を見せてくれる博物館 となっています。家具、台所などの生活用品、武具、楽器、銀器、タペストリ ー、レース、陶器、ガラス製品、など様々な展示品があります。十四枚目は、 同博物館の一角にあるグルートフーズ家の回廊を利用したカフェテラスです。 この中世の雰囲気が漂うカフェテラスで飲んだコーヒーの味わいは格別でし た。 十五枚目は、12〜15世紀にかけて建設されブルージュで最古の教会とされる 「救世主大聖堂」(St.Salvatorskathedraal)の入り口で、十六枚目はその塔 の威厳に満ちた姿(参照、http://www.kerknet.be/toerisme/toeren/bruggesal vator/bsalvator.html)です。ここには、聖歌隊席の壮麗な墓、ゴブラン織り の見事なタペスリー、ブルージュで最古のオルガンなどがあります。十七枚 目、十八枚目は、調和のとれた姿が美しいことで有名な「聖ギリス教会」(Sin t Gilliskerk/15世紀)の概観です。 |