メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象]の反照  2006/09/09


[2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象]の反照
2006.9.9

●「プロローグ編」〜「Appendix1」までについての、その後の「コメント&
レス」を纏めておきます。

●なお、「ブルージュ編、別置画像」の写真を増やしましたので、再度、そのU
RL(下記)をご案内しておきます。
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/test.htm

・・・・・・・・・・・・・・・

to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/プロロ
ーグ]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060823

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anversoise 『ありがとうございました。少しはユーロクラットたちも反省をし
たのですね。ちょっと安心。ユーロに切り替わってから物価が上がったのは、
実感です。ご近所も、隣国諸国の知人、友人みんな言ってましたから事実だと
思います。これを称して、ユーロ変換を利用したカモフラージュ的実質値上
げ、と一時言われていました。それから、庶民的に不満なのは、ドーヴァー海
峡を越えたかの国のポンドが強すぎること。ユーロスターがどれほど値下げの
プロモーションをしてくれても、最近はロンドンは遠くなりました。

北部のフランデレンでは、成人した人のほぼ90パーセントくらいの人はフラ
ンス語を理解し、フランス語も話できるのですが、使用したがりません。私は
オランダ語は小学一年生くらいの能力、仏語は大学生くらい、で、苦労しま
す。それで、普段は英語で用を済ませています。そのほうがフラマンの方たち
は気持ちよく接してくれます。それから愚問なんですが、ベルギーって、小さ
いのに、3っつほど政府(?)があるんですか?ワロニーとフランデレンとブ
ラッセルと。自分で勉強すべきなのですが、トライするたびにすぐ挫折しま
す。そのうち子供に教えてもらうようになるのかもしれませんが、何かご存知
でしたら、教えてください。住まわせてもらっていて言うのも何ですが、不可
解な国です。隣人たちはもうすごくいい人たちばかりですが、政治の形態が理
解できないんです。情け無い質問で、すみません。』

# toxandoria 『anversoiseさま、コメントありがとうございます。

ユーロスターといえば、4年ほど前にパリからロンドンへ行くときに乗りまし
た。たしか、ブルッセル〜ロンドンの列車もありますね。

フランデレンの殆んどの人々もフランス語ができるとは知りませんでし
た・・・、認識を新たにしました。オランダでもそうでしたが、ベルギーのテ
レビ放送にフランス語の局が多いことに不思議な感じを持っていたのですが、
この疑問が解けました。しかし、日本からの旅行者としては、どこでも英語が
通じるので助かりました。

ベルギーの人々はナポレオン以降になって初めて統一国家を持ったという事情
から、日本のような統一国家の歴史が長い国とは異質な面があるような気がし
ます。根本にはブルッセルのフランス語系住民の支配者意識に対するワロニー
人(フランデレン語系住民)の反発のようなものがあったようですね。このた
め“中庸”と“妥協”を意識的に前に押し出す必要があったのかも知れませ
ん。

これらの人種・言語問題があるため、おっしゃるとおりベルギーの行政システ
ムは他国では信じられないほど複雑なものとなっているようです。1993年に連
邦国家としての基本が完成し、さらに1970年の憲法改正で「言語別文化共同
体」と「地域共同体」の二種類の行政体が創られたはずです。それにブラッセ
ル地域(二言語地域)が加わり三種類の行政体が絡み合う形になっているよう
です。これら三系統の共同体は、それぞれ独自の議会と行政府を持っており、
文化・言語・地域に関する独自の法律の制定・施行が可能とされている・・・
という具合に知識の上で理解できても、anversoiseさまのように実際にベルギ
ーで生活しない限り実感は理解できにくいようですね。

既にご存知かも知れませんが、下記のHPはオランダ・ベルギー地域の新しい情
報を伝えてくれるので重宝しております。ご参考まで、ご案内しておきます。
Portfolio、http://www.portfolio.nl/index.html』

# anversoise 『M.toxandoria, merci infiniment pour vos info!!! Thank yo
u. Sorry, my private PC cannot write in Japanese. About the Portfolio, 
it’s a very first time I see. Greatly useful!
Thanks again.』


to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブラッ
セル編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060827

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イオン 『拝啓 御無沙汰しております。イオンです。

オランダ、ベルギーへ御旅行したとの由で、記事とともに美しい写真の数々、
楽しみました。小生は家内とともに昨年7月、ベルギーへ二泊旅行をし、ブル
ージュとブリュッセルを訪れました。フランデレンの美術とともに美しく調和
のとれた街並、そして美食を心行くまで楽しみました。ブリュッセルでは撮ら
れた写真にもある中央駅近くに投宿し、これまた写真にあるアーケードではシ
ョッピングし、重厚な雰囲気の中とったランチやコーヒーの味とともに今は楽
しい思い出です。

ベルギー王立美術館で何層もある大規模な建物にぎっしりつまった絵画にみと
れ、ブリューゲルの部屋に辿り着いた時はもう閉館間近でした。そこでブリュ
ーゲルの「イカルスの墜落」を見ましたが、ドイツの哲学者カール・レーヴィ
ットが人間の営みの儚さと自然の悠久さを対照させた希有な作品と紹介してい
たのを思い出し、慄然としたのを昨日のことのように憶えています。(馬鹿げ
た振る舞いに有頂天の小泉氏や私利私欲が国家のため自分のためと思いこむ
(悪い意味での明治の元勲のような)安倍氏の悠久の自然と歴史の中では何れ
墜落を余儀なくされる?まあ彼らは愚行の政治家として日本の歴史に名を残す
でしょう。しかも御苦労にも歴史の時計の針を遅らせるどころか、半世紀以上
も後戻りさせようとした御仁たちとして…)

ところでベルギー滞在最終日の7月21日(?)は独立記念日とかで、パレー
ドは見ませんでしたが、皆(フランス語を話す人もオランダ語を話す人も、ま
たスカーフを被った婦人もいるムスリムの家族づれも)楽しそうにベルギーの
小旗をもって集まっていたのは印象的でした。Toxandria様やこちらにコメント
を寄せる皆様のように難しいことはわかりませんが、欧米では、勿論好ましか
らざるショーヴィニズムの形をとることも多いのですが、人々は国旗というも
のは自分自身が守るべき権利と自由のシンボルととらえているように思いま
す。今日は今滞在中のロンドンの広大なハムステッド・ヒース公園で野外コン
サートを楽しみましたが、そこでも人々はユニオンジャックやイングランドの
旗を振り、エルガーの曲にのせて誇り高く自由と権利を歌い上げていました。

小生は残念ながらそのような思いを込めて日の丸の旗を打ち振ることは出来ま
せん。Toxandria様が書かれているように日本の国民と国家には自由も権利も守
る気概はまだ根付かず、最近ではそれを放棄しやたらと利権に群がる集団と化
しているように見えるからです。また日本で国民皆で歌える自由の歌などある
でしょうか。特に欧米にかぶれている訳でなく、こちらの公共サービスの非能
率性や新聞で見るレイシズム、無邪気な異文化への無知ぶりには腹が立つ事は
多いのですが、こちらの人々の一般の暮らしに根付いた民主主義とそれをバッ
クボーンに持つ愛国心は羨ましく思います。

日本人が自分の国の国旗に、己れを守り、己れが守らねばならない自由と権
利、そしてそれらに支えられた生活の象徴を見るにはまだほど遠いでしょう
し、このままではそうなるのに何世代かかるかわかりません。

小生は国民国家というものはここ2世紀くらいの間にヨーロッパで成立し、成
長して行った政治・社会制度であるととらえ、あくまでも世界の歴史の中で相
対化して見るべきだと思いますが、その国民国家としての成熟度は西ヨーロッ
パの国々は高いようで、国民の様々な権利と自由を守り進めて行く制度として
活かそうとしているようですし、国民国家はやがて歴史の中で止揚していく道
をも模索しているようです。むろんそうなるまでにヨーロッパ内外で凄惨な歴
史を繰り広げたことは悲しい事実ですが... ですがこのような動きに見られる
ように彼らは大勢としては歴史に学んでいるようで、「ヨーロッパ人たちはア
ジア、アフリカの民を植民地支配で苦しめただろう」といって自分たちの植民
地主義や戦争犯罪を相対化し、あまつさえ美化しようとする日本に少なからぬ
ナショナリストなどはその足下にも及びません。

さてこれからは執筆のペースを落とすとの事、更新を楽しみにしていた小生と
しては残念です。その分、さらに密度の濃い記事を期待しております。これか
らの日本では我々の理性を保つためには、貴ブログでされているように、日本
の現実をヨーロッパ研究という視点から、世界の政治と文化史の流れという広
い文脈の中に位置づける仕事はますます必要になるでしょうから。今度とも勉
強させて頂きますので、お体に気をつけて頑張って下さい。いつもながら長文
にして失礼しました。

敬具 イオン拝』

# イオン 『訂正します。

「私利私欲が国家のため自分のためと思いこむ…(中略)…安倍氏」
→(正)「私利私欲を満たすのが国家のため国民のためと思いこむ…(中略)
…安倍氏」
「国民国家はやがて歴史の中で止揚していく」
→(正)「国民国家をやがて歴史の中で止揚していく」
乱文にて失礼しました。イオン再拝』

# toxandoria 『イオンさま、コメントありがとうございます。

フランドルは前から行きたかったところで、やっと念願が叶いました。ブラッ
セルの中央駅近くを足場にされたのは良かったですね。toxandoriaは「EU Dis
trict」の一角のホテルで、やや中心部から遠い感じでした。その代わり、EU地
区はジックリ見物ができました。

ブリューゲルの「イカルスの墜落」は、この秋に始まる東京展にもやって来る
ようなので、また会えると楽しみにしているところです。

イオンさまは、今ロンドンにお住まいだったのですね。外国におられる方が日
本の実像がよく見えるのではないでしょうか? 今日、小泉首相は中央アジア
へ飛んだようですが、ブッシュの使い走りで「上海協力機構(SCO)」へ釘
を刺しに行ったとか噂されているようです。

欧米と日本の市民意識の成熟度の違いが今更のように身にしみて感じられま
す。

それに、下記の“とむ丸”さまからTBで送って頂いた記事を読むと、「2.26事
件」当時と今の日本の空気が、ますます似てきたようで不気味な感じがしま
す。
[2006年8月28日 2.26事件との遭遇]、http://tomkari.cocolog-nifty.com/blo
g/2006/08/post_16ee.html

ペースは落ちるかもしれませんが、今後もブログ記事は書き続けるつもりです
ので、どうぞよろしくお願いします。』

# toxandoria 『“とむ丸”さま、TBが漸く上手く行ったようです。

ご迷惑をおかけした点、“はてな”に代わりお詫びします、と言いつつ、実は
訳が分からないのですが・・・。ともかくも、よかったです。

「2.26事件」の参加者の半数以上が埼玉県人であったとは知りませんでした。

それにしても、イノセントな人々に悲惨な境遇と悲痛な想いを押し付ける時代
が又やってくるのでしょうか。ますます嫌な空気が漂い始めたようです。』


to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ゲント
編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060829

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pfaelzerwein 『「薔薇の存在」は大変面白いです。

直に荘子の「胡蝶の夢」を思い出してしまうのですが、ここでは作者が目を大
きく見開いて薔薇に対峙しているのが分かります。両者では主客が明確か不明
確かの相違があるようです。だから薔薇のアウラが存在しているかと思うと、
最後にはそれをも否定出来る。表現法の違いとして、この相違は決定的と思わ
れます。陰陽二元論の世界・自然観を一概に否定はしませんが、その場かぎり
で投げやりな無責任や表現の未熟さの原因の一つはではないでしょうか?もと
もと小さな寝ぼけ眼を、そこでは敢えて細くして、気付かれないほどのスリッ
トから覗くと言う無覚醒な行為があるのでしょう。』

# toxandoria 『pfaelzerweinさま、コメントありがとうございます。

たしかに、この「薔薇のアウラの存在」からは色々なことが思い浮かびます。
ご指摘のことからフェルメールの絵を連想しました。フェルメールはスポット
が当たるモデル(対象物)を緻密に描きながらも、その背景は割りとアバウト
です。これは、フェルメールがカメラ・オブスキュラを使ったことと関係があ
るのかも知れません。

考えてみれば、人間の精巧な視覚そのものが「瞳」を使ったカメラ・オブスキ
ュラと見做すことができそうです。人間は、このカメラ・オブスキュラ(瞳が
付いた眼球)の助けがあってこそ、漸く外界(モノ)の表象を把むことができ
るのだと考えられます。

言い換えれば、これは外界の無限の包囲光を瞳を通る放射光だけに絞り込むこ
とで、外界から脳の中へ、必要な表象(アフォーダンス情報)だけを取り込ん
でいることになります。

従って、そもそも人間はこの精巧なカメラ・オブスキュラ(瞳が付いた眼球)
の作用がなければ文化・文明を創造することはできなかったはずです。

このように考えると、人間の文化・文明そのものが「胡蝶の夢」になってしま
います。というよりも、それは真に奇跡的なほど偶然に生まれたということに
なります。

しかし、それにもかかわらず、我われの心の中にアウラ(あるいはイディア)
の存在を信じたいという思いは残ります。これが、なかなかに悩ましいところ
です。』


to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アント
ワープ編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060902

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toxandoria 『sophiologistさま、TBありがとうございます。

「東京父権的近代主義批判」については、特に最近の出来事で思い当たる節が
あります。

それは、今回のオリンピック開催地の日本候補に関して東京と福岡が競ったと
きのエピソードです。福岡を応援した姜 尚中氏に大いに腹を立てた石原・東
京都知事が、ご本人を目の前にして“(日本国籍がない)ヘンな外人がヘンな
応援をした!”と姜氏を口汚く罵りました。

ご周知のとおり、現在の姜 尚中氏は東京大学教授であり、森巣 博氏(在オ
ーストラリアの作家)、テッサ・モーリス鈴木氏(オーストラリア国立大学教
授)らとともに、しばしば国際的な観点から現代日本の国粋主義化しつつある
政治状況を批判している方です。このため、前々から、「東京父権的近代主
義」の代表者を自認する石原・都知事としては、姜 尚中氏の存在が大いに気
に入らなかったようです。

ところで、toxandoriaがオランダ・ベルギー両国に関心を持ったのは、その地
政的・自然地理的・気象的・歴史的な特殊性があったからです。高々、この二
つの国を併せても人口規模は約2.500万人程度であり、国土面積もせいぜいのと
ころ「東北6県+新潟県」程度だと思います。

乱暴に言えば、この地域の国土は取るに足らぬほど狭小で、オランダ・ベルギ
ー両国の人口規模も経済規模も“経済大国日本”とは比較にならぬほどチッポ
ケな存在です。それは見方次第ではヨーロッパの片田舎だと見做すことができ
るのかも知れません。しかし、今のヨーロッパでこんな発想を持つ人は高々が
極右的な立場の人々ぐらいだと思われます。

しかしながら、スキポール空港(オランダ)、ロッテルダム港(オランダ)、
アントワープ港(ベルギー)、ゲント港(ベルギー)などはヨーロッパ・EU圏
のハブ施設的な役割を担うとともに、これらの周辺には先端工業地帯が広がっ
ています。特に、アントワープは欧州で最大の化学工業地帯です。また、これ
らの地域にはミタルスチール(世界一の大鉄鋼会社/オランダ)、フィリップス
(電機会社/オランダ)、ロイヤル・ダッチシェル(英蘭を跨ぐ国際石油資本)
など世界でトップクラスの企業が存在します。また、医学・科学技術・出版な
ど知識・文化産業に関する国家戦略が明確であることも、オランダ・ベルギー
両国の特徴です。

このため、近年、これらの地域には欧米のみならず日本企業の進出もめざまし
いものがあります。そして、いうまでもなくブラッセルはEUの中枢圏であり、
使命感に燃えたユーロクラットたちが活躍する国際的なステージです。また、
アントワープ、ブラッセルなどはパリやミラノと並ぶファッションの先端的な
発信地です。無論のこと、これらの地域には、中世・ルネッサンス期〜近・現
代に至る、極上の美術作品と世界遺産が溢れています。これらの文化は、ブル
ゴーニュ、ハプスブルグ、フランス、ドイツ、イギリスなどとの重層的な交流
の賜物です。

今回のフランドル旅行の体験は、「東京父権的近代主義」の代表者を自認する
石原・東京都知事のような見方が、やはり“世間知らずの偏見”以外の何物で
もないことを再認識させてくれました。「人類は無駄に歴史的時間を過ごして
きた存在ではないということ・・・、地政的・自然地理的・気象的なハンディ
は“本物の国力や国民の幸福度”とは無関係であること・・・、グローバリズ
ムと多様性は、その方法論次第で十分に共存が可能であること・・・、歴史経
験と文化の積み重ねから学んだ寛容性のモデルがフランドルには確かに存在す
ること・・・、マルチリンガル社会と地域の個性は共存できること・・・、民
主主義とは、ひたすら“テロとの戦い”などの派手なお題目を唱えたり派手な
パフォーマンスを繰り広げることではなく、市民による誠意を持った地道な実
践の積み重ねであるということ・・・、超国家主義や宗教原理主義も歴史認識
的な知恵による克服が可能であること・・・云々の新たな発見がありました。

「東京父権的近代主義」の代表者を自認する石原・東京都知事(及び現代日本
の中枢に居座る政治家たちの多く)は、本気で日本の地方と田舎を小バカにし
ていますが、彼を筆頭とする現代日本の好戦的でマッチョな政治家たちこそが
“本物の大いなる田舎者”です。

オランダ・ベルギー両国には「ファスト・フードにかぶりつきながら、携帯を
片手に、いかにも忙しそうにおしゃべりしつつ道端を脱兎のごとく駆け回る東
京の都会人」たちとは異質な何かがありました。これら両国の都会では「先端
的な感性を働かせながらスローな生活を楽しむ都会人」たちの姿が心に残りま
した。それに、率直で明るい雰囲気の王室(オランダ・ベルギー両国の王室)
と国民との間のゆったりした関係が、とても印象に残りました。』

# toxandoria 『belgianbeerblogさま、“アメブロ版”「toxandoriaの日記」
での読者登録ありがとうございます。

“はてな版”がホーム・ランドとなっておりますので、こちらでも読者登録
(アンテナ登録)をさせて頂きました。

ベルギーにお住まいとは羨ましいかぎりです。それに、時々、ブルージュのビ
ア・バーでベルギービールが飲めるとは!

フランドル旅行後、toxandoriaもベルギー・ビールに嵌っており、最近では仙
台のダボスというお店で飲んだ「ボンヴー、Bons Voeux」(アルコール分9%)
が大いに気に入りました。アルコール分が多いほどベルギービールの個性が出
ているような気がしました。

ベルギーの現地情報も期待しておりますので、こちらこそ、どうぞよろしくお
願いします。』

# とむ丸 『toxandoriaさん、お知らせありがとうございました。

10枚の画像のうち、ぱっと私の目を引いたのは、5枚目、『狂女フリート』で
す。なぜか昔から群像が好きでしたし、作者がブリューゲルと知って、納得が
いきました。ブリューゲルもお気に入りの画家の1人です。

ところで、『狂女フリート』の「フリート」とは、固有名詞ではないという気
がしますが、名前の由来はご存じですか。』

# toxandoria 『“とむ丸”さま、コメントありがとうございます。

「フリート」(Griet)はオランダ語で「マルフリート」(Margriet)の愛称と
いうことになっています。つまり、英語のマーガレット、スペイン語のマルガ
レーテに相当することになります。なお、マーガレットの原義は「真珠」(pea
rl/清純、純粋、純潔の象徴)です。

この絵の最も一般的な解釈は、スペイン帝国(絶対君主フェリペ2世)がネー
デルラントへ強要した圧制と過酷な搾取への批判ということになっています。
ネーデルラントの執政マルガレーテ(パルマ公妃、フェリペ2世の異母妹)の
過酷な異端審問の歴史的事実があるので、この解釈が最も妥当のように思われ
ます。しかし、ブリューゲルのパトロンは大商人や体制派の高位聖職者など
様々であったことが分かるにつれて、この解釈を押し通すことには些か無理が
あることが指摘され始めているようです。

このため、例えば次のような正反対の説も出ています。

(1)女性の逞しさ、特に数人集まったときの悪魔的なパワーを批判的に描い
た(アンチ・フェミニズム)

(2)(1)とは逆に、当時の人文主義者たちの中で支持されていたフェミニ
ズム的な考え方を寓意的に描いた

結局、ブリューゲルがアントワープの第一級の知識人たちと交流があったこ
と、彼自身もかなりの知識人であったことなどを考慮すると、ブリューゲルの
絵の解釈は一筋縄では行かないようです。』

# anversoise 『

toxandoriaさま、記事をいつも興味深く読ませていただいております。前の記
事、コメントとは直接関係無いのですが、今日ヨーロッパ中で流れた(少なく
ともベルギーの北部、南部、フランス全国)だろうニュースで印象深かったこ
とを、少し。先日オーストリア、ウィーンあたりで8年間地下室に監禁されて
いた18歳の女の子が自力で脱出し、犯人の男性は自殺する、と言う事件が起
こったのですが、今朝のニュースでは、この監禁されていた女の子、ナタシ
ャ・カンプシュさんのインタビューがながされ、それを見ていて、彼女のしっ
かりとした説明、自分の心理状態も可能な限り臆することなく、感情的になる
ことなく語る様子、(インタビュアーの後ろには精神科医がひっそりと待機し
ていましたが)、そして、自分は監禁者よりも(精神的に)強かった、と結論
として出せたこと、このなんというか、しっかりとした強さには、とても感動
しました。日本語で言うと、自尊心でしょうか、dignit驍ニいうことを、強くか
んじました。数年前にもベルギーで、幼児の誘拐監禁強姦殺人事件、と言う前
代未聞のすごい事件が起こりましたが、その犯人に数日間監禁され強姦され、
その後無事に救出された女の子がインタビューに答えるのをニュースで見まし
たが、この子もびっくりするほどしっかりしていて、自分の心理描写を驚くほ
ど客観的に行い、監禁中に考えたこと、恐怖をどのように克服したか、また裁
判の時犯人と対峙したときの感想、なにもかも驚異的な冷静さと率直さで語る
様子にびっくりした記憶があります。

ヨーロッパ(というか自分の経験では、フランスとベルギー)で一番驚かされ
るのが、一般人であろうと、メディア人であろうと、いったん公共の場に出た
ときの(テレビでも、公衆の面前でも、一対一でも)わきまえ方が、板につい
てる、という点です。テレビの特集とかで、わが子の悲劇的な死について語る
母親が、涙、涙、で語るよりも冷静に淡々と感情を抑えて語るほうが、聞き手
にとっては、その人の言うにいえない悲しみが実感できるなあ、と感じます。
(フランスの国会では、感情むき出しの答弁がちらほら見られますが。ま、こ
れはどちらかと言うと政治的感情むき出し)toxandoriaさまの書かれているこ
ととは直接には関係無いのですが、とても印象に残りまして、コメントさせて
いただきました。

それから、これはとても無知な質問なんですけど、アメリカには共産党はある
のですか?身近な人に聞いても、なんだかはっきりしません。これまた恥ずか
しい質問でなさけないのですが、身近にこの手の知識を持った人がいないよう
なのです。たぶん日本の親戚たちも知らないと思います。何かご存知でした
ら、教えてください。ちなみにベルギーにもフランスにも共産党はあります。
特に共産党に興味があるわけではないのですが、アメリカに共産党が無いのな
ら、一寸問題、と思ったのです。ご存知でしたら、よろしくお願いいたしま
す。』

# toxandoria 『anversoiseさま、コメントありがとうございます。

ここ数年の日本では親子間での殺人(親の子殺し、子の親殺し)や幼い子供の
誘拐・虐待、意味不明な殺人事件などがほぼ連日のように起こっておりウンザ
リしています。日本の社会そのもが劣化しつつある、というか何か深刻な病理
現象が発生しているような雰囲気があります。

私見では、政治家・官僚・マスコミ・経営者・学者・教育者など日本のエリー
ト層の人々の人格的堕落と過剰なプラグマティズムが根本にあるような気がし
ます。言い換えれば、それは全体的な人間性についての理解の浅薄化だ思いま
す。日本国首相らの近代日本についての歴史認識の劣化も、これらの傾向と無
縁ではないようです。ごく最近の不可解な事例は下記のニュースをご覧くださ
い。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060907-00000007-yom-soci

20世紀初頭(第一次世界大戦前後)のアメリカには共産党員が数万人いたさ
れていますが、1940年代以降はマッカーシズム運動によって弾圧され数が減っ
たようです。現在は全米で数千人は存在するようですが、事実上はごくマイナ
ーな超弱小政党の立場です。無論、選挙では勝てないので議席はありません。

しかし、興味深いのは、レーガン政権及びブッシュ政権に大きな影響力を与え
てきたネオコンの多くがトロッキスト(謂わば一般の労働者・農民層などの能
力の限界を指摘し、トップクラスの知識階級による永久革命論を信奉する共産
党の中のエリート主義あるいは貴族趣味的なインテリ過激派)からの転向組だ
とい事実があることです。ここでは、日本の政治現況と同様に従来型の保守対
革新の単純な構図が成り立たなくなっています。

むしろ、実態はファシズム(あるいはアナーキズム)対民主主義の構図に近い
のではないかと思います。しかもアナーキストが自由原理主義を語るという一
種の倒錯の空気がアメリカにはあり、それが日本の政治・社会へも悪影響を与
えつつあるような気がします。そして、恐るべきことは日米同盟一辺倒に被れ
ている日本の政治家たちがその典型だということです。

既に、欧州各国の社会民主主義政党などは、このようなアメリカの傾向に対す
る危機意識を共有していると思いますが、日本の野党はこのような意味で未熟
だと思います。一方、肝心のアメリカの民主主義は、このようなイデオロギー
的な倒錯・溶解現象の中で本来の理念・活力・生命力をますます失いつつある
ように見えます。

このような現実を前提とすれば、ポストモダンを見通すには、やはり限りなく
正しい歴史を客観的に根本から見据えることが肝要(歴史から学ぶという謙虚
さを持つことが大切)であり、かつ<中庸・寛容>についての理解を根本から
再確認すべきだと思います。

このような意味で、日本では従来型の保守本流も右翼も左翼も存在する意味を
見失いつつある(=一種の方向感を失った溶解現象が起きている)というのが
実態ではないか、と思います。

これらを背景として考えると、anversoiseさまがおっしゃるヨーロッパにおけ
る悲惨な事件の被害者たちが一種のdignityを持っているように見えるというこ
とが理解できるような気がします。

つまり、ヨーロッパでは、現在の日本ほど酷い“社会的溶解現象”が起こって
いないからだと思います。一方、日本における幼い子供らの誘拐・虐待、年齢
を問わぬ意味不明な殺人事件などでは、当事者自身がひたすら混乱するばかり
のように見えることがあります。

そこにはdignityを持ったパーソナリティは殆んど見られません。ただ人格的に
崩壊し、憔悴した人間が口をパクパクして意味不明の言葉を語るだけです。そ
して、この種の事件が起こった時、最も血眼の錯乱状態になるか、あるいは驚
くべきことに悪魔のように狂喜するのが視聴率と販売数UPだけにしか関心がな
いテレビ・新聞など、つまり底なしに堕落しきった大方の日本のマスコミで
す。

・・・まったく話題は変わりますが、現在のベルギー地方の気温・天候の様子
は如何でしょうか? 実は、小生の家族が来週の後半からベルギー・オランダ
方面へ1週間程度の小旅行に出かけるため着る物などを心配しております。ネ
ットで大体の気温は分かるのですが、果たして日本で言えば晩夏なのか、初秋
なのか実際の季節感がつかめないで迷っております。』

# anversoise 『toxandoriaさま、ありがとうございました。

ものすごくよくわかりました。時々日本の母と電話で話をするとき、彼女曰
く、日本では、理解を超えた不気味な事件がいっぱい起こっていて、これは政
治がおかしい、小泉のせい、ということを繰り返し言うので、変だな、と思っ
ていました。toxandoriaさまのご意見を、より一層わかりやすく書いていただ
き、大変よく納得いたしました。本当にありがとうございました。

日本の現状は、変化がはげしようなイメージで、ピンとこないのですが、歴史
と言うこと、歴史と言う言葉自体、日本語とヨーロッパ諸言語では、意味する
ところが随分違う、というか歴史の捉え方自体が、違うような気が、漠然とし
ます。ヨーロッパでは、なんとなく歴史が身近にある、という感じがします。

建物が古い、とか歴史上有名な人の銅像がいっぱい、とかじゃなくて、感覚の
中に、昔と自分がつながっている、という実感があるようです。日本もテンポ
をもう少しゆっくりにすれば歴史観もかわるのでしょうか。また、トロッキー
について、これもひとつ納得いたしました。1997年から2002年までフ
ランスの首相を務めたリオネル・ジョスパンが、一時、過去においてトロッキ
ストだったことがばれてしまい、批判されたことがあったのですが、辞書で見
ただけでは、トロッキストの過激さはぜんぜんわかりませんでした。その時の
ジョスパン曰く、若気の至り。

9月に入ってから、お天気が持ち直し、ベルギーとは思えないほどとても気持
ちのよい気候です。若い子はTシャツ一枚で過ごしてますが、私のような中年
者は、しっかり長袖です。しかしベルギーのお天気ほど予想困難なものはな
く、来週どのようになっているかは、あけてのお楽しみ、ですが、今現在の状
態は、日本の秋から晩秋にかけて、の感じがします。朝夕は冷え込みますの
で、ジャケット、カーディガンは必需品、寒がりの方はセーターも要。便利な
のは、薄手の防風防雨兼用レインコート。こんな感じでしょうか。お天気が激
変しそうなときは、お知らせいたします。

全然関係ないのですが、私の住んでいるところから北のほうにずい、と行きま
すと、あっという間にオランダになり、もっとずいずいっと行きますと、かい
りん丸(漢字が出ません!)が作られた後、試運転?をしたという今は寂れた
港があります。キャッテンデークだったかしら。母を連れて行ったら、感激
し、和歌をいっぱい詠みました。でももしかしたらぜんぜん違う港だったかも
しれません。

これからも、難しいことでわからないことがあったら、時々うかがわせてくだ
さいませ。よろしくお願いいたします。』

to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/Appendi
x1]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060904

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# sophiologist 『toxandoria 様

どうも、丁寧な解説をありがとうございます。

私は、フランドルに行ったことはありませんが、私の好きな、バッハ演奏家の
レオンハルト、美術のデューラー(『ヨハネの黙示録』の版画の怪異な表現に
は、驚きます)、哲学のスピノザ、等々とあげることができます。そう、ホイ
ジンガの『中世の秋』は、学生の頃、呼んで、感銘を受けました。そうです
ね、よく捉えていませんが、なにか、共通するような特性がありそうですね。

一種集約性がないでしょうか。マクロコスモスをミクロコスモス的に表現する
志向性がないでしょうか。おそらく、そこに、私は、共感するのかもしれませ
ん。レオンハルトの演奏する『フーガの技法』は、正に、東洋的幽玄を感じさ
せます。間(ま)が生きています。以前に簡単に触れましたが、基層・古層に
おいて、ケルト文化との関係がありそうで、やはり、自然への感受性が強いの
ではないでしょうか。

 話がずれますが、今夏、野趣の残る田舎で過ごし、ますます、自然がすぐれ
ていると感じるようになりました。自然には、多様な角度や曲線、色彩、等々
があふれていますね。芸術・美術は、もう一度、自然を発見しなくてならない
のではないでしょうか。西欧には、母権的自然文化が基底にあると思います。
ケルト文化は、その一つだと思います。

 北方性が、抽象性であり、地中海性が、具象性ならば、フランドルは、その
両極をもっているように思いますが。どうも思いつきで失礼しました。

 日本社会の稚拙性は、困ったものです。私見では、個と自然は結びついてい
ます。個/自然の社会文化を、日本人は喪失してしまったと思います。個/自
然の「精神」から、理不尽な政治・経済・社会への批判が生まれると思いま
す。少し、突拍子もないような感じですが、芭蕉の俳句と政治批判が結びつく
ような思想が日本人には必要だと思います。個的自然が、不合理な政治・経
済・社会批判を生むからです。

 ところで、TBですが、送れたり、送れなかったりしています。原因は不明
です。次が、TBの替わりです。

「イデア・シナジーの極性エネルギーの様相について:プラス・エネルギーは
父権的二項対立同一性暴力である」
http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/2620726#2620726』

# sophiologist 『toxandoria 様

どうもたいへん失礼しました。デューラーはドイツの版画家でした。勘違いで
した。もっとも、ネーデルランドにも滞在はしていますね。

 後、エラスムスの『痴愚神礼讃』を、今思うと、不思議ですね。あのユーモ
アは、並外れた大器を想起させます。日本人を批判するには、これくらいのス
タンスが必要なように思いました。日本人は、正に、痴愚神礼讃人間です。

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