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タイトル:[芸術の価値]“形象不可能なるものの形象への降臨、受胎告知図”からの反照  2006/05/30


[芸術の価値]“形象不可能なるものの形象への降臨、受胎告知図”からの反照
2006.5.30


<注>この記事は[2006-05-29付、“形象不可能なるものの形象への降臨、受胎
告知図”についての考察]へのコメント&レスなどを纏めて、新しい記事とした
ものです。[2006-05-29]の記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/2006052
9)と併せてお読みください。

・・・・・

【添付画像】ヤン・ファン・アイク『受胎告知』 Jan van Eyck(ca1390-14
41)「The Annunciation」 Before 1435. Oil on wood transferred to canv
as. The National Gallery of Art, Washington D.C., USA. 
・・・この画像は下記URLをクリックしてご覧ください。
http://www.abcgallery.com/E/eyck/eyck19.html

■toxandoriaの日記[2006-05-29“形象不可能なるものの形象への降臨、受胎告
知図”についての考察] へのコメント&レス 

#renshi  to 『toxandriaさま

この論考は、鋭いと思います。今は、余裕がないので、十分には述べられませ
んが、イタリア・ルネサンスの可能性に触れているからです。

私は、ルネサンス肯定派で、プロテスタンティズム否定派です。これは、差異
と同一性に換言できると思います。

イタリア文化のベースには、差異があると思います(cf.エトルリア文化)。こ
れが、ルネサンスで発出したと思っています。しかし、ギリシアの古典主義的
発想に強く囚われています。しかし、初耳のカルロ・クリべりには、イタリア
文化本来の過剰性があるように思えました。

つまり、形象不可能なるものが、基本的にイタリア土着文化にはあり、それ
が、クリべりに表出したのではと思います。

思えば、ダ・ヴィンチやミケランジェロにも過剰性はありますが、それを古典
主義に収めてはいけないでしょう。

イタリア文化の形象不可能なるもの、これが、現代において、もっとも重要で
はと思います。

プロテスタンティズムは、私見では、この反動です。現象的形象に閉じられて
いると思います。現象リアリズムです。

受胎告知とは、不連続的差異論的には、イデア界のメディア界化ではないかと
思います。これは、母権的神話に表現されているものだと思います。イシス・
オシリス、キュベレー・アッティス、ヴィーナス・アドニース等と同様でしょ
う。キリスト教もこのパターンが本来でしょう。聖母マリアとイエスです。今
は、ここで留めます。』

#toxandoria to renshi 『コメントありがとうございます。

“イタリア・ルネサンスの可能性”、“プロテスタンティズムにある誤謬の
芽”(すべてが誤謬とは思っていませんが・・・)、“イタリア文化のベース
に差異がある”などについて、まったく同感の想いがします。

一般的には誤解されるであろうことを承知で述べますが、世界中の人々が、ま
た日本人の多くがイタリアに憧れ続ける深層には、これらの問題が潜んでいる
と思います。恐らく、それは無意識に近いことだとは思いますが。

そして、実はこのイタリアの魅力の大部分は、日本人の場合もそうだと思いま
すが、もはや現実には失われてしまった自らの国々の土着文化の反照を見てい
るのだと思います。

それは、例えば、今、郷里で過ごされているrenshiさまが感じている“田舎の
空気、風のそよぎ”のような土着的なスピリット(気配/http://ameblo.jp/ren
shi/entry-10012984866.html)のようなものではないでしょうか。それが、高
度な美術や建築物あるいは魅力的な街並みや自然景観として現実に存在するの
がイタリアではないでしょうか。

これから、少し前に書いたヴェネチア派に関する考察を新しい記事としてレニ
ュアルしてみたいと思っております。

それから、参考までとして、toxandariaが加入しているML付属の掲示板に於い
て遣り取りしたレスの一部を下に転載しておきます。偶然ですが、話題が、同
じような方向へ進み始めているようです。

■ML付属「色々な話題ML用掲示板」のレス“toxandoria to 「真」さま”

『Worldly Goods』の著者Lisa Jardineは、この天から降る光線については特
に詳しい説明は書いておりません。ひょっとするとスピルバーグは、例の映画
『未知との遭遇』でUFOが天空の雲の渦巻きの中から出現する場面をこのクリベ
リの絵から着想したのかも知れませんね。

ただ、次のようなことを書いています。

・・・この絵で先ず目を引くのは天空から降りてくる一条の聖なる黄金の光線
であり、それは、偶然にも開いていた小窓を通してまっすぐにマリアの頭上に
射している。光源に近い空間では聖なる使いの象徴であるハトたちが群れてお
り、この光が特別に聖なるスピリットの流れであることを知らせている。しか
し、この絵で聖なるものといえば、この光線と室内のマリア以外では窓の外に
居る大天使ガブリエル(左)と聖エミディウス(右)だけである。それ以外に
描かれているものは装飾壁や夥しいばかりの高価な品々で溢れかえってい
る。・・・

なお、有名なフラ・アンジェリコの『受胎告知』では聖母とガブリエルの頭上
には光輪が描かれています。光線が描かれている事例は少ないようですが、添
付画像のヤン・ファン・アイクのThe Annunciation(http://www.abcgallery.
com/E/eyck/eyck19.html)では、やはり左上の聖なる方向から複数の黄金の光
線がマリアの頭上に射しこんでいます。

当然のことですが、光線は天なる神のスピリットの可視化であり、これは悪魔
が住まう闇を切り開く道具です。余談ですが、光輪が聖人の頭上に描かれてい
るケースが多いのは、もし光輪がないと聖人たちはみな只の浮浪者(今風に言
えば路上生活者?)に見えるからだという嘘のようなホンマの話があります。

ところで、この文章を書いたときは構想がまとまっていなかったため脈絡のな
い内容となり、却ってご迷惑をかけたようですが、本日UPした記事で詳しく書
いておりますので、ご覧いただければ有難いです(参照、http://d.hatena.ne.
jp/toxandoria/20060529)。

なお、日本人が好戦的かどうかの点ですが・・・、戦争好きなことについては
東西の区別はないと思っています。欧米人も、アジア人も、日本人も残虐さに
ついては全く同じだと思います。問題は、その残虐さ(悪魔的な部分)をコン
トロールする知恵を学ぶことが大切であることを理解できるか否かだと思いま
す。「聖母マリアの受胎告知」の意味するのも案外こんなことかな、思った次
第です。

それから・・・大事なことを忘れていました・・・クリベリが何故にかくも熱
心に豪華な世界中の品々の描写をしたかという問題です。それは、この頃の画
家と絵の注文主との利害が完全に一致していたことによるものだと考えられま
す。この絵はアスコーリ・ピチーノ市からの注文で描かれたものですが、スポ
ンサーたる市当局にとっては、できるだけ多くの豪華な品々を克明に描いてく
れる絵が完成すれば、それは市の誇りとなり対外的な威信の高まりという利益
が手に入ります。一方、画家クリベリの立場からすれば、豪華な品々をできる
だけ多く描く契約をすればするほど実入りが大きくなるという訳です。このよ
うな意味での“豊かさの享受”という感覚は、現代社会では殆んど見られない
ものです。

現代の消費社会は「悪魔」の思う壺に嵌っていますが、歴史の中から“様々な
豊かさの享受の仕方があったこと”を掘り起こすべきではないかと思っていま
す。全国いたるところで発生しているシャッター通りや歴史的な街並み空間の
陳腐化の問題、あるいは伝統的な美しい自然景観の崩壊などを救済しながら、
現在の消費スタイルとは異なるタイプの消費活動の姿(=心の豊かさを追求で
きる消費のかたち)を再発見できるのではないか、と夢想しています。

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