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■直近のブログ記事『toxandoriaの日記』へのコメント&レス 2006.5.13 [2006-05-09、小泉流「狂気のリアリズム政治」で“地獄変”化するニッポン] へのコメント&レス http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060509 [コメントを書く] # toxandoria 『kaisetsuさま、TBありがとうございます。 http://blog.kaisetsu.org/?eid=379035 4/25、小泉チルドレンがつくる「83会」が自分たちのプロフィールを出版す る「UBUDASU」(ウブダス)の出版記念パーティーをホテルニューオー タニの一番大きな宴会場、「鶴の間」で開きました。3200人が集まったそ うです。 “ウブダス”で検索してみると、まるで芸能人ファンクラブ感覚で参加したよ うな人々などの「小泉チルドレン贔屓のブログ記事」がわんさか出てきて驚ろ かされます(参考、下記のURL★)。 ★http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=86156&log=200604 ★http://blog.goo.ne.jp/yasui219/e/5fe0d04ec7c5525ee41e7d2d46d437a0 「サンデー毎日」(5/25号)は、グラビア記事で取り上げていますが、“見る からに「わが世の春」といった感じの人たちが集まった前で小泉首相は(この 会で)「苦しいとき、つらいとき(千葉7区補選で敗退したことを指すらし い)のほうが多いが、そういうときこそ明るく、元気をだせば何とかなる!」 と能天気に語った。また、偉大なるイエスマン武部が「83会が自民党を変え る!」と力説してみせた。・・・花の命は短くて、か”と皮肉っています。 因みに、「UBUDASU」のウブは「うぶな人々」の「うぶ」だそうです が、なにを今更という感じがします。 片山さつき、佐藤ゆかりなど・・・アノ彼女ら、彼らが「うぶ」だなん て!?・・・「本当にウブな国民」も舐められたものだと思います。』 [2006-05-10、イタリアにおける「大ラファエロ展」、その現代的意味を考え る]へのコメント&レス http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060510 [コメントを書く] # 谷口硝子 『toxandoria さま トラックバック、ありがとうございます。新しいエントリーの方にコメントし よう・・・と。フェミニスト&市民運動家っていうのは、リアルな「政治現 場」を抱え込んでいるもので、なんかいろいろ消耗なんですよ。人材もお金も 貧困ながら、共同戦線のためのブリッジをかけているんですけど、そのブリッ ジがいつ崩壊しても不思議ではない・・・そんな状況なもので…(泣き)。 いいなぁ・・・フィレンツに行きたいなぁ。イタリアはおとなの「修学旅行」 だけだったし、絵画に対する素養も教養もないけど、かの地はルネサンス発祥 の地です。ユーロに切り替わったばかりだったけど、札は共通なんだけど、コ インはそれぞれの国のがあるとかで、レオナルド・ダビンチのコインを持って いるけど、リラだったら、すごい大変だったはずだもん。 政治的・社会的な悲壮な現実ばかり、目の当たりにしていると、精神世界でも 国外逃亡でも、何でもいいから、現実逃避したくなりますよぉ…(愚痴) http://ameblo.jp/t-garasu/』 # toxandoria 『谷口硝子さま、コメントありがとうございます。 自称(詐称?)日本のライオンこと「人面腹獣の怪物コイズミ」に振り回され ている日本は、今や散々の状態です。 が、今こそEUの現状をよく学ぶ必要があるようです。下記(■)の本が面白いの で、ご案内しておきます。 ■脇阪紀行著『大欧州の時代、ブリュッセルからの報告』(岩波新書)』 # toxandoria 『renshiさま、TBありがとうございます。 http://ameblo.jp/renshi/entry-10012353720.html “詩人T.S.エリオットは、批評家でもあり、文学のモダニズム革命に当た り、文学の規範を、古典主義に求めて、ロマン主義を排除した。しかし、この モダニズム革命は、矛盾していたのである。自身の内部にロマン主義ないしサ ンボリスム(象徴主義)の要素をもっていたのであり、それを否定するよう に、反動的に、古典主義を主唱したのである。だから、モダニズムは早晩限界 に突き当たるのである。結局、ロマン主義や象徴主義の問題に正対しなくては ならなかったのであり・・・”の文脈に驚きました。 toxandoriaは、エトルリアについてもロレンスについても殆んど無知に等しい のですが、シリーズ「『1439年、東西統一公会議』の現代的意味」の終結に漠 然と予想していたことと、ほぼ完全に近いほどオーバーラップしたからです。 このシリーズの終結が書けるかどうか未だ分かりませんが、重要なヒントを与 えられたような気がしております。』 # toxandoria 『renshiさま、TBありがとうございます。 http://ameblo.jp/renshi/entry-10012413081.html 次元の異なることですが、PDSD(Prolonged Duress Stress Disorder/心的外傷 後ストレス障害)治療の核心が“心に傷を負った人の精神環境の分かち合い” であることを連想しました。 レイプ、DV(ドメスティック・バイオレンス)、幼児虐待、虐め被害、犯罪被 害などでPDSDを負った人の方が、地震などの大規模自然災害の被害者より症状 が重くなる傾向が観察されています。 この事実は「近代合理主義精神」の“弱点”(近代合理主義精神が忘れ去り、 棄ててきたもの=人と人が広く分かち合うことの大切さ)を抉り取って見せつ けているように思われます。 前提となるのは、人は誰でもが一寸したことで心に傷を負い易い存在であると いうことです。ここで、強い心と弱い心の相対論を持ち出すのは無意味だと思 われます。 このように考えると、「近代合理主義精神」は基本的に「PDSD治療」の対極へ の道をひたすら辿ってきたことになり、新自由主義思想は、その“対極の典 型”だということになります。 従って、日本の社会・経済の一層の発展・充実のために「格差」を当然視する (弱肉強食社会を奨励する)小泉首相らの考え方は、このような意味での“典 型的な罠”に嵌っていることになります。 今のままでは、日本中にPDSDを負う人々が溢れかえることになりかねません。 “自分だけが例外の勝ち組になる”などということはあり得ないのです。 このような観点からもスピノザは重要だと思っております。』 # kaisetsu 『トラックバックに対するコメント、ありがとうございます。 ⇒2006.05.11 Thursday 経済同友会が反小泉チルドレンに回っている可能性が高い http://blog.kaisetsu.org/?eid=379035#comments 小泉政権が、小泉氏を囲む隠微で周到な策略グループによって動かされている ことが、toxandoria氏の御尽力によって明瞭に体系的に白日の下に明らかにさ れつつあることは、日本社会の良心にとって、重要な前進で在ると考えていま す。 小泉政権は、寄生虫的政権であり、これを森氏も見抜いているでしょうし、山 崎氏も古賀氏も見抜いているでしょう。森氏が、山本一太氏を公然と批判する のも、このようなコンテクストからでしょう。 さらに、「線遠近法」(輪郭処理)と「空気遠近法」(色彩の面的処理)に関 して言えば、まさに、小泉政権の手法は、白紙のキャンバスに、「友と敵」を 描き出し、峻別し、自己と他者との距離を必要以上に強調する政権です。 こうした傾向に対して、例えば、横山大観氏が、「輪郭を描かない画法」の確 立に尽力したことなど、日本の明治期初期の「透明感の在る知性」(司馬遼太 郎氏から直接に聞いた言葉です)は、『輪郭』という『欺瞞』に挑戦している のだと思う。 小泉後は、小泉政権下で成立した全ての法律の一時棚上げから始められるべ きだと思います。』 # toxandoria 『kaisetsuさま、記事紹介・コメント&TBありがとうございます。 岡倉天心の理想の一つが横山大観の「輪郭を描かない画法」に結実しました が、もう一つの岡倉の理想、「Asia is one.」(アジアは一つ)の方は、残念 ながら明治ナショナリズムによって捻じ曲げられてしまいました。 岡倉天心の『茶の本』には明治ナショナリズムが必然的に育つ種が蒔かれてい たという指摘もあるようです。が、必ずしもそうではないと思っております。 ともかくも、軽佻浮薄な“寄生政治家・小泉首相”は、直近の戦争による多大 な内外の人命の犠牲を棚上げにして、この“愚かな誤解”の曲率を再び拡大さ せてしまったようです。 日本のアイデンティティと伝統文化を守るためにも、岡倉天心が残してくれた もう一つの理想を今こそ見つめ直すべきだと思います。』 # renshi 『toxandriaさま 丁寧なコメントありがとうございます。 PDSDですが、まったくその通りだと思います。小泉政権は、西洋文明の成 れの果ての「ヤクザ」政権だと思います。近代合理主義精神という同一性の帰 結で白痴状態となっています。 ところで、PDSDの人たちの分かち合いは、正しくスピノザ的だと思いま す。スピノザは、共感性を哲学で初めて、明快にして、体系化した人だと思っ ています。この点では、スピノザは、芸術家的です。ほとんどの哲学者が、概 念中心なのに、スピノザは、感性・共感性を肯定して、心身エネルギー哲学を たてました。これは、量子論哲学です。ポスト・モダン哲学です。 ところで、エトルリアのことですが、ルネサンスは、正にエトルリア人を主に 住んでいたトスカーナの地で起こりました。ミケランジェロでしたか?、エト ルリア美術を研究して、創作しました。構図がそっくりなものがあります。今 資料がないので、あやふやですが、そのうち、正確にお伝えしたいと思いま す。 D.H.ロレンスは、いわば、迫害されたイギリスを飛び出して(健康上のこ ともあったが)、イタリアに延べ8年間は住んでいました。そして、エトルリ ア美術を彼なりに発見するのです。そして、彼の真の代表作の『死んだ男』を 書きます。ロレンスは、イタリア人は、陽気なエトルリア人の末裔であり、ロ ーマ帝国の人間のそれではないと言っていましたが、まったく同感です。 そして、ロレンスは、型にはまらないエトルリア美術を評価しています。ま た、後代の絵画にはない、接触があると延べています。これが、メディア界の 共感性のことだと思います。イタリアの土着的な文化は、東洋的だと直感して います。しかし、イタリアは、ギリシアの影響で、古典主義を生んでしまいま す。イタリアの二面性だと思います。 さて、これから、toxandria氏が芸術のテーマで書かれることを、たいへん期待 しています。』 |