着物姿の少女。ふくよかな桜色の頬に優しい眉。大きな丸い目は無邪気だけれど、はにかんだような上目遣いと長いまつ毛が、どことなくしっとりした日本女性の大人っぽさを感じさせる。可愛いこのぬりえの少女は40代以上の日本女性ならみんな知っている。どの絵も一目見て同じ作者によるものとわかる。当時のブランドだったのだ。
ここは荒川区町屋のぬりえ美術館。昭和10〜30年代に一世を風靡した蔦谷喜一氏による「きいちのぬりえ」を展示している。館長の金子マサ氏は、去年(2005年)2月に91歳で亡くなった蔦谷喜一氏の姪にあたる。永く某大手化粧品会社の商品開発に従事し、国際畑で活躍した。ヨーロッパの商品と市場の勉強のた1981年頃から何度も出張で訪れたパリで、文化の尊さを実感したという。海外から日本を眺めたとき、日本の文化の貴重さを強く感じ、忘れられて散逸しかけていた叔父の「きいちのぬりえ」を保存したいという思いを抱いた。その後、2000年に退社後、 自宅を新築 、1階部分を永年の夢だった「ぬりえ美術館」にしたのは2002年8月。土日祝日しか開館していないが、オープン以来すでに来館者は5000人を越えた。
しかし、金子氏の目的は、いわゆる昭和レトロブームにのった「なつかしの」ぬりえ紹介だけではない。
ぬりえの文化的価値を国を超えたステージで確立したい、ということだ。すでにいろいろなメディアで紹介され、中国やアメリカ、ヨーロッパから来館者がきている。
確かに、蔦谷喜一氏のぬりえには子供の遊びだけではない美術的な仕掛けがある。
蔦谷喜一氏は日本画を勉強していた。金子氏は 「ぬりえにタイトルがついているのは浮世絵のスタイルを踏襲している」 と分析する。
画面には必ず毛筆文字の短冊風の題名がつき、「きいち」という署名が小鳥に導かれた札となって現れるのだ。
また、着物の描き方とポーズのとり方にはごまかしがない。なんと蔦谷喜一氏は日本舞踊の花柳流の名取「花柳喜一」として踊りを教えていたという。
また、洋装の女の子の腕や足のニュアンスと靴や靴下の仕様は、フランスの人形、ビスクドールを髣髴させる。
当時、日本の富裕層が大切に買い求めたヨーロッパの玩具をなぞったのではないだろうか。
要するに、「きいちのぬりえ」は子供の遊び道具に留まらず、昭和20年代〜30年代の日本の文化の象徴だったのだ。
金子氏は、「ぬりえが、絵画より一段下の文化と思われているのが悔しい」と言う。今年9月末から10月にかけて、ニューヨーク(Japanese American Association of New York, Inc. 、Kinokuniya 、Onishi Gallery)で展覧会を開き、アニメ・漫画に続く日本文化の紹介を試みる。また、昨今の高齢化で、新たな動きが出てきた。「大人のぬりえ」として、高齢者の介護と精神的ケアに効用があるというのだ。昔懐かしいぬりえに接することで、「回想法」に役だち、「見る」と「塗る」の両方をすることから脳の活性化が図られる。金子氏の挑戦は始まったばかりだ。
「ぬりえ美術館」内には、ぬりえ帳と色鉛筆、クーピーペンシル、クレヨンが置いてあって、来館者がぬりえをすることができる。インタラクティブな展示と、なにより作家の血縁者がそこに居るというリアルさ。金子氏の穏やかな表情に、モデルの少女の面影さえ見えてくる不思議な空間である。 (西岡珠実執筆、撮影) |