メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[『儒教の誤解=忠君愛国』へ回帰する日本の政治家たち] へのコメント&Res  2006/05/07


[『儒教の誤解=忠君愛国』へ回帰する日本の政治家たち] へのコメント&Res
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060506

[コメントを書く] 

# ivanat 建つ三介 『こんちは、トキサンドリャさん

日本といいロシアといい、
こういった当たり前のスパイ論、文明論が、何故根付かないんですかね、
宗教が、時の権力に阿てきたからでしょうかね。』

# philosophia practica cosmica 『toxandria様

常会手帳の内容をざっと読みましたが、生々しいですね。
哲学で言えば、全体主義とは正に、同一性暴力ですね。

つまり、個の差異を認めないという暴力で、実に寒々しいものだと思います。
全体主義を志向する似非為政者たちは、自分自身が個を確認して、生きていな
いために、野蛮な同一性自我から、全体主義的発想をするのだと思います。
また、多くの日本人が、個的差異(特異性)を自己確認しないで生きているの
が、問題です。

確かに、個的差異を確認することは、「共同体」から外れることであり、孤立
することにもなりますので、多くの日本人はそれを大変恐れているのだと思い
ます。それが、今日の保守反動性を生んでいるのだと思います。差異に対する
暴力が深く日本社会にあると思います。

近代合理主義・近代的自我は、同一性自我主義ですから、こうなると思いま
す。もっとも、日本人の場合は、日本語のもつ主客未分化性があるので、同一
性から全体主義に染まりやすいように思います。不連続的差異論は、このよう
な同一性暴力=全体主義を破砕する自己認識の理論です。

個々が、独立しつつ、共立連帯するという社会・文化にしたいと思っていま
す。だから、極端に言うと、日本からのエクソダス・逃走が必要なのだと思い
ます。

今の時代は、「非国民」になる必要があるのだと思います。』


# toxandoria 『philosophia practica cosmicaさま、コメントありがとうござ
います。

この常会手帳は、たまたま祖父の遺品を整理して見つけたものです。

これを読んで驚いたのは、とても幼い頃だったので朧な記憶なのですが、やさ
しい好好爺の印象しか残っていない祖父についてのもう一つのリアリズムを発
見したという驚きです。

おっしゃるとおり“個の差異を認めないという暴力”を甘く見たり、舐めてか
かっている人々が増えている(所謂、右傾化へのシンパシーが増殖中であるこ
と)ように思われてなりません。社会的な批判力を期待されているはずのマス
コミですら、このビョウキに取り憑かれています。

また、“「共同体」から外れることであり、孤立することにもなりますので、
多くの日本人はそれを大変恐れているのだと思います。それが、今日の保守反
動性を生んでいるのだと思います。差異に対する暴力が深く日本社会にあると
思います。”の言説についても同感です。

toxandoriaは、ほぼ同じことを“いわゆるリアリズム論”というコトバで理解
しております。言い換えれば、これは“この世界には人間の数だけ異なる現実
認識が存在する”という理解です。

このように不確かで捉え難くもフラジャイル(fragile)な現実を繋ぎとめる工
夫が「民主主義」ではないかと思っています。フラジャイルだから民主主義が
ダメだというのではなく、だからこそ言論と文化活動を通して積極的に民主主
義を守るべきなのです』


# とむ丸です 
http://tomkari.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_4763.html

『人を見たらスパイと思え、ということですね。前線と銃後を合わせて、まさ
にルーデンドルフのいう「全面戦争(あるいは総力戦)」です。

 絶えずスローガンを叫びながら人を一種の催眠状態に縛りつける。こうした
戦術に対抗できる手段、対抗できる人間、己の頭で考える人、これをどのよう
に育てていくかは大きな課題ですね。

 それはそうと、『ニヒリズムの革命』には「ナチスの総統ときたら、どんな
ときでも思いのままに涙を浮かべ、すすり泣くことができるのだから」という
一節があります。小泉総理のことをいっているようです。彼はこうした演技を
すっかり自分のものにしてしまっています。

 このお涙頂戴的道徳観は庶民にとって「分かりやすいもの」の典型なのでし
ょう。良識とか良心をどうして育てるのか、ほんとうに難しいですね。とにか
く、疑問を感じてちょっと足を止め考えればいいのですが。』

# antonian 『toxandoria様
http://d.hatena.ne.jp/antonian/

先日はトラバ有り難うございます。共謀罪に関しては知識が無いためにただ本
能的に「嫌なにほひ」を感じております。ですので自分とこで論じることは能
力的に出来ないのですが、皆様の御意見を色々参考にさせていただいておりま
す。

わたくしは好戦的で独善的な現代中国(中共)の政治も韓国の政治にも批判的
な立場ですが、日本も今は同様の道を歩みつつあるように感じます。なもんで
警戒中ですね。

東洋に関して、以前ヘーゲルの歴史哲学に関する本を読んだ時。ヘーゲルって
東洋に偏見持ち過ぎ。と思ったものですが、今思い出すと、近代から現代に至
る西洋の「国家」と「市民」という観点からすればなるほど、当を得ていると
感じますね。

今バチカンと中国がいがみ合ってますが、中国の宗教への態度は単なる共産主
義対宗教というより、東洋と西洋の概念の差異に関わりあるかな?と見ていま
す。』


# toxandoria 『“ivanat 建つ三介”さま、コメントありがとうございます。

“こういった当たり前のスパイ論、文明論が、何故根付かないか”の根本に
は、上でphilosophia practica cosmicaさまへのコメントで書きましたとお
り、日本人の多くが“この世界には人間の数だけ異なる現実認識が存在する”
ということについて認識ができないということがあるのかも知れません。或い
は、多くの日本人は、そのように認識することが不得手であるのかも知れませ
ん。

その結果として「この世にはお上が認定した“本物の現実”が一つしかない」
ということになるようです。

一見すると無関係なようですが、これは明治以降の富国強兵政策に傅いてきた
科学技術(科学合理主義についての偏狭な理解)の問題が関係ありそうです。
経済やスポーツの振興問題についても、日本人は似たような錯誤を引きずって
いるようです。

“宗教が、時の権力に阿てきたからでしょうかね?”についても同じ観点で理
解できます。つまり、現代の日本人には本当の宗教(人類が歴史経験から学ん
できた宗教との接し方についての知恵)が分かっていないのではないかという
問題です。

具体的に言えば、一般の日本人にとっての宗教はカルト信仰(ネズミの尻尾信
仰)と同じ位置づけなのです。

カルト宗教が政治権力と結びつき易いことは、歴史を学べば理解できるとおり
です。また、いまや民放テレビ番組では“準カルト”的な霊媒師や占い師たち
がモテモテであるのは、ご周知のとおりです。』
# toxandoria 『“とむ丸”さま、コメントありがとうございます。

今後、現代社会は、ますます「視覚偏重型」認識が主流であるコマーシャル原
理主義のような社会へ向かって加速すると思われます。

このため、近未来社会では、画期的なインタ-フェース(Pervasive Computing
 Interfece)の実現とともに「ヒトラー・タイプ」や「コイズミ・タイプ」の
いわゆる詐欺師型政治権力者の影響力が個々人の内面を内側から破壊する危険
性がますます高まると思われます。』


# toxandoria 『antonianさま、こちらこそコメントありがとうございます。

共謀罪については、司法の専門家から下記のような問題も指摘されておりま
す。
★共謀罪が特に日本で危険な理由〜人権を守るシステムがない
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/bf1dcfe54f34165c622afec314b75e76

共謀罪について,外国にもあるではないか〜という理由から賛成する人もいる
だろう。しかし,そもそも,共謀罪のある外国でいかなる問題が発生している
か,明らかではない。少なくとも,米国では問題が多発していることは,ここ
←などで紹介した。今回は,特に日本でこのような法案を成立させることの危
険性について少しご紹介したいと思います。刑事事件の流れにあまりなじみの
ない方はこちら←を参照しつつ,お読み下さい。

第1

一番の問題は,日本では取調の過程を録画していないことです。「取調の可視
化」といわれるこの問題は,日本弁護士連合会が中心になって,可視化,すな
わち,録画を実現しようと努力してきました(ここ←参照)。しかし,警察は
まったくそのような制度を導入する気はないようです(ここ←参照)。

これに対し,海外では先進国のみならず,アジアの国々も導入しています(こ
こ←の28頁以降参照)。

取調が密室で行われると自白の捏造などにつながります。特に共謀罪は,実行
行為がないために,証言のみで有罪となる恐れの大きい犯罪ですから,自白の
捏造の恐れがあるシステムのもとで,採用されると非常に危険です。

第2 

逮捕してから刑事事件として起訴するまでの間に身柄を拘束される期間は,日
本では原則23日間ですが,先進国では2日くらいとされています(ここ←参
照)。この間に日本では過酷な取調が行われ,冤罪がつくり出される恐れがあ
るのです。この期間を諸外国並みに短くする必要があります。

第3

さらに代用監獄という制度が日本ではあります。。逮捕した後,裁判所が身柄
を20日間(実際にはまず10日,そしてさらに10日延長する)拘束しても
いいという決定をして合計23日間の身柄拘束ができることは第2で指摘した
点ですが,この20日間を警察の留置場に入れることができるという制度で
す。

これも先進国ではあまり例がありません。

この制度によって,日本では,警察に身柄を拘束され,朝早くから夜遅くまで
取調が行われているのです(ここ参照←)。

以上の3点のほか,刑事裁判の有罪率の高さなどの問題もあります。

結局,日本では警察が特定の団体・人物に目をつけて強引に逮捕したうえ,自
白を捏造して有罪判決を受けさせるということが可能なシステムとなっている
ということです。

例えば,松本サリン事件では,被疑者が分からないにもかかわらず,河野さん
方を殺人容疑で捜索差押することを認め,そのまま河野さんを自白に追い込も
うとしたりしました。

もちろん,一般の警察官は熱心に職務に励んでいると思いますが,それとシス
テムをいかに適切なものにするかは別の問題です。

日本では冤罪を防ぐためのシステムが先進諸国に比べ,非常に脆弱なものとな
っているのです。

諸外国で導入しているから…というのなら,まず,冤罪を防ぐためのシステム
−最も急がれるのは取調の録画化(可視化)−についても導入をする必要があ
るのではないでしょうか。

そちらを放置したまま,共謀罪を成立させようというのはちょっと順番が違う
のではないでしょうか。

・・・・・

その生きた時代が凡そ“アメリカ独立戦争、フランス革命前後〜ウイーン会
議、オーストリアとプロイセン(ドイツ)の覇権闘争”の時代という世界的な
大変革の時代であったヘーゲルの歴史哲学の観点は、グローバリズムと新自由
主義の席巻で混迷度を強めつつある現代にこそ相応しいかも知れませんね。

ただ、ヘーゲルの“現代(当時の19世紀)では、絵画に代わり哲学が精神性を
高める役割を果たすだろう”という予言は21世紀には当らないのではないかと
思っております。上の“とむ丸”さまへのコメントでも述べましたが、Pervasi
ve Computing Interfaceが進化する時代では、愈々、造形芸術の役割が重要
になるように思われます。』

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