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タイトル:[芸術の価値]映画『単騎、千里を走る』に見る『小泉劇場一座』の劣悪な品性  2006/02/17


[芸術の価値]映画『単騎、千里を走る』に見る『小泉劇場一座』の劣悪な品性
2006.2.17

  中国の張芸謀(チャン・イーモウ/『HERO、
http://www.kanlema.com/inpaku/chinamovie/chinamovie03.html』、
『LOVERS、http://bb.watch.impress.co.jp/cda/news/6254.html』など)がメガ
フォンを取り、日本を代表する名優・高倉健が主演する映画『単騎、千里を走
る』(参照、Official Site、http://www.tanki-senri.com/、単騎千里は三国
志の名場面を表わす言葉/参照、
http://bb.goo.ne.jp/special/broba_st/contents/200601P30028/)を鑑賞し
て、久しぶりに、寡黙で存在感がある内面のリアリズム映画を堪能しました。
『HERO』、『LOVERS』の張芸謀とはまったく異なる作風(CGなどの先端技術は
使わず、日本の寒村の原風景と中国・雲南省の土着的・土俗的景観がドキュメ
ンタリー・タッチで迫る)であり、素朴な人間の心(日本人と中国人の心の
“きざはし”)が滲み出すヒューマン・リアリズム映画です。なお、74歳に
なりながらも壮健な高倉健の存在感はやはり抜群です。そこにあるのは、“そ
れでいいのか蕎麦(ソバ)打ち男!”と揶揄されるような(メディアプロデュ
ーサー、残間理江子の造語)、日本で一般的な“老成した男たち”の対極にあ
るものです。

  ストーリーは実際に映画を観ていただくこととして、この映画のエッセンス
だけを述べておくと、このとても寡黙なドキュメンタリー風の映画から“人間
の優しさ、不器用な表現でこそ伝わる愛情、心のふれあいの美しさ、信頼感と
いうものの原像、一途な家族愛と人間愛の温かさ、本気であることの清清し
さ、真剣であることの感動”など、「人間の本物の真心」と「言葉では表現し
得ない日本と中国の共通の価値観」のようなものがスクリーンを通してひしひ
しと伝わってきます。それは「儒教文明圏」に属する中国と日本に共通する何
かかも知れません。なお、この映画では人間の心の媒体として、「三国志」の
関羽にまつわる仮面劇(雲南省に伝わる)が重要な役割を果たしています。と
もかくも、これと対照的にリアルに浮かび上がるのは、一途に(?)「靖国参
拝」に拘るあまり、来日したアメリカのゼーリック国務副長官から“改めて日
中外交の緊張緩和策を検討すること”を促された(1/23、
http://www.asahi.com/special/050410/TKY200601230241.html)『小泉劇場一
座』(小泉、安倍、麻生、武部、竹中など)を“演ずる役者たち”の品性劣悪
な姿です。その上、この一座の演目には『国家の品格』のカケラも存在しない
ようです(参考資料、下記URL★)。

★小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060202
★「神憑る小泉劇場」と「ホリエモン」が煽ったトリクルダウン幻想 、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122
★「国家理念」及び「温かさと緻密さの眼差し」が欠落する小泉劇場政治、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050923
★『小泉H.C.ポルノ劇場』が蹂躙するエクリチュール 、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829

  朱 建栄(東洋学園大学教授、日本華人教授会議代表、
http://duan.jp/02/back_no/73top.pdf)は、自身のブログ(東洋文明・共通価
値観・共同知について/ 2005年 11月 28日、http://jrzhu.exblog.jp/)で次の
ようなことを書いています(以下に要点を抜き書きします)。

●かつて、マハティール・元マレーシア首相が「ルック・イースト」のスロー
ガンを打ち出したが、ここには「儒教文明圏」と関連する要素があると思われ
る。

●東アジアには、西洋文明に相対する「東洋文明」と「共通価値観」が存在す
るはずだ。それは日米間の「共通価値観」とされる「民主主義、市場主義、人
権の尊重」とは異なるものだ。

●西安などの古都を訪ね、空海をはじめ多くの日本からの先哲が中国で学んだ
足跡を辿ってみると、2000年以上の交流がある日中間と高々150年の交流の日米
間とでは、その「共通価値観」の中身が違って当然だと思われる。

●「日本華人教授会議」では、日本と中国さらに東アジア全域における「共同
知」の探求が行われている。この「共同知」の特徴は、自然や人類社会を認識
する知識・学術・学問の理論と範疇、及び倫理観・価値観の次元で日中双方の
共通点を発見することにある。これは、いわゆる「親日派」や「親中派」など
を育成するメカニズムではない。

●つまり、「共同知」を探求する目的は「欧米諸国の長所を一層学びながら、
その影響で東アジアに新たに芽生えたものを評価する一方で、東アジア諸国が
この数十年間の経済・社会・政治の発展の中で見せた共通点は一体何であった
のかを日中共同で検討し、いわゆる一般的な意味での「共通価値観」以上の広
い視野に立って哲学・理念・文化面での共通基盤を発見すること」にある。

●この「共同知」を巡る探求は東アジア諸国との共同作業でなければならず、
そこには三つの意義がある。

(1)日中間に存在する摩擦と対立を乗り越える大局的な視野を提供する。

(2)国際政治における大国の思惑や陰謀、そして東アジア諸国間の対立を乗り
越えて「東アジア共同体」を形成するための理論を準備する(EUも一夜で形成
されたのではない、凡そ60年に及ぶあらゆる分野についての研究努力の積み重
ねである)。

(3)西洋文明と現代工業社会の長所を確認しつつ、問題点を発見し克服するた
めのヒントを提供することができる。また、このような作業は、全世界の未来
のために東洋文明が再貢献するための基礎作業となる。

  ここで、我われ日本人が想起すべきことの一つは、松岡正剛氏が名著『空海
の夢』(春秋社)の中で紹介している「華厳経の世界観」かも知れません。そ
れによると、華厳経の究極の目的は人間に「海印三昧」(かいいんざんまい)
の境地を啓示することです。それは、言ってみれば「広大無辺で融通無碍(ゆ
うずうむげ)な世界観であり、現象界のノミナリズム(唯名論、銘々論、言語
論、分類論、情報論)による大混乱状態を超克した世界観」です。このような
理念世界の共通認識は、恐らく“市場原理主義”に基づく浅薄で我執に満ち満
ちた世界観や深刻な宗教対立を導く世界観を超越する可能性を示唆していま
す。当然のことながら、一挙にこの理念へ到達することはできませんが、この
ような理念を高く掲げるという「謙虚さ」が現代人は求められているはずで
す。現在の日本の不幸は、このように考えること自体を小ばかにする、品性劣
悪な断末魔状態の『小泉劇場』に対して、マスメディアの一部と過半の国民が
今になっても未練たらたらであることです。それはともかくとして、映画『単
騎、千里を走る』は『小泉劇場一座』の劣悪な品性を再認識させてくれまし
た。

<注>「華厳経の世界観」についての詳細は書きHP★をご覧願います。

★■華厳宗/理事無碍法界(りじむげほうかい)と関係子(メディオン)

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