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タイトル:[2006-02-02、小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会]へのコメント  2006/02/03


[表題][2006-02-02、小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した
国会](はてな版、toxandoriaの日記)へのコメント
2006.2.3

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Yosyan

『初めてお邪魔します。

小泉首相が「格差が出る事は悪いと思っていない」というのは広い意味では正
論です。「能力があり努力した者が報われる社会は認められる」のも必ずしも
間違いでないとは考えます。格差の無い世界をトコトン追求すると理想的な意
味での共産主義体制となり、そういう方向性を誰もが待ち望んでいるかと言え
ばそうとは思えないからです。

私たちは資本主義体制の容認を前提としています。資本主義では綺麗事で言え
ば、努力したものは報われ、サボる者は報われない体制です。そこに格差は必
然的に生じます。必然的にと言うよりそうなる性質を持った体制と言えると考
えています。

では資本主義の本質から小泉首相の論法に全面的に賛成かといえば同意できま
せん。資本主義体制では為政者が放置すれば自然にドンドン格差が広がるので
す。拡がれば少数派の持つ者と多数派の持たざる者の二極化社会になります。
二極化社会は社会不安の要因となります。

資本主義体制では競争原理が強くなれば経済は活性化しますが、裏腹に二極化
社会が進み社会不安が広がると言う必要悪をもっていると考えています。為政
者の役割は競争原理をどの程度まで働かすかの調整を見据えながら政策を運用
する必要があります。規準は格差が広がりすぎて二極化社会による社会不安の
発生を防ぐ事です。

格差社会の容認度は様々な統計上の物指しがあるようです。現在はその数字の
解釈で論じられているようですが、私はもうひとつ重要な物指しがあると考え
ています。国民の実感です。実感として感じられるようになってきたら、これ
は要注意信号ではないでしょうか。

実感とは漠然とした物指しですが、言い換えれば民衆の不満であり不安です。
古来優れた指導者はそういう声を巧みに収集し政治に反映させています。現在
のようにマスコミを始めとする情報伝達機関が未発達であった時には、街の
噂、流行り歌、わらべ歌にいたるまで集めて情報としています。

現在ではさしづめ流行語となるでしょうか。「勝ち組」「負け組」「下流社
会」「格差社会」なんて言葉がごく普通の会話に出てきていると言う事は、そ
ういう社会を庶民が実感しているからではないかと考えます。実感しているか
らその言葉にたやすく共鳴し、頻用され、流行語となっているとも見ます。

格差社会が流行語になっていると言う現実こそが、もうこれ以上の格差を社会
で作る事は危ないとの重要なシグナルではないかと私は思っています。ところ
が小泉竹中ラインはまだ足りないで認識しているようです。この認識のギャッ
プがもう少し後で大きな代償を支払わせられるような気がしてなりません。』

toxandoria

Yosyanさま、懇切なコメントありがとうございます。

小泉首相の格差論」は、一般の常識的な人が言う場合には頷ける部分があると
思います。しかし、小泉首相のコトバでは、あまりにも無責任な前科(参照、
小泉語録/http://homepage3.nifty.com/office-onishi/koizumi.html)が多す
ぎて、信用が置けません。このため、「格差が出ることは悪いと思っていな
い」という小泉首相の言葉には、あまりにも冷血な響きがこもっており共感で
きません。

また、小泉首相は一国を預かる最高責任者としてのリスク管理意識が徹底的に
欠けているようです。やはり、本来は一国の首相などになるべき人物(任に堪
え得る器)ではなかったようです。小泉首相には、策士・竹中平蔵が持ち込ん
だハイエナ資本主義(新自由主義)を制御またはガバナンスするという意識が
全くありません。

それどころか、そこで生み出された目先の果実に“たかろう”とする意図(少
しでも政治資金の足しにしようとする意図)が透けて見えます。このため、ホ
リエモン事件も起こるべくして起こったのだと思います。つまり、「小泉劇
場」によって大派閥が壊されるとともに自民党執行部と政府自身のモラル・ハ
ザードが急速に悪化し始めたようです。

今、5.46%の株式を取得して筆頭株主となった村上世彰氏が率いる「投資ファ
ンド(村上ファンド)」がデパート「松坂屋」に対し、経営陣と従業員による
事業買収(MBO/マネジメント・バイアウト)を提案していることが2月2日明らか
になったと報道(2/3共同通信、
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/02/8235mbo.html)されています。

この共同通信の報道(ただ、急遽この記事は消去されてしまったようです)に
よると、この「投資ファンド(村上ファンド)」は「松坂屋」がこのMBOに応じ
られないなら全従業員を解雇するよう迫っているそうで、その真の狙いは「銀
座・松坂屋」が立地する土地など優良資産の有効活用を掲げて「時価総額」を
高めることにあるようです。ここで見られるのはホリエモンに劣らぬハイエナ
活動であり、まさに日本の株式市場の博打場化現象です。

ここでは優良企業としての「デパート・高島屋」の経済文化的価値、従業員や
その家族らの立場、伝統企業の地域社会との繋がりなどは悉く無視されていま
す。そこで高く評価されるものは「小泉=竹中ハゲタカ組」が崇める「カネ」の
力(株の時価総額の大きさ)だけです。

ひたすら株の「時価総額」を上げることばかりに傾斜する経済活動は健全な資
本主義の姿ではないと思います。このような日本市場の博打場化現象が進む一
方で、同じく一般企業の「時価総額」経営化(株主重視型経営への転向)で吐
き出された(リストラされた)多くの失業者たち、増加する一方の非正規雇用
者(パート、派遣、アルバイト)たち、就職できない多くのニート層の若者た
ちなど、いわゆる「陰の部分」がますます拡大しつつあります。

やはり、一般庶民の中で「格差」を表わす「流行語」が増えつつあることは日
本社会のバランスが大きく崩れつつあることへの警告かもしれませんね。しか
し、肝心の小泉首相まで、その実感は伝わらないようです。恐らく、彼には積
極的に耳を傾ける気持ちなどないのです。

例えば、「米国産牛肉問題」関連で昨年11月18日に閣議決定した「輸入再開前
の現地調査実施」をネグったことについて、安倍官房長官が「閣議決定は特定
の行為(事前調査のこと)を内閣として決定したことではない」という“意味
不明の弁明”を発表(1/30)していますが、これについて記者団から質された
小泉首相はアッサリと「それでいいのです」と答えています。国民の生命への
悪い影響を懸念する気持ちなどサラサラないようです。

最早、民主主義の基本である政府運営のルールも無視されつつあり、自民党と
日本政府のモラル・ハザードは悪化の一途を辿っており、文字通りの暴政化が
進んでいます。おっしゃるとおり、これから先が怖いですね。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。


[2006-02-02、小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会]
(gooブログ版、toxandoriaの日記)へのコメント

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ara

お見事です、感服しました。的確に表現されています。

私も小泉さんの偽善性は、就任当初から解析しておりました。あれほどの危険
な右翼性は理解できておりませんでしたが・・・・お気に入りに登録させてい
ただきます。

ただ一点だけ、
日本が沈没する寸前に7000円台を割ろうとしていた株価が、いつのまにやらあ
れよあれよと言うまもなく、10000円台に急上昇いたしました。

あそこが私はキーポイントのような気がしています。当時、何の意味も無く上
がりだしたこの株価は、外資の買い、のように言われていますが、実は日本の
お金だったようなのです。

つまり最後の手段として、インフレ誘導をするために日本株を外資にお願いし
た、と言うのは間違っているでしょうか?

結果的にそれが、下をデフレにおいたまま、上をインフレにして、やがて二極
化を進める原因となったのではないでしょうか?

天下りや無駄な出費抑える構造改革ができなかった結果の、恐慌、を目の前に
した窮余の一策ではなかったか?あの程度の郵政改革をさも大きな改革を成し遂
げたかのように表現しているのは、庶民として笑うに笑えない。この程度の大
将で、お恥ずかしい限りです。

やってはならない愚の骨頂の徳政令をコソコソとやって恐慌を避けたのが実際
なのではないでしょうか?

toxandoria

araさま、コメントありがとうございます。

「小泉首相の右翼性」はいささか変わっており非常に危険な感じがします。そ
れは「右翼性」というより「サディステイックで特異な性格」だと思います。

この点については、既に、小泉首相が登場した頃に“自称右翼”の評論家・西
部 邁氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E9%82%81)が
指摘していました。

どこが危険かというと、小泉首相の言葉の中に理念的なもの(哲学・倫理・歴
史観・人間観など)が一切窺えない点です。

喩えれば、小泉首相の言動を観察していると、それは人間というよりサルなど
の動物を相手にしているような不気味さがあります。

その代わり目立つのが、駆け引きの場を創り上げる非常に巧みな政治力です。
その特徴は、急がずとも良いのに強引に区切り(期限)を設定し、反対(敵
対)する者を徹底的に叩きのめすことです。

あの「郵政民営化」がそうであり、今また「皇室典範」という訳です。それ故
に、強いて人間的に表現すれば、それは“外道たち”の流儀ということになる
ようです。

株価の上昇機運は2003年5月に「りそな銀行」への公的資金が投入されて
(不良債権処理が進み)株価が上昇へ転じ始めたことに端を発しております。

そして、株価が鰻登りとなったのは2005年10月の「証券取引法の改正」(自己
株式取得の原則自由化・額面株式の廃止など、
http://www.lalalaw.com/contents/topics/topics010801_1.htm)後です。

やがて、活発な外資の参入が始まり、引き続き一般個人投資家などを巻き込み
つつ東証株価が急上昇してきました。このため、政府は「小泉構造改革」が景
気を回復させたと主張しています。

しかし、公的資金(不良債権処理)→外資参入(迂回した日本マネー)→景気
回復の機序については、専門家も不分明だとする方が多いようです。

toxandoriaもよく理解しておりませんが、恐らく、今回の景気回復は真面目に
経営改善に取り組んだ企業の努力の成果ではないかと思います。

その過程で、吐き出された(リストラされた)多くの失業者たち、増加する一
方の非正規雇用者(パート、派遣、アルバイト)たち、就職できない多くのニ
ート層の若者たちなど、いわゆる「陰の部分」が拡大してきたのです。

おっしゃるとおり、このような「ステルス徳政令」(目立たない徳政令)の恩
恵を最大限に享受したのは大銀行の経営者たち(経営能力がなかった)と金
融・財政担当の官僚(財務省を中心とする)たちです。

非道にも、彼らは一切“自己責任”を問われなかったことになります。そし
て、遺産として残されたのが10,000兆円を超える財政赤字累計額(国・地方合
計、利払金含)という「影の部分」です。

本来であれば運営の失敗で“自己責任”を取るべき政・官・財(大銀行)の責
任者たちが責任を取らず巧みに誤魔化したため、一応、見かけ上の景気回復は
演出しています。

しかし、まことに悲惨で恐ろしい「二つの陰の部分」(“膨大な人数の労働弱
者たち”と“10,000兆円を超える財政赤字累計額”)をもたらしています。

結局、「小泉構造改革」とは、善良な国民たちに「希望を掲げた幻想劇場」を
見せながら問題解決の壮大な先送りをした「オレオレ詐欺的な改革劇」ではな
かったのか、と疑っております。

今後とも、よろしくお願いします。

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