|
[2006-01-26、“OPERA、Koizumi & Horiemon's Love Game” is Over !] のコメント(続き) 2006.1.28 toxandoria 『remshiさま、TBありがとうございます。 共同通信社が行った全国緊急電話世論調査によると、「小泉内閣が推し進めて きた構造改革について「見直すべきだ」との声が50・6%と過半数」を占 め、「「勝ち組」「負け組」に象徴される経済的格差について75・0%が 「広がっている」と回答」して「格差社会」の進行が浮き彫りになる一方で、 未だに「小泉内閣の支持率が52・9%」で、日本国民の過半が、この小泉内 閣を支持(信頼)しています(http://www.tokyo- np.co.jp/00/detail/20060127/fls_____detail__064.shtml)。 一方、toxandoriaが身近な人々と「ライブドア問題」について話を聴いた(ヒ アリング)感触では、「何が問題であるのか分からない」=1/3、「マスコミが 手の平を返したのでやりすぎ、Horiemonが可愛そうだ」=1/3、「今まで小泉に 騙されていた、小泉は恐ろしい人だ」(これはマスコミ関係の人の反応!)= 1/3・・・おおよその反応が、このようなものでした。 無論、この二つのデータを単純に結びつけることに統計的な意味は何もあり得 ないのですが、toxandoriaの直感で言えば、そこにはとても納得が行かぬもの が見えています。マスコミの調査がヤラセだというような意味ではなく、「ア ンケートに答える時の日本国民の意識」と自分の「日常の現実感覚」(これが 小泉内閣に対する過半の支持表明の意識部分)の間に飛び越えることが殆んど 絶望的な断崖絶壁の谷間を挟んでいるような感じがします。 それが何かは未だ分かりませんが、恐らく、これはkaisetsuさまがご指摘の 「事実(現実)への逃避」に関係するのではないかと思っています。 別に言えば、日本国民は、民主主義社会の中で「権力者に対して正しく異議申 し立てをする手段」を放棄しているか、そのことの「歴史的な意義と重要性」 を見失っているのだと思います。 それは、日本国民が直近の近代化へ向かってきた発展史のプロセスで権力側に 飼い慣らされてしまった結果でもあると思います。 このため、日本国民は正当な「市民意識」と「公共空間」に関する理念の重要 性に関して「不感症」となっているのかも知れません。 恐らく、この状態である限り、政治権力者がストレートで現行犯敵な犯罪でも 起こして自滅的失脚にでも至らぬ限り、目先の“現実的”な政権が交代して 「暴政の実体=コイズミ・タケナカ&ホリエモン現象」が消え去るということ はあり得ないのかも知れません。 たまたま、11人の女性たちを自宅に囲い込んでハーレムを作っていた「不思 議な男」が逮捕されるという事件が起こっています。が、この渦中の女性たち をバカな奴らだと笑えないかも知れません。 実は、この11人の女性たちの不思議な立場こそが、今の「あまりにも従順す ぎる」、というより「マインドコントロールをかけられて暴政化した政治権力 側によって飼い慣らされた日本国民の立場」に重なります。 当然ながら、「ハーレム男≒コイズミ的なモノ」であることは言うまでもあり ません。 もし、「耐震強度擬装問題・ホリエモンの自民党広告塔問題・米国産擬装牛肉 輸入問題」などのような、尋常ならざるほど被害の大きな問題が欧米で起こっ た場合には、恐らく関係者だけでなく多くの市民たちが直接的に強い抗議行動 (デモンストレーションなど)に出たことでしょう。 が、ここに至っても、純情な(?)日本国民は「暴政の主」を篤く支持し、信 頼し続けているのです。過半の日本国民は、まさに「幻想空間」を浮遊し続け ているかのように思えてきます。』 |