テレビ局が街頭で女子中高生にインタビューをした。「地震が起こったら、まず何を持って逃げますか?」という質問に対して、80 %近くの人が「携帯電話」と答えた。この答は意外でもあるが、なんとなく納得して微笑んでしまう。
だが、 70歳近い日本のお年寄りが感慨深げに「携帯が命」と言ったときは、誰も笑う気になれなかっただろう。
かつては病気を誘発すると疑われていた携帯電話が、いつの間にか私たちの生活の大半の部分を占拠している。
外出するときに、腕時計もスケジュール表も、財布すら持たなくてよくなった。それらの機能は形態が全部備えている。手帳も 小型音楽再生機 もカメラも持たなくてよい。携帯にもそれらの機能はついている。携帯でゲームもできるし、小説も読めるし、テレビ番組も楽しめる……。
そればかりか、携帯で、子どもの行っている保育園のモニターテレビを見ることもできるし、警察が凶悪犯を捕まえるのに協力することもできるし、地震の被害者のために家族を探すこともできる……。
携帯は、我々の生活に欠くことのできないパートナーとなり、形のない精神の拠り所となったのだ。
だが同時に、携帯は様々な新しい犯罪を誘発する道具にもなった。携帯を利用して公共の場所で下品な盗撮をしたり、恥ずかしい行為である「援助交際」に使ったり、果ては恐ろしい誘拐やテロ活動にも使われる……。
毎日毎日、携帯をめぐって演じられる人生の悲喜劇が、この世界にもたらしている強烈な感動や動揺は、すでに携帯自身を超越しているに違いない。この意味から言えば、「携帯が命」と言う老人にせよ、携帯が食べ物や水より貴重だと考える女子中高生にせよ、間違ってはいないのだろう。
ある朝目覚めたら、自分が携帯電話になっていたりして……。 |