東京の印象 (中国)華梅
日本に行ったら、一度は東京に行かなければいけないらしい。東京の近代的な面を体験したいという人もいるが、
私はこの名だたるファッションの中心地を見てみたいと思った。
時間が限られていたので、ファッションを創り出す組織に関する取材をすることはできず、
街で東京のファッションの様相を観察した。
中国人留学生は我々にこう言う。「東京に行く必要はないですよ。東京は上海にはかなわないですから。」
どうしてそのようなイメージが生まれたのだろうか?「新幹線」を降りると、目の前に広がる都市のイメージは、
確かに私に上海を連想させた。だが、似ていたのは旧上海のほうである。
大小の看板でいっぱいの建築物やほとんどすべての通りに沿って広がる商店などは、解放前の上海の街にそっくりである。
革靴をはいて、全員同じ白いワイシャツで、しっかりネクタイを締めて、
濃い色の背広を着たサラリーマンは、忙しそうにせかせか歩き、書類かばんを手に持つか脇に挟んでいる。
ひっきりなしに携帯電話を取り出して話す人を見かけなければ、これが 21 世紀であることに気づくのは難しいだろう。
街にはファッショナブルな若者が多いが、
大多数は世界の大都市の若者ファッションと変わらないスタイルである。
手が隠れるほどの長い袖のセーターと超ミニスカートとショートブーツを身につけている少女たちがいて、
ちょっと見は若者らしくておしゃれだが、残念ながら同じかっこうをしている人が多すぎる。
「前髪」をたらしていることと、あまり背が高くないということがなかったら、どこの国だかわからない。
その上、茶髪が流行り、 肩に髪がかかるスタイルが流行っていて 、後ろから見たらどこの人だかわからない。
一部の中国の若者がまねしているファッションイメージもある。
部分的に茶髪にしているのは羽蹴りの羽根のようだし、
汚らしい丸首シャツの胸に抽象的な絵や人気スターの顔をプリントしたのもあるし、
穴をいくつもあけたジーンズをはいて、その大小の穴の破れ目がひらひらしたり白っちゃけたりで、
穴がまるで歯をむき出した怪人のようになっていたり、足には何色だか判別できないような ぶかぶかの
スニーカーをはいていたり、背中にはぱんぱんのリュックを背負っていたり……。
若者も多いが、年取った夫婦連れはもっと多く、これは東京に限ったことではない。
たくさんのほとんど同じファッションイメージの老人夫婦たちが、そこら中にいる。
男性たちは相変わらず背広が好きで、時としてカジュアルな服を着ていてもネクタイは手放せない。
女性の多くは和服を着ることはなく、清潔なカジュアルファッションを身につけている。
正座する(跪いて坐る)時間が長かったからか、あるいは女性の地位が低い時代が長かったからか、
老婦人たちの多くは腰が曲がって真っ直ぐにならず、足も彎曲して、手には杖をついている。
彼らにはもう一つ服装に共通の特徴がある。それは、ほとんどの人が薄いらくだ色の布の帽子を被っていることだ。
そればかり見ていたので、我々と同行した李院長が、ある日布の帽子を被って来たとき、
我々は彼を「日本風」だと言ってからかうことになった。
東京の硬質な都市イメージは我々を驚かせることはなく、
東京の軟質な都市イメージ――ファッションにも興奮させられなかった。
だが、東京国立博物館の美術品は、異国の風格を感じさせてくれた。
世界は一元化に向かっている。開放されればされるほど、
取り上げるべき特色が失われていくのではないだろうか?
「人民日報海外版」より (本編集部で一部削除した) |