ある小学校校舎の西側の壁には、子供たちがはつらつと遊ぶ姿を描いた壁画が
ある。中央の虹によじ登る子。木にぶら下がり、あるいは縄跳びをする子。日焼
けした少年がイルカに乗る姿など、力強くグランドから見上げられた。ペンキ屋
の三郎が描いた絵だった。
三郎が主任と二人でこの小学校に仕事に来たのは昨年の冬のことだった。主任
は昔気質の職人で無口だが、知恵遅れの三郎をいつも気にかけていた。その三郎
は暇さえあればスケッチプックを開き、主任に褒(ほ)められることをなによりも楽しみ
にして絵を描いた。
「三郎うまいぞ。今度はな、もっと大きく描けや」三郎は先年死んだ父のように
主任を慕った。二人は外装会社の社員で、主任はもとペンキ屋だった。それが数
年前から社員になって、ペンキ塗りを專門に引き受けていた。
校舎の塗装作業も順調に進み、下塗りが終わって化粧塗に入ろうとしていたあ
る日、主任は軽いめまいを起こし作業台から転落する事故があった。幸い右足腓
骨の骨折だけですんだものの仕事には出られなくなった。三郎は一人で作業をす
ることになった。
「注文では、清々しい気持ちになれる青空の色に塗れってから、千番と千五十番
を混ぜて作れ」
主任の言葉どおり三郎は調合したが、どんな色が清々しいのか分からなかった。
「いいんだよ。三郎が見て気分が良くなる色なら大丈夫だ」
主任のその言葉に三郎はかえって困ってしまった。
数日後三郎は何を思ったか、壁面いっぱいに子供達の遊ぶ姿を描き出した。家
で下絵を描き上げ、朝日と同時に仕事にかかり、陽が沈みかかるまで筆を動かし
た。一週間程で絵は完成した。三郎は主任のほめる顔を想像してほほえんだ。
翌日だった。自宅療養している主任に会社から電話があった。小学校の教頭が
鼻息を荒げて怒鳴つているから見に行けとのことだ。ギブスを巻いた足を引きず
り校舎に行くと、三郎は壁を見上げ得意げに立つていた。主任は壁面を見上げて
唖然とした。神経質そうな女教頭が走りより、高飛車に言った。
「こんな物を描けとは.言ってないでしょ。こんな絵を描くんなら、うちの生徒に
下猫きさせるか、ちゃんとした専門家にお願いしますよ。何ですかこの絵は」
主任はむっとした。無断で絵を描いたことは確かに申し開きはできないが、絵そ
のものは実に良かった。芸術性はともかくも、現代の子供たちが忘れかけている
溌剌(はつらつ)とした姿がそこにはあった。しかも空の青さとグランドの芝生
の緑とに引き立てられ、絵は明るく浮き上がって見えた。いつの間に現れたのか
校長が立っていた。
「校長先生どうしましょこの絵。私信じられません」
すると校長はは言った。
「これはこれでいいでしょう。子供たちへの夢は誰が与えてくれたっていい。有
名な画家でなくとも、それが良いものであればいいんです。そうでしょ教頭先生」
すると教頭は
「そうでしょうか」
不服そうに言った。校長は更に言った。
「これは寝たきりの少年が自分の夢を託して描いたものです。それなら教頭先生
納得でしょ?」
三郎は激しく首を振った。
「いいんです。そういうことでいいんです」校長は誰にとはなしに言った。
「そうなんですか。寝たきりの子がねえ。確かに子供の願いがありますね。でも
予定とは違ったものですから」
教頭のこだわりは消えなかった。教頭はあくまでも無断で絵を描いたことの責任
を追及し会社側に責任をとらせ、東側の壁の塗装を要求した。責任を取って主任
は会社を辞職することになり、三郎も主任と一緒に会社を辞めた。
「今度は俺の言うとおりに塗るんだぞ」
主任は三郎に言った。三郎は頷(うなず)いた。
「でも主任さん、俺が描くと駄目な絵で、寝たきりの子が画くと何故良い絵にな
るのかなあ」
三郎が言った。親方は黙ってたばこに火をつけた。