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【日記を読んで】 ”主宰の哀しみ”が、『薩摩の夢』に、書き込まれた。 ”創成期の哀しみ”として、語られている。 一寸!違うのでは!と、感じる。 主宰の哀しみは、今の気持ちなのだ。 昔を振り返ったかの如く表現だが、重ねているのでは、無いのだろうか? 【寂しさとは・・・】 主宰の一人とは、天涯孤独を、意味致しません。 侘び寂の境地でも、無いのです。 ”取り残された”かの様な気持ちなのです。 一人で始めると!決意をして、来たのですが、甘くは無かったのです。 何処から?手を付けたら良いのか?と、途方に暮れる毎日だったのです。 ”此処で?暮らし続けるの?” 不安と、焦燥が、混在した日々だったのです。 【月を見るとは・・・】 夜は、取り分け!寂しいものです。 其の寂しさを、癒してくれたものが、大きな月だったのです。 其の気持ちは、”この夜に見る月は、同じ月”なのです。 離れた場所でも、同じ時間に、同じ月を見る、感動なのです。 寂しさは、その様な形で、癒されるものなのです。 【哀しみとは・・・】 主宰の哀しみの根本は、”島流しの気持ち”なのです。 南国土佐に、四年間住んでいましたが、薩摩は、更に!南なのです。 日本の本土の果てなのです。 島で暮らした事の無い主宰には、奄美や琉球と変わらないのです。 然も、だだっ広い!だけの、廃墟のような木造の校舎跡なのでした。 夜は、真っ暗な土地です。 お洒落な暮らしとは、程遠い!惨めな生活だったのです。 この哀しみは、本質的には、変わっていないのです。 【其れでも、幸せと云う・・・】 主宰も、少しずつ変わってきたのです。 お洒落の意味が、格好好く暮らす事が、大切なものが、分かってきたのです。 主宰の気持ちが、少しだけ、工房に溶け込んだのです。 其の事も、哀しみの姿なのです。 夢幻出版社 編集長 田鶴彦之蔵人 |