VOL71 
廃校と大麦先生

 
                

  南房総のある山の中に小さな村があった。その村には学校がひとつあり、小学校と中学

校を兼ねていた。

  生徒の数は多いときでも百人足らずで、運動会などは村中の人たちが総出で楽しんだり

したものだが、昭和の終わり頃になると次第に人口が減り、平成五年にはたった一人の卒

業生を送り出して、この学校は廃校となってしまった。その時の校長兼担任、兼用務員さ

んに、大麦先生という人がいた。

 大麦先生は、廃校となった年に定年で教員を退職したのだった。

今では、学校はおろか村には年寄りさえいなくなり、山には誰も足さえ踏み入れなくな

っていた。

 ところが去年の秋のこと、そんな寂しい廃村の学校に明かりがともっているという噂が

たった。

  この噂を聞きつけた大麦先生は、居ても立ってもいられなくなった。十年以上も教壇か

ら離れてはいたが、教師だった頃の血が騒いだのだろう。

「勉強をしたがっている子供がいるなら、是が非でも行ってやらにゃあいかん」

先生はリュックに教科書を沢山詰め込むと山に登った。

 鬱蒼(うっそう)とした草深い獣道を分け入り、懐かしい学校に来てみると、そこは噂など立

ちそうに もない荒れ野が原になっていた。校庭は雑草で覆われ、校舎の中にもつるくさ蔓草

が入り込 み人のいる気配さえなかった。大麦先生はふと昔を思い出し宿直室をのぞいてみた。

そこはどうにか昔の面影があり、真ん中には掘り炬燵(ごたつ)が残っていた。懐かしさのあ

まり、落ちて いたぼろぼろのほうき箒で部屋の中に舞い込んでいた枯れ葉を掃き、掘り炬燵

をいろり代わり にして火を起こした。

  ちろちろと火が燃え始めると、どこからか歌声が聞こえてきた。おやっと思うと今度は

運動会のような歓声が聞こえてきたのだ。とその時、一人の少年が駆け込んできて大麦先

生に言った。

「先生、俺勉強したいのに、父さんは『勉強なんぞより枝打ちを手伝え』って言うだよ。

先生から勉強は大事だって言ってやってくろ」

そこへ少年の父親らしい山男が入って来て言った。

「先生、この野郎は体を動かすのがいやなものだから、勉強勉強とぬかすんでさあ。勉強

をすりゃあ生きていけると思っていやがる。働らかにゃあ生きていけねえんでさあ。働く

ために勉強が必要なんでしょうが。こいつの言うことは逆さまなんでさあ。ねえ先生」

大麦先生は少年に聞いた。

「キミは何の為に勉強をするの」

「そりゃあいい大学に入るためさ」

「いい大学に入って何をするの」

「そんなこと知らねえ。とにかく大学に入れば人生は勝ちだべ」

「なるほど、それじゃ父さんの言うように枝打ちを覚える方が先かも知れないよ」  
 
大麦先生は言った。

すると父親はしたり顔で、

「それ見ろ。それが分からねえでいると、あいつ等のようになるだぞ」

そう言って指をさした。指の先を見ると、今まで蔓草のはびこっていた教室には数匹の

小猿が壊れた机に飛び乗って遊んでいた。大麦先生はどなった。

「こら。教室は勉強の場だぞ」

すると一匹の小猿が言った。

「勉強ばかりの俺たちを見ていた裏山のボスがね、急にゆとりと個性と自由を取り戻せっ

て言ったんだよ」

そう言い終わると小猿は、はらはらと涙を流したのだった。

「どうしたんだね、いったい」先生は聞いた。

「ゆとりも自由も個性の伸張も、本当はみんないいことのはずなのに、それを取り入れた

ら僕たちはいつの間にか、みんなサルになっちゃったんだ。元は僕たち人間だったのに。

どこが間違っていたのかなあ」

小猿はまたグシュグシュと泣いた。先生は小さくうなずきながら、

「よりよく生きることを考える前に、自由と個性を先行させたからさ。でも間に合うから

泣かなくていい」

そう言って小猿をそっと抱き上げた。するとそれは壊れた背負い籠だった。はっとして

振り返ると、さっき駆け込んで来た少年と父親はキツツキの親子だった。親子は宿直室の

破れ窓から飛んでいった。
 
 大麦先生はちろちろ燃える火の前で、居眠りから覚めたのだった。

「あのころの学校は、もう戻らないのかなあ」先生は独り言を言いながら、山を降りてい

ったのであった。


                         
今月号のリーフノベルです。

リーフノベルとは、全て1600字の中に収まるように作られた
短編読み切り小説です。
幽鬼、深層心理、アイロニーの世界にあなたを誘います。
それでは、どうぞ今月のリーフノベルをお楽しみください。

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    名前:高安義郎(たかやす よしろう)
    日本文芸家協会会員
    日本ペンクラブ会員
    日本現代詩人会会員
    日本詩人クラブ会員
    千葉県詩人クラブ顧問
    詩誌「玄」、詩誌「White Letter」主宰
    リーフノベルを「千葉日報新聞」(隔週の日曜版)に10年間連載