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======================================================================== ━┓→ N┃→ 仮想力線電磁気学 ━┛→ ======================================================================== ------------------------------------------------------------------------ ●第97回 第4章・遠隔作用と疑似近接作用(その27) ------------------------------------------------------------------------ 当メールマガジンを御購読いただき、誠にありがとうございます。 今回は、前回おことわりしたように、少し脱線して、物理学全般に関係のある漫 談(?)をいたします。 もっとも漫談といっても、決して俗っぽい話をしようというのではありません。 それは、物理学の本質を考えた場合に、極めて深刻な問題となるテーマです。 とにかく、一度、読んでみて下さい。 おそらく、物理学に対するイメージがかなり変わるはずです。 なお、今回の話は、前回までの話や、次回以降の話とは、直接的には関係しない ので、各項目にふられている連番は省略しました。 どうか御了承願います。 **************************************** ---.数式はオカルトの武器 **************************************** 「数式はオカルトの武器である」と言われたら、みなさんはどう思うでしょう? おそらく、少なからぬ方々が反発したくなるのではないでしょうか? 「そんな馬鹿な。数式は科学の武器じゃないか。」と。 しかし、残念ながら、それは事実なのです。 使いようで、オカルトの強力な武器になるのです。 今回は、その理由を説明したいと思います。 **************************************** ---.実はニセモノの世界 **************************************** 物理学には、数式がどうしても欠かせません。 そこで、まず認識しなければならないのは、 『物理学は、自然をあるがままの姿で扱う学問ではない』 ということです。 ならば、どういう学問なのかというと、自然を人間が扱いやすい形に抽象化・単 純化して扱う学問なのです。 たとえば、初等物理学では、物体は質点という点として扱われますね。 物体には大きさがあるというのに、点に抽象化・単純化して扱うのです。 では、なぜ、あるがままの姿で扱わないのでしょうか? なぜ、わざわざ、本来の姿とは全く異なる『点』などというものに抽象化・単純 化するのでしょうか? それは、そうしないと、数式で記述できない(故に、扱えない)からです。 そうすることによって、つまり、大きさという概念を無視することによって、は じめて、物体を「質量m(の物体)」と記述することができるようになるわけで す。 抽象化・単純化せず、あるがままの姿では、このような記述はできません。 このように、物理学では、自然をあるがままの姿では扱わないのです。 ということは、数式で表されているものは、自然の真の姿ではない、ということ になりますね。 悪く言えば「ニセモノ」ということです。 ただし、ニセモノでも、実用上は問題ない場合があります。 たとえば、写真やビデオ。 物理的には、実物とは似ても似つかぬものですよね。 何しろ二次元の世界ですし。 でも、一般的な観賞には十分耐えられるものですよね。 つまり、ニセモノでも、目的を果たすには十分役立つことがあるわけです。 数式で記述された世界も同じです。 本物ではなく、ニセモノの世界。 でも、問題を解くという目的のためには、実用上、役に立つのです。 とはいえ、所詮はニセモノ。 限界があります。 たとえば、先ほど述べた「物体を質点として扱う」という初等物理学の解法は、 万能ではありません。 物体の大きさや形状、材質…等がかかわってくるような問題を解くことは、不可 能です。 このように、数式で表されたものには、特にその扱いについて、十分な注意が必 要なわけです。 **************************************** ---.実は極めて人間的な表現の世界 **************************************** 数式で記述されたものは、本物ではありません。 人間が抽象化・単純化した結果の産物です。 となると、 『どのように抽象化・単純化するのか?』 ということが問題になってきますよね。 実は、そのためのルールというものはありません。 抽象化・単純化を行う人間が、自分で決めているのです。 となると、これはもう、『表現の世界』ですよね。 ビジュアルなものにたとえるならば、『絵画の世界』です。 ということは、数式で表された世界は、実は、極めて人間的な世界である、とい うことに気付くでしょう。 ですから、それを扱っている人間の思想とか趣味とか嗜好、御都合…といったも のが入り込んでくる可能性がいくらでもあるのです。 それ故、勘違いや、思い込み、思い入れ、こだわり、妄想、空想、自己主張…と いったものに走る可能性も十分にあり得るわけです。 数式が表しているのは、自然の真の姿、すなわち、事実とか真実とかではありま せん。 自然を数式で表した人間が、自然に対して抱いている『イメージ』にすぎないの です。 イメージとは頭の中の世界の概念であって、現実世界の概念ではありません。 事実とイメージとを混同するのは、愚かなことでしょう。 **************************************** ---.トリックに使える理由 **************************************** 物理学における「科学の概念」、すなわち、数式で表されたものは、実際の姿と は異なる場合が少なくありません。 つまり、数式で何かを表す時は、実際の姿(=事実)とは違っていてもいいわけ です。 ということは、逆に言えば、「事実でなくても、数式では表すことができてしま う」ということになりますよね。 ですから、立派な数式で記述されていることが、理論の正しさを決定づける証拠 となるわけではない…はずなのです。 ところが、学会を牛耳っている物理学者には、数式だけから事を判断したがる人 たちが少なくなくありません。 このため、数式を乱用・悪用すれば、嘘や間違いでも、学会では「科学の概念」 にしてもらえてしまうのです。 これは無視できない問題だとは思いませんか? **************************************** ---.実は理想郷の世界 **************************************** さて、もう一つ、気付いてほしいことがあります。 それは、数式で表されたものには、現実には存在し得ないものが少なくないこと です。 たとえば、初等物理学に出てくる質点というものは、大きさを持たず質量だけを 持つものですが、現実世界にそんな物体が存在するでしょうか? たしかに、クォークなどの素粒子は大きさを持たないことにされていますが、そ れも仮説にすぎず、実際に直接観測可能なもの、すなわち、もっと巨視的なスケ ールのものは、みな大きさがありますよね。 その他、剛体とか、完全弾生体いう概念も、現実にはあり得ないものです。 実は、物理学の概念というものは、このように現実にはあり得ないものがほとん どなのです。 つまりは、おそろしく現実離れした、全く理想化された世界なのです。 では、なぜ、そんなに理想化してしまうのでしょうか? それは、そうしないと問題が複雑・煩雑すぎて解けないからです。 特に数式記述ができない。 そのために、非現実的な姿にまで理想化するのです。 理想化は、単純化とも言えます。 そう言われれば、これまでの話から、事情が理解できるでしょう。 **************************************** ---.現実逃避も可能に **************************************** 物理学における「科学の概念」、すなわち、数式で表されたものは、現実にはあ り得ないものが少なくありません。 つまり、数式で何かを表す時は、現実にはあり得ないものでもいいわけです。 ということは、逆に言えば、「現実にはあり得ないものでも、数式では表すこと ができてしまう」ということになりますよね。 ですから、立派な数式で記述されていることが、科学の概念であることを決定づ ける証拠となるわけではない…はずなのです。 ところが、学会を牛耳っている物理学者には、数式だけから事を判断したがる人 たちが少なくなくありません。 このため、数式を乱用・悪用すれば、荒唐無稽な空想にすぎないことでも、学会 では「科学の概念」にしてもらえてしまうのです。 これもまた無視できない問題だとは思いませんか? **************************************** ---.物理学をオカルト化する元凶 **************************************** このように、物理学においては、数式を乱用・悪用することにより、事実でない ことや、荒唐無稽な空想にすぎないことでも、「科学的」と信じ込ませることが できてしまうのです。 このことから、数式はオカルトの武器となり得ることが、おわかりいただけると 思います。 相対論や量子論に始まる近現代物理学や、その応用分野である宇宙論などは、矛 盾や荒唐無稽さに満ち溢れています。 それでも科学的に見えてしまうのは、数式という武器を巧みに用いているからな のです。 たとえば、「粒子であり波でもある」などという全く矛盾した、現実にはあり得 ないことでも、 E=h・ν と数式で表されると、矛盾の無い、現実にあり得ることのように見えてしまうの です。 となれば、もはや、量子論・量子力学にも、相対論にも、宇宙論のようなそれら の応用分野にも、特別な敬意を払わなければならない義務はどこにもないことに 気付くでしょう。 **************************************** ---.絵になる表現 **************************************** 数式を用いると、科学的なイメージ・印象が強まりますよね。 ですから、『絵になるもの』になります。 すると、メディアの注目を集めやすくなる。 逆に、『絵にならないもの』は、メディアは相手にしない。 ニュースの報道なんかでも、そうですよね。 これはまことに困った傾向です。 数式という見かけの姿に惑わされ、偶像を崇めるのは、感覚的で非論理的な人間 のすることなのです。 芸術のように人間の感性とかが決め手となる分野ならそれでもいいのかもしれま せんが、現実の物質のことが考察の対象となる物理学(自然科学)の分野でそん なことをやられたのでは、たまったものではありません。 **************************************** ---.新興オカルトの特徴 **************************************** 一般に世間では、「オカルチストには、数式が苦手で、精神(論)志向の強い文 芸系の人間が多い」と信じられているようです。 しかし、実際には、唯物(論)志向が強く、数式のような理工系的な概念を振り 回すことを得意とするオカルチストも、少なからず存在するのです。 社会に害悪をもたらすオカルチストたちには、ある共通した特徴があります。 他人のことは批判しても、自分たちのことは批判しない。 というか、自分たちに対する批判は許さない。 また、実際の自分とは全く違う『もう一人の自分』という存在を捏造し、これを 批判することで、いかにも自己批判しているふりをする。 (自分たちよりも)弱い者は批判しても、強い者は批判しない。(できない。) 自分たちが優勢な時は好きなだけ相手を痛めつけ、逆に不利な時は弱い被害者を 装い世間の同情を誘おうとする。 ・・・・・・ これらは、光崇拝教のオカルト物理学の信者たちにも、はっきりと見られる特徴 です。 数式を武器とするオカルト物理学を倒すのは、容易ではありません。 そのあたりの事情を、今回の話で少しでもわかっていただければ幸いです。 * * * さて、次回からは、ふたたび本題に戻ります。 どうぞ、お楽しみに…。 ======================================================================== 発行者 : tarkun(たーくん) mailto:tarkun2@yahoo.co.jp 配信 : MailuX http://www.mailux.com/ バックナンバーの閲覧、購読の解除、配信先の変更は、下記のHPへ。 http://www.f8.dion.ne.jp/~tarkun/mm/mailux.htm 購読の解除や、配信先の変更は、御自分でお願いします。 ======================================================================== |