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▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲ 南米旅行記No.47(2004年10月31日 Sun.) ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲ Index 1.今週のコラム 2. 株 3.メキシコ旅行記XVIII 4.南米旅行記XLVIII 5.あとがき □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 今週のコラム ちょっと政治的基調が強いですので、興味のない方はスキップ してください。 日本人旅行者がイラクで誘拐され日本政府に48時間以内の自衛 隊撤退を要求してきたそうだ。もちろん、小泉の答えは「自衛 隊を撤退させない」ということだった。 自分が小泉の立場なら、やはり同じ決定をしたと思うのだが、 やはり、割り切れないものを感じる。 誘拐されたたった一人の自国民を救うために撤退すると、あの国 は軟弱だということでどんどん自国民に対する誘拐が増えるし、 国土防衛の観点からいってもあまりいい影響を及ぼさないだろう。 しかし、そもそも小泉がイラクへ無条件で自衛隊を派遣しことが 今回の拉致殺人の発端であり、日本及び日本人におよぼすその影 響も計り知れないものがあることはわかっていたこだ。イラクに おける日本人拉致、日本国内においてのテロ懸念の影響であるが、 実際に自衛隊派遣以来6人の日本人が誘拐、拉致されたわけで、 今回の香田君はとうとう殺害されてしまったようだ。 そもそも、アメリカは日本のように半世紀も同じ政党が政権を 担当するということはなく、8年もしく4年ごとに政権が交代 していて、政府方針も大きく変わるので、ブッシュ政権の要請を 受けて自衛隊を派遣する必要があったのだろうか。国連主導で駐 在しているわけでもないので大義名分もないし、自衛隊は隊員が テロの標的になるのを恐れ、要塞に引き篭もっているだけで、目 的にあげていたインフラ復興の活動もろくにしていない。 日本はアメリカの準植民地という位置づけをすると、自衛隊派遣 は仕方がなかったと考えられなくもないが、アルカイダと関係なく 大量破壊兵器も持っていなかったイラクに侵攻をするという暴挙 を実行したブッシュ政権と同調するする必要があったのか。 日本が自衛隊派遣要請を受け入れなかったら、ブッシュ政権はイ ラク侵攻を正当化するために日本という国を切り札に使えなかっ たのではないだろうか。経済大国第2位の日本がイラクに自衛隊 を派遣していなければ、アメリカ国民にたいするイラク侵攻正当 化のインパクトが小さく、来る11月2日に行なわれる大統領選 挙も支持率調査の差が1%しかないという接戦ではなく、民主党 のケリー候補の圧勝になる予想が出ていたかもしれない。 こう考えると小泉が自衛隊をイラクへ派遣したことは、ブッシ ュを擁護するという個人的な行為ではないだろうか。アメリカ の政権が10年以内で小刻みに交代していることと、ブッシュ 政権が支持率50%しかないということは、ブッシュの外交政策 は絶対のものでなく、アメリカ人の半数が反ブッシュであるとい うことであるから、アメリカと日本の関係が最悪になるとは思 えない。実際に共和党の中にもブッシュ政権に疑問を抱いている 議員は多いといわれている。 結局、香田君はずさんな小泉外交の犠牲者になったといえるの ではないだろうか。 こころから、香田君のご冥福をお祈りします。 エドワルド □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 株 過去10回のアメリカ大統領選後の株が上昇する確率は8割だ そうです。上昇率は10〜30%だそうですから、NYダウが 11,000ドルから13,000ドルまで上がるわけです。 もちろん、日本株もアメリカ株に影響されて上昇することが見込 まれますので、現在の日本株が底値だとすると、年末まで相当、 利益を出せることになります。 今が仕込み時だといえるかもしれません。 エドワルド □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ メキシコ旅行記XVIII メキシコシティに到着したらまだPM4時頃だった。アウトブス デ ノルテ(北バスステーション)の構内で東洋人を見かけ声を掛 けると日本人だった。 彼は独身の公務員で、まとまった休みがあると海外旅行をしている そうだ。サンミゲル デ アジェンデから同伴したメキシコ人の子 供に紙風船を挙げていた。現地の人と友達になるために、「そうい う方法があるんだ」と改めて気付かされる。といってもアメリカに 住む身では紙風船など買い求めようもないが。 バスステーション近くのホテルに、その日本人と泊まることにした。 6ドルほどと安いが、部屋は広いし申し分ない。 まだ、時間が早いのでメキシコの守り神ビルヘン デ グラダルー ペ(聖母グアダルーペ)を祀るグアダルーペ寺院へ行くことにする。 地下鉄でパンティトラン行に乗り、次のラ ロサで乗り換え、イン ディオ ベルデス行きの2駅目がグアダルーペ寺院のあるバシリ カ(特に重用な教会の尊称)である。 駅を降りると大通りがあり歩道に屋台がどこまでも続いている。 その通りに沿って北東に行くとグアダルーペ寺院がある。参道 にはたくさんのレストランや商店があり、歩道は歩くスペース を残して屋台が道路側に並んでいる。日本風にいうと門前町で、 東京でいうと浅草、大阪だと四天王寺のような感じだ。という より、闇市といった方が正解か。 寺院に繋がる道は傾斜の付いた高架になっていて、その道を真 っ直ぐ行くと正面にフェンスで囲まれた古い建物がある。19 88年のメキシコ地震まで200年以上も使われていたという ことだ。現在はその左手に2万人収容できるモダン建築が建っ ている。まるで巨大テントのようだ。やはり、昔の建物の方が 趣があるようだ。 この寺院は、1531年に インディオの王女の格好をしたグ アダルーペ(おそらく霊のようなもの)が現れ、ホアン ディ エゴという名前のインディオの外套に彼女の肖像を浮かび上げ らせた(カトリック三大奇跡に数えられる)ことに由来する。 その外套は地下の壁に取り付けられた巨大な額縁(金と27ト ンの銀でできている)の中に飾られている。歩く歩道に乗って 見学するのだが、メキシコ人は信心深いらしく、歩く歩道に乗り ながら懸命に祈っている。 ビルヘン デ グアダルーペはインディオの王女の格好で現れた というように肌は褐色である。どんな宗教でも広域化する過程に おいて、その土地の神様と融合してその民族の顔になる。ブッダ にしてもインド人であるから日本人の顔とは180度違うはずな のに、日本の仏像は日本人の顔をしている。そんな仏像を子供の 頃から見ているから違和感はないが、サンタ マリアが白人だと 思っている日本人が褐色のサンタ マリアを見ると変な感じだ。 改めて神仏習合のようなことがどこでもあったことを痛感させら れる。実際に、ラテーノが「神様は一人で、南米ではカトリック の神として現われ、アジアではアラーや仏教の神として現れるの だ」と本地垂迹ばりの意見を説いているのを聴いたことがある。 新館内部はちょうど夜のお祈りの時間だったのか多くの人が司祭 の話に聞き入っていたメキシコに来て以来多くの教会を見たが、 このグアダルーペほど活気がある教会はなかった。生駒山の石切 神社より活気がある。まさに生きた宗教だ。 グアダルーペ寺院は丘の麓にあり、背後にある丘を登っていくと 頂上付近に小さな教会があった。こんな夕方にと不思議に思った が、結婚式が行なわれていた。純白のドレスに女性のはちきれん ばかりの褐色の肌がよく似合った。グアダルーペの再来のよう だ。ラテーナの笑顔は気取りがなく自然だ。 辺りは薄暗く、石造りの柵に寄りかかりながら黄昏のメキシコ シティに見とれる。空は夕焼けに染まり、街には電灯が付いて いる。メキシコで会った日本人と一期一会のひと時を共有して いることが不思議だった。 つづく・・・ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 南米旅行記XLVIII 高地の澄み切った空気に、暴力的な光線を放つ太陽。熱くはない のだが太陽光線が肌を刺す。 地元の人々の肌は、アフリカの黒人のように黒い。乾燥しているこ とと、酸素の薄い高地が彼らの色を作り上げたのであろう。北欧あ たりのアルビーノ(白子)のような白人が、この地に住めば、かな りの確率で皮膚がんに罹るだろう。黒い肌が、皮膚がんになること から護っているのである。 色が黒いと差別の対象になるが、それが彼らを護っているのだから、 世の中には無意味なものは何もないのだ。彼らはここにいる限り差 別をうけない。一攫千金をねらって、白人の世界に足を踏み入れたと き、彼らの守り神でもある黒い肌が彼らに牙を剥く。それは白人にも いえていることで、黒い人々の土地へ踏み入れた瞬間、白い肌が彼 らに牙を剥くといろいろ頭の中で問答をしながらチチカカ湖を眺め ていた。 目の前には、葦で出来たウロス島に行く葦舟があり、船頭が五色 の服に、毛糸の帽子を被ってこちらに笑いかけている。白い歯が印 象的だった。 四人の日本人にペルーの女性一人を乗せた葦舟が葦の生い茂った 湖面を進んでいく。一人の日本人がケーニャ(笛)を取り出して、 物悲しいフォークロールの歌を奏でている。まるで、遠いインカの 昔にトリップしたようである。この感じは日本の昔に通じるものが あり、子供のころの思い出、昔の彼女の思い出が脳内を駆け巡る。 あの夏祭りで、竹の骨組みにいくつも掛けられた走馬灯の懐かしい 感覚だ。 他の日本人は、水性画の絵の具セットを取り出して、葉書に絵を 描き出した。水面から出ている葦や遠くに見える島が徐々に描かれ ていく。日本の笛の音に似たカーニャの音に、日本の水性画。この 絶妙の組み合わせが、インディオと日本人が同じ先祖を共有してい ることを、否が応でも知らしめる。太古の昔、日本から旅立ってい た集団の子孫が、残った集団の子孫と何万年の時を経て再開する。 何と、この世の中はダイナミックなのだろう。 ウロス島は本当に葦でできていた。島は数軒の家があるだけ で浮き舟といったほうが的をえているだろう。所々に水が染み出て きており、そこに足を踏み入れると、靴がビショビショになった。 その小さな葦の島で、真っ黒な子供たちが無邪気に走り回っている。 こんなところにも人間の営みがあって、人間の人生が繰り返されて いるんだなあとつくづく感じ入る。 たかだか、一時間の湖面めぐりだったが、静寂で物悲しい午後の なかで、インディオに恵みを与えてきたチチカカ湖に抱かれ、ふる さとの母親を思い出して涙し、「ふるさとに帰りたいよ〜」と水平 線に向かって、叫びたい」ような衝動に駆られた。 つづく・・・・ □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ あとがき 戦争をしている国を見てみたい、国境まで来てしまったから、わ ざわざ後戻りしてルートを変更するのは面倒だという理由で危険地 帯に入り込む旅行者は結構 多いと思います。 私も、昔グアテマラから内戦中のエルサルバドルに入り、戒厳令 の敷かれている首都サンサルバドルをうろついた事があるのです が、8時以降、街が真っ暗で、とても怖かったです。 ニカラグアへ行くためにゲリラが頻繁に出没する地域をバスで 通るときなどは、親から貰った数珠を手にしっかり握っていた ことを思い出します。 当時のエルサルバドルでは日本人は標的にされていなかったの ですが、それでも凄い恐怖感を味わいました。 私は殺されませんでしたから、あの当時のことを懐かしく思い 出すという言葉を使っていますが、世界旅行は危険な部分も あるわけです。特にイラクのようなアメリカと同調している 国はすべて敵であると考える国は、日本人にとって非常に 危険であるわけです。 人間の行動はすべて自己責任です。政府といえども自国民を助け ることはできないし、貧乏旅行者のことなど鼻にもかけていない でしょう。外務副大臣がイラクに飛んだのも、国民を意識した パーフォーマンスにしか過ぎません。 もっとも大事な事は、自分の身は自分で護るということです。 それは旅行だけでなく人生の基本ではないでしょうか。安易な 気持ちで、自ら危険に飛び込むようなことをできるだけ控えるよ うにしたいものです。 エドワルド ////////////////////////////////// ★ このメールマガジンについてのご意見、ご感想について質問等、 ございましたら cubajapo@m3.kcn.ne.jp までメールして下さい。 ////////////////////////////////// ★ 登録/解除の方法 http://www3.kcn.ne.jp/~cubajapo/melmaga.html 「南米旅行記」は、上記のURLよりいつでも登録/解除可能です。 ★ホームページ http://www3.kcn.ne.jp/~cubajapo/ &&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&& ★ 「南米旅行記」(週二回) 発行責任者 :エドワルド ★ 発行システム Mailax http://www.mailux.com/index.php E‐magazine http://www.emaga.com/ メルマガ天国 http://melten.com/ 「南米旅行記」は、本サービスを介した情報により発生あるいは 誘発された損害,情報の利用により得た成果、または、その情報自体の 合法性や道徳性、著作権の許諾、正確さについての責任を負いかねます。 &&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&& |